【8.不帰嶮】
私の座っていた岩のすぐ真横が下降点だった。
いきなり、鎖が垂れ下がった絶壁の下降である。
私は後ろ向きになって、鎖と岩を掴みながら腰を落としてスタンスを探った。――しかし、見当たらない。
鎖の垂れ下がった岩は、数センチ程度の突起を除けば、とっかかりのない壁状になっている。壁の下は真っ白で、それはつまり、視界二十メートルの高さ以内に地表がないことを意味していた。
「こわい」――そう思った。私はすでに岩壁に取付いている。もしも、手が、足が、何かの拍子に滑りでもしたら。そう思うと身体が震えてくるのを感じた。
膠着状態が長引くほど、恐怖だけが高まる。焦らないようにと言い聞かせても必ず焦るものだ。私の理性がそう訴えていた。唯一の糸口は、身体を退避させるべく動かすことだった。私は真下への降下をすぐに断念して、進路とは反対の左方向にあるスタンスへ、いったん身体を寄せた。
そこから右方向へ、ぱかっと開口している空間をまたぐ。非常にこわい瞬間だった。
雨に濡れた岩場での重心の移動は、リスクを生む。空間を移動する時に靴が滑ったら――。レインウェアがどこかに引っかかったら――。あらゆる不安要素が一斉に襲ってきた。心拍数が急上昇するのを感じながら、それでも、進路側の岩場へ移ることができた。
足ががくがくと震えていた。唐松山荘の主人も言っていたように、過度の緊張はむしろ身体を固くする。この状態で進むのは危険だと思った。私はしばらくそこで停止して、それほど難くはなさそうに感じられる次の進行方向を見つめながら、動悸が収まるのを待った。
(窮した鎖場。鎖の垂れている岩壁上にはスタンスがない。いったんこの立ち位置へ回避し、空間をまたいで通過した。)
数分して平静になり、再び前進した。岩場をトラバースしていくと、一枚岩の下りが現れた。十メートル以上はあろうかと思われる長い鎖がかかっている。ここは本などでよく紹介される場所だったので、事前に充分なイメージトレーニングを行なっていた。一枚岩といっても先ほどのような絶壁ではなく傾斜がついているのと、クラックが走っていてそこを足掛かりに下りることができる。それ以外の露岩部分に足を置いてしまうとおそらく滑るので、足の置き場に注意して下りていけばよかった。実際に下りると、クラックも傾斜しているから足が水平に置けなかったり、歩幅が合わずに両足を近接に置いたりしてやや不安定になった所もあったが、鎖を掴んだまま身体を壁から離しているために足元がよく見えているので、恐怖感はなく、特段苦心することなく下りることができた。それにより、私は完全に平常心に戻ることができた。
それからすぐまた次の鎖があり、濡れて滑りやすい岩場を斜めに下っていった。ふと気がつくと、唐松岳を通過してから見ていたような白い地質はもうなくなっていて、ねずみ色の岩場になっていた。唐松山荘の主人がここだけ地質が違うと言っていたのを思い出したが、地質についてあまり知識のない私は、主人の言葉がどうであれ、滑らないように注意していくだけだった。
次はなぜか登りとなったが、登りはすぐに終わって急斜面のトラバースになり、その先に、先ほどⅡ峰北峰に上がる前に見かけた先行者がいるのが目に映った。
私はそのトラバース途中でスペースを見つけ、ザックを下ろしてひと息ついた。この急降下がどこまで続くか分からないが、休めるところで休んでおかないと、いざという時に力が出ないと思った。すでに、出だしの部分で窮したために力が入り過ぎて、腕に疲労がきていた。
下り始めてからずっと左方向へ巻いているような印象があったが、トラバース道が突然崖に行き当たり、そこから頭上の岩峰を見上げることができた。岩峰の先端は濃いガスの中に霞んでいるが、そこから見通す岩稜は、屏風のように切り立っている。思わず息を呑んだほどの圧倒的な威圧感だった。“こんなところを下りてきたんだ――”と思ったが、実際はそんな屏風を垂直下降してきたのではなく、左側を巻いて下りてきたというわけだ。しかし、圧倒されるほどの高低差を降りたことには変わりはなく、私が屏風を見上げてそんな感覚をおぼえたのは、あながち間違いではない。
(切り立った岩壁を見上げる)
その崖の突端から、一転して右方向への下降へ変わった。途中にハシゴを降りる箇所などもあって、相変わらず慎重に下っていった。そしてまた左方向へ。Ⅱ峰北峰をジグザグに下りてゆくのであった。
左へ折れてすぐ、これまた必ずといっていいほど本で紹介される、五メートルほどの鉄製の水平ハシゴが現れた。切れ落ちた岩場の空間上に架橋しているのだ。左手の岩壁に鎖が張られているから、それを持ちながら歩けばそれほど恐怖はなかったが、それ以外に手摺があるわけではないし、橋桁にあたるハシゴ部分の幅が三センチ程と、きわめて細い。当然足元が透けて見えるが、踏み外さないためにはよく見て足を置く必要がある。しかもそれは、濡れた鉄だ。なかなかスリルのある場所だった。怖さとスリルを楽しみながら、橋上で写真を撮るなどして、通過した。
その先も気が抜けない岩壁だった。一応、ルートにあたる部分がどうやら細く削り取られているように見えるが、すこしでも足を外してしまえば、切り立った岩の滑り台に乗ってしまうような岩壁である。
そこを真横に横切っていった。雨の中から、前方に先行者の姿がまた見えてきたので、なるべく間隔を維持したままゆっくりと歩いた。落石を起こす可能性が否定できなかったので、必要以上に接近したくはなかった。
ようやくそこを横切ると、真下へ下降し、また右方向へ、同じように岩壁の横歩きだ。先行者がゆっくりと歩いている。ちょっとペースを上げればすぐ追いつく距離だ。時折彼がうめき声ともつかない独り言を発しているのさえ聞こえてきた。たしかに、驚きに値するほど細い横歩きの連続だった。
右方向へのトラバースの終端地点で、彼がそこの岩壁を下降し始めるのが見えた。私は依然として足を速めることなく、ゆっくりと進んで、まもなく彼が取付いている鎖の頭上に至った。見下ろすと、ここが最後の下降地点だと分かった。私は彼が鎖から離れるのを待って、下降を始めた。
よく滑る一枚岩の下降だった。最後まで怪我をしないように通過するんだと言い聞かせて、足場を充分に確認しながら下りた。
下りきって、私は狂喜した。
ついにやったんだと思った。この雨の中、険しいⅡ峰北峰の下りをやりきったのだ!振り返って仰ぐと、ちょうど一瞬ガスが薄まって、北峰の先端が見えた。雨が容赦なく私の顔を打ったが、真上に向かって聳えている黒い岩峰を目に焼き付けたくて、濡れるのも構わずに、北峰を見上げた。
すさまじい岩峰だ!「不帰嶮」、ここを制したのだ!そんな喜びで、私の胸はいっぱいだった。
北峰を下りきったところのコルを進んでいくと、先行者がいた。彼は私の姿を認めると急に慌てて、失礼しました、と、なにやら大声で叫んだ。その素振りから、彼がそこで放尿していたのではないかと思ったが、私は気づかないふりをして彼に近づいていった。
お互いの顔が識別できる距離になってから、彼は笑いながら、もう一度、失礼しましたと言った。私は気づかなかったふりをしようと思って、え、何ですか、と返した。すると彼がキジを撃っていたんだと白状したので、気がつきませんでしたよと言った。あまり美しくない出会いの場面だったが、私たちはⅡ峰北峰の下りをやりきったという共有の喜びを感じていた。私が、いやあきつかったですねと言うと、彼は「もう下りでは絶対に使いませんわ」と感情をこめて言った。
彼はここで休んでいくとのことだったので、私は先行した。目の前に、今度は登り坂が控えていた。私はしばらく進んだあと、コルから少し小高くなった位置で後方のⅡ峰北峰を振り返った。ガスがまた濃くなってきて、岩峰が霞んでいた。雨のせいで暗く、真っ白な雨煙の中に浮かぶ岩峰は、黒々としていて不気味ささえ湛えていた。
岩峰はまるで冥府に突き立てられた剣のようだった。“冥府”と私が言うのは、それが死を連想させたからではない。この世とはかけ離れた別次元の存在であるかのように、人を寄せ付けない印象をまざまざと感じたからであった。
私は坂を登りながら、何度も振り返って、次第に遠ざかるⅡ峰北峰を眺めた。思い返せばほんの短い時間の下降だったが、ずいぶんと凝縮された時間だった。名残惜しさがなかなか消えなかった。岩峰はやがて、白いガスの中へ融けるように消えていった。ちょうど、私が次のピークに達した時だった。
(Ⅱ峰北峰。あの先端から下降したのだという感動がいつまでも消えなかった)
そのピークには何の標識もなかったが、ここがⅠ峰だろうと思った。私はここで休憩した。「不帰嶮」というと一般的にはⅡ峰北峰の鎖場を指すのであろうが、いくつかのピーク群で構成される不帰の山群を、ようやくすべて通過したのだった。出発してから間もなく二時間が経とうとしているが、雨は一向に収まる様子がない。私は今回、荷物の軽量化のためにゲイターを持ってきていないが、不帰嶮を通過した際の影響からか、靴下がずいぶんと濡れてしまい、靴の中がほぼ水びたし状態であった。ゲイターがない分、昨日はレインパンツを下げ気味にして裾の部分を覆っていたのだが、それだと屈伸しにくいので、今日は運動性を高めるために通常の位置でレインパンツを履いた結果、靴下を雨から防御することができず、そこから浸水していったものと推測された。
このⅠ峰への登り返しもなかなかつらいものだったが、この先また徐々に下降していって、ようやく最低点である不帰キレットに下り立ったのは、さらに三十分も後だった。地図上ではキレットと記されているが、周囲は何も見えず、どのような地形なのかまるで分からなかった。Ⅰ峰のピークからここまでの距離が、本当に長かった。ガスの中、なんの変哲もない登山道を、まるで彷徨うように、ただ黙々と歩いてきただけだった。
さて、ここからまた登りである。
天狗の大下りと銘打たれた急坂であり、約四百メートルの高低差がある。「大下り」というが、こちら側から進む場合は登りだ。不帰嶮を通過した後、次なる試練は、白馬三山をはじめとするいくつものアップダウンを踏破することであった。
私は依然としてストックを出さないまま、急な登りに差し掛かった。すでに岩稜帯は通過していて両手はフリーなのだが、この坂の上部に鎖場があることを知っていた。そこまでの間にストックを使ってもよかったが、疲労のせいかストックを出すことすらなんとなく面倒で、そのままだらだらと登ってしまったのだ。ほとんど果てしなく続くような急斜面は、ずっと上に伸びていて、途中からガスによって見えなくなっている。大小さまざまな石で覆われたガレた斜面だ。登山道がその中を稲妻型に走っている。
私はただ黙々と、ゆっくり登っていった。ストックを使わないから、一歩、また一歩と、重心を小刻みに左右の軸足へ移していく、あの歩き方である。そんな歩き方をしていくと、あまり疲れなかった。不帰嶮を突破したいま、コースタイム通りに歩いていっても十分な時間があるから急ぐ必要はない。重心移動を妨げないペースを維持しながら歩いた。稲妻型の登山道の路面は、石で覆われているがよく整備されているので、自分の思い通りの歩幅を踏むことができる。そんなわけで、呼吸が上がることもなく、いつの間にか高度を上げていった。疲れないから休憩を必要としないので、知らず知らず、どんどん進んでいた。
そうして十五分ほど一心に登っていくと、ガレ場が終わって巨大な岩盤の露出した場所へ到達した。五十メートルはあろうかと思われる巨大な岩盤で、ほとんど凹凸のない表面が、雨に洗われてにぶく光っていた。子供の頃にどこかの博物館で見た、黒曜石の石器のような表面だった。ただ、石器はせいぜい五センチ足らずだが、ここはその千倍はある、巨大な岩盤だ…。
極めて危険なこの長大な岩盤に、一本の長い鎖が垂れ下がっていて、それを手掛かりに登った。表面がかなり滑らかなので、雨で足を滑らせる可能性を考えると、鎖の存在はじつに頼もしかった。その鎖を登り切るとまたガレ場が現れたが、右方向へガレ場を迂回して、斜面の右端の尾根に沿って直上するコースとなった。先ほどのような歩き方で少しずつ詰めていけばよかったのだが、鎖場でペースを崩されたのか、あるいは直線的な登山道に苦しんだせいで、やや力任せに登ってしまい、体力を消費した。
その辺りから、ようやく頭上に真っ白な空間が見えた。依然として濃い霧に包まれているが、間違いなく空である。あそこまで行けばこの長い坂も終わるのだと言い聞かせながら登った。この頃には雨が弱くなっていた。
しかしそこは坂の終端ではなかった。単に尾根の右端からのアプローチが終わっただけで、そこにあった岩を乗り越えると、今度は左側へ、登山道がなお上方へ延びていたのだった。
私はなお登った。天狗の大下りに入ってからもう三十分ほど登っている。しかし勾配は間違いなく、緩くなってきていた。やがてガレていた登山道の周囲に、所々薄い緑色の草花が点在するようになってきた。白いイワツメクサや黄色のキンポウゲなどが咲いている。雨も時折止むようになってきた。だが依然、視界は五十メートルほどしかない。
そんな登山道の傍らに、コマクサの群落があった。細かい石の多いガレ場と、そこを好むコマクサ。雨の水滴をふんだんに身にまとったコマクサが、いく株もそこらに咲き乱れていた。周囲をこんなにもコマクサに囲まれているなんて、なんてぜいたくだろうと思った。誰にも会わない孤独は、とたんに感傷に変わった。
なだらかだった登山道が急にフラットになったと思うと、「天狗の頭」の道標が現れた。少し前からすでに斜面がなだらかになっていたために、私はもうとっくに天狗の大下りを通過したものとばかり思っていた。しかしこの標識を見て、天狗の頭という経由地点を忘れていたことに気付き、ここでようやく天狗の大下りを登り切ったんだと分かった。およそ一時間かけて、四百メートルを登ったことになり、考えてみるとそれは、ちょうど私の標準的な登高速度で登ったということだった。
唐松岳頂上山荘を出てからかれこれ三時間は歩いているが、雨は断続的に降り続いていた。周囲のガスは依然として深い濃度で立ち込めていて、遠望はまったく利かなかった。風は一貫して左の富山側から吹いていたが、時折ほんの一瞬、比較的近い位置に、緑色の斜面やそこに残る白い雪の帯がガスの中から浮かび上がって、はっとさせるのだった。
ほとんど勾配のない、真っ白なガスの中を、およそ二十分近くも歩いた。幸いにも足元に走っている登山道ははっきりしているから迷うことはなさそうだったが、知らないうちにケモノ道に入り込んでいるとしたらと思うと、少し不安になった。しかし天狗の頭にあった道標をちゃんと確認したことだし、紛らわしい分岐などもなく、決して迷っていないという自信があった。
風と、風が運んでくる弱い雨に当たりながら、こんな峻厳な不帰の大自然の中にいる自分に気がつくと、なぜかむしょうに感傷的になった。歩調が緩んで、ほとんど勾配のない尾根道を静かに歩いた。
所々、一面が白褐色の扁平形の石で覆われた地肌があり、そこだけ地質が変わっているようで、目を楽しませてくれた。最初に紫色のウルップソウを見たのはこの辺りだった。コマクサもいたる所に咲いていたし、チングルマも見つけた。ガスの中のやわらかい光の下で見る花々は、色彩が鮮やかに映えるのだった。
霧の中から、突然、一人の男性が現れた。こんにちはと声をかけたのに、返事がなく通り過ぎていった。イヤホンを耳につけていたから、何か音楽を聴きながら、これから向かう不帰嶮に向けて気持ちを高めていたのかもしれないし、もしかしたら外国人で言葉が分からなかったのかもしれない。若い男だった。そして彼とすれ違ってすぐ、その奥の霧の中から、天狗山荘の建物が浮かび上がってきたのだった。
たしかに小屋はやや傾いていた。視認して分かるくらいだから、解体もやむを得ないのであろう。そのすぐ左側は大量の雪で覆われていて、小屋の周りだけがようやく融けたばかりといった様子だった。その雪の一部が雪洞状に掘られていて、そこから一本のパイプがこちらへ出ている。水場と書かれた札がそこに建てられていた。
私が周囲を観察する前に、雪の上をこちらへ歩いてくる一人の男性がいた。挨拶をすると、彼はこんにちはと返してくれた。彼とすれ違ってその辺りを見回すと、唐松山荘で主人が見せてくれた写真と同じ標識が立っている。その標識を見ると、白馬岳は右方向を示しているのだが、彼が下りてきたのは正面だった。唐松の主人もそう行くんだと注意してくれたが、標識が別の方向を指しているので不安になり、すれ違った彼を呼び止めて、こっちでいいんですよね、と正面を指して聞いてみた。彼は呼び止められたにも関わらずこちらまでやってきてくれて、こちらで間違いないですよと教えてくれた。ヘルメットを被った同年代ふうの男だった。
彼と会話を交わしたことに気をよくした私は、雪渓の状態を聞いてみた。彼はノーアイゼンだったが、アイゼンがあった方がいいですねと教えてくれた。せっかくそう教えてもらっても、私はアイゼンを持っていないので、アイゼンは持っていないんですよと口に出しかけたが、それを彼に言ったところで彼にはどうすることもできないばかりか、困らせるだけだろう、それに自らの準備不足を露呈するだけだ、などと考えて、出そうになった言葉を飲み込んだ。礼とともに、気をつけて行ってきてくださいと声をかけた。進行方向は違えど、お互いにこの雨の中を進んできたということと、これから彼があの不帰嶮に挑もうとするのだという思いが、彼に対して親近感を抱かせた。
私は無人の天狗山荘の軒先に腰掛けて、行動食を口にした。正面に例の標識があって、そこから雪渓が始まっている。標識が指しているのはきっと夏道で、そこは雪に閉ざされているということなのだろうが、唐松山荘で今朝教えてもらっていなかったら、私はおそらくその標識通りに右へ進んでいただろう。そう思うと、本当に良い情報を教えてもらったことだと、唐松山荘の主人に対する感謝を強く感じた。
私は休憩を終えて、水場の方へ行ってみた。水場と書かれた札に、小さく「要煮沸」と書いてある。雪洞の中から伸びたパイプからは、水は出ていなかった。雪が融けないと水は出ないわけで、雨で気温が低い早朝だから、それも道理なのだと思った。幸いにして、私の水はまだ余裕があった。気温が低いおかげで汗をかいていないことが有利にはたらいていた。もしも水の残量が少なければ、ここで給水できないのは大問題になっただろう。水に関しては、昨日からいくつかの偶然が重なって、ここまで保ち続けている。それを運が良いと言うべきか見込み通りと言うべきか、はっきりとしないが、おそらく前者だろうなと思った。
標識の所から雪渓に乗る。固くて凍った雪渓である。たしかにこれはアイゼンが必要だなと思ったが、ないのだから、ともかく慎重に行くしかない。よく見ると足元にベンガラが撒かれていたような赤い痕跡があるが、ほとんど消えかかっている。前方は、雪渓と濃い霧とがほとんど同化していて真っ白だ。こんな所を行くのかと思った。
固い雪渓は、要するに氷の上を行くことに他ならない。キックステップで進もうとするが、表面をほとんど削ることができず、早速滑って転倒した。私はとっさに、氷に手をついた。その場で倒れただけで、滑り落ちることはなかった。私は慎重に立ち上がり、またゆっくりと登り始めた。
丘のような氷の塊を登っていく。どんどん霧が濃くなってきて、足元も前方も真っ白な空間になった。
消えかかっているベンガラの痕だけが頼りだが、それが途切れてしまったので、ぞっとした。まるで進行方向が分からない。
私は周囲の氷を注意深く見回した。すると少し先に、わずかだが表面に削られたような跡があるのに気付いた。きっと、さっきすれ違った人のステップの跡だと思った。真っ白な空間の中を、そうしてわずかな痕跡を探しながら進んだ。雪面は傾斜しているので、なにより転倒して滑落するのが怖かった。視界がないために下方がどうなっているのかは見えないが、なんの安全の保障もなかった。なるべく平らな場所を選んで慎重に足を運んでいくと、やがてゆるやかな下り傾斜になった。ノーアイゼンでの下りはさらに怖かったが、ベンガラの痕がやや鮮明になってきたのは救いだった。霧の中から前方に地面が見えても、安心はできなかった。たしかに地面へ足を置くまで、気を緩めることはなかった。
(ほとんど進路が分からない雪渓を、おそるおそる進んだ)
雪渓を通過して、ようやく息をついた。そこからまた少し登りとなった。依然として濃い霧が周囲に立ち込めていたが、もう道は明確だった。ウルップソウやシモツケソウなどの高山植物がいくつも見えてきたので、それらを楽しみながら歩いた。それに、霧の中からまたも雷鳥がひょっこりと現れたのだ。すでに行動時間は四時間を経過し、疲労が溜まってきている。花や雷鳥によって元気をもらったようだった。
その十分後、白馬鑓温泉への分岐に到着した。ちょうど二名の年配男性がそこにいて、聞いてみると、白馬からやってきて、ここから下るのだという。私は先ほどの雪渓のことがあるので、この先雪渓はありますかと聞いてみたが、ないので大丈夫だよと教えてくれた。まっすぐ行けば白馬鑓ヶ岳で、山頂を巻く道もあるとのことだった。地図ではそんな巻き道があったかなと思いながら、山頂は巻けるんですねと返した。実際に進んでみて、確かめればよいと思った。この先は白馬三山だ。不帰嶮を通過した今、次のメインイベントは、この三山のアップダウンを乗り越えていくことだった。