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後立山連峰縦走紀行 ~2017年7月~  作者: たかの りつと
6/12

【5.五竜岳】

 さて、行動食を取り出して休憩しながら、この後どうしようかと思った。

 鹿島槍ヶ岳の前後でざあざあ雨に降られていた時には、このキレット小屋で終了することも念頭にあった。しかし鹿島槍ヶ岳を通過してから、間もなく雨が上がり、状況は悪くなかった。それに体力的にはまだ充分余裕があった。

 時計を見てみると、七時半であった。冷池山荘を出発してから三時間である。地図のコースタイムは五時間であり、布引山で一時間分がおかしいのではないかと考えたが、それを差し引いても、さらに一時間ほど早く来た計算になる。ここまで目の前のルートに集中していて時間の感覚がなかったが、時間的にも余裕があることが分かった。そこで、当初の予定どおり、このまま五竜山荘まで行こうと思った。

 行動食を食べ終わり、山荘へ入ってスタンプのお願いをした。さっき声をかけてくれた人はいなくなっていて、別の受付の人物が応対した。あまり勝手が分かっていないらしく、どこだったかなとうろうろして、ようやく左手の休憩スペースを示してくれた。板間だったが、靴のまま上がっていいと言われて、そこに置いてあったスタンプを押させてもらった。険しい断崖に建つ山小屋の姿を示した美しいスタンプに満足した。その後、ここからまた五竜岳まで長い道のりとなるので、トイレを済ませておいた。

 トイレ棟から外に出てくると、先刻よりもガスが濃くなって雨まじりになっていた。それでも、五竜へ進むという決断を変えるほどの雨ではなかった。

 私はここで水を補充させてもらおうと思っていたので、ボトルを持ってまた山小屋の受付へ入った。ここまで、雨で気温が上がらなかったこともあって水の消費は大きくなく、目論見どおり水はまだ〇.四リットルほど残っていた。私は、先程スタンプを持ってきてくれた受付の人に、水を1リットルくださいとお願いした。すると彼はまた右往左往しだして、新人なもので分からないから待ってくれと言って、どこかへ消えてしまった。六十を過ぎていそうな彼が新人だと言うのには違和感があったが、ともかく待つことにした。

 小屋はしんとしていた。最初に窓から声をかけてくれたのが主人だとしたら、奥にいると思われるその主人に聞きに行ったのかもしれない。受付係の足音だけがわずかに聞こえていて、電気を使わないこの時間帯において薄暗い山小屋の中で、私は立って待っていた。他に宿泊者がいる気配はなかった。いたとしても、この時間だからとっくに出発しているだろう。そういえば鹿島槍から下りたばかりの頃に、屈強そうな二人組とすれ違った。彼らはキレット小屋から出発したのだろうか。

 私はすることがないので、立ったままぼんやりと受付付近の貼り紙などを見ていた。弁当はパン食のみとなります、という貼り紙がやたら気になった。こんな過酷な場所に建つ山小屋で、有人の常設小屋であること自体が奇跡的なのだから、充分な調理場や人員がないことは容易に想像できる。だから弁当を所望するのはたしかに愚かなことだと思うが、それならば、弁当は用意できませんと書く方が適切ではないか。パンを売るだけなら売店と同じであり、それをわざわざ弁当と言うこともあるまいに、などと、おかしさを感じながら待っていた。

 受付の係員は、何度もうろうろとしながら、ようやく主人らしき人を連れて戻ってきた。手には私のボトルを持っているのだが、それを見て思わず目を見張ってしまった。なんと、破裂しそうなほど水を満たしているではないか!

 私はあっけにとられながら、一リットルだけと言ったはずだという言葉が出なかった。なぜなら、水の料金の計算の仕方が分からず主人に教わりながら必死で対応しようとしている彼に声がかけづらかったし、仮に要らないとなった場合にその水を再び小屋のタンクに戻すのか、または捨てるのか、どちらにせよ好ましからざることを要求することを躊躇したからであった。

 これで二リットル分の料金を請求されたのならさすがに文句を言おうと思ったが、請求されたのは一リットル分だけだった。だから、予定より一キロも重量が増えるのだが、貴重な水を無駄にできないのだと考えて、何も言わずに受け取った。このキレット小屋では、渇水期には宿泊者以外への給水を断る場合もあると聞いたことがあったので、それほどに貴重な水なのだという認識もあった。そういえば小屋へ下りてくる時に、ヘリの荷揚げ用らしきスペースが小屋の直上の岩場に設けられていたのを見たなと思った。たいへんな作業により揚げた水なのだと思った。

 しかし、はち切れそうなボトルをザックに収納して背負ったとき、本当に受け取るべきだったかなと後悔を感じた。先刻から急に二キロも重量が増したのである。しかもここから登りとなるのだ。レインウェアのジッパーを上げ、ザックを背で揺らしてみて、不安を覚えた。

 歩き始めたが、疲労した身体に与えられたニキロのウエイトは、想像以上の重さだった。最悪の場合は水を捨てよう、とにかく五竜だ、そう思うことにした。小屋から離れる前に、振り返って小屋の姿を目に焼き付けた。雨とガスによって煙りつつある小屋が、厳しい岩場の狭間で毅然として建っている姿を見納めて、また北を向いた。

 十分も行かないうちに、二十メートルはあろうかと思われる岩壁が目の前に立ちはだかった。その壁を見上げながら、重量が増した直後だからきついなと思った。だが、なんにせよ越えなければならない。濡れた岩場に靴を滑らせないように注意しながら、ゆっくりと登った。

 苦労して登ったが、次に現れたのは、その岩壁の降下だった。見下ろすとかなり急であり、鎖が垂れ下がっている。細くて貧相な鎖だった。私は普段から、このような鎖場でも鎖に頼らないように心がけているから、最初は鎖の貧相さをそれほど気にしなかった。しかしいざ降下していくと、岩場のスタンスが薄いことに難渋し出した。しかも雨が降っているものだから、余計に危険である。かつ、私の靴は、スリップするかもしれない不安を抱えている。足元の信用が低下すると、必然的にその比重は両腕にかかった。万が一鎖が切れてしまったら、という不安を感じながらも、鎖に体重の大部分を預けなければならない局面も多々あった。

 降下して岩壁を見上げてみると、登り始めに見上げた時よりも高く感じた。二十分ほどかけて上下したが、その結果に稼いだ高度はむしろマイナスだった。キレット小屋から五竜岳まで、直線標高差は約四百メートルの登りのはずだが、登ってまた下りるのは高度の点だけ見れば徒労のようにも思える。しかしこうしたアップダウンは、険しい稜線にはつきものなのだ。たとえ標高を稼ぐことができなくても、この行動の時間はコースタイムに間違いなく織り込まれているはずだから、前進していることは確かなのである。ひとつひとつ、粘り強く越えてゆくのみであった。

 私は、鹿島槍ヶ岳の直下でヘルメット装備をした時から、レイングローブを着用していた。ストックはザックの側面に固定して両腕をフリーの状態にし、キレットを通過している。この岩場を通過した頃になると、レイングローブの防水性はもはや完全に失われ、水分を含んで充溢状態になっていた。拳を握りしめるとレイングローブから水が滴り落ちるほどだった。それは、雨が岩場の表面を洗って流れており、そんな岩場をホールドしながら登下降を繰り返したからであった。グローブがいくつかの層に分かれた構造をしているためか、一度内部まで含んでしまった水が自然と外へ抜けることはなかった。手が不快なので、グローブを外して絞りたいと思ったが、雨が降り続いている以上、一度絞ってもまた同じことになる。それに、一度外してしまうと、濡れたグローブを再び着用するのには骨が折れるだろうと思った。グローブだけでなくレインウェアの下の服も濡れてしまっているから、不快感を完全に拭うことはできない。五竜岳へ行って、山小屋でまとめて乾燥させてもらおうと考えながら、歩いた。

 やがて、雨が止んだ。ガスが一瞬抜けて、西の立山連峰の一部が見えたとき、その上空の雲の切れ間から、ほんのわずかだが青空が見えた。それから間もなく、キレット小屋から最初の目標地点である口ノ沢のコルに到着した。目立つ岩の表面にペンキでテント禁止と書かれているほど、そこだけちょっとした平坦地になっていた。私はそこでザックを下ろして休憩した。小屋を出てから一時間弱であるが、重くなったザックを背負っての岩場は、想像以上に消耗した。そして地図を見て驚いたのは、このコルがキレット小屋とほぼ同じ標高だということだった。アップダウンを経ていくことは覚悟していたが、これだけ疲労したわりに高度が全く変わっていないと突き付けられたことは少なからずショックだった。このコルから五竜岳まではコースタイムで三時間となっているが、近づけば近づくほど、いま越えてきたような岩場が増えるのだと思った。八峰キレットの次の難所が、五竜岳手前の岩稜帯であることは充分認識している。G7から始まる小ピークが連続するエリアが、核心部だ。

 休憩中、雨が上がった周囲のガスの様子を見ていた。北方のガスの中にうっすらと見える巨大な岩塊が五竜岳であることは疑いようがない。頂部はガスの中にあるため全貌は把握できないが、地図が示すとおり、まだ四百の標高差が残っている。西の空のガスがさらに薄くなったので、この状態が続いてくれればよいのだがと思った。

 休憩を終え、外していたレイングローブの中に、どうにかして手を突っ込んだ。進行方向に、緩くのびる斜面が見えている。ここから標高を上げて、登り詰めていくのだ。ストックを出そうかと一瞬迷ったが、この坂道の先が急に岩場となっている可能性があるので、ノーストックで登ることにした。そのせいもあって、ことさらにゆっくりと登った。それでもすぐに息が上がってきて、つらかった。暑くなったので、坂の途中でザックを放り出して、レインウェアを脱ぐことにした。ここで脱ぐのなら、さっきのコルで脱いでおけばよかったと思った。上下ともレインウェアを脱ぐと、動きやすくなった。依然ザックカバーはつけたままだが、ここで雨具はすべて脱いだ。レイングローブも外し、通常のトレッキンググローブに換えた。

 次の目標地点、北尾根ノ頭には、口ノ沢のコルを出てから四十分後に到着した。コースタイムを十分オーバーして到着したのは、レインウェアを脱いだ時にまたも休憩したからであった。朝からの行動時間はすでに五時間を超えており、つらい時間帯だった。口ノ沢のコルから百五十メートル上がった北尾根ノ頭からは、五竜岳がさらに近づいて見えた。と同時に、五竜の本峰を前衛する格好で居並んでいる岩塊の小ピークと、そこへ至る細い尾根道を見て取ることができた。確実に核心部に近づいていることを認識するとともに、身が引き締まるのを感じた。


挿絵(By みてみん)

(近づく五竜岳。むき出しの岩稜であることが見てとれる)


 その思いは、北尾根ノ頭を出発した直後に、一気に緊張へと変貌した。下へ降りる短いハシゴがあって、その先の痩せた尾根がエッジのように鋭く、その尾根上に付けられた細い登山道の一歩左側が、急傾斜の崖になっているのを眼前に見たからであった。そして同時に、その登山道の先から、一人の登山者がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。その人がヘルメットを被っていたので、いよいよここから核心部だと思った。私はハシゴを降りる手前でザックを下ろし、ヘルメットを取り出してキャップの上から被った。そしてハシゴを降りたところでその人がやって来るのを待って、すれ違った。細くザレた尾根道でのすれ違いが危険だと判断したからである。

 その人とすれ違ってから後方を振り返ってみると、さっき下りたハシゴの掛かっている岩塊がやけに大きく見えた。先ほどの人の姿がハシゴの上に見えるから、その姿と対照的にそう感じたのだろうか、それとも、見上げる格好になったその岩塊から圧迫感を感じたのだろうか。いずれにしても、眼前の五竜はそんな岩塊とは比べ物にならないほどのスケールで厳然としているのだ。

 時刻は十時頃だったが、標準的な時間帯(七時頃)に向こう側の五竜山荘を出発すると、ちょうどこの付近に至るのだろうか、その後も立て続けに数人とすれ違った。いずれも転落しないよう注意しながらすれ違った。挨拶を交わす中、いやあ早いね、と声を掛けてきた人がいた。きっと、同じように私の行程を時刻から逆算して推測し、こんな時刻によくここまで来たね、という意味で声を掛けてきてくれたのだと思った。私は照れながら、いや、そうでもありませんと返したら、彼が「キレット小屋から?」と聞いてきたので、冷池から来ましたと応じたところ、彼が目を大きく見開いて「ええっ?」と驚きを示し、しかも彼のその叫び声が辺りにこだましたものだから、あまりの驚きようがおかしくて、思わず笑ってしまった。信じられないといった様子だったので、「四時半に早立ちしたんです」と付け足した。次いで後からやってきた彼の仲間とすれ違ったあと、彼らが後方で、私の行程を話しているのが聞こえた。私と会話した先行者が、追いついてきた仲間に、私が冷池から歩いてきたのだと伝えているのだろうと思った。

 またガスがどこからかわいてきて、五竜の本峰ははっきりと見ることができず、前衛が行く手を阻んでいる。私はそこへ向かって、線のように細い尾根道を進んでいった。そうして、とある岩の下を回り込んだとき、急に黒い岩峰の真下に出た。その岩峰は、先刻から見えていた前衛峰と思われた。私は標高に喘ぎながら、頭上のガスの中へ進んだ。ガスの中から、目指す岩峰のピークがうっすらと見えた。

 そのピークに上がったとき、私は肝を冷やした。白いガスの中に、いくつもの黒い岩塊が島のように浮かんでいるではないか。下から見上げたピーク、それはそもそもピークなどではなく、居並ぶ岩塊のひとつにすぎなかった。それらを鋭い岩稜がつないでいる。一見して、八峰キレット以上の危険地帯だと感じた。信州のグレード指標では同一の難易度に区分されていたが、「岩場の連続」とはまさにこのような場所を指すのだと感じるほど、それ以上説明する言葉を持たない、ただ単純で危険な岩稜地帯であった。


挿絵(By みてみん)

(緊張を強いられる岩稜帯へ)


 私はすぐ目の前の岩に打ち込まれた水平の鎖に取付く前に、水を飲んで呼吸を整えた。そして、いよいよ岩場に取付いた。

 岩の稜線である。まず最初に、鎖を頼りに岩塊をトラバースした。歩きやすいように足場が削られているが、必要最低限の接地面しかない。それ自体は普通の岩場であるが、一歩踏み外すと転落するという高度感があって、否が応にも緊張が高まった。一歩ずつ、確実に三点支持をしながら岩稜を渡っていった。稜線のトップを立って歩くものだから、ほとんど手を添える場所がないのが怖かった。要所では腰を落として、手を岩稜に添えながら歩いた。

 次は下降だった。鎖が設置されている。岩壁をやる方が、両手を使える意味においては稜線歩きよりましだと思った。そう感じるほど、ここの稜線歩きに恐怖したのだろうか。しかし下降を始めてみて、私はすぐにそれを否定した。下降点から見下ろした時は何とも思わなかったのだが、いざ取付くと、その岩壁は一枚岩でなかなか厄介な代物だった。容易に次のスタンスが見つからなかったからだ。悪いことに、首に巻いたタオルが邪魔をして、足元の視界を遮っていたこともその重要な要因だった。タオルの端を襟元に入れておけばよかったのだが、首から垂れ下がってひらひらとしているために、ちょうど足元を見る際の視線軸に重なってしまうのである。八峰キレットでも、どこかの下降で同じ不便を感じたのだが、そこを通過した時に処置をしていなかったのだった。

 私は不便な体勢でどうにか首を回しながら下を見て、足元を探った。しかし容易にスタンスが見当たらなかったし、逆に、そこそこ高度があることを見てしまった。本来、ここでホールドを下げてから腰を落とし、足でスタンスを探るのであるが、ホールドも見つからず細い鎖にかなり体重を預けてしまっている。そんな非常識な状態はすぐにやめなければならないと分かっていて、そういったすべての要因が余計に私を焦らせた。岩壁に張り付いたまま立ち往生し続けても、腕が消耗するだけである。まずいなと思った。

 しかしその時、私は、鎖が垂れ下がった真下方向へ下降するということにとらわれていたことに気がついた。そこで視線を周囲に向けて見たところ、右寄り(富山側)にクラックが走っていることを見つけた。それを見つけてからは簡単だった。クラックに沿って斜めに下降することで、難なくその岩場をクリアすることができた。

 そこを降りた時、後方の南西方向のガスが薄くなっていることに気がついた。下りてきた岩峰越しに後方を見てみると、果たして、灰色のガスの中から鹿島槍ヶ岳の双耳峰が頭を出しているのを見ることができたのだった。その後方に爺ヶ岳も見えた。あんなに遠い鹿島槍のさらに向こう側からここまで歩いてきたことが、にわかには信じられなかった。だが、私がいる場所は、感慨にふけるにはあまりにも厳しすぎる岩稜帯のど真ん中だった。意識はすぐに、前方と周囲に向けなければならなかった。


挿絵(By みてみん)

(後方に頭を出した鹿島槍。特徴的な双耳峰がはっきりと識別できた)


 G7から始まる五竜の前衛群がどこから始まるのか、そして今越えた岩峰が、果たして何番目の小ピークなのか、標識が一切ないため分からなかった。私の地図にはG5とG4しか記されていなかった。そこに付された解説から推測すると、いま越えたのはG5だろうと思ったが、その確証はなかった。

 私の集中力はここにきて研ぎ澄まされた。緊張感を持って進むべき場所だっただけでなく、岩場の登下降が最高に面白かったためだった。続いて出現したG4らしきピークを登り返しながら、私はほとんど夢中だった。わずか十分にも満たない時間が、途方もなく充実していて、長いのか短いのか、そんな感覚すらないくらいに時間の概念を失うほどであった。我に返ったのは、そのG4らしきピークに立った時だった。そこからの下降がまた、厳しい急なガレ場だったが、鎖もあって、慎重に対応すれば難はなかった。

 そこを下りきると、前方のガスの中には五竜の本峰の姿しかなかった。だとすれば、いま越えた二つの難所はやはりG5とG4だったのだろうと思った。――「だとすれば」というのは、視界の効かない中で、前方の山が五竜の本峰だという確証がないためである。嫌な想像だが、もしその岩塊こそが今越えたはずのG5などの前衛群だとしたら、私は相当の思い違いをしていることになる。地形図と高度計からみて間違いないとは思ったが、細かい岩稜のアップダウンは地形図に充分反映されていないから、現在地を見誤っている可能性は否定できなかった。

 G5とG4(のはず)を越えたのだから、あとはもう登り切るだけだ。そう思って進んでいったが、また岩稜帯にぶち当たった。しかも下るのである。固い岩盤の上に細かい石が無数に転がっているから、それに足をとられないように、ゆっくりと下りた。そうして小さなコルに下りたが、そこからほとんど真上に見えるほどの急な岩場を登った。鎖があって、それも使いながら登っていくと、ついに本峰の頂部が見える位置までやって来た。高度計は、山頂まであと百五十メートルであることを示しており、目視でもそのくらいの高低差だと感じたから、もはやそれが五竜岳の山頂だということに疑いはなかった。しかし、並み居る前衛の岩稜帯を越えてきたのに、まだ百五十も上がらなくてはならないのは、正直つらかった。腰を下ろして休憩してから、登り始めた。標高差百五十メートルに対する所要時間は、私の登高速度に現在の体力を加味すれば、およそ二十分だと思った。

 上方に目指す山頂が見えていて、そこへ至る坂道が前面に露見している時はつらいものである。きつい登り坂に息を切らし、途中で足を止めて上を見上げると、ほとんど距離が変わっていないことを突き付けられてうんざりするのだ。登山道は急斜面上にジグザグに切られているが、見上げる視線は直線的に山頂部を見てしまう。ジグザグに歩くから、高度が著しく変わることはない。なるべく上を見ないようにしてじわじわと高度を上げていくしかないのだが、我慢の末にそろそろ近づいたことを期待して見上げ、ほとんど距離が変わっていないと知る時は、なんともぐったりするものである。

 ガレた路面の登山道に転がる岩石が、次第に小さい粒になっていった。ふと気がつくと、前方に二名の登山者の姿があった。追いつけるかなと思いながらこつこつと距離を縮めていき、彼らの姿が大きくなってきたとき、彼らがザックに大きなゴミ袋をぶら下げているのが見えた。私はゴミの予定量も計算に入れてパッキングをしてきているから、あんなにゴミを出すほどかさばる荷物を持ってくるのは無駄なのではないかと思った。

 ようやく坂の突端に上がった。やった、と思うと同時に、ほっとした。厳しい岩稜帯は、ここで終わったのである。前方の二人組にはちょうどここで追いついた。歩くスピードから見て、てっきり年配の男女かと思っていたが、二人とも若い男性だった。しかし驚いたのはその点ではなく、彼らが二人とも火ばさみを持っていたことだった。彼らがぶら下げていたゴミ袋は彼ら自身のものではなく、彼らは登山道のゴミを拾い集めていたのだ!それを見て、私は恥ずかしい思いがした。あんなに多量のゴミを出すなんてと、見下すような気持ちさえ抱いていた自分がひどく醜かった。ただでさえつらく厳しい岩稜帯を、ゴミを拾い集めながら歩いてきたなんて、なんと見上げた行為かと思った。私は恥ずかしさのあまり、彼らに挨拶すらかけることができなかった。

 私は立ったまま呼吸を整えると、西に張り出した尾根伝いに、五竜岳の山頂を目指した。山頂は縦走路から西に少し離れた所にあるのだ。離れた所といっても、山頂標識が立っているのが縦走路からも見えていた。分岐点からの尾根はほぼフラットであり、岩尾根という歩きにくさを除けばなんの苦もなかった。とうとう五竜岳の山頂に登頂したのであった。

 大きな三角点とともに、「五龍岳頂上」の標識が私を迎えてくれた。周囲にはガスが流れていたが、この時ちょうどこの山頂の空域だけガスが取れていて、まずまず展望があった。もちろん、遠くの立山や剱岳はガスに巻かれているから山座固定など到底できないが、自分のいる場所すら濃いガスの真っ只中だった鹿島槍ヶ岳に比べれば、とても開放的だった。そんな天候と、厳しい岩稜を越えてきた喜びとが重なって、何枚も記念写真を撮った。しかも山頂には私一人しかいなかったから、この雄大な山を思う存分味わうことができた。念願だった鹿島槍ヶ岳と五竜岳に登頂した喜びはひとしおであった。


挿絵(By みてみん)

(五竜岳山頂)


 私はこの山頂でゆっくりと休憩をとった。遠くの景色は白いガスのみであっても、眼下の鋭い山並みにガスが流れている様は、いかにも岩稜の山といった感じで、山頂気分を味わうことができた。

 やがて二人の登山者がやってきた。中年の男性と、中学生くらいの娘らしき二人である。きっと五竜山荘から上がってきたのだろうと思った。私は挨拶だけ交わして、静かに座ったまま休憩していた。そのうちに、さっきのポイントで休憩していたゴミ拾いの二人がやってきた。彼らの姿を見て、ゴミ拾いですかと中年男性が声をかけた。彼らが短い会話を終えた後、中年男性が娘に向かって、えらいね、と言った言葉が印象的だった。山を汚してはいけない、皆そんな共通の思いを感じているのだなと思った。

 時刻は十一時半だった。冷池を三十分早立ちしたことをふまえても、計画より二時間半も早かった。あと一時間もかからずに今日のゴール地である五竜山荘に到達するが、私はこの時、あわよくば唐松まで進出できるのではないかと、またもばかなことを考えていたのだった。五竜山荘から唐松岳頂上山荘まで、コースタイムでは二時間半である。このあと五竜山荘へ一時間後の十二時半に到着するとして、十五時には唐松へ到達できる計算だった。

 鹿島槍、八峰キレット、そして五竜岳と、いかに悪天候でも最低これだけはと考えていた当初の山行目的は、いまやすべて達成された。となれば、次の後半部分の課題をどうクリアするかということが、おのずと念頭に浮かんでくるものである。後半部分は計画の立案時点から課題を抱えていた。翌日の三日目は、コースタイムが十一時間と、ほとんど無茶苦茶な設定をしていたし、それだけでなく、今回の旅における最大の難所である不帰嶮を、その日の中盤に控えている。それを越えたあとも、白馬方面へ六時間以上の行程である。天狗山荘でのゲリラ泊も念頭にあったものの、これほど天気予報が当てにならないとなれば、明日は確実に白馬へ進出したかった。もしこの日のうちに唐松まで進出することができたならば、明日は体力のある最初の段階から不帰嶮へ突入できるし、時間的にも十分白馬まで行くことができるのである。

 私は山頂をあとにした。岩尾根を歩いてさっきの分岐点まで戻り、左に折れて北へ向かった。五竜の北斜面は、私がアプローチした南側の岩稜帯とはまるで違う、平易な道だった。たしかに傾斜と高低差はそれほど大差がないようだったが、岩場ではないという点が決定的に違った。またも濃いガスが周囲を巻き始めていて、さっき登頂できて本当によかったなと思った。

 下り始めてからしばらくは、ごろごろと大きな岩のある道だったが、岩の間は砂地で歩きやすく、アスレチックのような感覚で楽しみながら下りていった。すぐに、息を喘がせながら上がってきた年配の登山者一行に鉢合わせた。山頂はまだですかと聞かれたので、いえいえすぐそこですよ、がんばってくださいと、にこやかに返した。彼らはそんな私の表情に元気づけられたのか、打って変わって微笑み、ありがとうと言ってくれた。

 濃いガスの中、単調に歩いているうちに、距離感が分からなくなってきた。コースタイムは把握しているから、時計を見ながらおおよその進度に見当をつけながら進んでいった。

 三十分ほど歩くと、そんな単調な場面に、ひょっこりと雷鳥が姿を現してくれた。濃いガスだから、活動しやすかったのだろう。私の行く手の登山道の上を、ちょこちょこと歩いていた。私は足を止めて、しばらく雷鳥を見守った。気がつくと二羽おり、つがいの二羽かと思われた。雷鳥たちは、私が近づくと遠ざかりはするものの、ことさらに逃げたりはしない。ゆっくりと足を踏み出した私を先導するかのようにちょこちょこと登山道を進んでゆく。そんな愛らしい姿に思わず微笑みを浮かべながら、追随した。やがて彼らは登山道をそれて、脇のハイマツ帯の中へ入っていってしまった。

 白いガスの中、十二時半ちょうどに、五竜山荘へ到着した。山荘のすぐ下がテント場になっていて、二つほどテントが張られていた。レインウェアを脱いで以来、五竜岳の岩稜帯を歩いている間に服はほぼ乾いたので、条件さえよければテント泊にしてもよいかなと思っていた。しかしこの時の最大の関心事は、ここで止めるか、唐松まで行くかという点である。机上の計算では時間的には可能である。問題は、それをこなす体力があるかどうか、であった。

 私は、その判断を下す前に、まずは休憩しようと思って小屋の前のベンチにザックを下ろした。山荘の入口には、山名の由来の説のひとつである、武田の御菱が大きく描かれていた。私は例によって手帳を持って山荘へ入り、記念スタンプを押させてもらった。スタンプ台のエリアには、山荘のスタンプのほか、高山植物をかたどった小さなスタンプが何十種類も置かれていた。さすがにその全てを押すとなるとたいへんなので、山荘のスタンプのほかは、適当に手に取った二つばかり、花のスタンプも押した。山小屋にはその小屋オリジナルの記念品がつきものであるが、ここ五竜山荘のキャッチフレーズである『山が好き 酒が好き』は人気の品だ。私もそれに漏れない酒好きであるから、何か記念品を求めてもよいかなと思った。その他にも武田菱をあしらったものが多数あった。しかし結局、これぞと思うものがなくて購入を見合わせた。が、あとで少し後悔した。

 私が小屋の土産物コーナーを物色している間、スタッフたちがてんでに大きな声で私語を交わしていたのは残念だった。冷池山荘やキレット小屋のアルバイトたちも要領を得てはいなかったが、配慮という点においてここ五竜ではあまりいい気持ちがしなかった。

 私は外へ出て、ベンチで行動食を食べながら進路を考えた。この日の行動時間はすでに八時間だ。そんな長時間を行動してきたわりには、疲労はそれほど顕著ではない。多くのアップダウンを経てきたというのに、意外なことだった。それどころか登りの場面では今回ストックを使用できなかったので、脚に負担がかかっているはずなのだ。意外なこの結果について考えてみると、鹿島槍での転落以降、ことさらに遅いペースで歩いてきたことが要因ではないかと思った。一歩ごとに重心を乗せるように移動していく歩き方が最も疲れない歩き方であるが、ストックを使用した場合、腕力という推進力を頼むあまり、この原則を無視した歩き方になっているのかもしれないなと思った。また、前夜はめずらしく充分な睡眠がとれたことと、前日は冷池泊まりで体力を温存できたことなども、起因していると思った。

 さて、疲労が顕著ではないというのはあくまで現状でしかない。それも、まったく疲労していないというならまだしも、長時間にわたる岩稜歩きの疲労は確実に蓄積しているはずである。急に限界が訪れる可能性は大いにある。唐松まで到達できるかどうかは、この先、唐松までのルートでどれほど消耗を強いられるかという点に集約された。

 私は地図で概要を確認したが、細かいアップダウンは地図では読めないため、山小屋の人に聞いてみることにした。ちょうど、外に出て白いガスを見つめている年配の人がいるが、この人は山小屋の人だろうかと声をかけそびれているうちに、その人は山小屋の中へ引っ込んでしまった。私は山小屋へ入り、受付のカウンターにいる女性のスタッフに、これから唐松まで行こうか迷っているが、ルートの様子を教えてもらえないかと頼んだ。すると彼女は別の女性スタッフに、誰某さんを呼んできてと走らせて、分からないので待ってくださいと言いながら、鎖場があるとは聞いています、と神妙な面持ちで私に話してきた。私は、そうですかと、彼女の回答を真顔で受け止めて返事しながら、牛首の鎖場の存在などは既知であり、聞きたいのはそんなことではないのだと思って、詳しいスタッフとやらが現れるのを待った。

 やがてやってきたのは、果たして先刻外にいた男性であった。こうして対面すると明らかに山男であり、一見して信用が持てた。私は彼に、より具体的に、アップダウンの様子を尋ねた。すると、アップダウンというよりは、どーんと下ってどーんと登り返す感じだという答えだった。たしかにここから大黒岳まで約百メートル標高を下げ、そこから唐松へ三百登り返すことは分かっていた。その口ぶりからは、その間アップダウンはないと言っているように感じた。彼からも牛首の鎖場は注意するようにと言われた。

 続けて、コースタイムは二時間半となっているが実際もそんなもんですか、と尋ねた。冷池から鹿島槍までの実際タイムがコースタイムに比べて明らかに短かかったため、実際にはもっと早いのではないかと期待を込めて聞いたのだ。しかし、標準的にはそうだ、休憩は含んでいない、と、当たり前の答えが返ってきた。私は礼を言って、小屋を出た。

 私は釈然とせず、何となく心の片隅に引っかかるものを感じながらも、前進することに決めた。山小屋でも、これといって新しい情報はなかった。本当に行けるだろうかと思った。それは結局のところ「不安」なのだった。こんな高山の岩稜地帯で十時間を超える行動をしたことがなかったことが、その最大の理由だった。



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