【3.冷池の幕営】
実を言うと、私は、あわよくば一日目にキレット小屋まで一気に進出したいというひそかな企みを抱いていた。コースタイム(休憩時間は含まれていない)を単純に足し算すると冷池山荘への到着時刻は十三時の予定だったが、本日のコースは登りが主体だから、休憩時間を加算しても、登りの得意な私ならば到着時刻はきっと大幅に早まるだろうと見積もっていたのである。実際に、種池山荘に到着した時点ではコースタイムを約一時間半も上回っていた。
冷池山荘から鹿島槍ヶ岳を越えてキレット小屋までの間は、五時間の行程である。もしコースタイムを二時間上回って、十一時に冷池山荘に到着できたならば、十六時にキレット小屋にたどり着けるわけであった。
しかしながら、種池山荘で大休止を取ったほか、次の爺ヶ岳越えでは相当消耗してしまった。その後もしばしば小休止を挟んだため、冷池山荘に到着した時刻は十二時半であった。これでも休憩を除けばコースタイムを一時間ほど上回っているわけだが、この時刻からキレット小屋を目指すのは無謀だった。これから五時間後では日が暮れてしまうし、なにより体力が残っていなかった。
体力が残っていないことは、爺ヶ岳の登りで身体が思うように動かなかった時点で自覚していて、私はこの時に、キレット小屋へ長駆するという無謀な選択肢を捨てていた。軽装であればともかく、重い縦走装備を担いで扇沢から一気にキレット小屋まで進出するというのは相当な労力であり、あくまでも余裕がある場合の選択肢だと考えていたから、自分の体力を早々に見極めていたのである。しかも八峰キレットを越えてゆくコースは危険な岩稜地帯であるわけだから、軽々しく踏み込めるものではなかった。
霧雨の中、冷池山荘へ到着した。この天候であればテントの設営作業にはそれほど影響がないと思ったが、明朝が降雨だと、撤収作業は非常に困難をきわめる。明日の出発時刻の天気を見定めた上で、テント泊とするか山小屋に泊まるかを決める必要があった。
今朝の天気予報によれば今夜は雨マークだったので、すでに雨が降り出していることから推測すると、このまま降り続くのではないかと思っていた。だから冷池山荘に到着した時点では、半ばは山小屋に泊まるつもりでいた。服も多少濡れているので、乾燥室で乾燥させられるのは有難い。
さて山荘に到着して、入口から中をのぞくと、ちょうどNHKのデータ放送による天気予報が映し出されていた。そこで山荘に入るなり、小屋泊かテント泊か迷っているので、少し天気予報を見ながら休憩させてもらえませんかとお願いしてみた。受付には学生アルバイトらしき若者たちが四人もいて、彼らはどうぞと言ってくれた。
玄関は広い土間だった。左手に受付、右手に靴棚がある。正面を上がったところが休憩用スペースになっていて、数脚の椅子が置かれている。そこにテレビが設置されていた。
私は土間に立ったままテレビを見た。今日の午後から明日の午前にかけて、曇のマークが表示されている。そしてその後は雨のマークだ。私はその表示をじっと見つめながら、長いこと考えた。雨がこのまま降り続くものとばかり思っていたが、それに反して曇のマークなのだ。そのギャップに戸惑い、判断ができなかったのである。もちろん、小屋に泊まれば何の心配もないのだが、だとすれば初めから小屋泊装備で来ればよいわけであって、やむを得ない場合にのみ小屋を使うということが私のスタイルである。多少つらいからといってすぐに快適な小屋泊を選ぶのは甘さにほかならないと思っていた。また現実的な問題として、お金の問題もあった。素泊まりであっても小屋泊は六千円ほどするので、千円足らずのテント泊に比べて格段の違いだ。すべての日程が雨マークで始まった今回の縦走において、必ずや行程のどこかで山小屋を使うことになるだろうと考えていたが、問題はそのタイミングがいつなのかという点である。今朝の予報によれば、山小屋泊のタイミングは本日のはずだと考えていた。しかるに今表示されている予報によれば、明日が山小屋泊の日だと示しているのであった。
弱い雨ではあったが、爺ヶ岳から一時間、何も見えない中を雨に降られてここまでやって来たばかりだ。今日は本当に、これから雨が上がるのだろうか。にわかには信じられなかった。私はザックを土間に置いたまま、外に出てみた。入口のすぐ外には大きな張り出し屋根があり、登山道を覆って雨除けになっていたので、そこで雨に濡れることはない。私は屋根の外まで出て、手をかざしてみた。手のひらに、雨は感じなかった。今は雨が止んでいたのだ。
私は内部に戻って再びテレビを見つめた。いま雨が止んだことで、天気予報を信じる気になった。この後も弱い雨が降るかもしれないが、きっと、降ったり止んだりする状態が続くのだろう。明日の午前中まで天候がもつのであれば、その間に八峰キレットを通過し、キレット小屋まで行こう。そこまで行けば安心だ。その先で雨に降られたとしても耐えられるだろうから、明日は五竜山荘で小屋泊としよう、そう思った。私は、”明日の午前中は天候がもつ”という点を重視した。ようやく受付に声をかけて、悩んだけどテントにしますと言った。
受付の若者は皆女の子だった。いちばん左に座っていた子が、記入してくれと受付票を差し出しながら、受付事項の質問をし始めた。私は受付票を書きながら彼女の質問に答えた。
「今日はどちらから来られましたか?」
「扇沢からです」
「明日はどちらへ行かれますか?」
「五竜の方へ」
「ピストンはされますか?」
「…?」
私はペンを止めて顔を上げ、彼女の顔を見た。どこからどこにピストンすることを質問しているのか、分からなかったのだ。するとその隣に座っていた子が、五竜だからピストンはいいの、と注意したので、彼女は気づいて、ごめんなさい、いいです、と私に謝ってきた。誤った質問をした、というわけだ。
私は彼女の謝罪を意に介さず受付票の記入を進めていたが、受付票の下の方に、同じく行程に関する質問があることに気付いた。いくつかの候補地が印刷されていて、その中から、該当する出発地とこの先の目的地にマルをつける様式になっている。その中に鹿島槍ヶ岳ピストンという選択肢があったので、ああ彼女はこれを尋ねていたのだなと分かった。先ほど私は、明日の行き先を五竜だと答えたのだから、それは鹿島槍をピストンして引き返してくるのではなく、その先へ通り抜けて縦走することを意味しているのだが、おそらく新人で地理が不案内なのだろうと思った。隣の子も若いが、こうして若い女の子同士が山域について会話しているのは、なんとなく微笑ましいものであった。
冷池山荘のテント場は、山荘からなお十分ほど上がった場所にあることは事前に知っている。受付票を書いてテント料金を支払った私に、改めてそのことが告げられ、そういうわけだからトイレや水などは済ませてから上がられるといいです、と説明を受けた。最後に、テントに結び付けてくれと大型の受付札を渡された。今誰もいませんよと渡された札は「一」番であった。普通、こうした札はそのまま捨て去るものなので、立派すぎる札を不審に思ったが、夕方に係員が回収に行きますとのことだった。ここではテント場が離れているから、勝手に設営されていないかどうかの見回りも兼ねて、このような方式にしているのであろう。
しかしそんなことよりも、私は「一」番の札を受け取ったことに、戦慄に似た悪寒を覚えた。早い時間帯ということもあるだろうが、ともかく今現在、全員が小屋泊を選択しているということだ。テント場が平地であまり展望がない種池山荘とは違って、ここ冷池山荘のテント場は傾斜地であり、稜線上のテント場だから展望が良いことも調査済である。ガスの濃い天候だから展望は期待できないのだが、今日テントを張るうえで注意すべきここのテント場の特性は、稜線上で風に吹き付けられる可能性だった。もしかしたら小屋泊を選択した先行者たちは皆、その悪条件を避ける判断をしたのではないか。私の天気の読みは間違っているのだろうか。稜線上で風雨にさらされながら独りぼっちで夜を越すということにならないだろうか。…そんなことを想像してしまったのだった。しかし今さら、他の人がいないのでやっぱり小屋泊にします、などとは言えなかった。あまりに子供じみているし、孤独は単独行者としての宿命でもあるのだ。
私は受付を済ませ、ザックを背負った。その時、山荘内の宿泊者が受付にやってきて、服が濡れたので乾燥室を使わせてほしいと話しているのが聞こえた。ああこれだ、これが、雨の小屋泊において最も有難いサービスなのだと思いながら、後ろ髪を引かれる思いで山小屋の外へ出た。
まずは給水が必要だった。入口を出て右手、爺ヶ岳側へ回ると、炊事室の窓が開いていて、そこで水を量り売りしていた。私は水ボトルを出した。一リットル目盛りのやや下あたりに、約〇.八リットルの水が残っていたので、一.五リットルくださいと言った。今夜と明朝の食事を終えた後の水の残量は、一.二リットルほどになるだろう。ちょうど次の山小屋、キレット小屋までもつ程度の水量である。ややぎりぎりではあるが、この他に手持ちボトルの水が満タン残っているし、さらに非常用の小型ボトルが〇.三リットルほどあるので、まず大丈夫だと思った。万一、今夜の炊事中に使いすぎてしまったら、今夜また買えばいい。
係員は、ご丁寧にも計量カップで水を量ってから、じょうごを使ってそれを私のボトルに移した。水は一リットルあたり百五十円で販売していたので、二百三十円を払った。一滴でも無駄にしないぞと言わんばかりの細かい給水作業を見て、これが後立山かと驚きを隠せなかった。他にも山小屋で水を買ったことはあるが、多少雑で多めに入れてくれるところがほとんどだったので、そんな地域に比べればはるかに水が貴重なんだと思い知らされた。
水を受け取るとき、係の男性が、今日はちょっと剱方面が見えなくて残念ですねと声をかけてくれた。ただ、私の目下の関心事は、展望よりも、独りで過酷なテント泊になるのではないかという懸念にあったので、テント場はどうやら誰もいないみたいでちょっと寂しいです、と、冗談ぽい口調で正直な気持ちを話した。すると、でも独り占めですね、と言ってくれた。そう言われるまでもなく、そのような肯定的な点を考えるべきだと分かっていたから、彼の言葉は新鮮なアドバイスではなかったが、こうして心配事を口に出すことができたせいか、私の不安は少し和らいだ気がした。
私はボトルを手に持ったまま、テント場へ歩き出した。炊事室から引き返して山荘の正面入口を通過した直後、そういえばと気づいて戻り、再び山荘のドアを引いた。また戻ってきた私を見て、受付の女の子たちが怪訝そうに私を見つめた。私は恥ずかしさを紛らせるために笑いながら、記念スタンプがあったら押させてもらえませんかと彼女たちに尋ねた。それを聞いて彼女たちの表情は和らぎ、先刻鹿島槍ピストンの質問は不要だと指摘した女の子が、廊下にいた青年にスタンプを持ってくるように指示してくれた。彼女がどうやら受付を仕切っているらしい。
私が、青年を待って(青年というより少年といった方が彼のイメージに合いそうなほど、華奢であどけなさの残る青年だった)、彼が持ってきてくれたスタンプを手帳に押している間、彼女が先刻の受付の女の子に、ほらこれが、私が初めて鹿島槍に登った時の写真よ、と話しているのが聞こえた。よほど美しい写真だったのか、受付の女の子がそれを見て感嘆していた。私という客が目の前にいることに頓着なく会話をしながら、耳障りにならない調子で話している様子は微笑ましかった。もとより私は自分を客だとは思っていない。金を払うという意味においては客なのだろうが、山においては「客」などという立場は存在しないというのが私の考えである。山の好きな者同士が集まる山小屋で、他人に迷惑をかけない程度で好きなことをすればよいのだと思った。まだ十三時頃であるから、山小屋は閑散として静かなひと時だった。スタンプは、雷鳥があしらわれた、味のあるスタンプだった。
私は礼を言って、今度こそ山荘を出て左手を向いた。建物の末端に、外部用のトイレへ下りるための階段があった。テント場までは所要約十分の登りである。トイレの場合にはいちいちここまで往復しないといけないのは面倒だなと思いながら通過した。テント場には、なかなか着かなかった。十分というと、すぐ着くと思ってしまうが、十分間登るとなると、それなりの距離である。途中に崖もあって、「危険」とロープが張られていた。夜間にトイレに行く際は気をつけないといけない、と事前に調べた情報に書かれていた場所だった。その時、上から一人の女性が下りてきて、元気に、もうすぐですよーと声をかけてくれながら、あっという間にすれ違った。私は息を喘がせていてほとんど応答ができなかった。彼女は手ぶらのようだったので、おそらく山荘のスタッフであろうと思った。
その人の言葉通り、間もなくテント場に着いた。着いたー!と叫びたいほどに疲労していた。今日はもうここで終わりだと思うとほっとした。こんな状態ではとてもキレット小屋なんて目指せるわけがなかったなと、苦笑するばかりであった。
一番乗りなので、テントの設営地は選びたい放題だった。たしかに丸みを帯びた傾斜地ではあったが、概ね、苦にはならなさそうだった。到着した頃は、雨は上がり、陽射しが差していたのでひどく暑かった。そんな中、物色して設置場所を決めた。傾斜地の上部、鹿島槍ヶ岳側の場所だった。陽射しがあるので、レインウェアやタオルなどをそこらの岩に広げて干した。そうしてテントを張った。テントを張っている間、南側には種池山荘のある稜線が見えていて、山荘の建物も見えていたのだが、ガスが目まぐるしく動いていて、写真に収めることはできなかった。展望が良いと定評のテント場であるから、ガスがなければきっと、眼下には大町市の街が見えたであろうし、反対の富山側には立山や剱岳が見えたであろう。
テントを設置してしまうと、靴下まで脱いで裸足になった。靴下は広げて干し、靴もインソールを取り出して干した。汗を吸ったシャツも脱いで干した。そうして半裸になると、ウェットティッシュで全身を拭いた。さっぱりするとまではいかないが、ともかくも汗を拭ったことによって、気分的には気持ちがよかった。風呂のない山では、これで四日間を過ごさなくてはならない。頭を洗うことができないのだけはどうしようもないが、それを見越して、登山前に特別に髪を短く切ってきてあるのだ。
テントにマットを敷いて寝転がると、どっと疲れが出た。直射日光にさらされているからテント内はひどく暑かったが、そんな中でも眠ってしまいそうであった。私はいつも、テント場に早く到着した時は眠ってしまい、夜に眠れなくなる。今度も、こんな時間に眠ってしまうといけないと思いながら、何もせずに寝転んでいると、本当に眠ってしまいそうである。そこで、持ってきたフリーズドライの飲料を飲むことにした。甘酒である。
私はカップに一杯分、水を量ってから、火にかけた。いつもは目分量で湯を沸かしているが、水が自由にならないから慎重にした。湯が沸くのを待っていると、ちらりと遠く種池山荘の建物が見えたが、またすぐにガスに遮られてしまった。甘酒はたいへんうまかった。暑くて消耗した身体に、敢えて熱い飲み物を飲むのは、極めて効果的な疲労回復につながる。ここまで、ナッツなどの行動食をかじっただけで腹も減っているから、とてもおいしく飲むことができた。ただ、持ち上げた時に少しこぼしてしまったのか、カップの周りが少しべとべとしていた。飲み終わってからカップを紙で拭いたが、べとつきが残っていた。しかし水を無駄にしたくないので、夕食後に拭きなおそうと思った。
テント内は暑いが、外に出ると眩しすぎるので、テントの開口部を全開にして、なるべく風を入れながら、テント内で過ごした。手帳に日記をつけてしまうと、することがなくなった。水ボトルを大腿部の上やふくらはぎの下に置いてアイシングをした後は、何をするともなく、ぼんやりと座って、ガスが動いている様子や時折のぞく稜線を見て過ごした。退屈することはなかった。むしろ、こうしてぼんやりと座っているのはとても気持ちがよかった。南へ向かって傾斜しているテント場において、南向きにテントを張ったので、まるで劇場席のような立地であった。
間もなくすると、テント場に人が現れたのでほっとした。最終的には私を入れて五名がテントを張った。うち二名が男性のペアで、他はすべて男性の単独行者だった。最良とは言えない条件でも、何人かの登山者が訪れているのであった。
他にも、通過していく人が数名いた。この時間帯からキレット小屋へ向かうのは無謀だから、鹿島槍にピストンするのだろうかと思った。ちょうど南を向いてぼうっと座っていた時に、下から上がってきた人がいるのに気づいた。先刻種池山荘で同じベンチに座っていた外国人であった。私は、彼が付近に来た頃に、こんにちはと挨拶し、続けて、これからどちらまで行くんですかと声をかけた。彼は、布引山まで雷鳥を探しに行くのだと答えた。それから彼としばらく話をした。彼はきっと、いろんな人と話したかったのだろうと思わせるほど、とめどなく話してくれた。すでに今日は雷鳥を見たよ、とか、あの山に行ったときはこうだった、この山に行ったときは、と、次から次へと話してくれるので、よっぽど山が好きなんだなと思った。そして、私がテントの中で座っているのに、ザックを背負ったまま立って話してくれている彼に対して申し訳なく思った。彼の日本語が一部不明瞭なために理解できない部分はあったが、驚くほど彼が多くの日本の山々を知っているので感嘆した。こういう人に出会えたことは良い思い出になるなと思った。
(十五時頃、私のテントから見た様子。向かいの稜線上に種池山荘があるのだが、目まぐるしくガスが動いていて、この時は見えなかった)
晴れてはいたが、時折雨粒が落ちてきた。今日はずっとこんな天気だった。ちょうどこの稜線上空に雨粒が浮遊していて、風とともにそれらの雨粒が落下してくるといった感じだった。しばらくの間は軽く雨粒が付着する程度で止んでいたが、少し雨が続いた時、干していたものをすべて片づけた。片づけるとまた止んで晴れたが、いたちごっこになる気がして、もう干すのをやめた。レインウェアのフードの部分はまだ少し湿った感じが残っていたが、他は概ね乾いていた。
私はこれまでのテント泊では、夕食の準備をいつも五時から始めていたが、今回は四時から始めることにした。通常よりも一時間早くしようと思ったのだった。それは、他にやることがなくなったという理由もあるが、翌日の体調を慮ったのである。明日はいよいよ八峰キレットだから、万全の体調で臨む必要がある。計画では五時に出発するつもりだったので、四時前に起床する予定だったが、明日天候が崩れる前に少しでも距離を稼ごうと思い、一時間ほど予定を早めて三時に起床しようと考えていた。そうした場合、これまでの経験ではそんな時間に起床しても便意がなく、あとで困ったことが何度もあった。そこで、食事を一時間早めてみたらどうだろうかと考えたのだった。ただ同時に、明日は一時間早く腹が減ることになりはしないかという危惧が一瞬頭をよぎったが、普段から食事の量を制限して行動することに慣れていることもあって、これまで腹が減りすぎて困るという経験をしたことがほとんどない。行動食もたくさん残っているから、問題はないだろうと思った。
四時になって、カップに二杯分の水を量って湯を沸かした。しまったと思ったのは、その前に米を量って取り分けておくのを忘れていたことだった。先に水を量ったためにカップが濡れてしまったので、それを米の入った袋に直接突っ込んで量り取ることができない。テント泊初日は、こうした細かい手順のミスがつきものである。少々面倒だったが、カップを米袋に入れて米を取るのではなく、カップを下に置いて、そこへ米袋を傾けて米を注いで量った。米袋といっても専用の袋ではないから、ふにゃふにゃして加減がつかず、いくらか米がこぼれて面倒だった。
主な食糧として、アルファ米を三食分持参している。市販の袋のまま持ってくると、かさばるしゴミも出るから、三食分を一枚の薄いジップロックの袋に入れて、そこにベジミートと塩を混ぜて持ってきていた。カップにすり切りで一杯分が、ちょうど一食分の量になるように調整してブレンドしてある。その袋から、毎回一食分を取り分けていくのだ。
湯が沸いたので、カップに量り取った米をいったんコッヘルの蓋に移してから、空いたカップにフリーズドライのスープを入れて、そこにまず一杯分の湯を注いだ。カップが濡れているところへ米を入れることになったために、カップの底に米がいくつか付着してしまっていた。それらをいちいちスプーンで掻き出すのが面倒だった。
コッヘルの中にはあと一杯分の湯が残っているので、そこへ、今しがたカップから皿へ移したばかりの米を一気に入れ、よくかき混ぜてから蓋をした。米の移し替えなど面倒だったが、最小限の食器を様々な用途に使っているから、ひとつの細かいミスがこうした面倒を招くのである。
湯に浸かったアルファ米が食べられるようになるまで十五分待たなくてはならないので、その間に、ソーセージとスープを食べた。スープは、M社の「豚肉とチンゲン菜の胡麻味噌坦々スープ」というものを持ってきた。初めてのものだったが、うまそうだったし、陳列されていた商品の中で最もカロリーが高かったので選んだのだ。これを三食分持ってきてある。もちろん、米と同様に、市販の袋からはすべて取り出し、ラップで個装し直して持ってきた。初めて食べたが、たいへんにうまかった。ほどよい辛さが食欲の刺激にもなって、このあと米で雑炊を作るわけだが、これで作ってもよかったなと思うほどであった。
間もなくして米ができた。そこにフリーズドライの食材を入れて、少しだけ水を足してから、弱火にかけた。投入するフリーズドライ食品を変えることで、出来上がりの雑炊の味を変えるのが私の定番である。今日は「親子丼」だ。火にかけながら混ぜていると、すぐにぐつぐつと煮えてきた。フリーズドライがもどったことを確認して火を止め、食べた。すでにソーセージとスープを食べ終わって腹が落ち着いたところへ、親子丼雑炊のみを食べることになる。食欲は一段落しているし味が単調なので、食べきるのにはいつも苦労する。この時も食べるのに苦労したが、まだましな方だった。疲労が極度であると胃が消耗して食べ物を受け付けず、多少の違和感がとんでもない不味さに感じられるものだが、今日は味に対して不満を感じずに済んだ。だから、食事の量が多いことだけ苦しみながら、食べた。梅干しも持ってきていたので、そのおかげで多少のアクセントをつけて食べることができた。
ようやくにして食べ終わった。汚れたコッヘルをまず紙でぐっと拭ったあと、米がもどる間に蓋をしていたことで蓋には蒸気の水滴がついているから、その水を使って紙で水拭きをした。甘酒をこぼしてべとついてしまったカップも、これで拭った。山では洗剤を使うことができないし、水も貴重なので、これが食器の洗い方となるわけだ。
食事の片づけをして歯みがきを終えてもまだ五時であった。あとからやってきた他の人たちも、本を読んだり炊事をしたり、思い思いのことをして過ごしている。前述した男性の二人組がテント場にやってきたのはこの頃だった。ついたーと叫んで、テントを張る場所を物色し出した。それまでは単独行者しかいなかったためとても静かだったが、とたんに人の話し声がし出したわけである。もし彼らがうるさいのであれば近い位置にテントを張られるのは迷惑だなと思いながら、かれらがうろうろと物色している様子を見ていたが、私とはずいぶん離れた南西側に設置したようだった。その後、彼らを迷惑に感じることはなかった。この時は降雨はなかった。
私は早くも就寝の支度を始めた。行動用の服を脱いで、テント用の服を着た。脱いだ服は、夜間に結露して濡れてしまうことがあるので、ザックの中へ入れた。こんな時間から寝るときっと九時頃には目が覚めてしまい、そうすると一時頃まで寝付けないのが常なので、疲労によって押し寄せてくる睡魔になお耐えながらしばらく横になって、暗くなるのを待った。
テント用の服といっても、専用のものを別に持ってくるほど荷重に余裕はない。行動中に使用せず温存できたきれいな服と着替えるだけだ。長袖のメリノウールシャツと、下半身はタイツである。汚れをシュラフに持ち込みたくないから、温存できている服がある限りは、行動用とテント用とを使い分けたかった。
昼に済ませて以来トイレには行っていなかったが、食事を済ませたこともあって、さすがにそろそろ尿意が出てきた。私は外へ出て小屋へ向かった。わざわざトイレのために小屋まで登り下り往復するのは、ばからしかった。
私はようやくシュラフに入った。これから気温が下がっていくであろうが、まだシュラフを頭までかぶるほど寒くはなかった。目を閉じて深く息を吐くと、一気に疲労がやってきた。一瞬で眠りに落ちた。時折弱い雨がぱらぱらとテントに当たる音が聞こえたり、寝返りなどで意識が戻ることはあったが、すぐまた意識がなくなった。前日の夜行バスによる寝不足と今日の疲労によって、身体が眠りを欲していた。目覚ましのアラームが鳴る三時まで、目覚めることはなかった。山でそんなに連続した時間を眠ることができたのは、初めてと言っていいほどであった。