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後立山連峰縦走紀行 ~2017年7月~  作者: たかの りつと
2/12

【2.柏原新道】

七月二十六日(水)【一日目】

 降車地である扇沢への到着時刻は朝六時半の予定だったが、バスが最初に停車する穂高駅を目前に、五時頃には早くも車内の電灯が点けられた。頭がぼうっとして、もっともっと眠りを欲していた。

 明るくされても、まだ降車まで時間があるのだから少しだけでも眠ろうと思ったが、やはり眠ることができなかった。

 そこで、購入してあったサンドイッチを広げて口に入れてみた。だが睡眠不足で身体が受け付けず、吐き気を感じた。それはいつも、山で宿泊した初日に経験する吐き気と同じであった。身体が私に、充分に休めていないと告げているのだと思った。それでもひと切れを無理矢理口に押し込んで、水で飲みこんだ。

 そして、スマホで最新の天気予報を確認してみた。するとあろうことか、またも全日程が雨マークに変わっているではないか!

 現に、カーテンをめくってみると外は雨である。私は強烈なショックを感じた。こんな悪条件で、のこのこと後立山連峰にやって来たというのだ。一度下がった前線が、また元の位置に押し上げられ、後立山連峰が雨の予報域に入ってしまったのだ。

 だが私はすぐに冷静になった。ここまで来てしまったことは、今さらどうしようもないのだ。もはや登るしかない。あとは、どこまで行けるかという問題だ。すべて雨マークとはいえ、今日一日の予報に限れば、日中は曇マークになっている。つまり週間天気予報の雨予報とは、一日のうちのどこかの時間帯に雨が降るという意味であって、一日中が雨という意味ではないのだ。私は周辺の山域予報と麓の予報とを素早く見比べることでそう判断した。どのエリア、どの行動中に降雨となるか、それが今回の山行のキーポイントなのだと思った。

 扇沢に着くまでの間、いつ雨が上がってくれるかと気になって、ずっと窓の外を見ていた。地理が分からないからどの方角を見ればよいのか分からなかったが、基本的にバスは北上するはずだから、左前方が目的山域のはずだった。私は右側の座席だったので、そちらの方向が見えなかった。ただ、右側の東の空は、ところどころ明るく、この雨がごく弱いものだと思わせた。

 しかし、大町駅を通過していよいよ扇沢に向けてバスが山間部に入っていく頃から、再び雨が降り出した。長野県北部地域の西側を、壁のように隔てている後立山連峰。その裏側に黒部峡谷がある。いま私が走っている道路は、黒部ダム建設のために開かれた道路だ。谷あいを走る道路であるが、この道路の建設だけでもたいへんなことだっただろうと思いながら、雨の車窓を眺めた。今私はその道路を通って、厳しい後立山連峰へと入っていこうとしている。

 まだ標高の低い段階から、山間部に入ったとたんに降雨となったことは、私を急激に不安にさせた。予報によれば雨は午前中には止んで、曇りとなるはずである。しかし普通に考えても、山の天気がおいそれと思惑通りになることはない。この悪条件下で、いったいどのような山旅になるだろうか…。私はかつて台風の中を穂高連峰へ登ったことがある。ひどく濡れて体温が下がり、真夏にも関わらず凍えて震えが止まらなかったほどだ。そして今年の五月には、雨の中、二つの山を連続登山している。この時もまた、山行時間の割にはひどく濡れて、どう対策をしようがレインウェアでは雨を百パーセント防ぐことはできないと実感したものだ。雨に凍えたことは身体が覚えていて、寒気を感じた。不安は募るばかりであった。

 やがて扇沢のバスターミナルに到着した。ここで高速バスの乗客の半数以上が降車したので、このような悪条件の下で登山するのは私だけではないのだと思い、少し気持ちが和らいだ。しかし、彼らの大部分、いや全員が、降車するなり扇沢のチケット売場の周辺に座りだしたのだった。彼らはチケット販売が始まる時刻まで待って、ここからトロリーバスに乗って黒部ダムへ行くのだ。そういえば私は前年、わざわざ立山を越えて西側から黒部峡谷の下の廊下へ乗り込んだが、普通は東側の、ここ扇沢からアプローチするのだ。今年はまだ下の廊下は開通していないから、彼らの行先は黒部ダム以外にあるまい。やはり私は独りなのだ!

 私は、まだ開いていないチケット売場の周辺でたむろする彼らから離れて、構内の端の方にあるベンチに座った。そこで残っていたサンドイッチを口に押し込んで、水を汲んだ。水は扇沢で汲めることを事前に確認していて知っていた。水汲み場には、破砕帯のおいしい水ですと案内書きがあった。黒部ダム建設において最も難航し、そして何人もの作業員を犠牲にした破砕帯の水は、雪深い後立山連峰の地下を通って、毎年尽きることなく流れ続けているのだ。おそろしいエピソードを持つ破砕帯であるが、水は冷たくて、たしかにおいしかった。

 私はそこで二リットルの水を汲んで、手持ちのボトルにも満たした。この日の行程は標高差約千三百メートルの登りであるが、私の場合、おそらく雨天下のハイクアップだけでは二リットルもの水をまるまる消費することはないと思っていた。しかし稜線上の種池山荘へ上がるまで補給地点がないし、ここが最初で最後の水場であるということが、私を慎重にさせた。その分重量が増すが、それは致し方のないことだった。手持ちのボトルを含めればおよそ二.五キロもの重量が増えた。

 それから扇沢のトイレで大便をした。時刻は六時半。いつもの時刻より一時間ほど早いが、五時過ぎに目覚めてからすでに食べ物を胃に入れたし、身体は起きているだろうと思った。案の定、難なく放便することができて安心した。

 登山届を提出するポストが見当たらなかったので、登山の格好をした人に、ポストを見ませんでしたかと聞いてみた。しかし、ここは初めてなので分からないと言われた。やむなくターミナルをうろついてみると見つかったので、そこで登山届を提出した。

 靴下を替えて登山靴を固く結び、ザックカバーをつけて、レインジャケットを着た。雨はそれほどきつくなかったから、下は登山パンツのままとした。キャップを被り、いよいよザックを背負った。水で急激に重量の増したザックは、うっ、と呻くほどの重さである。しかし、もはや出発だ。くよくよと悩んでいた不安は一気に吹き飛んで、決意が私を熱くした。

 私は、雨で煙る扇沢のターミナルをあとにした。正面は、三百台は駐められる大駐車場である。時折車がやってきていたが、彼らは扇沢からトロリーバスに乗って黒部や立山方面へ向かう者たちだろう。チケット売場が開く時間帯までは、しばらくこうして静かな佇まいでいるに違いないと思った。

 扇沢からは、登山口までおよそ百メートルを下らなければならなかった。広い駐車場は傾斜に沿って階段状に作られていた。私は敷地の外周に沿って駐車場を通り抜け、バスで上がってきた道路に出た。雨は弱く、あまり苦にならなかった。

 下りていくと、時折バスや乗用車が上がってきた。歩道は狭く、ないようなものであるから、車両が傍らを通る際は路肩に寄って避けた。バスの乗客の何人かが私を見ていた。彼らが黒部へ行くのかそれとも私と同じく後立山へ登ろうとするのか分からないが、それはもうどうでもよかった。

 柏原新道の登山口までの間にも、道路の傍らにいくつかの小さな駐車場があり、むしろそちらの駐車場の方が、車両が多かった。有料の扇沢駐車場と比べて安価なのか、あるいは柏原新道の登山口に近いためであろう。やがて登山口に着くと、そこに登山相談所としてテントが仮設され、指導員がいた。指導員の人が、登山届は出したかと尋ねてきたので、彼と少し会話をした。

「登山届は出しましたか」

「はい、扇沢で出してきました」

「どちらまでですか」

「白馬の方へ行きます」

「ヘルメットは持ってます?」

「はい、あります。登山道はどんな感じですか?」

「稜線に上がる手前にちょっとだけ雪渓がありますから、気をつけて」

「はい、ありがとうございます。…天気が心配なんですけど、どうですかね…?」

「うーん、まあ、ひどくはならない、ということくらいでしょうかね…」

「状況を見ながらとは思っていますが…」

「下りるところはたくさんありますから」

「やっぱりアップダウンはきついですか」

「いや、そうじゃなくて…」

「あ、エスケープですね。場合によっては八方尾根を下りようと思ってます」

 彼に天気を尋ねたところで分かるはずはないのだが、話さずにはいられなかったのだった。私は礼を言って、登山道に踏み入った。見上げる谷のすぐ上方が、雨で白く煙っていた。雨の中、これから深い山に入っていくのだと思うと、急に熊を思い浮かべてぞっとした。私は引き返して、指導員に再び尋ねた。戻ってきた私を見て、彼は怪訝な面持ちだった。

「あの…、山にはもう何人か入っていますか」

「そうですね…、三十人くらいかな。…そう、三十人です」

 彼は手元の台帳らしきものを見ながら、そう答えてくれた。私はほっとして、再び山に向かった。もう三十人もの人が、悪天にも関わらず稜線を目指して歩いているのだ。他にも仲間がいることにほっとした。そして、レインカバーに覆われたザックはそのままで、熊鈴はつけなかった。つける位置を工夫できないことはないが、通常の位置につけてもカバーによって音はあまり出ないだろうし、前方に三十人が通過しているのであればそれほど心配はないと思った。

 もちろん、熊鈴はいつでもつけることができた。不安であればつければよいが、柏原新道は定評通り歩きやすく、それは森が濃くはなく道幅が広いためでもあった。開放的な場所を恐れる熊にとって、わざわざここには出てこないだろうと感じたのだった。

 私は重装備を背負って、最初からストックを使用しながら登っていった。たいへんな重さだった。この重量を一年ぶりに背負ったわけだが、じつに一年間も、楽な登山ばかりに甘んじていたのだなと苦笑せずにはいられなかった。

 道幅が広く、よく整備されているとはいえ、道が急でつらいことには変わりない。ましてや重装備である。すぐに暑くなった。私は登り始めの時は十分後に最初の休憩を取ることにしている。そこでレインウェアを脱いで、半袖一枚になった。雨は降っているがほとんど霧雨状態なので、レインウェアなしでも問題はない。

 二度目の休憩はその二十分後、すなわち登り始めてから三十分後と決めている。暑さのため、もはや帽子も脱いで手に持っていたが、手に持つのも邪魔なので、ザックに固定してあるヘルメットの中に帽子を押し込んだ。雨は霧雨状態だが、帽子は確実に水分を含んで、濡れていた。

 私は今回の縦走において、最良の状態で核心部を迎えるためには、一日目の行動が極めて重要だと考えていた。いかに体力を温存した状態で稜線へ上がるかということである。また、その後も無理をしてはならないということだ。ハイクアップはなるべくペースを落として歩き、体力の温存に努めなくてはならない。今回も、常に時計をにらみながら、決まった間隔で休憩を取るようにした。都合よく休憩場所があるわけではないので、急な登山道の段差に腰掛けたりして、特に場所を意識せずに休んだ。

 私はそうして時間を決めて休憩をしたが、登り始めてから一時間ほどの間に、「モミジ坂」や「八ツ見ベンチ」、「ケルン」といった道標が現れていた。私のガイド本には「ケルン」しか載っていなかったから、他にもたくさんの道標があることに驚いた。事前に調べておれば、それらのポイントごとの見どころや、設置されている間隔などが分かったことだろう。とはいえ、見どころに関しては、道標の名称からある程度の想像はできた。モミジ坂は紅葉の名所なのだろうし、八ツ見ベンチはきっと八ヶ岳が見えるのであろう。私のガイド本では、「ケルン」から遠く種池山荘が望めると書かれていたが、雲の中にいる今、八ヶ岳はおろか、頭上の種池山荘すらも見えるはずはなかった。

 私が時間と同時に意識しているのは標高である。つらい時ほど高度計を見て、まだこれだけだ、もうこれだけ登った、などと気を紛らせながら歩いている。休憩をとる時間間隔は決めているから、その間にどれだけの標高を登ることができたかを測ることで、登高速度を計算できる。一時間に四百メートルが私の平均的な登高速度である。つまり十五分で百メートルだ。その平均値に対して早いのか遅いのかを把握し、体調の状況や、ペースをコントロールするわけだ。

 休憩時は、腹が減っていなくても行動食を口に入れた。最初の三時間は何も口にしなくても元気に歩くことができるが、その後に身体機能が急に低迷する。そこを強行突破しようとするとエネルギーがますます消費されてシャリバテに陥るわけである。いざシャリバテしてからエネルギーを補給し始めても、それが身体に吸収されるには時間がかかるから、そうならないように、元気なうちから行動食を口にしておかなくてはならないわけである。実はそんなことは登山の常識であるのだが、つい面倒くさがって休憩を省いたりするのが私の悪い点である。そういう意味では、訓練登山で激しいシャリバテに陥ったことは、まんざら無意味ではなかった。あの時の苦しい気持ちがまざまざと残っているから、あらためて補給の重要性を強く意識させてくれたわけである。

 今回の行動食は、エネルギーバーを多めに持ってきて重くなっているほかは、定番通り、ナッツとドライフルーツの詰め合わせである。今回はさらに、そこにハードグミをいくらか混ぜ合わせてある。重くはなったが、カロリーが高く、採用したのだ。それらを一袋に入れてあって、四日間でそれを食べていくのである。少しずつ軽くなっていくであろう。グミは初めて採用してみたが、ナッツなどに味移りしなかったし、口当たりもよいので食べやすかった。

 「ケルン」を通り過ぎてからも急な登りは続いた。歩幅を狭めてゆっくりと登っているつもりでも息が上がった。これをがむしゃらに進むと必ずバテるので、無理をせず、息が上がったら立ち止まっては水を飲んだ。水は、いつものごとくアクエリアスを三~四倍に希釈した水である。

 すると突然、左手前方の視界が開けた。それだけでなく、青空が見えたのだ!それを見て、雲を抜けたんだと思った。目の高さより下は真っ白であり、ちょうど稜線の頭の部分だけが雲の上に見え隠れしている。上空は七割ほど雲があるが、その隙間にすっきりとした青空が見えたのだった。私はそれを見て、やはり雨は朝のうちだけだったのだと歓喜した。稜線のすべては見えていないため、どれがどのピークなのかは分からないが、この青空を目にすることができただけでも、夏の山にやって来たのだという嬉しさを実感したのだ。

 そしてさらに歩を進めた時、風の影響だろう、雲と霧がふっと流れて、南側に至る稜線の全貌が見えた。下界に降る霧雨の雲の上に、山々のピークが頭をのぞかせていた。南の奥に見える山は針ノ木岳であるし、その左側に見えるのは蓮華岳だった。ずっと霧雨の中を登ってきて、このような展望が得られるなど想像すらしていなかっただけに、たいへん嬉しかった。私の前方に一人先行者がいて、その方面の写真を撮っていた。もちろん私も撮った。

 ただ、ここで撮った一枚の写真が、今回の山旅で数少ない“夏山らしい写真”になろうとは、この時は思いもよらなかった。


挿絵(By みてみん)

(この時撮った写真)


 その先も、「駅見岬」、「石畳」、「水平道」、「水平岬」といった道標が次々と現れてきた。「駅見」とはおそらく扇沢の駅を指すのだろうと思ったが、目線のすぐ下は濃い雲であるから期待すべくもない。なお「岬」という名称が多いので、あとで調べたところ、柏原新道では、新道が小尾根と交差する地点を“岬”(ざき)と呼ぶそうである。

 すでに幾人かの登山者を追い抜いているが、ペースは確実に落ちてきていた。それは、休憩時間ごとに測る高度が落ちてきていたことで分かった。登り始めの頃にあった「ケルン」以外の目標物を事前に把握していないので、次々と道標があるわりには、自分が今どこあたりの位置にいるのか分からない。しかし種池山荘の標高が二四五〇メートルだということは分かっているので、高度計によって大体の目安をつかむことはできた。ここで「目安」と言ったのは、高度計は気圧を測ることによって標高を逆算しているだけであり、特に雨天下など、標高以外の天候による気圧変化の影響も受けているからである。高度計は常に補正しながら使用するものなので、長時間使用する場合はあくまで目安として認識しなければならない。

 やがて危険を示す案内板が現れ、岩場となった。左側は高度感があって、滑らないように注意しつつ通過した。続いてガレ場となった。もろい傾斜地をトラバースする道である。石車に乗って靴を滑らせないように注意して登った。なんでもない登山道だったが、そういう油断はなるべく排除するように努めた。

 そしてその先に雪渓が現れた。これが、登山口で指導員の人から教わった雪渓なのだが、折しも雪渓上に小さな虹がかかっていた。雨によって残留している水蒸気が雪渓で冷却され、そこにちょうど日光が差したのだろう。なんとも幻想的な光景であった。

 雪渓はカットされていて幅があった。しかし雪渓自体は急で、下方は見えなかったので、万一転倒しようものなら一気に滑落してしまう恐れがあった。私はおそるおそる、カットされた雪面に足を乗せた。凍ってはおらず先行者の踏み跡もあったので、一歩ずつ、ゆっくりとキックステップで進んだ。わずか五メートルに満たないトラバースだったが、なかなかスリルのあるポイントだった。

 雪渓を越えると「富士見坂」と「鉄砲坂」が続いた。この辺りは急な樹林帯で、また雲が周囲に立ち込めてきたこともあって、依然として距離感覚はなかった。高度計は、種池山荘のある標高まであと百メートルを切っていることを示していたが、前述の通り天候によって高度計に誤差が生じているだろうと考えていたため数値を信用していなかった。それに、現に目前には急な坂道があり、まだまだ遠いという感覚でいっぱいだった。

 しかし「鉄砲坂」の急な石段の先を折れた時、森林限界を越えたのか、突然頭上に稜線が見えたのでびっくりした。雲が稜線を覆っていて上部が見えないので、これは稜線ではなく下部だけが見えているのだと思った。しかしなお登るにつれて、前方にうっすらと建物が見えたので、間違いなく種池山荘だと分かった。率直に「あれ?」と思う唐突な印象である。まだ先だと思っていたから、早すぎるのではないかと、実に意外な感覚だった。

 ただ、建物が見えてからも、実際にそこへ到達するにはなお遠かった。足が重かったのだ。重い荷物を背負って千メートル超を登り、標高は二千四百メートルの高山域に来たのだから当然である。すぐ目前に遅い一人の先行者がいてすぐに追い抜きそうな気がしたが、その人のペース以上に歩くことができなかった。接近するが抜けないという曖昧な間隔が続き、山荘手前でその人が私に道を譲ってくれた。そうして種池山荘に着いた。

 コースタイムでは四時間半弱のところ、およそ三時間で到着した。私は登りのペースは比較的早いのだが、重い荷物を背負ってゆっくり歩くので、どれくらいのペースで上がれるか、事前に想像することはできなかった。けれどもこうして、結果的にずいぶんと早く登ってこられたことで、私は満足した。しかし体力的には相当疲労していた。ここで充分に休養する必要があった。

 種池山荘の前のベンチには多くの人が休憩していて賑やかだった。ベンチはすべて埋まっていて、地面で休憩している人もいたが、四人掛けのテーブル席に一人で休憩している男性へ声をかけて、片側に腰掛けさせてもらった。どう見ても日本人ではないので(白人らしい)、周囲の年配の方々は声を掛けづらかったのだろう、座れてもうけものだと思った。私はまずそこにザックを置いて、山小屋へ行った。記念スタンプがあったら押させてもらえますかと聞くと、快くスタンプ台を示してくれた。山小屋の中には、スタンプのインクがスカスカの状態になっていてほとんど押印できない場合も少なくないが、ここはインクがよく付いた。スタンプもまた、よい図柄であった。きっとそれを誇っているからインクにもきちんと気を配っているのだと思った。

 水はここで購入することができるが、まだ一リットル以上残っていた。自分なりにはスローペースで登ってきたこともあったし、雨のおかげで陽射しはなかったから、水をそれほど消費せずに済んだのだった。だから、水は次の冷池山荘までもつと判断して、ここでは給水しなかった。

 私はベンチに戻り、行動食を食べながら少し長めの休憩をとった。山荘に着いた瞬間は爺ヶ岳の姿が見えていたのだが、残念なことに、周囲はガスで覆われていた。ガスはとめどなく流れていて、時折爺ヶ岳が見えることがあったが、それは一瞬のことであった。

 向かいに座っている男性はしきりとカメラの手入れをしていた。頭髪がびしょ濡れになっていたので、よほど汗をかいたか、雨で濡れたようだった。私はちらと彼の様子を見たきり、計画表を眺めながら行動食を食べた。

 付近で、中年の女性同士が会話しているのが聞こえた。どうやら、今日登ってきた者と、今日下山しようとする年配の女性が話しているようである。下山者の方が、鹿島槍ヶ岳へ登る予定であったが何も見えない状態だったので、中止したのだと言っている。加えて、これから天気が良くなるらしいから貴方たちは幸運だわなどと話していた。登山者の方が、そうです、それを期待して登ってきたのだ、と応じていた。私はそれを聞きながら、そうだ、天候はやはり好転するのだと、我が意を得たような気がした。しかし頭の片隅には、今朝見た天気予報がしっかりと焼き付いていた。進行方向の爺ヶ岳は雲の中である。あの雲が濃くなるのか晴れるのか、まったく分からなかった。


挿絵(By みてみん)

(種池山荘より望む爺ヶ岳)


 私は荷物をまとめて、立った。向かいの外国人はまだなにやら作業をしていた。私は爺ヶ岳に向かう前に、山荘の名前の由来となった種池を見ておこうと思い、爺ヶ岳と逆方向へ行ってみた。山荘のすぐ脇に小さな池があり、種池という標識が立てられていた。池の周囲にはキヌガサソウが咲いていた。水はきれいなのだろうが、ため池のような池で、美しいという印象は受けなかった。

 とりあえず種池の写真を撮っただけで満足し、爺ヶ岳に向かうことにした。一瞬、雲の合間から爺ヶ岳のピークが頭をのぞかせていた。

 山荘の傍らを通り過ぎる時、ちょうど稜線へ上がってきたばかりの男性が、親しげに山小屋の受付の女性と話しているのが聞こえた。どうやら差し入れを持って上がってきたようだ。こんな天候じゃヘリは飛ばないだろうと思って野菜をいっぱい持ってきたよ、などと話している。受付の女性は喜んで見せながらも少し困ったような口調で、いえ、ヘリは…と言葉を濁していたので、きっとヘリによる空輸は問題なかったのだろうと思いながら、彼らの会話の結末を聞き届けることなく、通過した。

 爺ヶ岳へは、種池山荘から二百メートルの直登である。まずは稜線伝いに進むのであるが、山荘から少し進むと、先刻山荘の手前で道を譲ってくれた女性が、またも私の前方にいた。今度も先ほどと同じく、すぐに追いついたが抜けず、道幅も十分ではないのでその人のあとについていった。しばらく進んでから道を譲ってくれたので、礼を言って前に出た。

 そこから急登が始まった。ゆっくり登っているつもりでも、すぐに息が上がった。何度か休憩しながら進んだ。ストックを杖のように立てて喘ぐこともしばしばだった。周囲は小屋泊と思われる軽装の人ばかりで、こんなことでは先ほど道を譲ってくれた人も含めてどんどん抜かれていくだろうなと思ったが、彼らも苦しいようで、皆それぞれのペースで上がっていた。上を見上げても気分が萎えるだけなので見ない方がいいという意見もあるが、立ち止まると上を見ないわけにはいかない。とにかく一歩一歩登るしかなかった。

 後立山連峰の稜線は、爺ヶ岳で九十度直角に、左方向つまり北側へ進路を変える。ガスが濃くて稜線の全容は分からないが、遠くに左方向に走っている尾根が一部見えたので、それが進行方向の稜線だろうと思われた。実際、目線の下方には建物が見えたので、あれが目的地の冷池山荘だと分かった。爺ヶ岳まで二百を登ったあと、同じ高低差を冷池まで下るのだが、こうして山荘を遠く下方に見ると、意外にも結構登ってきていることが実感された。

 登山道はつづら折れになっていて、周囲はハイマツ帯である。ガスの多い天候だから、もしかしたら雷鳥に出会えるかもしれないと思って、息をつくたびに周囲を探してみたが、一向に見当たらなかった。

 ペースはますます落ちていったが、ようやくにして、爺ヶ岳の南峰を示す分岐路の標識が現れた。頭上のピークへ登る道だ。前方の北側にも別のピークがあって、先行者がそこを登っているのが見える。爺ヶ岳は双耳峰であり、南側のピークが最高点だと思っていたので、先行者が取付いている方の北側のピークはパスして、こちらの南峰に登ろうと思った。

 分岐点からすぐ上方にピークの標柱の頭が見えていたのだが、なかなかその高度が埋まらず苦しんだ。それでもようやく、南峰の頂上に立つことができた。

 南峰の頂上は、二名の登山者がいるだけで、静かだった。ただ、夫婦らしいその二人がぺちゃくちゃと話しているのが少々耳障りだった。しかし、ザックを下ろして、周囲をとりまくガスを見つめながら休むと、彼らの声は耳に入らなくなった。隣のピーク以外には直下の種池山荘すら見えない状態で、展望など全くないが、こうして静かな山にぽつんといるのも良いものだと思った。今日のように条件が良くないにも関わらず上がってきた人々も、きっと同じ気持ちでいることだろうと思いながら、自分だけの世界に浸るのだった。

 ガスが霧雨に変わってきたので、レインウェアを羽織った。三角点の写真を撮って、先を急ごうと思った。しかし探しても三角点は見当たらなかった。怪しげな標石があって、これだろうかと訝りながらも、とりあえずその写真を撮ったのだが、やはり釈然としないので地図を広げてみた。すると、私の認識が完全に誤っていたことが分かった。

 爺ヶ岳は双耳峰ではなく、三連ピークになっていたのだった。そして最高点は、中央の「中峰」だったのである。私はそれを見て、げっとするとともに苦笑した。双耳峰の山は、次の鹿島槍ヶ岳だったのだ。先ほど南峰に上がる際に一瞥して、ここはカットしようと思った北側のピークこそが主峰の「中峰」だった。つらい思いをしてこの南峰に上がってきたが、なんとも無駄足だったなと思った。ほんの数メートルの高度差であるが、それがつらく感じられる局面だったので、精神的なダメージが大きかった。

 私は登山道に下りて、主峰を踏むべく次の中峰に向かった。二つのピークをつなぐ尾根道は砂礫帯だったので、このような地質であればと期待しながら進むと、期待通りコマクサの群落があった。折しも降り出した細かい雨が、ふさふさとした葉にいくつもの水滴となって付着している。心なしか、ピンク色の駒形の花々が、嬉々としているように見えた。

 爺ヶ岳の中峰は急傾斜だった。やたらときつかった。十分ほど一心に登ってようやく山頂に着くと、そこに三角点があった。三百名山の爺ヶ岳への登頂である。ついさっき南峰で休憩したばかりだったが、疲労が激しく、ここでも小休止した。しかし雨がだんだんときつくなってきて、ゆっくり休むことはできなかった。

 中峰から、ピークの稜線伝いに北上した。すぐ左下の眼下を先ほどの登山道が走っていて、中峰はカットすることもできるようになっている。しばらく稜線沿いに進み、やがて下りて登山道に合流した。

 この先、北峰を経て冷池へと向かうのだが、冷池の手前に赤岩尾根との分岐がある。今度の北峰は間違いなくカットすることに決めているから、次に目指すポイントは赤岩尾根の分岐点というわけだ。朝からの荷重と高低差によって、かなり疲労している。だが今日はもう冷池に向かって下るだけだ、すぐに着くだろう、私はそう思って、ストックを衝きながら歩いていった。

 しかしそれはまたしても私の思い違いだった。南峰から中峰は目と鼻の先に見えたので、北峰もまた、同じような間隔であるものだと勝手に思い込んでいたのだった。いつまで経っても赤岩尾根の分岐は現れなかった。周囲はガスで覆われて、弱い雨が私を叩いている。そんな中を機械的に歩いていた。なだらかな下りの単調さと疲労が、そうさせていた。地図を開けば現在位置など簡単に把握できるのだが、地図は常と違って、濡れたり飛ばされたりしないように、レインカバーで覆ったザックの中にしまいこんでしまっている。雨の中で、ザックを下ろすのすら億劫になって、ほとんど思考することなく、惰性で歩いていた。疲労した時の私の悪い行動癖であり、今から思い返せば危険な状態であった。

 景観の見えない登山道にあって、チシマギキョウやハクサンチドリなどの高山植物が私を楽しませてくれた。コマクサはそこかしこに咲いていた。すると、どれほど歩いた頃か、目の前の登山道をちょこちょこと動くものがあるのに気付いた。雷鳥だった。そういえば昨年は一度も見ることができなかった雷鳥だが、今年はアルプスに来た初日に出会うことができたのだ。ただ私は、雷鳥を目にしても喜びがこみ上げてこなかった。それほどに疲労していたのかもしれない。疲労して歩調の上がらない私の前を歩き回っている雷鳥に対して、なんとなく旧友に出会ったような気がして“おお、久しぶり”とでも声をかけてやりたかった。そんなことを考えると、自然と微笑が浮かんできた。

 何を探しているのか分からないが、しきりと動いている様子は可愛らしく、しばらく見ていると少し元気が出てきた。雷鳥は人間を敵だとは思っていないので、刺激しない限り逃げることは全くない。雷鳥は私の前方の登山道上にいるので、私が歩き始めると、接近するかたちになって、雷鳥が少し遠ざかった。それに従って私が歩くので、ゆっくりと追いかけているような格好になった。それでいて距離を保ったまま逃げないので、なんとなく先導されているような気分だった。そのうちに、雷鳥は登山道を外れて、脇のハイマツ帯の方へと行ってしまった。

 ようやく赤岩尾根の分岐に着いた。一瞬、なんの分岐なのか分からないほど疲れていたが、理解して、やっと着いたかと息をついた。それは同時に、まだ冷池に着かないのかと、がっくりとした気持ちになった。しかもその先は登り坂だった。樹林帯の中である。私はここでも座り込んで、息をついた。

 しかしついに、樹林帯の先から自家発電機のモーター音が聞こえてきた。視界に捉えることはできなかったが、一段一段と段差を登っていくにつれて、音は確実に大きくなった。その音が急に明確に聞こえだしたと思ったら、突然広場に出て、山小屋が現れた。やっと着いた!つらくて元気が出ないが、ようやくにして、本日の目的地に到着したのだった。

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