二服目:毒の道は蛇
イルミナリア王国。
建国から五百年、優れた外交力と豊富な資源によって栄えてきた、世界有数の大国家。
国の南部には肥沃な大地が広がり、森林を開墾して作られた穀倉地帯は不作の言葉など知らぬかのように実りを続ける。
そして北部には鉱山地帯。質の高い宝石が産出する『金のなる山』であり、北部の職人の手によって加工された宝石たちは世界中の貴婦人から憧れを一身に集める。その美しさは、時に男ですらも魅了されてしまうという。
実り多き大地は時に紛争の種にもなる。
しかしイルミナリア王国は、王族と官僚たちの努力により大規模な戦争をおこすことなく五百年の時を過ごしてきた。
その国をさして、人々はこういう。
『神に愛された平穏なる地、イルミナリア』と。
◇◇◇
馬車は、城の裏手にある入り口から城内へ入った。
イミナが馬車から降りてあたりを見回すと、ひさしの下に同じようなデザインの馬車が数台並んでいる。奥には大きな厩舎があり、忙しそうに立ち働く人が見える。
物珍しさにキョロキョロしていると、「行くぞ」とボルツに声をかけられた。
大人しく彼についていくと、城の大きさに対して小さな扉があった。といっても、普通の家についているサイズだ。ボルツはそれをくぐり、先へ進んでいく。
「お城っていっても、どこもかしこも大きくて派手な扉がついているわけじゃないんですねえ」
「当たり前だ。使用人や騎士たちまでそんな扉を使ってどうする」
城内でもキョロキョロしているイミナに向かって呆れたように息をついて、ボルツは先を急ぐ。
「ちょっと待ってくださいよう。わっ! ほんとに廊下に甲冑が並んでる! ……なんのために並べるんだろう」
おのぼりさんという言葉がよく似合う風情で、イミナはその後をついていった。
たくさんの扉をくぐって、たくさんの角をまがって、どこまで行くのかイミナがいぶかしく思い始めたとき、ボルツが足を止めた。
彼の前には いかにもというような重厚な扉。これまでくぐったどの扉より大きく、銀製とおぼしきドアノッカーは磨き上げられて、イミナの顔を映し出している。
そのノッカーを持ち上げ、ボルツは二度鳴らす。次によく響く声で、「第二近衛兵団団長、ボルツ・シュメルグ。薬師のイミナを連れてまいりました」と言った。
そわそわしながらイミナが待っていると、音もなく滑るように扉が開いた。
扉を開けたのは、白髪の女性。中肉中背、丸い眼鏡をかけてメイド服を身にまとっている。背筋は鉄が入っているかのようにまっすぐ伸び、服には皺ひとつない。
彼女はうやうやしく頭を下げ、「よくぞきてくださいました、イミナ様。こちらへどうぞ」とイミナを招き入れた。
ちらりとボルツを窺うと、さっさと入れとでもいうように顎でクイッと中を指し示す。イミナは「失礼します」と一応の挨拶をして、部屋に足を踏み入れた。
広さに対して家具が少ない部屋には、余白の美とでもいうべき気品がそなわっている。
優美な曲線を描いた脚をもつ机。近くに置いてある引き出し付きのチェストには取っ手に太陽を模した王家の紋章が刻まれている。見るからにふかふかのクッションが置かれた椅子の背の意匠は、背中を預けるのが不安になるほど繊細だ。
そしてその反対側にある、天蓋付きの大きなベッド。
真っ赤な垂れ布は分厚く、眠りたいときに暗闇を提供する役割を果たしているに違いない。今は紐で柱に止められ、そこで横になる人の姿をあらわにしていた。
肩口まで伸びた、ゆるかなウェーブのかかった金髪。碧い瞳は澄み渡り、強い意志と聡明さが宿っている。しかし瞳の光とは裏腹に身体は力なく、横になる姿はまるで壊れた人形のようだ。
召し使いらしき女性がその傍らに向かい、イミナに声をかけてくる。
「イミナ様、こちらが第二王子、エスト・ディア・イルミナリア様でございます。このたびご足労いただいたのは、殿下のご容態を診ていただくためです。必要なことがあればなんなりとお尋ねください」
「はぁ、えっと……私礼儀とかわからないんですけど、言葉が下品だからって理由で打ち首にしたりしません?」
「そのようなことは決していたしません。とはいえ――」
その瞬間、彼女の眼が鋭く光った。
「エスト殿下に害をなさぬ限りにおいてですが」
しかしイミナはそれを意に介さず、「病人を害する人間が薬師なんてするわけないじゃないですか」とヘラヘラ笑いながら、王子が横になるベッドへ近づいていった。
エスト王子は力ない声で、「この者は?」と尋ねる。
「下町で名の通った薬師にございます」
その紹介に、イミナが「よろしくお願いします」と腰を折る。
「そうか、よろしく頼む」
それだけ言うと、王子はベッドに深く身を沈めた。
イミナは遠慮なくベッドに近づき、召し使いの女に声をかけた。
「えっと……あなたのこと、なんとお呼びすれば?」
「私ですか? 私はアルトと申します」
「そう、じゃあアルトさん。エスト殿下の症状について詳しく教えてください」
イミナの言葉を受けて、アルトが語り始めた。
症状が始まったのは二年前。エスト王子が、身体のだるさを訴えるようになった。
少し休めば治っていたため、それを重くとらえる者はいなかった。念のため城付きの医師に診てもらったが、結果は異状なし。疲れが出ているのだろうと考えられていた。
しかし次に問題が起きたのは、その半年後。剣術の訓練を行っていた時、王子が剣をとり落としたのだ。王子は苦しそうな顔をして「剣を振ることができぬ……」と言い、倒れてしまった。
突然のことに、城内は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
それ以来、王子の身体は少しずつ衰えていった。
内側から筋肉だけを食われているかのように弱っていく。トレーニングをしたところで、疲労に喘ぐばかりで、筋力の回復は見られない。
一年かけてゆっくりと弱っていった結果、王子はついに歩くこともできなくなった。
あらゆる手段を使って名医と呼ばれる人間を呼び寄せたが、誰一人原因を特定することができない。
治癒の魔術が使える人間にも治すことができず、宗教国家と呼ばれるレル=ニクルジエから呼び寄せた治癒術専門の巫女にも首を振られてしまった。
城内に諦めが漂う中、彼に近しい使用人たちと第二近衛兵団だけが必死で動き続けていた。
イミナのところには来たのは、町で聞いた「一年前にやってきたよそ者の薬師」の噂を、藁にも縋る思いで頼ってのことだったのだ。
とはいえ実際に訪れてみれば、店主は年端も行かない少女。城まで連れてきたことが驚きだが、彼らにはそれだけ余裕がないということだろう。
アルトは王子の容態について、微に入り細を穿って説明した。
何度も話してきたのであろう内容はよどみなかったが、彼女は終始苦し気だった。
最後まで話を聞いたイミナは、ふむ、と腕を組む。
そうしてしばらく考え込んだ後、「痛かったら言ってくださいね」と言いながら、まず王子の腕に触れた。二の腕のあたりをぐにぐにと揉み、腕を持ち上げる。
何かを確かめるように手首から肩までおさえ、「布団をめくっても?」と確認した。
王子がかすかに頷くと、勢いよく布団をめくり「失礼しまーす」と足に触れる。
部屋にいる召し使いがざわめくが、アルトとボルツは微動だにせずそれを見ていた。
腕にしたのと同じように太ももを揉み、足を持ち上げ、足首から付け根までおさえていく。
一連の動きを終えて、王子に布団をかけなおし、イミナは難しい顔でまた腕組みをした。
「突然ですが質問です。エスト殿下を亡き者にしようという動きが、城内にありますか?」
その質問は、通常ならば不敬だと首をはねられても文句がいえない内容だった。
ボルツが険しい顔になり、鎧がカチリと音を立てる。
「そのようなことはない――と、言いたいところだが、絶対とは言えぬ。このイルミナリアを狙う輩は存在する。第二王子を弑せば確実に国は混乱する。それを狙うものがおるやもしれぬ」
「そうですか……」
言ったきり、イミナは考え込んでしまった。柱時計のならす音が部屋に響き、誰もが固唾をのんで様子を見守る。
そのまま黙り込むイミナに焦れたかのように、「それで、いったいなんだというのだ」とボルツが口を開いた。
「わかりました」
その言葉に、室内の全員がいぶかしげな顔をする。何がわかったというのだろうか。
「エスト殿下の病気の正体がわかりました」
イミナが言い直すと、室内の全員が目を剥いた。ベッドで力なく横たわっていた王子まで身を起こそうとする。しかし弱った身体でそれはかなわず、あわててアルトがその背に手を貸した。
起き上がった王子は、「本当か」と震える声で聞いた。
「はい、本当です。というか殿下は病気ではありません」
全員が、少女の一挙手一投足に注目する。
この少女は、いったい何を言い出すつもりだろう。
「言ってしまえば、殿下は毒を盛られています」
「なんだと!? だが毒見の者たちはみな健康だ。それに料理人は、全員信用のおけるものに入れ替えた。毒を盛る隙など」
「あぁ、いえいえ。現在進行形ではなく、過去形です。正確には『殿下は毒を盛られていた』という言葉になります」
首をかしげる周囲にかまわず、イミナは言葉を続ける。
「むかーしむかしの話なんですけどね、筋肉を壊す毒があったんです。それは身体に毒素と認識されず、魔法でも排出できない。いわば身体の一部になってしまう毒だったんですね。発動してしまえば、摂取しなくても勝手に体をめぐって、主を弱らせ最後には死に至らしめる。ただ、毒には条件があって、一定以上の期間摂取し続けなくてはならなかった。食べて出すってシステムの性質上、雪が降り積もるように少しずつ蓄積させなくてはいけなかった。おまけにこの毒は対処も簡単でして、それを分解する作用を持つ薬を飲むことで、効果を発揮することなく排出されてしまうんです」
毒見の人たちが無事なのは、たぶんあまり量を食べていないのと、人がかわったりしているからでしょうねと、付け足すようにイミナは説明する。
流れるように語るイミナの言葉に、気が付けば全員が耳を傾けていた。
「証拠が残らない、原因もわからないとあって一時期は大人気だったんですけど、タネがバレてしまえば厳しい条件と対処の簡単さで割に合わないと、あっという間に廃れまして。それに主原料になる毒を出す蛇が、もう絶滅しているんですよ。だから馬車の中で話を聞いた時、それっぽいなーと思いつつ、私も半信半疑だったんですよねえ。ぶっちゃけこれって、この国ができた頃くらいまでさかのぼらないと使われてない毒ですし。まさかお目にかかることができるとは!」
感激です、とでも言わんばかりの態度にボルツが顔をしかめた。
「つまり殿下は、その薬さえ飲めばよくなるんだな」
「はい、もちろんです」
その言葉に、召使いたちの顔が明るくなった。最初から今まで感情の動きを見せなかった老執事のアルトでさえも、目を輝かせている。
室内に、ほっとした雰囲気が漂い始めた。
「たださっきも言った通り、ずいぶん昔に廃れた毒なので、薬の材料も王宮にはないでしょうね。とりにいかないと」
「わかった、すぐに行こう。すまないが材料を教えてくれないか。殿下の病気が治った暁には、必ず謝礼をもって伺おう」
「いえいえ、それには及びません」
イミナはにっこり笑って答えた。しかしその笑みは、馬車の中で見せた不気味な魔女の笑いだった。
身構えるボルツに、イミナは言い放った。
「私も一緒にいきますので」