小さな約束 1
池田雅美失踪事件から一夜明けた翌日、今朝も明人はジョギングを兼ねた稽古を行っていた。毎日のすべきことをしながらも、頭の中では昨日のことばかりがよぎってしまう。おかげで左右同時の蹴りの稽古ではバランスを保てずに全く身にならない状態になっていた。昨夜は健司や苺たちとメールでやりとりをしたが、結局、警察が捜索したにも関わらず雅美は発見できなかったらしい。校外に出た目撃者もなく、完全なる神隠し事件となったことに苺も春香も怯えていた。朝のトレーニングから帰宅した明人は朝食を取って顔を洗い、素早く着替えていつもどおりの時間に家を出た。今日は昨日と違って苺の姿もなく、普段どおりの状態に戻っていた。明人は苺の家のインターホンを鳴らす。3分ほどして姿を見せた苺に昨日の元気はなかった。
「おはよう」
「うん、おはよう・・・」
暗いのは表情だけでなく、声もだ。原因が分かっているがどうしようもないことなので何も言わず、2人は駅へと向けて歩き出した。駅に着けば、既に来ていた健司もどこか元気が無い。
「おはよう」
「ん、おはようさん」
笑顔もどこか暗く見える。一つため息をついた明人は2人を置いていくように先を歩き、重い足取りでそれに続く2人。やはり知っているクラスメイトがいなくなったということが心に響いていた。そうして電車に乗れば、いつものように二見高校の生徒たちがわいわい話をしている光景がそこにある。3人だけが会話もなくただぼーっと突っ立っているだけの異様な光景となっていた。明人は扉にもたれつつ、昨日からずっと頭の中で繰り返している事件の推理を始めていた。雅美を呼び出した者がどういう目的で連れ去ったのか。いや、本当に連れ去られたのだろうか。まだ校内のどこかに監禁でもされているのではないかという考えもよぎる。学年でも上位に入る美少女が消えた事実に様々な事件性が思い浮かぶが、姿を完全に消すということが理解できない。繋がらない携帯は圏外だとして、該当するのは裏山だ。かといって門を出なければ裏山には行けず、そんな不審者が目撃されていない時点でその線は消していいだろう。そんなことを考えていると電車は駅に到着し、いつものように春香も合流する。春香はいつもと変わらぬ様子を見せていたが、どこか暗い健司と苺のせいか、言葉は少なかった。歩きながら景色に目をやれば、学校の向こうの裏山が見える。以前、同級生が裏山を探検した際に聞いた話だと、空き地にぽつんと木で出来た古いポンプ小屋のようなものがあり、銅を掘った後と思える横穴がいくつかあったと聞かされていた。そんな山と学校が繋がっているとは考えにくい。昔の校舎ならば可能性は高いかもしれないが、大改造を行った後の今の学校にそんなものが残されているとは考えられなかった。残っていたとしても、大改造の際にそういうものを塞いだと考えるのが妥当で、実際そういったものがあった形跡もない。ならば雅美はどこへ行ったのだろうか。堂々巡りの考えはまとまらず、すぐに正門の前に着いていた。
「おはようさ~ん」
「おはようございます」
こちらと違って明るい声で挨拶をしてきたのは京也と歩だった。今日も一緒の登校だが、昨日と違って健司たち3人にニヤけ面はない。昨日の帰り際の暗い雰囲気を消してくれた健司でさえ、暗い顔をしている。京也と歩は顔を見合わせて困った顔をするが、明人に促されて門をくぐった。元気が無い3人の様子を気にしつつ、歩はチラチラと明人を見やる。なぜだか、無表情ながら他の3人とは違ったオーラのようなものを纏っているように思えた。そして京也を見やる。こちらも黙ったまま自転車を押して歩いているが、同じようなオーラを身に着けているように思えた。とりあえず駐輪場に行くために4人と別れ、決められた場所に自転車を置く。
「やっぱり昨日のこと、ですよね?」
「だねぇ・・・ま、気持ちはわかるけど」
気まずいためか、少しトーンを落としがちの歩に対し、京也の口調はいつもと変わりがない。それが歩を安心させている。今朝の待ち合わせ時から、京也は昨日と変わりなく接してくれていた。そのまま会話もなく昇降口に向かえば4人が待っていた。1階が教室の歩とはここで別れ、5人は教室へと向うと校内放送が流れ始めた。
『臨時の全校集会を行います。始業のチャイムが鳴る前に体育館へ集合してください』
繰り返し流れる放送を聴きながら健司がため息をつく。やはり何かしらの事件が発覚した証拠だと思う5人はかばんを席に置くと体育館へと移動を開始した。廊下を歩いているとちらほらと失踪についての噂話が聞こえてくる。少なからず事件のことを知る人物がいるのだろう。それは雅美の失踪を告げた高橋ミドリが友達に連絡を取ったせいだろうと思う明人が体育館へ行けば、事件の噂話でざわついた空間と化していた。さらわれた、監禁されている、殺されている。様々な憶測が飛び交う中、体育館のステージに設けられた大きな教壇とマイクに向かって千石が歩いていく。生徒たちはそれに気づきながらも話を止めずにいた。
「多分、まだ見つかっていないな」
マイクの前に立つ千石を見つめながらそう呟く明人に反応したのは京也だった。
「だろうね・・・もし、最悪の結果だったら、今日は休みだろうし」
「ああ。明日は土曜日、元々休みだしな。おそらく・・・・」
そこまで言いかけた時、千石の声がスピーカーを通して体育館に響き渡った。
「静粛に!クラスごとに並んで私語は慎め」
大声ではないが張りのある声に生徒たちの声のトーンも下がり、のろのろした動きながら学年別、クラス別に並び始めた。出席番号順に並ぶため、京也は前の方に移動し、健司の後ろに明人が並んだ。
「どうなると思う?」
顔だけを後ろに向けた健司の質問に明人が静かに口を開いた。
「捜査は続くだろうから今日は昼まで、事情を聞かれる者もいるだろうな」
「俺たちも、かな?」
「事情を知っているから、そうなるだろうな」
少しため息混じりにそう言うと、明人はステージを降りて先生たちの並ぶ場所に移動した千石を目で追った。だが、横にいる新城と何か話をしている千石からステージに目を戻すと、再度失踪した女子生徒のことを考えた。池田雅美はキューティ3の投票でも上位を獲得した美少女だ。成績は並だが、人当たりがよく友達も多い。明人が知っているだけで4人の男子が振られているが、彼氏はいない。誰かに恨みを買っているような節もなく、イジメを受けていた形跡もなし。そして問題は彼女を呼び出したのが何者かということだ。雅美に恨みを抱く者か、ストーカー的な恋心を抱いていたものか、はたまたそれらとは全く別の想いを抱いていたものか。校内で人気のない科目棟に呼び出したことから、強姦目的であることが考えられる。しかし、それだけならば彼女を脅して解放することも可能で、ここまで大きく事件に発展するリスクを犯してまで拉致する必要があるとは思えない。次に考えられるのは監禁だが、この線はかなり低い。校内で監禁すべき場所は非常に限られている。科目棟から近い位置では室内プール用のボイラー室ぐらいしかないが、第二運動場を隔てた向こう側にあるため、人目につかずに雅美を運ぶことは不可能だ。出来たとしても当然そこは真っ先に探す場所であり、教師が探しに行った時点で捜索されているだろう。他にも怪しい場所はあるが、監禁すれば雅美が見つかった際の犯人のデメリットがあまりに大きすぎる。では、強姦や監禁ではなく、最初から拉致する目的だったとしたらどうだろう。京也が言ったように古い坑道か何かが学校に繋がっており、そこを通って裏山に連れて行き、運び出す。しかし、大改造をしてからそういうものがあるとは思えず、噂も聞かない。大体、彼女を拉致して何の得になるのか。雅美の家は特別裕福ではない。それに校内で消えているならば犯人は学校関係者に絞られる、そんなリスクを犯してまで拉致するものなのか。人気の無い路地などの方がもっと効果的だろう。腕組みをしていろいろ推理をするものの、全く有効的なものに行き当たらない。ため息を吐く明人は本鈴のチャイムに我に返ると、壇上に立つ校長を見やった。そしてチャイムが終わると同時に、校長はマイクを手にして教壇の前に移動した。
「皆さん、おはようございます。えー、一部の生徒には知れ渡っている事なのですが、昨日の放課後、2年4組の池田雅美さんが校内で姿を消しました。現在も警察の方々が捜索中ですが、まだ見つかっておりません」
生徒たちのざわつきが大きくなる中、校長は事件のことをおおまかに説明し始めた。それは明人たちが知ることばかりであり、警察がくまなく校内を捜索したが痕跡も見つからなかったというもので、結局何も進展していないことだけが判明した形となった。もちろん、有力な手がかりも皆無の状態らしい。
「今日、この後、数名の生徒には残ってもらい、事情聴取を受けてもらいます。勘違いされては困るのですが、その人たちは容疑者というわけではなく、あくまで参考に話を聞くというものです」
「生徒も容疑者、って見てる証拠だぜ?」
少し頭を後ろに傾けながら健司がそう言った。明人は小さく頷きながらそれは当然だと考えていた。真っ先に疑われるのは男子生徒、それも同学年、同クラスの人間が濃厚だ。校外に出た形跡もなく、外部の人間が入り込んだ可能性は限りなく低い。警察による教師への事情聴取は昨日のうちに済ませているだろうことを考えれば生徒を容疑者に入れるのは納得だ。ただ、昨日残っていた生徒全てのアリバイを実証することは難しい。それは教師においても同じだ。とにかく警察、学校側としてもなんらかの手がかりが欲しいのだろう、明人は冷静にそれを考えていた。つまり、昨日の今日では何の手がかりもないのだろうことを。その後、今日はこのまま下校、午後から保護者説明会が実施されると連絡があり、生徒たちは各クラスへと戻された。そこで事件のことへの注意、ネットなどでの吹聴禁止など、厳しい禁則事項を連絡され、事情聴取を行う生徒を残してすぐに下校という運びになった。もちろん明人や健司、苺に京也、歩といった職員室へ連絡に来た生徒は残るよう言われる。明人たちはクラスメイトにいろいろ聞かれるが、ミドリから事件を知らされて職員室へ付き添ったという事実しか報告できず、担任に促されて他の生徒は半ば強引に教室から追い出されることになってしまった。教師たちもかなり敏感になっているのだろう。
「会議室で待機だ。警察の方の聴取が終わったら帰っていいからな」
明人たちにそう言いながら、担任は事情聴取における注意事項を説明した。嘘は言わないこと、知らないことは知らないとはっきり言う事等。春香は部活をしていたアリバイがあるため、渋々ながら下校し、ドーナツ店で待っているということになった。とりあえず、事情聴取後に全員がそこに集合しようという運びだ。会議室に行けば歩の姿もあり、5人は固まって座りながら他の生徒たちを見やった。ミドリの姿がないことからして既に彼女の事情聴取が行われているのか、それとも昨日の段階で終えているのか。雅美の友達や、昨日、用もないのに残っていた生徒たち10名程度がいるのが分かる。京也はその中に紀子の姿がないことにホッとしていた。どうやら彼女は昨日屋上には行かなかったらしい。もし行ったのであれば今この場にいるはずだ。そんな京也の胸中を読んだのか、横に座る歩は少し唇を尖らせつつも上目遣いで京也を見ていた。昨日もメールをしたが、明日からの週末のことではなく、事件のことに一貫してしまったせいで予定は台無しだ。本当ならば明日か明後日にデートの約束を取り付けていたはずだったのに。けれど、状況が状況だけに仕方がないとも思う。明人は腕組みをしたまま窓の外の景色を見ており、健司と苺は小さな声で話をしている。京也はぼんやりと前を向いたままで歩の視線に気づいていなかった。そんな京也を見ていた歩が小さなため息をついた矢先、前を向いたままの京也が静かに口を開いた。
「明日さ、どっか行こうか?」
「あえっ?」
突然の言葉に歩は驚きと戸惑いから変な声を出してしまった。そんな歩をチラッと見たのは明人だけで、話に夢中になっているのか健司と苺は気づいていない。
「予定ある?」
「あ・・・いえ、ないですけど・・・・・」
歯切れの悪い言い方に京也は苦笑した。組んだ指をせわしなく動かす歩はその指と京也とを視線が往復する。
「じゃぁ、いいかな?」
「あ、はい・・・いい、です」
「場所とかどうしようか?」
「え・・あ・・・う・・・」
嬉しさと戸惑いに緊張が重なって何も考えられない。何故この状況でその提案をしたのか、その意図も分からない歩が困っていると、京也は優しく微笑みながら体ごと歩の方に向き直った。
「二見が浜ってどう?あそこなら大きなショッピングモールもあるし、海もあるしさぁ」
「はい!いいですね!」
京也とならばどこでもいいと思っていただけに、歩はすぐにOKを出した。京也はにんまりと笑い、歩ははにかんだ笑みを返す。そんな歩を見つつ、小さく微笑んだ明人は歩自身がまだ自分の恋心を深く認識していないのだろうと思っていた。些細なことで京也に興味を持った。今の歩を動かしているのは京也を知りたいと思う気持ちであって、本当の意味での恋心ではない。しかし、その好奇心とうか探究心は間違いなく恋心から来ているのもだ。恋に純粋なのか、歩自信がそれに気づいていないからこそ、この2人には上手くいって欲しいと思う。歩が京也への想いを強く意識し、それを自覚したとき、歩がどう動くのかを楽しみにしたいとも思っていた。そう思いながらすぐ横に座る苺を見やる。健司と話をしている苺は明人の視線に気づかない。明人は無表情のまま再び窓の外の景色へと目をやった。そんな明人をチラッと見たのは健司であり、さっきの苺への視線にも気づいていた。そして健司が明人に声をかけようとした刹那、ざわついた会議室のドアが開かれ、健司も明人もそちらへと顔を向けた。教頭先生が入り口に立ち、手にした紙の束と生徒たちとを何度か往復させた後、口を開いた。
「今から名前を呼ばれた人は隣の生徒会室にて事情聴取を行います」
静まり返った会議室によく通った声に全員の緊張が一気に高まった。
「ではまず、木下真弓さん」
「はい」
雅美の友達である真弓が会議室を出て行く。教頭に付き添われる形で出て行った真弓を見送る他の女子たちが不安げな顔をする中、明人は鋭い視線をドアへと向けたままだった。緊張からか、さっきまでとは違ってしんと静まる会議室。腕組みをしたまま目を閉じる明人。頭の後ろで腕を組み、椅子をぶらぶらさせる健司。俯いたまま目だけを動かす苺。せわしなく組んだ指を動かす歩。ぼーっとした京也。そうして20分ほど経過した後、再びドアが開かれた。
「大西恵美さん」
「あ・・・は、はい」
呼ばれた恵美が会議室を出て行く。さっきよりも重苦しい空気が会議室を占めていくが、誰も何も口にせず、時間だけがゆったりと流れていった。そうして1人15分から20分の割合で呼ばれていき、残るは明人たち5人だけになってしまった。こうなると会話もそこそこあり、気の知れた者ばかりで少しばかり緊張も解けてきていた。そしてついに、5人への事情聴取が始まる。
「遠山健司君、来なさい」
「あ、はい」
「後でな」
教頭に呼ばれた健司にそう声を掛けた明人に、健司は目で頷く。会議室を出て行った健司を見つつ、明人は後ろにいる京也を振り返った。
「お前も店に行くんだろう?」
「んあ?ああ、行くよ」
「彼女を送ってからか?」
「私も行きます」
京也の返事を待たず、歩がそう言葉を発する。みんなが歩を見るが、歩の決意は固いようでまっすぐな目を明人に向けていた。
「健司がいなくて良かったな」
明人の言葉に全員の頭に疑問符が浮かぶ。どういう意味かわからず、苺があからさまに首を傾げると明人は無表情のまま京也を見やった。
「いたら間違いなく冷やかされてたぞ。しっかりした彼女だってな」
その言葉に苺が納得した顔をしてみせた。言われた京也は困った顔をし、歩は顔を赤くして俯く。明らかに照れいている歩とは違い、かなり戸惑っている京也の様子を見抜いた明人だったがそれ以上何も言わなかった。京也に見え隠れしている裏の部分がまた増えた気がする明人にしてみれば、ますます京也に興味が沸いた瞬間だった。普通ならばこうまで可愛い後輩に想われて嬉しくないはずはない。だが、京也のさっきの反応は想われて困っているというように見えたからだ。ふわふわとした雲のような掴みどころの無い性格だとはいえ、やはり気になってしまう。やや緊張もほぐれ、苺となにやら親しげに話をする歩を見つつ、そんな2人をぼんやりと見ている京也へも視線を巡らせた。会話に加わることはせず、ただそこにいるだけの京也。1人暮らしをしていることや、成績が自分並みにいいこと、そして明るい性格だということぐらいしか知らないということを考えつつ、京也に関してあまり何も知らないことを再認識した。そうこうしているとドアが開く。再び緊張感が増していく中、次に呼ばれたのは苺だった。何度か明人を振り返る苺に頷き返す明人。普段は鋼鉄の男とされ、無表情で無感情、無口な明人だが、こういう時の気配りが出来る男だ。だからこそ、ずっと苺は明人を好きでいるのだった。
「どういう基準で呼んでるんだろうねぇ?」
閉じられたドアを見ながら京也がそう言う。基準などないと思うが、気になるところでもあった。
「さぁな」
明人はそう言うと立ち上がり、窓の前に立った。そこから見える景色は中庭だ。昼休みなどでは人が多くいるそこだが、今日は誰もいない。今、校舎にいる人間は自分たちを含めてわずかであり、警察関係の人間も出入りしているだろうがごく少数ということになる。どこまで捜査が進んでいるかが気になるが、事情聴取でそれを聞いても答えてはくれないだろう。ならば、と明人が考えをめぐらせていると歩が自分に近づいてくるのに気づいた。
「あの・・・・」
景色を見たままの明人が目だけを歩に向ける。明人に対して怖い印象が強い歩だったが、今日のこの空間でのやりとりで少なからずそれが消えつつあることもあってか、そのどこか冷たい目を見つめつつ口を開いた。
「この事件・・・生徒が犯人だと思いますか?」
何を思って歩がそれを明人に尋ねたかは分からない。それに明人がその質問にまともな答えを返すとは思っていない京也が歩へのフォローを考えていると、明人が静かに口を開いた。
「多分、違う。もし犯人が生徒なら、こうまで痕跡を残さず完全に失踪させることは不可能だ」
思いもよらない明人の言葉に京也が驚くが、歩にしてみればそれが物凄く珍しいことだとは思わずに素直に頷いていた。
「確かにね・・・まぁ、だからって教師にも可能かどうかも疑問だけどねぇ」
「ああ・・・けど、いくつか推理はできる」
「たとえば?」
明人の推理に興味があるのか、京也は立ち上がると歩の横に立った。自分でもいくつか推理はしてみたが、校内のどこかに昔の通路か何かがあって、それが人知れず裏山かどこかに繋がっている。そこを利用して犯人が雅美を連れ去ったという程度のおおまかな推理でしかなかった。だからこそ、明人の意見が聞きたいのだ。
「それは事情聴取をされてから話す、ドーナツ店でな」
「そうだね、それがいいね」
「はい」
明人の言葉に京也と歩が賛同すると、明人が珍しく小さな笑みを口元に浮かべて見せた。京也は驚き、歩は微笑み返す。今の反応からして、明人が歩を仲間だと認識した証だろうと思えた京也もまた口元に淡い微笑を浮かべてみせた。その微笑を見た歩の胸が高鳴る。京也が気になってから初めて自覚するその胸の高鳴りに、親友である岬英理子の言った『恋』という言葉を思い出した。それはまだ恋ではなく、興味だと思っていた。だが、そうではないのだろう。まともな恋などしたことがない。いいなと思う男子はいても好きだとまでは感じたことが1度も無い。その理由は分からないが、とにかく異性に対して関心が無い状態だった。だがあの日、京也に声をかけられてからは京也のことばかりを考えるようになっていた。自分でも今までに無い積極性まで出ていたがそれは京也への興味だと思っていたのだ。だが、今、はっきりと認識した。自分は京也が好きなのだと。たった一度自転車のチェーンを直してくれた、ただそれだけで恋に落ちたのだ。運命などという言葉は信じない。そんなよくわからないものに自分の全てを決められたくないと思っていた。だが、この出会いは運命だと思えてしまうほど、歩は京也に夢中だった。そのせいか、ふと頭によぎるのは紀子のこと。かなり親しげにしていただけに、2人の関係が気になって仕方がない。人が少ない今ならばそれが聞けると自分を奮い立たせた矢先、ドアが開いた。
「一枝歩さん」
「あ、え・・・・はい!」
なんともおかしな返事になったことに赤面しつつ、歩はかばんを持って立ち上がった。
「下駄箱前で待ってます」
「追い出されたらお店に行ってね」
「はい」
笑みを浮かべながらも緊張した面持ちで歩は出て行った。残されたのは明人と京也のみ。京也は鼻でため息をつきつつ椅子に体重を乗せた。明人はそんな京也の横に座ると視線を窓の外へと向ける。
「いい子じゃないか」
「ん?そうだねぇ」
「気持ちに応えてやれよ」
奇跡に近いようなその言葉に京也は目を丸くした。そんな京也の反応にも無表情な明人は顔を京也の方へと向けた。
「応えてやれない理由でもあるのか?」
「ないよ・・・・でも」
「でも?なんだ?」
2人だけのこの空間を利用し、京也の本心を探ろうとする明人の鋭い視線を受け止めつつ、京也は少し困った顔をしてみせた。
「まだ別に好きだとも、付き合ってくれとも言われてないから、応えるもなにもないんだけどねぇ」
はぐらかすではない言い方に、明人も一瞬表情を固くした。確かに言われてみれば応えようが無い。今のところは、だが。
「なら、告白されたら付き合うのか?」
「え?うーん・・・・わからないなぁ」
「好きなら付き合う、そうでないなら付き合わない。簡単な2択だろう?」
「簡単じゃないよ」
「付き合えない理由でもあるのか?」
「んん~・・・ないけど、どうも恋愛ってのに疎いんだよ、俺。だから、告白されてもまずは友達から、かな」
嘘を言っているようには思えない。京也が誰かを好きでいるならばともかく、そうでないならばああも可愛い後輩から一途に想われれば喜んで付き合うはずだ。恋愛に疎くても、もったいないと思うはずだと明人は思っている。友達から、と言えば受け取る側にすれば振られたと感じても仕方がない返事だとも思う。
「浅見が好きなのか?」
普段の明人を、他人に対して興味などない明人を知っているだけにこうまでしつこい明人は京也の記憶には無い。どうしてそこまで自分の色恋沙汰に興味があるのか、それに興味が沸いてくる。かといってそれを聞いても答えてくれる相手ではないことも知っているだけに、京也は頭を掻きつつ今の質問に対して返事をした。
「ないって・・・彼女は友達だし」
きっぱりと言い切られたせいか、明人はそれ以上何も言わなかった。しばらくの沈黙の後、今度は京也が明人に質問を投げる。
「なぁ、そっちこそ、志保美さんとはどうなの?」
することもないせいか、机に座って足をブラブラさせている京也の言葉にも顔を向けず、明人はずっと景色を見ている。
「どう、とは?」
緊張も動揺もないいつもの鉄の声だ。
「んー、好きとか嫌いとか」
「ただの幼馴染だ」
「進展、ないわけ?」
「ない」
きっぱりと言い切る明人に苦笑しつつ、京也はそれ以上何も言わなかった。ただ、今の言葉が本心だとは受け取っていない。京也は明人が時折苺だけに見せる優しい雰囲気を感じ取っていた。だからこそ、あえてそれを聞いたのだ。そう、心のどこかで苺を意識している。それが無自覚なのかはわからないが、京也としてはあえてそこを突っ込んで2人の仲をこじれさせるような真似はしたくなかった。明人と自分は似ている、恋愛に関してはそう認識しているからこその考えだった。机から降りて背伸びをする。その瞬間、ドアが開いて教頭が姿を現した。歩が呼ばれてからまだ10分程度しか経っていない。予想外に早い展開に残っていた2人ともが少し驚いていた。
「戸口明人君」
「はい」
明人はかばんを手に取りながらチラッと京也を見やった。京也は目で頷くと椅子に座り、出て行く明人を見送ったのだった。




