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いちごいちえ  作者: 夏みかん
第10章
51/52

繋がる未来 5

明人の家の前に立つ苺は開いたドアの向こうにいる明人を見て微笑んだ。一旦家に帰ってから来た事もあって私服だ。部屋着に着替えている明人はそのまま苺を自室に通した。椅子に腰掛ける明人に対し、苺はその前に立つ。そうして手に持った包みを差し出した。


「これ、チョコ」

「ありがとう」


少し微笑んでそれを受け取った明人ににっこり微笑んだ苺は椅子に座る明人の上から抱きつくようにして座った。そんな苺をそっと抱きしめる。


「甘えたになったな?」

「そうかも」


言いながらもお互いに離れない。


「落ち着くんだよ、明人君にこうされると」

「精神安定剤みたいなものか」

「そうかも」


明人らしい表現に苺は笑った。そうして少し離れてキスをする。付き合い始めてからもう何度目になるからわからないキス。お互いの愛おしさが止まらなかった。長い間遠回りした分、それが上乗せされているような気がする。


「さて・・・」


そう言うと明人は苺を立たせ、自分も椅子から離れる。そんな明人を見て顔を赤くした苺がベッドに腰掛けた。


「・・・・・するの?」

「ああ」


いつもにはない積極的な明人は珍しい。付き合いだしてそういう経験もした。が、大抵は苺からの誘いを受けるのが明人であり、明人から求めてくることはほとんどなかった。ただ、苺の誘いを断ることもしなかった。苺がセーターを脱ごうとすると、その手を止めるように明人が掴む。きょとんとした苺がまさか服を着たままするのかと赤面するが、明人は目を細めていた。


「する、と言ったのはこっちだ」


そう言うと明人は数学の教科書を苺の前に突き出した。そんな明人を見る苺の顔が青ざめた。


「期末テストに向けての勉強だ。最近、お前の成績は落ちてる。俺のせいにされたくはない」

「そぉんなぁぁぁぁぁ」


絶叫が部屋にこだまするが、明人は無表情で勉強の準備を始め、そのまま夕食をご馳走になった後も鬼の家庭教師の猛特訓を受ける苺だった。



ホワイトデーの日、明人は苺にクッキーの詰め合わせと腕時計を贈った。そう高いものではないが、歩が京也に贈ったクリスマスプレゼントを羨ましがった結果を受けての選択だ。そして健司は春香に指輪を渡し、その時は感激した春香だったが、健司が余計なことを言ったりしたりした際にはその指輪をはめた拳を振るうようになっていった。今井春香流の新たな技の誕生である。そんな春香に拳の振るい方も教えていた京也は歩にチョコとシルバーのアクセサリーを贈っていた。その後はそれぞれが甘い時間を過ごす。時期的には卒業式となり、春香は赤井との別れに涙し、それでも気丈に送り出していた。部活に私生活にとそれぞれが頑張る中、春休みを迎える。だが、春香も歩も部活のために6人が揃うことは難しく、それぞれがデートをするので精一杯の状態だった。明人と苺はあちこち出かけるが、ほとんどが近場で済ませている。そんな春休みも終盤に差し掛かった日、健司は地元の駅付近をブラブラとしていた。今日も午前中は部活の春香を待ち、昼から遊びに行く予定になっていた。それまでの暇つぶしだ。明人と苺は歩が今日は1日部活であるために暇だと判断して京也を連れ出し、クレーンゲームを強要していた。次々に景品を取る京也に感心する明人とは違い、次から次へと景品を要求する苺にさすがの京也も疲れてしまった。そんなことなど露も知らず、健司が暖かくなった日差しをまぶしそうに見上げていると不意に肩を叩かれる。そのまま振り返れば、人差し指が頬にめり込んだ。デジャブを感じる健司が目を細めれば、やはりそこにいたのは茂美だ。


「ひっひっひ、あんたも好きねぇ」

「いいからどけろ、痛い」

「ほれほれ~」


そう言ってめり込ませた指をぐりぐりしたために健司はあわててそれから逃れるように顔を逸らした。そんな健司を見てにんまり笑う茂美を睨みつつ、実に久しぶりの再会に表情はすぐに緩んだ。


「久しぶりだな」

「そうね」

「あれ?髪型・・・・」

「気づくのおっそ・・・ま、気分転換ね」


ずっと長い髪の茂美だったはずが、今は肩より上に切られていた。綺麗な長い黒髪をばっさり切ったということは何か変化があったのかと思うが、捕まると長そうなのでそれはまた今度聞くことにする。


「あ、そう、じゃ!」

「ちょい待ち!」


障らぬ神に祟りなしと立ち去ろうとした健司の襟首をむんずと掴み、茂美はすぐそこにある全国にチェーン展開しているコーヒーショップを指差した。


「喉が渇いたなぁ」

「好きに飲めば?」

「えー!いいの?いやぁ、悪いね」

「ちょ、違うって!」


そのまま健司の腕を引っ張って行こうとしたためにあわててそれを振りほどいた。健司はため息をつくと茂美を睨めば、茂美は何故か目を潤ませている。やはり何かあったのかと思う健司が少々ドキドキしていると、茂美はそっと顔を伏せた。


「いいじゃない・・・別に・・・・・こっちにだっていろいろあったんだし・・・・」


そう言われれば断ることも出来ず、健司は茂美を促して店に入る。その瞬間、茂美は顔を上げてレジに立つ女性店員に満面の笑みを見せた。


「アメリカン、レギュラーで」

「はい、アメリカン、レギュラーサイズですね」


そう言い、店員は横に立つ健司を見た。彼氏だと誤解されていないか心配しつつも仕方なく同じものを注文してため息をつけば、茂美はさっさと奥の空いている席に向かっていた。結局、お金を払わされた健司はコーヒーを受け取って大股でそっちへと近づいた。


「新手の詐欺か?最悪だな」

「まあまあ、イケメンは女性に優しいもんでしょ?」

「お前はもっと謙虚という言葉を覚えろ!」

「私の辞書に、謙虚という文字はない!」

「書き加えてやる!その辞書を出せ!」

「イヤン!恥ずかしい!」


身を守るようにして怯えた目をする茂美に大きなため息をつき、健司は向かい側に座るとコーヒーを置いた。


「あんがと」


満面の笑みを見せる茂美の髪型に目がいってしまう。健司はミルクを入れる茂美にそのことを聞いてみた。


「マジで、なんかあったのか?」

「んあ?」

「髪だよ」

「あー、これは前から切ろうと思ってて、んで切っただけ」


んふふと笑いながらそう言う茂美に愛想笑いも出なかった。心配した自分がバカらしい。


「でも、ま、いろいろあったんだよ、こっちも。そっちも事件で大変みたいだったけどね」

「そうなのか?」

「うん。でももう解決したけど」

「そっか」


どこか言いにくそうにしているためにそれ以上何も聞かずに砂糖を手にする。そんな健司を見て、茂美は優しい笑顔を浮かべた。


「そういうとこ、あんたのいいとこだね?」

「え?」

「何も聞かずに納得してくれるとこ」

「そうかねぇ」

「そりゃ彼女も出来るわねぇ」


そう言って目を細める茂美に嫌な予感が走る。大方、苺からの情報でそれを知ったのだろうが、そこは突っ込まれたくないことだ。


「でも、苺ちゃんもようやく、だしな」


あえて話題を変えるようにそう言う。すると茂美は意外とあっさりその話題に乗った。


「だね。ま、クソ長い片想いをする2人だったし、いいんじゃないの?」

「2人?」

「戸口も苺を好きだったじゃん、ずっとさ」


確信を持ったその言葉に目が点になった。そうかもしれないとは思っていたが、それでもその可能性は低いと思っていた。だが、明人とそう親しくない茂美がそれを見抜いていたことが驚きだ。健司は茂美の洞察力には驚かされてばかりだった。


「で、あんたもやっと彼女が出来たか・・・まったく、脈もないのに苺にこだわりすぎのあんたがねぇ」

「でも本気だった。ま、今となっちゃいい思い出だけどな」

「そう?ならよし!」


にんまり笑う茂美に苦笑を返す。


「ならお前も早く彼氏を作れよ。関口に告白しちまえ」

「たっくんはただの幼馴染。それにたっくん、彼女出来たし」


その言葉に心底意外な顔をした。関口貴人という人物はどこか女子が苦手そうな男だった。その貴人に彼女が出来たとなれば、考えられる相手は1人しかいない。


「へぇ、美杉さんと?」


そう、この茂美と同じくもう1人の幼馴染である美杉優美だ。内気な優美が貴人をずっと好きでいることは知っている。そう親しくはないが、茂美と一緒にいることも多かったのでその辺は読み取れた部分だった。


「違うよ。まぁそれがいろいろあった部分だったんだけどねぇ」


その言葉から貴人が優美を振ったのかと勘ぐる。そしてそれは当たっていたが、茂美はそれに関して何も言わなかった。


「あんた知ってる子かもね・・・たしか中学も陸上部だったし」

「え?」


その言葉に思い浮かぶポニーテールの美少女。かつて片想いをしたその相手の顔を思い浮かべる。


「私は最近まで面識なかったんだけどね、中学一緒だったのにさぁ・・・愛、池谷愛と付き合ってるよ」


笑顔の言葉に健司の脳天に雷が落ちるほどの衝撃が走った。あの愛が貴人と付き合っている。それは想像もできないことだ。呆然とする健司に苦笑し、茂美はコーヒーを口にした。


「優美にたっくんに愛、いろいろあったのよ・・・でも、一番いい形で解決した」

「そうだったのか・・・いや、驚きだ」

「そっちの事件にも驚いたけどね。あたしの推理、バッチリじゃん!」

「ああ、助かったぜ。ありがとな」


そう言い、健司は事件の詳細を話して聞かせた。そんな健司の話を聞き、怪我の痕を見た茂美はいつもの軽口もなく真剣に話を聞き、質問をした。


「なるほどねぇ、怖い話だね」

「まぁ、まだ売られた子は1人しか見つかっていないから、完全決着じゃないけどさ」

「そうね」


少し暗い空気が流れる。そんな空気を消すような明るい笑顔を見せた茂美はコーヒーを一気に飲み干した。


「でも、あんたに彼女が出来て嬉しいよ」

「ありがとさん」

「今度、会わせてよね」

「断る」

「なぁんで?」

「あることないこと吹き込むのが分かってるからだよ!」

「遠慮しなさんなって」

「してねーし」


そうしてしばらく罵り合いが続き、結局2杯目のおかわりも奢らされる健司だった。



季節は春。桜が舞い、そして散っていく。それぞれが1つ進級し、明人たちは最上級生に、歩は2年生になった。後輩もでき、部活にも力が入る。京也との関係もすこぶる良好なこともあって充実した学校生活を送っていた。親友の英理子ともまた同じクラスとなって嬉しさも大きい。だが、明人たちはバラけたクラス替えになっていた。明人と京也、そして紀子が同じクラスになった。そして春香と健司はバラバラになり、苺もまたバラけて水星みなせと同じクラスになる。それでも昼休みはいつものように中庭に集合して昼食を取るようにしていた。4月も半ばを過ぎたこの日もまた暖かい日差しを避けた木陰に入り、5人が弁当を広げる。そんな様子を窓際の席に座る歩が見つめていた。


「彼氏と一緒にご飯食べてきてもいいけど?」

「ううん、別にいいよ」

「無理しちゃって」

「してないよ」


余裕の表情を見せる歩を見た英理子は充実しているその様子から何も心配はしていなかった。机を突き合わせて弁当を広げ、水筒を置く。


「でも、残念だったね?」

「何が?」

「キューティ3、まさかの選考漏れ」


その言葉に歩は苦笑しつつ箸を持った。そう、今年のキューティ3選抜から歩は漏れていた。やはり彼氏がいると人気も落ちるのだろう。それでも僅差の4位だったことは選考委員会のメンバーしかしらない事実だ。だが、歩にとってはキューティ3などどうでもいい。そんな顔をして弁当を食べる歩を見ながら英理子もまた箸を伸ばす。


「ボサメガネがいればいいってわけね?」

「そうね。でもボサじゃないし」

「へーへー」

「でも、京也がいるだけで、見てくれるだけでいいし」


その言葉に英理子は口に入れかけた卵焼きを置いて冷たい目を歩に浴びせた。歩は京也のことをもう『さん付け』で呼んではいなかった。京也の要望でお互いの名前を呼び捨てにし、敬語もなしになっている。それでもくせで敬語を使う歩だったが、京也はそれをとがめることもしない。自然な流れに任せていた。


「そっちに関してごちそうさま」

「いえいえ」

「でも、ま、いまだに想像できないけどね」

「なにを?」


もごもごと口を動かしながら首を傾げる歩に対し、英理子は目を閉じて卵焼きを口の中に入れてからその答えを言葉にした。


「あんたらがセックスしてるとこ」


その言葉に思わずご飯を噴出しそうになるのを堪え、むせ返る。涙目でお茶を飲むとまだ咳き込みながら英理子を睨みつけた。


「想像しないのっ!」


顔が赤いのはむせたからか、照れからか。鋭く英理子を睨みつつ再度お茶を飲む。


「ま、したくないけど」


英理子は小さくそう言うと弁当を食べていく。歩は口を尖らせて赤い顔をしながら中庭にいる京也へと目を向けるのだった。



「歩、残念だったね?」


春香の言葉に京也は苦笑した。それがキューティ3のことだと理解したからだ。だが本人はホッとしており、何の未練もなかったことを伝える。春香は満足そうに頷き、苺は苦笑した。


「でもさ、彼氏がいようがいまいが、あの子は美人で可愛いぜ?」

「だが自分の彼女にできないのなら、そこはマイナス要素だろう」


明人の冷静な言葉に全員が納得する。そう、キューティ3は校内のアイドルなのだ。そのアイドルに彼氏がいるとなれば減点対象にもなってくる。


「しかもこんな冴えないヤツが彼氏だし、嫉妬も半端ないでしょうしねぇ」

「まったくだ」


春香に賛同する健司に閉口し、京也は何も言わずに弁当を食べていく。


「でもさすが紀ちゃんだね、ぶっちぎりの3連覇!」

「当然だろう」


苺のその言葉にも冷静に返す明人。文句なしの美人で彼氏もいない。そうなれば自然と1位になるのは目に見えている結果だ。そして相変わらず組織票を集めて2位になった水星にも納得だ。ただ、美人だが男をとっかえひっかえしているのは変わりがない。もう京也に興味もないのか、ちょっかいをかけてくることはなくなっていた。


「3位の子も可愛いと思ったけど、歩ちゃんや苺ちゃんの方が上だよ」


3位は新入生の女子となっていた。確かに可愛いが、その可愛さを鼻に掛けているような感じもしている。そのため、健司はあまり好感を得ていなかった。


「ま、確かにそう思う」


春香も賛同するが、健司を見る目はどこか冷たい。それに気づいた京也がにこやかな笑みを苺に見せていた健司を肘で突いてそれを知らせる。健司は春香の視線に気づき、ふっとその表情を和らげた。


「春香は、ま、いい線行って10位ギリギリだなぁ・・・少し胸が大きくなったが、ま、それも俺のおかげだしさぁ。性格も雑いし、んん~、まぁ、最高で10位?」


腕組みをして想像にふけっているのか、黙って自分の前に立つ春香に気づかない。明人を除いて京也と苺がそっと離れ、植え込みの柵に腰掛けた健司が目を開ければ、そこに見えたのは薄い赤色の下着だった。


「あ、見たことない下着」


そう口にした健司の頭に落ちる踵。苺が顔を覆いながらも指の間から恐々と見、京也は呆れ顔をしてそれを見つめる。明人は黙々と弁当を食べていた。だが、そんな明人の片眉が動いた。健司は右手でその足を掴むと左手で春香の腕を取り、自分の方に引き寄せた。片足で立っている状態の春香はどうしようもなく健司の方に倒れこみ、そんな春香を受け止めた健司は素早くその唇に自分の唇を重ねた。ほんの一瞬のことだったが苺は頬を赤くし、京也はへらへら笑う。明人は疲れた顔をしてお茶を飲んだ。


「遠山健司流、春香黙らせの術」

「術って・・・忍者かよ」


京也のつっこみに笑顔を返した健司の顔が瞬時に歪んだ。春香の渾身の右フックがその頬に炸裂したのだ。柵から転げ落ち、頬を押さえる健司の前に鬼の形相をした春香が仁王立ちした。


「こんのバカ!」

「嬉しいくせに」

「死ね!」


めげない健司の言葉が終わらぬうちにそう叫び、座り込んだ健司の頭に踵を落とした。頭に両手を当てて悶絶する健司を見る春香は怒りが収まらない顔をし、苺は健司に両手を合わせて目を閉じていた。京也は苦笑し、明人はため息をついた。そんな様子を2階から見ていた歩は相変わらずの面々を見て優しく微笑むのだった。



春の風を受けて髪が流れる。そんな髪を押さえつつ遠くの景色を見つめていた紀子はゆっくりと目を閉じた。会いたい人に会えるまで、あと1年。そして『運命の再会』まであと2年と少し。そう思えば、長かったこれまでの月日も無駄にはならない。この愛おしさは何倍にもなって返ってくる。そう思っていた紀子は扉が開く音を聞いてそっちを向けば、そこにいるのはいつものように京也だった。


「いい天気だねぇ」

「うん」


バレンタインデーのお返しに、京也はクッキーを贈っていた。非現実的だった『あの夏』以降、誰にも義理チョコを渡さない主義の紀子が唯一そのポリシーを破った相手が京也であることを、京也はおろか誰も知ることはなかった。紀子にとって京也は気の許せるただ1人の男友達なのだ。


「彼女は部活?」

「うん。ミーティングだけらしいから、終わるまで待ってる」


景色を見ながらそう言う京也に小さく微笑むと、紀子もまた景色を見つめた。


「あれから1年かぁ・・・いろいろあったせいか、早かったね」

「だねぇ」


紀子の言うあれからとは、京也と歩が出会ってからだ。去年の今頃、橋の上で困っていた歩を助けたのが始まりだった。それからデートをして告白されてそれを保留し、失踪事件を経て付き合った。それは遥か昔のことのような感じがしていた。、京也の髪型はもうボサボサではなかった。右から左に流れるような髪型。歩と一緒に美容院に行くようになってからはきちんとした髪型になっていた。


「そういや、3連覇、ご愁傷さま」

「どうも」


京也の言葉に少々噴出しながらもそう答える。嬉しくもない名誉と分かっているだけに笑ったのだ。


「彼女の方こそ、残念だったね?」

「本人は喜んでたけどね」

「木戸君だけのナンバーワンでいたいって?」

「さぁ、それは知らないけど、でも、そうであって欲しいね」


どこか冷やかしを込めた言葉をあっさり返された紀子は苦笑した。しっかり心で繋がっている、そう思える言葉に羨ましさと尊敬、そして少しの嫉妬を感じる。紀子は小さく微笑みながら景色を見た。いつかは、いや、もう少しすれば自分にもそういう存在が現れる。その時は、その人だけのナンバーワンでいたい、そう思う。


「ごちそうさま」


京也を見てそう微笑む紀子の心情は読めず、そんな京也は小さく微笑み返して春の風を受けて景色を見つめるのだった。



「おう春香!」

「なに?」


部活に行こうとした春香を呼び止めた健司はそのまま春香の腕を取って人気の無い場所に連れて行く。こういう時の健司は周囲の目を盗んでキスをしてくることが多いので要注意しつつ、黙ってそこに付いていった。


「あのさ・・・頼みがあるんだわ」

「頼み?」

「そう」

「な、なに?」


いつになく真剣な目にドキドキしてしまう。それでもキスはされないように警戒は怠らなかった。


「お金、貸してくれ・・・」

「はぁ?」

「今日、財布忘れてきたんだよぉ」


拝む健司に呆れた顔をしつつ、春香は小さく微笑んだ。そうしてかばんから財布を出すと千円札を取り出して渡した。どうやら買いたいものがあるそうだ。


「悪い、明日返すからさ!」

「ん、利子付きでよろしく」


そう言いながら財布をしまう春香を抱き寄せてきた健司に、春香は油断していたと顔を逸らした。だが、健司は優しく抱きしめただけでキスをしてくる様子はなかった。


「サンキュな」


そう言ってぽんぽんと背中を叩き、離れる。拍子抜けした顔をした春香が我に返り、にんまり笑いながらお金をポケットにしまう健司を見つめた。


「じゃ!」


手を挙げて背を向けた健司にどこか寂しい気持ちになる。その瞬間だった。健司は素早く振り返るとそっとキスをした。


「部活、頑張れよ」


そう言い、笑顔を残して去っていく。そんな健司を呆然と見つめつつ、そっと指で唇に触れた。触れただけのキスなど久しぶりだ。そのせいか、どこか物足りなくも感じる春香はハッと我に返るとそそくさとその場を後にする。


「ヤバイ・・・どんどんハマってきてる」


少々頬を赤くしながら大股で歩く春香がふと足を止めた。そうしてくるっと勢いよく振り返った。


「何を買うのにお金使うか聞くの忘れた」


まさか他の女子に何かを奢るのではないかと危惧するが、それもないかと小さく笑った。いつでも健司は自分にまっすぐだ。愛情に微塵の揺らぎも無い。体を求めてくることも多かったが、それでも優しい健司だから身を任せることができていた。そんな健司だからこそ自分も好きでいる。頑張れと言われた言葉を思い返し、気合を入れた春香はスキップしながら屋内プールの更衣室に向かうのだった。



テーブルに肘をつき、視線はやや低めに落とす。自分の前においてあるのはチョコとクリーム、2種類のドーナツにアイスコーヒーだ。だが、明人が見ているのはそこではない。その自分のドーナツを乗せたトレイの向こうにある5種類ものドーナツにミルクティーを乗せたトレイの方だ。そのドーナツを前に手をすり合わせて目を輝かす苺はどれから食べようかと5つのドーナツを順番に見ていた。ここは駅前にあるいつものドーナツ店である。今日も多くの生徒で賑わう中、いつもの窓際の席に着きつつこうして2人でいる。新入生の間でもPGこと明人が可愛いことで男子からの視線も熱い苺と付き合っていることは知れ渡っている。そんな美男美女カップルは視線を集めつつも好対照な表情をしている。方や無表情、方や満面の笑みだ。


「どれから食べるかだけで迷っちゃうよねぇ」

「そうか?」

「そりゃそうだよ!」


明人はチョコのドーナツを手に取るが、苺はまだ悩んでいる。そんな苺に鼻でため息をついた明人はドーナツをかじった。


「どのドーナツとも一期一会!最良の出会いにして最後の出会い。同じ味には決してならないその美味しさ」


哲学的なことを言うが、そんな大そうなものではないと思う明人は呆れ顔をした。


「5つ重ねるのはさすがに無理があるなぁ」


重ねたドーナツを想像しながら口を開けて大きさを吟味する。腕組みをして悩む苺をよそに、明人は1つを食べ終えてコーヒーを飲んだ。苺はうなりながらもクリームのドーナツに手を伸ばそうとし、それを引っ込めてチョコのドーナツを手に取った。


「君から食べよう!ではいただきます」


そう言う苺がドーナツをかじれば、とろけそうな顔をしてみせる。明人はそんな様子を無表情で見つめていたが、小さなため息をついた。


「この間、言うかどうか迷ってたんだが」

「んー?」


口一杯にドーナツを入れた苺が明人を見やる。明人は普段と変わらぬ無表情でストローをつまんだ。


「腹の肉、増えてるぞ」


その言葉に苺は口の中のドーナツを噴き出した。明人は手でコップの蓋をしてドーナツが入るのを防ぐが、顔や服にかかるのはそのままにペーパーで冷静にそれを拭き取っていった。苺はむせ返り、慌ててミルクティーを飲んだ。涙目を明人に向けるが、明人はドーナツを拭き取っていてそれを見ていない。


「ひっどいよ!そういうこと、なぁんでここで言うかなぁ!」


周囲の目も気にせず立ち上がり、赤い顔をしてそう怒鳴る。表情のない明人が肩をすくめるのを見た苺は不貞腐れた顔をして座ると2個目のドーナツにがっついた。


「いいもん・・・ダイエットしてやる!明人君が心配で心配で仕方がなくなるぐらいに!」


無表情でストローを口にくわえる明人を睨みつつ、苺は次々とドーナツを食べていった。言っていることとしていることがまるで真逆なその様子に、明人の表情が緩んだ。


「心配はしてるぞ、いつでもな」

「なに?」

「お前は可愛いから、いつも心配してる」


その言葉に苺は赤面し、それでも食べることは止めなかった。不貞腐れた顔の中に照れが見える。そんな苺を見た明人がにこやかな表情を見せた。優しい笑みがそこにある。苺もまた微笑んだ。明人は明人だ、でも昔の明人が時々顔を覗かせる。無表情な明人も、今のような屈託の無い笑顔の明人も大好きだった。そして、そんな笑顔を自分にだけしか見せないことも知っている。そう、幼馴染で、お隣さんで、恋人の自分だけが見ることができる特権だった。ドーナツを食べながらそう考える苺の顔を見た明人が小さく呟いた。


「好きだからな」


苺は赤面し、ドーナツをかじりながら顔を伏せた。こういう明人にはまだ慣れない。でも悪い気はしない。そう、明人は素直な気持ちをくれている。素直な言葉をくれている。子供の頃と同じ、優しい明人がそこにいた。

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