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いちごいちえ  作者: 夏みかん
第5章
26/52

心の声 5

健司たちと合流した明人たちはとりあえず学校を出て駅へと向かった。連休で小遣いを消費したこともあり、4人はこの間京也が紀子たちと話をしたあの広場のベンチに腰かけると報告を行った。まずは教師側に新城という協力者ができたこと。そしてその新城が学校の改造増築に関することを調査することなど。一方で数学準備室の床収納部分が怪しいということも告げた。前進らしい前進はしていないが、とりあえずは調べることができたのは大きい。明日にでも再度坑道に行くという明人と健司を心配する苺だったが、明人の意思の強さを知っているだけに何も言えずじまいだった。


「木戸はどうする?」


明人が京也を見ると、京也は少し困った顔をしてみせた。


「明日は用事があってねぇ」

「彼女とデートか?羨ましいなぁ、おい」


健司の冷やかしに静かに首を横に振ると、京也は隣に座る苺の意味ありげな視線を感じつつ理由を口にした。


「いや、違うよ。一枝さんは部活。俺はまぁ、家の用事だよ」

「なんだ、また家の用事かよ」


健司が呆れたように言うが、京也は笑っているだけだ。苺が何か言い出さないか心配な京也だったが、苺は不機嫌そうにしながらも黙っていてくれたことには感謝した。


「今井は部活だし、苺ちゃんはどうする?」

「家にいるよ」

「それがいい」


健司の質問に答えた苺にそう言い、明人は立ち上がった。続いて健司も立ち上がると時計を見やった。今日も春香を送っていくため、時間は気になるところだ。それに今日は送っていった後で春香と少し話をしようと思っているだけに、早めに動きたかったのだ。


「帰るぞ」


その言葉を合図に解散となった。自転車にまたがる京也に、苺が携帯を取り出して何かを伝えようとしている。それが後でメールするというものだと読み取った京也が目で頷くと苺はにんまりと微笑んだ。京也は3人に別れを告げて去っていき、明人たちは駅へと向かう。


「もし、あの収納の下が坑道と繋がっているとしたら、それがどこに繋がっているのかを調べないとな」


明人の言葉に頷く健司だが、あの坑道の扉を開けない限り先へは進めないと思っていた。それは明人も理解しているだろうことを踏まえても、明日の調査でなにかしらの動きがあるのは確かだった。



吉田涼子は渡り廊下の1階で富沢悠を待っていた。彼氏がいない涼子にしてみれば、最近親しくなった悠とはかなりいい雰囲気になっているという風に感じている。悠は優しく、面白く、そして魅力的だった。なによりイケメンで、彼氏にしただけで優越感に浸れるのは間違いない。去年付き合った彼氏は大学生だったが、言動が子供っぽすぎて別れただけに、大人な考えを持つ悠は涼子にとっても理想的だった。それに、悠といるといい香りがして気持ちも高ぶってしまう。失踪した2人も同じような香りを嗅いで気分が高まっていたという噂を聞いてはいたが、そんなことなどどうでもよく思える。明人の忠告も悠が相手では気にならず、今日もここに呼び出されて立っているのだ。そんな涼子は不意に鼻をくすぐる香りにめまいを覚えた。くらくらする頭、ぼやける視界。ただそこに立っている悠の顔だけが見えている、そんな状態になっていた。


「さぁ、行こうか、涼子」

「・・・・はい」


そう言うと涼子の腰に手を回し、数学準備室の前に来る。悠はすばやくポケットから何か黒い円形の物体を取り出すとそれを見つめるようにしてみせた。円形のモニターの中心に緑の四角いランプが灯り、そこから外周に向かって規則正しく円が流れていく。それを確認した後で鍵を取り出すとドアを開き、中へと入る。そのまま内側から鍵を閉めると床収納の取っ手に手を伸ばし、それを引き上げた。


「さぁて・・・」


そう言いながら舌なめずりをし、悠は収納部分と床とを取り付けている部分の脇にある小さなレバーのようなものを引き、さらに取り出した金属の棒のようなものを差し込むとそれを上に引いた。するとどういう仕組みになっているかは分からないが、収納がゆっくりと持ち上がり、底が床より上に来たところで左側にスライドをする。収納がなくなったそこはコンクリートのはずだった。いや、確かにコンクリートなのだが、地下へと向かう階段があるのだ。風を少し感じつつ、悠は邪悪な笑みを浮かべて見せた。そのまま涼子を促すとそこを降りていく。懐中電灯を手に、さっき差し込んだ棒を引き抜くと収納が勝手に右側にスライドし、元に戻ろうと動き出した。


「さぁ、行こう涼子」


懐中電灯を手に歩く悠は前をふらふらと歩く涼子の姿を見て再度舌なめずりをしてみせた。


「軽く1時間は楽しめそうだな」


階段を降りきったところで我慢が出来なくなったのか、悠は強引に涼子を自分の方へと向けるとその唇をむさぼった。それでも涼子は意識がないようにされるがままだった。上の方では収納の扉が閉まった音がしている。


「くく・・・ククク!あっはっは!」


収納の扉が閉まる音を聞きながら、悠は高笑いをしてみせた。うつろな目をした涼子は大きな笑い声が反響する空間にあってもなお意識を取り戻す気配はなかった。



駅で他の部員と別れた春香はいつものようにバス停ではなく、駐輪場へと向かう。今週に入ってから毎日ここに来て、毎日同じ仕草で手を挙げる。呼応するかのように相手も手を挙げ、止めてあるバイクにもたれるようにしていたその相手である健司はバイクから離れた。


「ほとんど毎日同じ時間だな」

「うん。キャプテンが時間管理してるからね」

「几帳面、ってやつか」

「そういうんじゃないけど、やっぱ事件のことがあるからかな、きっちり終わってみんなで下校って感じ」

「なるほど」


笑いながらそう言う健司がヘルメットを差し出す。それを受け取りつつ、春香は少し顔を伏せがちにした。そんな春香に気づいた健司が自分のヘルメットをバイクの座席に置くとバス停の方へと顔を向けた。


「毎日毎日、なんで送ってくれるのかって思ってるだろ?」

「え?」


図星を突かれた春香が顔を上げる。健司はバス停から春香に顔を戻すと小さく微笑んだ。胸が痛むような、こそばゆいような、そんな感覚に戸惑う春香だったが、それに関しては思っている通りなので頷く。


「ガソリン代も時間ももったいないでしょ?」

「いんや、結構楽しいんだよな、これが」


微笑む健司に困った顔しかできない。


「苺には何も言ってないから、だから、高感度を上げられてないし、いいの?」

「別にそういうのはどうでもいいよ。これは勝手にやってることだしな」


それが本心だと思える口調、雰囲気、表情をしていた。最初は自分の口から苺へこのことが知れるのを期待しての行動かと思っていた。けれど、そうでないことは分かっていた。自発的に、好意でやっている、そう気づいていた。だからこそその理由が知りたい。自分に気があるのならともかく、健司は苺が好きなのだ。


「なんで?なんでこうしてくれるわけ?」


健司を見ずに地面を見てそう言う春香をじっと見つめる健司は何かを考える仕草をしつつ困った顔をしてみせた。正直なところ、一番危険な道を行く春香を気遣ったというのが本音だ。だが、それがだんだんと心地よくなって日課になっていた。


「なんだろうな・・・よくわかんねぇんだよ、俺にも」

「はぁ?」

「最初は軽い気持ちだった。苺ちゃんも歩ちゃんもちゃんと送っていける人がいる。で、お前はいない。それもアレだなぁって思っての行動だったんだが・・・ま、2、3日で終わろうとは思ってた。けど、今はもう、なんか日課ってか、そうしないと気持ち悪いってか」


その言葉に嘘はない、そう信じられる春香は困った顔をした。


「本当は明人に送ってもらいたいんだろうが、そこは我慢してくれ」


春香の心境を考えたのか、そう言った健司は小さく笑った。校内でも人気のイケメン。面倒見がよく、友達も多い。それなのにつるんでいるのは自分たちだけ。苺が好きなだけにそばにいたいが故の行動だろうが、実際に他の女子も健司を狙っている子が多い。愛想もよく、まっすぐな性格も人気の1つだった。


「別に、我慢なんかしてないし」

「だよな?いやぁ、その辺が結構気になってたんだよなぁ」


そう言ってケラケラと笑う健司を見ると胸が痛くなる。自分は明人が好きなのに、なのに健司にもときめきを感じつつあることに戸惑いを感じる。親切にされたから、だからそれは一時的なものだとは分かっている。だが、心の中では健司を欲している、そんな感じもしていた。そんな春香が少々顔を赤くして横を向いたのを見た健司は、今日、春香に話があることを思い出してそれを口にしようとした。


「ところでさ、ちょっと話が・・・・」


そう言いかけたところで春香の携帯がメロディを奏でだした。健司の言葉にぼうっとしていた春香はあわててかばんをまさぐって携帯を取り出す。着信の相手は同じ水泳部だがクラスの違う横田彩夏だった。


「ちょっとゴメン」

「ああ、いいよ」


一応断ってから電話に出る。健司はバイクから少し離れた場所にあるベンチに腰掛けた。こういう配慮ができる部分は春香も健司を評価しているところだ。そんな健司を見ながら通話ボタンを押す。


「もしもし彩夏、どうした?」

『うん。さっきね、7組の梨緒から連絡あって、涼子が帰ってないんだって。連絡もつかないみたい』


その彩夏の言葉に健司の方へと走り寄る。そんな春香に気づいた健司が怪訝な顔をする中、その前に立った春香は健司に聞こえるようにさっきの言葉を反復した。


「涼子が帰ってないって、あの子、帰宅部だよね?」


その春香の言葉にぴんと来た健司もまた携帯を取り出すと明人に電話をかけ始めた。阿吽の呼吸で意思の疎通を行う健司と春香だが、本人たちにその自覚はない。


「梨緒と一緒だったの?」


梨緒とは7組にいる女子で、中多梨緒という。春香は友達同士で遊んだ際に仲良くなり、メールをする程度の間柄でもあった。


『そうじゃないみたい。なんか梨緒が帰る時には教室でだべってたらしくて、一緒じゃなかったんだって』

「じゃぁ、まだ学校ってこと?」

『それがさ、失踪した子って学校に靴があったじゃん?でもないんだって。上履きも、靴も、かばんも』

「全部ってことか・・・上履きもってことは校内の可能性もあるってことかな?」

『わかなんないけど、そうかも』

「涼子・・・なんで・・・・」

『それが涼子だけじゃないんだよ!』

「えっ?」


春香の驚く声に健司はそっちを見た。明人には7組の吉田涼子が帰っていないこと、上履きもないことを伝えている。春香が口にしたことをそのまま伝えているのだ。


『3年生の前田先輩も、大溝先輩も消えたって・・・・どうしよう!涼子もさらわれちゃったのかなぁ』

「とにかく落ち着いて!私もいろいろ当たってみるから」


その後一言二言会話をし、春香は電話を終えた。そのまま健司が差し出した携帯を手に取ると、今聞いた情報をすべて伝える。それを聞きながら健司も驚き、自分のネットワークを駆使して探ろうと考えたが、春香が自分の携帯を使っていることに気づいて舌打ちをした。


「とにかく、今回は3人も失踪してる・・・そう、でもまだ校内かどうかは・・・うん、わかった」


春香は電話を切ると健司にそれを返す。そのままヘルメットをかぶると健司に明人の言葉を伝えた。


「すぐに学校に行って!多分、騒ぎにはなってるはず。今はまだ7時前だから、入ることはできる」

「OK、行こう!」


健司もヘルメットをかぶり、バイクにまたがる。すぐさまエンジンを始動させると春香が自分にしがみつくのを確認してから発進させた。急加速をするバイクから振り落とされないようにしながら、春香はただ涼子の無事を祈るのだった。



重たいまぶたを開けることがこんなに苦痛だとは思わなかった。今いる場所が薄暗く冷たい場所だとは理解できるが、それがどこかまでは考えない。ただ聞こえているのは男女の声。それもあえぐような声だった。ぼんやりする視界。見えているのは台のようなものの上で絡み合う全裸の男女。それがどういう行為なのかも考えられず、ただ無意識的に自分の姿を確認するかのように視線を落とした。ごつごつした地面の上に座り込んでいる制服姿の自分。それを見た前田風香は重い首を動かして横を見る。そこにはやはり全裸の少女がぐったりした様子で座っているのが見えた。それが同じ学年の大溝優花だと理解しつつも、彼女が何故全裸なのかまでは考えなかった。やがて目の前の男女のうち、男の方が汗にまみれた体を起こす。ぼんやりした顔をしながらその男の顔を見た風香はその人物の名を思い出した。2年生の富沢悠だ。そこである疑問がわきあがる。たしか自分は悠と仲が良かった。どうやってか、きっかけは思い出せないがかなり親しい仲になったはずだ。そんな風にその記憶を呼び覚まそうとした矢先、いつも悠から流れてきていたあのいい香りが鼻をくすぐった。


「まだ寝てなさい」


聞き覚えがあるようなないようなその声の方に重い頭をめぐらす。黒い物体がそこにいた。いや、まるで黒い全身タイツのようなものを着込み、顔の上半分を覆う奇妙な機械も見て取れる。本来なら悲鳴を上げるのだろうが、そんな思考は働かなかった。重いまぶたが下がり、やがてその首も力なくガクンと垂れてしまった。それを見た黒ずくめの人物がマスクの下の口を吊り上げる。そのまま顔を動かして台の脇で制服に着替えている悠の方へと視線を、いや、目の部分を覆う機械の視線を向けた。


「せいぜい楽しんでおくといい。お前にも地獄を見せてやるさ」


そう呟くマスクの下の顔が醜悪に歪んでいるが、それは誰にも見ることができない状態だった。



ちょうどトレーニングを終えて帰宅途中だった明人は健司と春香からの連絡を聞いて全力で家に戻ると素早く着替え、母親に用事で健司のところへ行くと言い残して飛び出していった。基本的に放任主義である明人の家だが、それは明人がきちんとした性格をしているからでもあった。ただ、今日は明人の誕生日だけに父親が帰宅すれば豪華な夕食が待っている。そのために早く帰るように明人に告げた母親は大きなため息をついた。明人は了解と短く返事をして家を出る。そんな明人を見つつ、兄には甘い母親の言葉に紗奈はため息をついた。両親は明人に甘く、自分には厳しい。紗奈に対しては女の子ということもあって、夜の外出は禁止している。過去、苺の事件もあり、そこに関してはかなり注意をしているのだ。紗奈もそれは理解しているようで、明人の外出に関して何も思うところはない。元々家が好きな紗奈にしてみれば、親よりも怖い兄がいないほうが好き勝手できるために願ったり叶ったりの状況だ。そんな家族の思惑など知らず、明人は駅へと向かって走っていた。すぐに改札を抜ければ電車が来るまでまだ結構な時間があった。舌打ちし、携帯を見る。まだ健司たちからの報告はない。時刻は6時55分。このとき、健司と春香は校門前に着いたばかりだった。私服のままだが、健司は春香を伴って校舎に入る。昇降口に生徒の姿はない。まだ失踪の連絡が入っていないのか、校内は静かなものだ。だが、その静けさが気にもなる。様子を探りに春香が職員室へと向かおうとした矢先、何人かの声が近づいてきたために私服の健司は昇降口を出たところに身を隠した。春香は靴を履き替えているふりをする。すると姿を現したのは3人の教師だった。


「君、そろそろ下校時間だろ?」

「あ、はい、今帰るところです」

「早く帰りなさい」


どこか緊張感を漂わせながら初老の教師がそう言った。頭を下げつつ残りの教師に目をやれば、3年生の下駄箱の前でなにやらひそひそと話をしていた。やはり事件の一報は入っている、そう睨んだ春香はとぼけた顔をしつつ老教師に問いかけた。


「何かあったんですか?」

「別になにもない。早く帰りなさい、気をつけて」


まるでさっさとここから消えなさいと言わんばかりの口調だった。そう言われた春香が、はいと返事をしつつもう一度そっちへ視線をやれば、教師の1人が2年7組の下駄箱前に立って何かを調べているような素振りを見せていた。それを見て、やはり涼子だけでなく3年生も失踪したのだと確信した春香はそそくさと昇降口を出ると校門へと向かった。健司は闇に紛れて既に校門を出ている。老教師はそれをずっと見ていたが、春香が門をくぐったのを確認するとため息をついて2人の方へと体を向けた。


「どうだ?」

「確かにないです。靴も、上履きも」

「校内にはいないみたいですし・・・また、かも」


その言葉に深いため息をつく老教師は困った顔をして腕を組んだ。前回は1人ずつ、違う日にちで2人が消えた。だが今回は一気に3人だ。幽霊の仕業か、本当に神隠しか。


「しかし、上履きもないってのが引っかかりますね」

「校内なのか、そうじゃないのか・・・けど、これでまた騒ぎは大きくなりますね」


2人は顔を見合わせると苦い顔をした。また父兄に怒鳴られるのが容易に想像できるからだ。


「もうすぐ警察も来るが・・・やっかいなことだよ」


そうつぶやく老教師は天井を見上げた。もうすぐ定年というこの時になってこの事件だ。人生というものを考えさせられる事件にため息しかでない老教師だった。



明人からのメールが届いたときはちょうど歩の家の前に来たところだった。携帯を見て顔色を変えた京也に詰め寄る歩もまたその内容に顔を青ざめさせた。まさかの3人同時の失踪はまさに予想外だ。ついさっきまで数学準備室でのことを話していただけに、京也にとっても歩にとってもそれはかなりの衝撃をもたらした。


「3人って・・・本当なんですかね?」

「わからない。けど、もし本当なら・・・校内で3人が消えたのなら、犯人は確実に複数だ」


その言葉に頷く歩は何かを考えるようにする京也を見ていた。京也は考えに没頭していて歩の視線には気づいていない。


「個人的には先生が怪しいと思ってたんだけど、もしかしたら生徒も犯人の仲間かも」

「生徒、ですか?」

「あくまで勘だけど」


根拠がないため、そう言って薄く笑う京也だったが、歩はその言葉を信じられる気がした。それは単純に京也のことを好きだからではない。言葉にできない何かが京也に賛同しているのだ。


「とにかく、早く帰ったほうがいい」


家は目の前だが、京也はそう言うと歩に微笑んだ。


「詳しいことが分かったら連絡するからね」

「はい。今日もありがとうございました。おやすみなさい」

「うん。じゃぁね」


歩は手を振ると門を開けて自転車を入れ、再度京也に手を振ってから家の中に入る。名残惜しいが仕方がない。恋人同士ならば別れのキスでもするのだろうが、今の2人はそういう関係ではない。歩は玄関を上がるとそのまま自室へと向かった。一方、京也は自転車を漕ぎながら考え事をしていた。それは千石のことだ。これも勘だが、京也は千石がこの事件に深く関わっていると思っていた。それは明人のように犯人側と捜査側の両方の観点からの容疑者ではなく、完全に犯人側で関わっているという点が決定的に違っている。時折感じる千石からの気。それは百零が時折見せていた鋭い殺気のようなものに似ていたからだ。そのせいか千石が普通の人間でないような感じもしていたのだ。だが、今日は千石は学会に出張で昼からは学校にいない。逆に言えば、仲間に誘拐を任せて自分はアリバイ作りとして出張の日を選んだのかもしれないとも考えられる。それに、校内側に仲間を、坑道側に自分が回れば複数だろうがさらうことは可能だ。だが、その場合は千石の立場が一番危うくはなる。学会が終わり、こちらにすぐに戻る。その足で坑道に向かうとなるとアリバイが崩れてしまうからだ。出張後の足取りで容疑にかけられる可能性も高い。その辺を根本的に考え直さないといけない今回の事件発生に、京也は何かしらの異様な雰囲気を感じ取っていた。それは自分が忌み嫌う人殺しの血がそうせているのかもしれない。夜の裏山で犯人が出した技。あれは千年前に生み出された暗殺術で間違いない。伯父の家にあった文献に記されたその技は、理論的に身体能力だけを駆使して最低限の力を利用した技とされている。極限まで体を鍛える。それも頭の先から足の先まですべての部分を鍛えるのだ。そうしてその肉体を研ぎ澄まし、武器に変える。人差し指から腕の付け根まで、すべての骨と筋肉を上手く動かして一本の槍とする技があの突きの正体だ。1ミリの狂いもなく指先にすべての力が集中するようにしてみせるそんな芸当は他にない。もし千石がその技をマスターした人間なら、鍛え上げられた体が服の下にあるはずだ。だが学校で着替えることもない数学教師だけに、それを調べることはできない。強引にすることは出来るが、もし犯人でないならば問題行為にされてしまい、逆に犯人であればそこで反撃を受ける可能性もある。とにかく、千石が犯人であろうとなかろうと、その技をマスターした者が犯人である以上、へたな動きは見せられないのだ。自分に力があればと思う京也は、それは自分の考え方と生き方を否定するものとなることに自嘲する。自分は木戸無双流を継がない、次の世代に残すつもりもない。だが、この事件があってからもう少し技が使えればと思うことがあった。いや、犯人があの技を使わなければそうは思わなかっただろう。事件と自分との関係部分に思考が働いたことに苦笑しつつ、京也もまた自宅へと向かわずに学校へと進路を取るのだった。



春香からのメールが来るまでは机の上に置かれた明人への誕生日プレゼントを見て微笑んでいた苺だった。今日は明人の誕生日、あとで明人の家にこれを届けるはずだった。苺としては明人のトレーニングを待ってから行動するはずだったのだが、このメールで一変してしまった。あわてて明人に電話をするが繋がらない。おそらく明人はもう動いている、そう直感した苺は大きなため息をついた。そのため夕食もそこそこに入浴し、部屋で寝転がる。せっかくの誕生日なのにと犯人を恨むが、こればかりはどうしようもなかった。そしてそれは春香も同じだった。家には明人のために用意したプレゼントが置いてある。学校で渡すのもどこか恥ずかしく、あえて家に置いてきたのだ。明日にでも渡せばいいと思っていたが、この事件で明日がどうなるかもわからない。明日は健司と一緒に坑道に行くはずだった明人だが、これでそれも不可能になるだろう。健司にお願いして夕方でもいいから会おうと考えていただけに、春香にとっては涼子の失踪に加えてのショックだった。結局、駅で明人と合流したが、学校では手掛かりはなく、あちこち連絡した春香の得た情報も同じだった。3人がいなくなったことしか分からない。それも校内か校外かも分からないという状況だった。とにかく明日の坑道行きは中止し、涼子の友達から話を聞くことに決めた明人は春香に頼んで友人たちを集めてもらうことにした。明人の名前を出せば友人たちは皆賛同し、明日春香の家に集合と決まる。健司が春香を送っていくのを見届けた明人は駅へ向かいつつ頭の中で推理をしていった。何故今回は3人同時なのか、何故今回は上履きや靴までもなくなっているのか。何かの工作か、あるいは別の事情があったからか。ぼんやり考え事をしながら電車を降りて家へと向かう。今の情報だけでは考えはまとまらずため息をついて前を見れば、家の前に苺が立っているのが見えた。時間は午後8時。この辺りは明るいとはいえ、女の子1人でいることはそれなりに危険だ。明人はそう思いながらも無表情で苺の前に立った。


「こんな時間に外に出てたら危険だぞ」

「あ、うん・・・でも、どうしても会いたくて」


困ったような笑顔を見せる苺に対し、明人の心が何故か揺れ動く。それでもそれを顔に出さず、明人はじっと苺を見つめた。


「これ、誕生日おめでとう」


背中に隠し持っていたプレゼントを差し出す苺に、明人は表情を緩めた。今日が自分の誕生日であることは知っていた。朝、紗奈からお菓子のプレゼントを貰ったからだ。だが、事件が発覚してからはすっかりそれを忘れていたこともあって、明人は少しホッとしたのが正直なところだった。


「ありがとう」

「ううん」

「いや、プレゼントのことだけじゃない」

「え?」


言葉の意味が分からない苺が首を傾げる。そんな苺を見て小さく微笑んだ明人は事件のことでナーバスになっていた心をほぐしてくれたことに関しても礼を言ったことは口にしなかった。


「大事に使う」

「うん!」


そう言われただけで嬉しかった。毎年のことだが、毎年嫌がらずにこうして受け取ってくれる。毎年同じように一緒にプレゼントを買いに行ってくれることも嬉しかった。何も変わらない関係がここにある。進展させたいけれど、それもどこか怖い。もう一度告白してまた振られたら、こういうことさえ出来なくなる気がしていたからだ。嬉しそうに微笑む苺を見ていた明人はここ最近の自分の心に戸惑っていた。


「じゃぁ、私帰るね」


用事は済んだ。明人はこれから家で夕食を取るのだろう。そう思っての言葉だった。ついさっきここで明人の父親とも会っている。そのため、手を振ってその場を立ち去ろうとした矢先、不意に腕を掴まれた。驚く苺が明人を見ようとした矢先、ありえない状態になったために軽いパニックを起こしてしまった。


「え?なにっ!どうしたの?」


抱きしめられていた。そう、苺は真正面から明人に抱きしめられていたのだ。こんなことは初めてのことだ。心臓が早鐘を打ち、体中の血液が恐るべきスピードで駆け巡る。なのに思考は働かない。されるがままの苺がどうしていいかわからずに固まっていると、耳元で優しい声がした。


「ありがとう・・・苺、いつもありがとう」


あの事件、幼い自分が襲われたあの事件以来、明人は心を表に出さなくなった。表情も声色も変わらない鋼鉄の男になった。明人も人間だけに笑いもするし怒りもする。だが、みんながするような大きな感情の変化を表現しなくなっていた。だが、今聞こえた声には感情が溢れていた。好きな人に抱きしめられている状況が生んだ錯覚かもしれない。だが、今の明人の声には確かに愛情が込められていた。


「そんなにお礼を言われる覚え、ないよ?」

「・・・そうだな、でも、言いたかった」


そう言うと明人は苺から離れた。顔を真っ赤にした苺が明人を見ると、小さく微笑んだ顔をしている。いつもの明人ではない、そんな気がしたがどこか懐かしい感じもする。


「じゃ、もう行け」


口調はいつもの冷たいものに戻ったが、表情は和らいだままだ。苺は何も言わずにうなずくと手を振って玄関に消えた。ドアを閉め、そこにもたれかかる。何がどうなってああなったのかはわからない。ただ、胸のドキドキはまだはっきりと残っている。明人の体温も、そのたくましい体つきの感触もはっきりと。1人夜道に残された明人は薄い雲の向こうにある月を見上げていた。さっきのは自分でも戸惑う行動だった。抑えていたものが溢れ出た、そんな感情によって体が動かされた結果だった。自分で自分の行動に戸惑いつつも満足感を感じていた。


「心が体を動かした結果、か」


誰に言うでもなく無表情でそう言うと、苺がくれたプレゼントを見つめた。中身が分かっているとはいえ、やはり嬉しい。そのプレゼントを手に門をくぐり、玄関のドアに手をかける。こういう気持ちは今だけにしておこうと心に固く誓い、苺を抱きしめたときの気持ちを打ち消してからドアを開く。最近、どうにも自分の感情をコントロールできていない気がする。苺が健司と2人きりで遊びにいったせいか、京也と歩の影響を受けているのかはわからない。それでも、これまでずっと押さえてきた感情が前へと出てこようとするのを止められない感じがしていた。何より、ずっと無視してきた心の声が大きくなってきたような気がする。だが、鉄の意志で再度それを封じ込める。これまで同様、苺とは幼馴染の線を越えないように。自分の目標を再確認し、それから玄関の戸をくぐるのだった。

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