揺らぐ気持ち 2
携帯を握ったまま、もう既に1時間は経過しようとしている。平常どおり部活があったとはいえ、午後7時には完全下校になっているためにいつもより帰宅が早く、その分夕食も早く終えられた春香は風呂にも入らず自室にこもっていた。健司はちゃんと苺を誘うことができた。それも明人の目の前で。それが羨ましくもあり、凄いとも思えた。自分も同じ日に明人を誘えばいいだけの話だが、十中八九断られるのが分かっているだけに怖いのが正直なところだ。だが、関係を進めたいという気持ちが若干勝っている。春香は覚悟を決め、明人の携帯番号を表示させると一呼吸置いてから通話ボタンを押した。コール音と自分の心臓の音がシンクロしない。ゆっくりめのコール音、早鐘を打つ鼓動。そのコール音は数回で終わった。その後、一瞬の間を置いて聞こえてきたのは冷たい鋼鉄のような声。それは間違いなく明人の声だった。
『もしもし、今井か?』
「あ、うん・・・こんばんは。今、いいかな?」
意外と普段のまま話ができている自分に満足しつつも緊張感は増している。
『どうした?』
その緊張が電話の向こうの明人に伝わったのか、明人の声色がさらに鋭くなるのを感じた。そんな明人に怯えつつ、春香はありったけの勇気を振り絞っていつものような口調で誘いをかけることにした。
「あ、うん、別に用ってほどじゃないんだけどさ。4日、苺も健司も出かけるし、こっちは暇だし。で、どうせなら遊びに行かないかなぁ・・・・ってさ」
ドキドキしながらも普通に言えた。そう思っている春香だが、明人からの返事はない。何かを考えているのか、しばらくの無音が続いた。
『行きたいところでもあるのか?』
てっきり断られると思っていたのだが、この返事は頭の中で何度も行った『もしもシミュレーション』で明人が言った台詞と同じだ。なら、それに答える返事も決まっている。
「あ、うん・・・映画とか、見たい映画があってさ、それで1人で行くのもアレだし、他の友達はみんな予定あるしで・・・」
『なんて映画だ?』
「えーと・・・『南風』っていう・・・」
『赤瀬未来を題材にしたとかいうアレか?』
明人はそんな映画などに興味がないと思っていたが、意外と食いついてきたことに驚く。
「そ、そう。ほら、7年前に電撃引退したあの赤瀬未来の自叙伝やつ」
『別にいいぞ』
「ホント!?じゃ、じゃあ、どうしよう?待ち合わせとか、時間とか・・・」
『何時の映画があるのかを調べる必要があるな。またメールでもしてくれればいい』
「あ、うん、わかった。じゃぁ、調べたら連絡するね?」
『わかった』
「じゃぁ、ね」
『ああ』
その言葉を最後に電話は終了した。震える手で電話をベッドに置き、深い深いため息をつく。断られずにすんだが、逆にとんとん拍子で話が進んだことの方が驚きだった。ドキドキも今では少しは落ち着き、春香は冷静に明人にデートの約束を取り付けたことにホッとしていた。あとは映画の時間と場所を決めればその日を待つだけだ。あわてて映画をチェックすべくスマホでネットをつなげようとしたが、その前にまず健司に報告しようとメールを打つ。明人を映画に誘ったこと、そしてOKされたことを簡潔に書いて送信すれば、すぐさま返事が飛んできた。
『やるじゃん!楽しんでこいよ!こっちはボウリングだぜ!お互い報告忘れないようにしないとな』
健司らしい返事に微笑みつつ、お互いに頑張ろうと返信した。とりあえず一歩前進したことは間違いない。もちろん、告白するのはまだまだ先のことになるが。健司と苺の仲が進展しない限り、それは出来ないことも理解している。勢いに任せて告白をするようなヘマだけはしない。そう心に固く思う春香は背伸びを一つすると鼻歌を歌いながら風呂へと向かうのだった。
*
紀子の家のマンションはかなり広めのものである。リビングも広く、紀子の個室や親の寝室、客間までゆったりとしたスペースが設けられていた。なにより風呂場も浴槽を含めて全体的に広く、1人で入るにはかなりゆとりのある空間になっていた。そのためか、泊まりにくるといつも一緒にお風呂に入ろうとする苺に困る紀子だったが、結局はいつも2人で入っている結果に苦笑するのだった。今日も今日とて、夕食の後片付けをしたあとは一緒にお風呂に入っている。既に全部を洗い終えた紀子が湯船に浸かりつつ浴槽に両手をついて髪の毛を洗っている苺を眺めていた。
「しっかし、童顔なのにその胸って、反則だと思うな」
ごしごしと頭を洗うべく手を動かすたびに揺れる大きな胸を見つつそう言う紀子に、苺は目だけをそちらへと向けた。
「えー?紀ちゃんだって大きいでしょ?」
「あんたみたいな大きさはないけどね」
「似たようなもんだよ」
「それだけ男の人に受けそうな容姿をしてるのに、戸口君は何の反応もないって・・・」
ため息をついて向きを変えた紀子は一旦あごまで浸かるようにしてがら顔を天井に向けた。目一杯足を伸ばすことができる浴槽はかなり大きい。
「まぁ、兄妹みたいな感覚だからだと思うよ」
そう言うとシャワーを使って頭の泡を洗い流しにかかる。そんな苺へと顔を向けた紀子はそれだけではないと思っていた。明人は苺を1人の女性として意識している、そう感じることがあった。直感的なもので根拠もない。それでも、それがただの幼馴染だという感覚ではなく、むしろ好意を持っているような感覚である気がしていたのだ。だが、明人はあえてそれを隠している。理由はわからないが自分の気持ちにも嘘をついてその想いを隠してしまっている、そう感じていたのだ。
「紀ちゃんだって、木戸君からそういう目で見られているの?」
「え?」
突然出た京也の名前に驚くが、考えるまでもなくそれは否定できる。
「んー、ないよ。木戸君からそういう目で見られたって感じることはないなぁ」
「じゃぁ一緒じゃん」
それとこれは違うでしょと言いたいが、紀子は返事をしなかった。学校ではよく明人との仲を噂されることが多い。キューティ3のトップとPGの組み合わせが自然に思えるのも分かる。けれど、実際は紀子と明人の面識はほとんどない。苺を介して話すことはあっても個人で会うことなどなかった。対して京也とはほとんど毎日のように屋上で会うが、こちらは何故か噂になったこともない。京也の容姿がボサボサ頭にめがねだというのも大きいのだろうが、そういう噂のいい加減なところが紀子が嫌う最たるものだった。京也の人柄は紀子にとって心地がいいと思える。人の言うことに深読みはしないところや、笑っていながらも的確な返答を返すところも。何より持っている雰囲気が紀子が小学生の頃に出会ったある人物によく似ているからかもしれない。
「でも木戸君って凄いよね。歩ちゃんに好かれて紀ちゃんと友達、風見さんにまで興味を持たれてさ」
「そうね。でも、風見さんのはよくわからないけど、一枝さんは木戸君を好きになって正解だと思う」
髪を流し終えた苺がコンディショナーを手に取りつつ、今の言葉の意味を探るべく紀子を見た。紀子は湯船から出ると浴槽に腰掛ける。
「だってさ、木戸君、すごくいい人だと思うしさ」
「なのに紀ちゃんは好きにならないんだね?一緒にいること多いのに」
「私には、もっといい人が未来で待ってるからね」
そう言って微笑む紀子に向かって苺は表情を曇らせて小首を傾げた。時折紀子はこういった乙女的な発言をする。似合わないとまでは言わないが、紀子のキャラではないと思う。
「紀ちゃんのそれ、本気で言ってる?」
「うん。本気!」
「どれぐらい未来で待ってるわけ?」
嫌味で言っているのではない。ただどこまで紀子が本気でそれを言っているのかを知りたいのだ。
「3年ぐらい先?かなぁ?」
「意外と近いんだね・・・・」
どこか呆れたような口調だが、顔は笑っていた。苺は髪を流しにかかり、紀子はそんな苺を見て優しい笑みを浮かべていた。思い浮かべるその人の顔。7年前の夏に起こった、通常では絶対にありえないその出会い。時を超えて再びその人に出会う、決められたその未来が待ち遠しい。
「紀ちゃんは明後日とか、予定あるの?」
髪を流し終えた苺が顔を拭きながらそう尋ねる。紀子は湯船に浸かりながらその質問に頷いて返した。
「知り合いのおじさんの家に遊びにね」
「あー、大学教授の?」
「そう」
「そっか」
何度か聞いているその大学教授のおじさんは紀子の身内ではないがよくしてもらっている人だと聞いている。それだけに納得した様子の苺も湯船に入り、対面する形で体を沈める。こうして2人が向かい合って入っても十分な広さの湯船が羨ましいと思う苺。
「苺は?」
「私は健司君とボウリング、ぐらいかなぁ」
「へぇ、2人で?」
「そうだよ」
笑う苺に笑みを返すが、心の中ではいよいよ健司が動きをみせたかと思っていた。社交的な健司とはよく話すことがある紀子だが、それでも他愛ない会話を少しする程度でしかない。そんな健司が苺に想いを寄せているのを見抜いていた紀子にしてみれば、ようやく動きを見せた健司に少し感心していた。苺が明人を好きなのは誰もが知っている事実だ。過去に振られようともずっと好きでいる苺の想いがむくわれるかどうかはわからない。そんな苺の心をよく知っていながらも苺を好きになった健司がどう動くのかは気になっていたところだ。ここへきてようやくアプローチをかけ出した健司にどういった心境の変化があったかはわからないが、とにかく今の仲良し5人組に動きが出ることだけは確かだと思えた。そう考えてぼんやりしている自分の胸を突然鷲掴みにする苺に思わず奇声を発してしまった紀子が胸をブロックにいくが、苺の手は離れなかった。
「もう、ちょっと、止めてって!」
「んんー!ふかふかしてて気持ちいい!」
「あんたの方がふかふかでしょうに!」
言いながら紀子も苺の胸を掴む。健司が知れば悶絶必至の情景が繰り広げられる浴室にこだまする声はマンションの廊下まで響いていることに気づかない2人だった。
*
ゴールデンウィーク本番の3連休が始まり、列島各地では混雑が起こり、いつものように高速道路の渋滞の様子がテレビに映し出されていた。行楽地はどこもいっぱいで、場所によっては入場制限がかけられている場所もあった。連休は全て天気もよく、暑いくらいの陽気になっている。各々が3日の日を過ごした翌日の5月4日。この日は健司と苺のデート、そして明人と春香のデートの日でもあった。健司と出かける苺は駅で待ち合わせをし、ボウリングということもあって動きやすい服を選んでいた。本来ワンピースがお気に入りの苺だが、今日はピンクのポロシャツにジーンズという格好で出かけた。そもそもただ健司と遊ぶという感覚の苺にしてみれば、これがデートだという自覚はない。なのでどこかお洒落にも気を使っていなかった。そんな苺が駅に行けば、やや黒味がかったのスラックスにシャツ姿の健司が立っていた。首元にはシルバーのアクセサリーも光っている。イケメンだけにこういった格好も似合う健司に周囲の女性も注目しているが、健司の目には苺しか映っていない。思ったよりもラフな格好の苺に驚いたが、それでも最初はこんなもんかと納得する。何よりこういう格好の苺もまた可愛いと思えたし、何よりもデートをするということに舞い上がっているからだ。
「おはよう!いやぁ、今日も可愛いよ苺ちゃん」
いつもの健司に笑顔を見せる苺は健司君もかっこいいねと返す。そのまま電車に乗って4駅向こうに行けばそれなりの繁華街があり、そこには大きなボウリング場があった。建屋全てがアミューズメント施設となったそこはボウリング場のみならずカラオケやビリヤードもあり、若者の人気スポットにもなっている場所だった。とりあえず電車に乗れば、連休だということもあってカップルや親子連れで混雑していた。幸い座ることができた2人は健司のリードで会話を進めていく。
「昨日はどうだったの?」
「うん、楽しかった。いっぱいおしゃべりもできたし」
「何の話してんの?」
「なんだろ・・・んー、なんかいろいろ」
「盛りだくさんってわけね」
「わけだ」
そう言って笑いあう。正直紀子とどういう話をしているかは興味あったが、そんなことを深く突っ込んでも仕方がない。健司にしてみればそれはただの話題であり、会話を退屈させないためのものでしかない、はずだった。次の言葉を聞くまでは。
「一緒にお風呂入ったりして、わいわい騒いで凄く楽しかった」
「一緒に?お風呂?」
想像と妄想が健司の頭の中を埋めていく。そのせいか、表情も緩み始めていた。
「うん。紀ちゃんと胸の揉み合いっこして、もうきゃーきゃー騒いだんだ」
「ももももも・・・・も、も、も、揉み合い?」
思わずポロシャツの上からでもわかるその大きな胸に目がいってしまう。知っている限り紀子も結構な大きさの胸をしているためか、健司の妄想はマックスレベルに達していた。
「健司君?」
「あ?え?」
「・・・・視線が、危ないよ」
冷たい目をした苺にそう言われ、健司はだらけきった表情を引き締めると咳払いをして前を向く。立っている人たちにも冷たい目をされていることに気づくが、健司はそれをあえて無視した。
「だってさ、苺ちゃんがこう、そういうこと言うからさぁ」
「それもそうか」
そう言って笑う苺に心底ホッとしつつ健司も笑い返した。こういうところはサバサバしているというか、天然要素が入っているというか、助かる部分ではあった。これが春香であったならば拳か肘が飛んできているところだと思う。そんなこんなで会話も弾み、やがて電車は目当ての駅に着く。電車を降りればすぐ目の前が大手デパートになっていて、少し離れた場所にボウリング場があった。とりあえずゆっくりした歩調でそこへと向かう。先にお昼でもと思っていた健司がそれまでの時間つぶしでゲームセンターへと誘えば、苺もそれに賛同した。7階建ての建屋の中はボウリング場が5階から7階まで、ゲームセンターが3階、4階を占め、ビリヤード場が2階でカラオケとファーストフード店が1階となっている。まずは3階のビデオゲームコーナーとメダルゲームコーナーが一緒になった場所でエレベーターを降りた。早速2人でできるゲームを探す健司。出来れば密着できるようなゲームがあれば最高だと思っていた矢先、その肩を後ろからポンポンと叩かれた。苺だと思って勢いよく振り返れば、人差し指らしきものがその右頬にめりこんだ。あまりに勢いよく振り返ったためにかなりの痛みが駆け抜けたが、それよりもショックなことに気づいたせいかその痛みもすぐに消えた。
「やあ健司!いやいやぁ、まさかのツーショットに、お姉さんはもうびっくりだよ!」
長い黒髪に苺に比べてやや細い感じ目、そしてその口調。それは間違いなく中学時代によくつるんでいた悪友であり、健司にとってはこういう状況で会いたくない人物ナンバーワンの椎名茂美であった。
「し、椎名・・・・・お前・・・・なんで?」
その言葉に微笑む茂美に微笑み返す苺に対し、あからさまなな動揺を見せる健司。そんな健司を見てニヤリと笑った茂美の顔は獲物を捕らえた猛獣のような光をその目にたたえていた。




