電脳世界で青春を part3
「しかし、クラス長がまだインされてないとなると、やる事に困りますね」
コウはプレイ歴で言えば先輩であろうソングに苦笑いでそう言った。
ソングは「それは困った」とすぐにも言い出しそうな顔で、顎に手を当て「うーん……」と考え込む。
時が経つ事2分。
ソングは「あっ、そうだ!」と言いながら、思いついた仕草を取って、その声で驚いたコウに提案した。
「私、午後からは予定があって落ちてしまいますが、それまで校内を案内しましょうか?」
それはコウにとって好都合な提案だった。
クラス長がインするまでやることはないし、かといってこのまま落ちてしまうのも早起きした意味が無くなってしまう。
ましてや、まだ右も左もわからない校舎内を案内してもらえるというのは、今後の事を考えればありがたいことだ。
「本当ですか? では、お言葉に甘えてお願いします」
「わかりました! 私について来てください!」
初対面の印象からいうと、ソングはあまり頼ってはいけないような人種だとコウは思ったが「案内くらいなら校舎内を把握している人間ではあれば誰でも出来るだろう」と判断し、素直について行くことにした。
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スチューデンツ・オンラインの運営には、文部科学省が一枚噛んでいる。
というのは、2034年になった今でもせっかく受験を受けて合格し、入学を果たしたというのにも関わらず、不登校になってしまう生徒がいるからだ。
それは高校生だけでなく、むしろ義務教育である小・中学生の方がもっと謙虚に不登校である児童・生徒は多い。
そこで、この問題に対し「環境を変えてみたらどうか?」という声があった。
しかし「環境を変える」というのは、一般的に言うと転校を意味する。高校はともかくとして、義務教育となれば引越し、もしくは送迎が必要となり、家庭側から言わせれば簡単に出来ることではない。
では、現実世界でなく「ネット上」ならどうだろうか?
ブレイン・ウォーカー自体を買うのは決して安い買い物ではないが、それでも引越しをするよりかは遥かに安く済む。
学校とは、学業でなく人とのコミュニケーションを学ぶ場ではあるが、学校へ行けなければ元も子もない。
そこで文部科学省は、スチューデンツ・オンラインを利用することで、不登校の児童・生徒にも教育を受させようと考えたのだ。
そしてこの提案にはもう1つ良い点がある。
それは、スチューデンツ・オンラインが定年を迎えた先生の再就職先となったことだ。
不登校となった児童・生徒に対し、教育を受けさせる為には当然、教員免許を持った先生が必須となる。
そこで、年金を取得できる年齢が高くなっている一方で、定年を迎える歳が変わらないことが1つの社会問題となっているのを踏まえ、一線から身を引いた先生をスチューデンツ・オンラインにおける先生として迎え入れようと考えた。
そうすることで、贅沢は出来ないが最低限生活できるほどの収入を定年後に得られるようになったのだ。
ただし、定年を迎えた先生の全員がこの職に就けるというわけではないが……。
ちなみに、スチューデンツ・オンラインのこういった利点は既にニュースで報道されており、スチューデンツ・オンラインを知っている人にとっては、常識のようなものだ。
だからソングはもちろん、コウも知っている。
しかし、コウにとって不可解なことがあった。
本日は土曜日。義務教育にせよ、高等教育にせよ休みで、授業はないはず。
だが、騒がしい教室がある一方で、人がいるにも関わらず、静かな教室があったのだ。
「ソングさん。なんであの教室は静かなんですかね?」
「あれはですね、きっと授業をしているんだと思います」
「え? でも今日は土曜日……」
「生徒の中には、もう1度勉強をしたいと思う人もいるんですよ」
「ああ、なるほど……」
勉強が好きではないコウにとって、気持ちが全くわかるものではなかった。無論、ソングもだが。
しかし、それはコウやソングはある程度真面目に勉学に励んだ結果であって、学生時代に勉学を怠った人は「あの時、しっかり勉強していればな」と後悔する人もいる。
このゲームには、そういった人達に、もう1度勉強をする機会が与えられるよう「予約制授業」というものがある。
「予約制授業」とはその名の通り、予め授業を予約しておくシステムだ。基本的には、予約したい日の1週間前に、勉強したい教科を教えられる先生に、日時と単元を電子申請で予約することで授業を受けられるようになっている。
もちろん、わかりやすくて人気な先生はもっと早くに予約を取らないといけないということもあるので、注意が必要だ。
では何故、このシステムをコウが知らなかったのかというと、このシステムはあまり推奨されておらず、コウだけでなく新入生なら知らなくて当然なのだ。
運営の視点から言うなれば、土日という休日にも関わらず、予約が入った先生は仕事をしなければならなくなり、その先生に対して支払う報酬(休日手当)が増えてしまう……ということだが、生徒がそんなことを知る由もない。
「ソングさんは、予約制授業を使ったことあるんですか?」
「ありませんよ? 私、勉強はあまり好きではないものですから……」
「あっ、そうなんですか。ちなみに、他の生徒は休日に登校して何をしているんですか?」
「うーん、そうですね……。大体は部活だったりですが、普通に教室で駄弁る人もいます」
「へえ……」
「部活の様子も見に行ってみますか?」
「そうですね、少し気になります」
「ではグラウンドへ行きましょう」
「えっ、グラウンドなんてあるんですか?」
「もちろんです! だってここは学校……ですからね!」
「なるほど」
コウとソングは、近くにあった階段を下り、下駄箱でわざわざ上履きに履き替えてから校庭へと出た。
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「……綺麗なのはわかりましたが、この景色は結構腹立たしいですね」
グラウンドへ行く前に、ソングは校庭を案内した。
現実的に言えば、プログラムで管理されているため、校庭が汚れることはない。そうとわかっていても、綺麗な校庭を見てコウは感心した。
上履きに履き替えて玄関を出ると、そこには季節を感じさせる紅葉と、こまめに手入れされているように見える池。更に、生徒同士が仲良く話したり出来るような屋根付きのスペースまで用意されている。
コウ自身、学生時代に考えもしなかった憩いの場となり得るであろう校庭がそこにあった。
が、しかし。青春には恋愛が付き物だ。
恋愛も青春時代を楽しく過ごす為の大事な要素であることは間違いないのだが、屋根付きのスペースにいたのがカップルばかりだったことはコウにとって面白くなかった。
「コウさんはあまりこういうの、お好きではないんですか?」
「嫌いですね。別に、恋をして付き合うこと自体に異論はありませんが、だからと言って人に見せるものでもないでしょう」
「わ、私は嫌いではないです。……けど」
「けど?」
「人に見せるものではない。……というのは同感かもしれません」
2人は困ったような笑みを交換した。
しかし、側から見ればコウとソングも校庭に訪れたカップルにしか見えないことに、2人は愚かにも気付いていなかった。
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校庭には、別の場所へ続く道が4つある。
1つは、コウとソングが目的地としている「部活エリア」
2つ目に、体育の授業のみで使用される場所「体育エリア」
3つ目に、校外へ出る為の校門がある「出入口エリア」
そして最後に、農芸や園芸に使ったり、生物学で植物を観察する為の場所「植物栽培エリア」
それぞれ間違えないよう、しっかり看板が付いているので、コウとソングも間違えずに「部活エリア」へ続く道へ向かった。
部活エリアには、野球部が使うグラウンドや、サッカー部が使う芝生のコート等の場所や、部活で使う道具が置いてある倉庫もある。
また、グラウンドやコートには、試合を観戦できるように観戦スペースも設けられている。
コウはあくまで見学のつもりで来たので、観客ゾーンから野球部の練習を見ていた。……というより「眺めていた」というのが正しいかもしれない。
「…………」
「随分、熱心に見てますね」
「小学校の頃、少年野球をやっていたんですよ。それ以降は全く野球をやっていませんが」
「どの部活も新入部員を募集していますから、これを機にまたやってみたらどうですか?」
「いや」
コウは目を瞑って首を横に振り、言葉を続ける。
「少年野球をやっていた経験があっても、俺はスポーツ自体があまり好きではありません。……スポーツというより、集団で何かをするというのが嫌いなだけかもしれませんが」
この発言にソングは苦笑いするしかなかったが、コウは更に言葉を続けた。
「だから俺は、中学・高校で部活をやりませんでした。そのことは今も後悔していないんです」
そして沈黙が流れる。今度の発言にソングはリアクションを取らなかった。
「……次、行きましょうか?」
「そうですね。すみません、なんか変な空気にしてしまって……」
「いえいえ! 大丈夫ですよ!」
ソングは再び歩き出し、次の目的地である「体育エリア」へ向かうことにした。
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体育エリアには、普通のグラウンドにサッカーゴールが2つあっただけだった。
激しい運動をすれば地面に靴裏の跡が付くが、あくまでゲームなので跡が付かないようになっている。
現実世界で言えば、使用したら綺麗に整えるのが1番気持ちの良い使い方となるが、ゲーム上でそこまで再現するには容量が大きくなってしまうし、再現したところで整えない人も必ず現れることが予想される為、そういった手間のかかることは省かれている。
部活エリアには、部活動をしている生徒がいたが、土曜日で授業がないので、体育エリアにいるのはコウとソングの2人だけだった。
「授業の内容だったり、時期によっては短距離走や長距離走が出来るように線が引かれたりするんですよ」
「へぇ……そうなんですか!」
「平日は授業でなかなか入れる場所ではありません。体育はとても人気ですからね!」
「……座学は休日でも予約制授業を受ける人がいるのに、体育はいないんですね」
「体育だけは他の授業とルールが少し異なっていて、体育は完全予約制なんです!」
「完全予約制?」
体育には、他の科目と大きく異なる点が2つある。
1つは「完全予約制」であること。
他の科目は「予約制授業」を使って、自分が学びたい内容を予約することが出来るが、体育にはできないようになっている。
体育の授業は、他の科目と同様に「この日、この時間に、この内容の授業をする」というのが決まっているが、体育の授業を受けるためには、その決まった授業に参加希望を送るしか受けられる方法が無い。
2つ目は「体育に参加しても、義務教育を受けたことにはならない」ということ。
体育というのは、健やかな日々を過ごす為に必要な運動とともに、人体の仕組みを学ぶ教科だ。
しかし、ブレイン・ウォーカーはコピーした脳を用いて、自分の脳とインターネットが情報のやり取りをしているに過ぎないため、スチューデンツ・オンラインで体育を受けても、実際の体は動かせていない。
あくまで「体を動かした気」になるだけなのだ。それで「体育」と称して良いのかどうかは曖昧なところだが、そんな些細なことを気にする生徒は今のところ現れていない。
「体育はすごく人気な授業ですから、予約取るのが大変なんですよ」
「確かに体育は楽しいですからね。……まあ、内容によりますが」
「そうですね! 私もバドミントンとかは楽しくて好きでしたが、やっぱり長距離走は苦手でした……」
「あー……俺も長距離走は嫌だったなぁ」
2人はそれぞれ1番記憶に新しい高校生の時に走った長距離走のことを思い出していた。
とはいえ、お互い同じ意味で長距離走が苦手だったというわけではなく、コウは「単純に怠かった」ソングは「走るのが苦手だった」というのが、それぞれ長距離走に持っている感想だ。
「次は植物栽培エリアですが……」
「あー、そこはいいです。多分、植物とか育てないだろうし」
「えっ、あっ、そうですか……」
コウはソングがあからさまに残念そうにしているのがわかったが「別にいいか」とそのままにした。
これがもしも、現実世界で女性が相手なら「やっぱりお願いします」と言っていたかもしれないが、コウはネット世界と現実世界のそういった区別をきちんとつけている。
スチューデンツ・オンラインに「ネカマ」は存在しない。
ブレイン・ウォーカー初回起動時に登録される性別がそのまま引き継がれており、ブレイン・ウォーカー内に保存された脳から自身の性別をそのままキャラの性別として使われる為、スチューデンツ・オンラインに「キャラクタークリエイト」の機能はない。
つまり、ソングは現実世界でも女性。
そうとわかっていても、コウは特別優しくしたりはしない。ここはネット世界なのであって、ソングに好意を持って特別優しくしたところでコウの現実世界が劇的に変わるわけではない。むしろ「現実世界にネット世界で好きになった人がいないことに虚しさを覚えるだけだ」とコウは思っている。
それもあって、校庭で見かけたカップル達に理解が出来ず腹が立っていたのかもしれない。
「さて……とりあえず、教室に戻りますか」
「そうですね……。後はその時になって案内すればいいでしょうし……」
ソングの「残念だな感」を横で感じながら、コウは教室に向かって歩き出した」
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教室に戻るには、下駄箱で下履きから上履きに履き替えてから、2年生の教室がある2階まで上っていなければならない。
既にコウはソングとともに上履きに履き替え、階段を上ろうとしていた。
すると、コウが階段を上ろうとした足を止めるので、ソングは「どうかしましたか?」と尋ねた。
「いや、だってほら……」
コウは階段の上った先をチラ見するので、その視線を追って上を見ると、女子生徒が2人、階段を上っていた。
どうやら制服の着こなしはある程度アレンジが出来るらしく、その女子生徒のスカートは短めだった。
つまりコウは、階段を上る際の目のやり場に困っていたのだ。
仮に下を向いて階段を上ったとしても、先に登っている女子が、スカートの中身を覗かれていないか確認する為に、こちらを見てくるはずだ。……とコウは思っている。
そんな様子にソングは「クスッ」と笑い、先に階段を登り始める。
「あっ! ちょっ……!」
「大丈夫ですよ?」
「え……?」
ソングが標準の長さであるスカートでも、もしかしたら見えるかもしれない。というところまで登ったところで、コウは恐る恐る上を見上げる。
「ソングさん……」
「はい、なんでしょう?」
「見えませんね」
「でしょう?」
「あなたのスカートがちゃんと膝下まであるから……ですが」
「えっ、あっ、そうなんですか!? ……じゃあ、はい!」
ソングはスカートをつまみ、先程階段を上っていた女子生徒2人の短さまで持ってくる。
そんな痴女のような(?)行為にコウは急いで目をそらす。
「大丈夫ですから、上を見て下さい!」
「うーん……んん?」
標準の長さであった時よりも、慎重に上を見上げると、スカートの中身は真っ暗だった。どうやら、スカートの中身……つまり、下着のグラフィックは黒の影で塗りつぶされていた。
男であるコウにとっては、良かったような残念だったような、微妙なところだが。
それよりもだ。
「ソングさん。いくら俺に証明する為だからと言っても、あまりそのやり方は良くないかと……。幸い、俺とソングさんだけだったから良かったですが」
「そうなんですか……!? 私の時、先に始めていたクラスメイトがこうやって説明して下さったものですから……」
「…………」
「大丈夫なのか? あのクラス」というのがコウの感想だが、短く溜息を吐いてソングのいるところまで階段を上った。
(このまま止まらず、上り続けよう)
そう思ってコウは次なる1段に足を置いた瞬間、丁度階段を降りてくる3人の男のうち、真ん中を歩いていた1人に声を掛けられた。
声を掛けられた相手はコウではなく、ソングだったが。