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5話

 某市内、とあるオフィスにて。


 日夜仕事に追われる一人のサラリーマンがいた。


 鬼塚健おにづかたけし、39歳。


 若かりし頃に結婚して、すでに子供が二人いるごくごく一般のサラリーマンといって差し支えないだろう。


 名字に鬼とあるが、本人の性格は至って温厚である。強いていうならば、嫁が結婚してこの名字に変わってから数日後、鬼のような気性に変わったということが挙げられるが、別段今ここで語ることではないだろう。


 健は例によって今日も残業覚悟の業務に追われていた。入社して以来、安息の時を求めてひたむきに仕事に励んできたが、その甲斐空しく年々忙しさは増す一方であった。その原因の一つとして健自身が頑張りすぎてしまう事も起因していたが、ここ最近の健の忙しさは仕事だけではなかった。


 突如、健の携帯のバイブレーションがなり、体がびくりと動く。


 普段あまり携帯を自ら使用することのないため、誰からの用件なのかはおおよそ想像がついている。


 体が条件反射的に動いてしまうほどの拒否反応を示す相手。そうすなわち、鬼嫁からである。


 メールを確認すると(今は便利なSNSというようなものがあるが鬼塚家のやりとりは昔から携帯のメール機能と決まっている)、仕事帰りに卵パック1個と牛乳1パック買ってきてという文面だった。


 健はその文面を一字一句完璧に暗記する。過去に一度買い物を間違えて、キャベツを2玉買って帰ったときは、それこそ玄関に鬼が出現したものだ。その恐怖を二度と味わうわけにはいくまいと、健は必至なのである。


 あと、一応仕事帰りということになっているが、安心してそのままの文面で捉えると恐ろしい結果を招くことになる。


 彼女は”今”欲しているのだ。なのでのんびり仕事を片付けてから帰宅しようものなら……この後の事は想像に難くないだろう。


 さらに悪い知らせは続く。


 この鬼嫁のメールとは別にもう一件のメールが着信していた。あて先は匿名博士からの緊急出動命令である。町にモンスターが出現したので速やかに駆除してほしいという文面だった。


「何だってこんなときに……」


 突如としてやってきた三つ巴のマルチタスクに健の頭はすでに思考回路が破裂しそうな勢いだった。


 今日中に終わらせなければならない仕事。嫁から頼まれた買い物。緊急出動……。


「特に我が家が抱える案件は深刻なものだが……」


 鬼嫁からの命令は絶対遵守せねばならない。

 しかし、それでもやはりここは町に出没したというモンスターを退治しにいくことが先決であろう。

 そう決心すると、鬼塚はデスクから勢いよく立ち上がった。

 職場内は各々が業務に追われており、鬼塚を気にする者はいない。

 

「あれ、課長。どうかされましたか?」


 と思ったら、一人いた。わが社が誇る数少ない女性社員の内が一人、天ヶ崎結衣である。化粧っ気が少なく、素材で美人だと誰もが認めるようなわが社に勿体ないような逸材である。

 この子に限っては、仕事がどんなに忙しくても周りへの気配りを忘れないと言う素晴らしい能力を保有しており、一家に一人は欲しいとまで言われているような容姿・性格共に申し分ない人材であった。

 そんな人だからこそ、あまり人望がなさそうな鬼塚に対しても、このように声をかけてくれるのだ。

 その心意気はすごくうれしかったのだが、鬼塚としては今はそっと会社から出たかったというのが本音だった。


「ああ、ちょっとトイレにね。お腹の調子が悪いみたいだ」


 平然と嘘をつく自分に嫌悪を感じる。こんなに気立てのいい子を騙すなどこれきりにしたいものだ。


「あまり無理なさらないでくださいね。課長はいつも頑張りすぎてるとこありますから」


 本当に心配そうな目で気遣ってくれている。なんという天使。なんというオアシス。神よ、嘘をついた私をお許しください。

 ちなみにこの手の嘘を某鬼嫁にやろうとすると、一発で見抜かれる。さすが鬼嫁。さすが深淵なる奈落。


 そして私はそそくさと会社から抜け出した。




 町は既に夕刻。


 建物が橙に輝き、町を彩っている。


 その建物の群集を駆け抜ける一台のバイクがあった。


 搭乗者は、鬼塚武。もちろん私費ではない。


 ただのおじさんが乗るにはかっこよすぎるデザインのそれは、匿名博士により研究、開発されたこの世で一台しかない対モンスター戦闘用バイクであった。


 高加速してからモンスターに突撃しても壊れることのない耐久性。ライト脇に搭載されているマシンガンは1分間に2000発という速度での集中砲火が可能である。ただしどちらの機能も健が怖がって未だに使った試しはない。


 敵の場所は分かっている。これより先にあるとある公園の噴水前のようだ。もちろん特定方法は例のスマホのアプリである。ただし健が普段家庭で使用しているのは折り畳み式の古い携帯なので、そのスマホもまた支給されたものであった。


 任務遂行のための時間は極めて短い。なので、ここまで来る間に作戦行動はすでに組み立ててある。


 作戦はこうだ。まずは速やかに現場に急行し、瞬殺のごとくモンスターを撃破する。その後、さらなる迅速な行動力を発揮し、速やかに近場のスーパーにて買い物を済ませる。一旦自宅に戻り、嫁に買い物袋を手渡したならば、ミッションコンプリート。それから何事もなかったかのように会社へと戻る。

 

 トイレにこもっているという理由で来たのだから、使える時間はおおよそ10分くらいだろうか。それ以上となると怪しまれる可能性がある。


 10分で考えたとしても既に移動で1分使っている。とりあえずモンスターの出現地域が仕事場の近場だったのが幸いした。

 駐車所にきちりとバイクを停め、モンスター出現位置へと急行する。そこには、両手に長い触手を生やした感じの奇妙な人型のモンスターがいた。まずはコイツをちゃっちゃと片づける必要がある。

 

(俺の仕事を邪魔しやがって。いくぞ)


 腰に巻いてあるベルトのスイッチを押す。機械が中で低く静かに唸るような音を上げる。変身のための起動音だ。なお、変身完了までは30秒かかる。

 

(しまった……。こんなことなら移動中に変身ボタンを押しておくべきだった)


 この辺りの配慮が欠ける感じが鬼塚クオリティである。


 ちなみに生身での鬼塚は一般人と比べても大した戦闘力に違いはないので、このまま戦いに挑むのはかなりの無謀である。


 鬼塚とモンスターの沈黙が30秒間続くと、ようやく鬼塚の変身が完了する。


(いきなり必殺技をおみまいしてやる!)


 と勢いよく跳躍。それは軽く3メートルをゆうに超えていた。そこから地面に吸い付くような急降下での高速キックをモンスターに目掛けて放つ。


 が、心臓目掛けて狙った高速キックは、あろうことかモンスターの右ひざに直撃してしまう。


 本来常人のキックならば致命傷には至らないような部位ではある。

 

 でも、安心は必要ない。この強化スーツの能力により、キックの衝撃は相手の体全体へ振動となって伝わり、膨大な衝撃のエネルギーが身体の内側から肉体を破壊するというトンデモない力を有しているからだ。


 モンスターはもがくようにして蠢き回り、やがて一切の欠片も残さず消滅する。


 それを間近で見ていたらしき少年が、目を輝かせながら健の元へやってくる。


「すごいです! すばらしいです! 僕感動しました。このような強くて善良なヒーローがいたなんて! 僕にもぜひさっきの技を……」


 じゃ、忙しいから。

 と軽く右手を挙げて、別れの挨拶風にジェスチャーしてみせると、健はそそくさとその場から逃げるように立ち去った。 


 変身を解き、時計を見るとすでに会社を出て5分経過していた。

 

「くそ、急がなくては……!」


 健はこの後のスケジュールをこなすべく、町を駆け巡った。




 くたくたになって会社に戻ると、他の社員もまだ業務を淡々とこなしているようで、別段冷ややかな目で見られたりするようなことはなかった。


 疲れ切っていた健ではあったが、もうひと踏ん張りだと気合いを入れ直しデスクに座る。社会人として為すべきことを為そう。


「あら、課長額から血が出ていますよ。随分壮絶だったみたいですね」


 と、これは会社を出る前にも会話した天ヶ崎結衣。

 

 実はあのあと、スーパーで買い物を済ませ、自宅で嫁に買ったものを渡したところ、指定の品物を買うところまではよかったのだが、買ってきた種類がお気に召さなかったらしく、

「牛乳は低脂肪乳じゃなくて、普通のでしょ!」

 と怒鳴りつけられた挙句、牛乳パックを投げつけられた。

 そのとき牛乳パックの角が額に当たったので、おそらくその時に血が出たものと思われる。


 目の前の彼女は、トイレ内で何か壮絶な事が起こったのかと思っているようだが、壮絶なトイレとは一体なんなのだろうか。想像もつかないが、まあここは話を合わせておくことにしよう。


「まあ、いろいろ大変だったよ」


 そのあと、彼女からは絆創膏を貰ったので、そこまで大げさな怪我でもないが一応張っておいた。


 その気遣いでちょっとだけ報われるような気がした。

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