お役目
場所は変わってロウホの屋敷に隣接する大集会場である。
此処にはロウホと長老衆、お役目の対象になる娘を持つ男衆が全員集まっていた。
「皆集まったようだな。今年の儀式は特別じゃ。口伝や書に残る伝承によれば、最初に創造の神が降臨なさってより、およそ五百の儀式を数える度に創造神様は降臨なされている。いつもであれば砦全体の力が弱くならぬよう、成人未満、異能の力が弱いか無い娘をお役目に選ぶところだが、次のお役目はそれに囚われることなく決める事とする」
そう言うと、ロウホは集まった者達をゆっくりと一度見回し言葉を続ける。
「前に降臨された時は物作りの知識を、その前は戦いの技術と体の鍛錬の技術を神は教えて下さったと記録に残っておる。そして、前の降臨より丁度五百を数える今年の儀式、創造神様は、また我々の前に降臨なされるに違いない。なれば、我々も出来うる最大の儀式をもってお迎えせねばならん。今年のお役目は、タリナで一番美しい娘をお役目とする。候補としてはジルクの娘ナユじゃ。それに合わせて三頭の野牛を捕らえ贄とする。これに何か異議異論のある者はいるか?」
ロウホが話し終えると、大集会場全体がしばし騒めいた。そして、皆は一人の少女の姿を思い浮かべ、名を口々に囁きあった。
「ナユか」
「ああ、タリナで一番美しいのはジルクのところのナユだろう。妹もなかなかだがナユのほうが上だな」
「それに妹のサユは既に異能が開花しておるからな」
「母親譲りのあの能力は捨てるに惜しい」
「確かにそうじゃな。して、ナユの歳は十六になり成人しているのではなかったか?」
「儂の甥の嫁にどうかと考えてたんだが、お役目では仕方がないの」
「お前んとこの甥と一緒になるよりは創造神様の元へ送るほうがよかろうよ」
「まあ、異能を持ってないのか、妹と違い今のところ出ておらんと聞く。妥当であろう」
好き勝手に皆が話す会話などほとんど耳に入らず、一人だけ蒼い顔をして俯いたままの男がいた。
ナユの父ジルクである。
「異議がなければ今年のお役目はナユで決定とする。ジルクよ、儀式は次の円の月の夜に執り行う。今日より毎日ナユには青の泉で身を清めさせるのだ。良いな?」
しかし、ジルクはショックのあまりすぐに返事をする事が出来ない。
その様子を見かねたロウホが再度返事を促す。
「ジルクよ、良いな?」
「……か、かしこまりました」
ジルクは力のない声で答えた。
いつもの事ではあるが、タリナではこのように坦々と短い時間で物事が決まる。長老衆が集まり、前もって決めているというのもあるが、ロウホがこの場で告げた内容が覆ることは滅多にない。つまり、どんな理由があるにせよ、家族への情という都合だけで断れる筈がなかった。それは、今までお役目に選ばれた者達を冒涜する事であるからだ。
タリナではこれが当たり前であり、娘がお役目に選ばれれば名誉に思う者がほとんどだ。中には娘ばかりが生まれた場合、どちらかの娘をお役目にと申し出る者もいるくらいだ。または、うまい具合に家系が途絶えぬように、ロウホが帳尻を合わせ、決めているのかもしれない。
ジルクにもナユの下には妹のサユがおり、そのうちどちらかがお役目になると覚悟はしていた。
ナユが成人したので、サユがもしかすればと思っていたのだが。
ジルクは、ナユがお役目に選ばれたことを他の者のように喜べなかった。
そもそもこんな儀式は狂っているとさえ思っているのだから。だが、思っていてもそれを声にして異論を言うことなど許されるはずもない。
「では、これでお役目決めの集まりは解散とする。長老衆は夜またここへ集まり儀式の細部について打ち合わせる。ジルクはここに残るがよい。すでにナユは屋敷に呼びつけてある。お役目の事はお前の口から伝えるがいい」
この集会は決めるというより、ロウホや長老衆が決めた事を伝え、反対意見がない事を確認する為の集まりだろう。
解散した後の大集会場にはジルクだけが一人残された。
ジルクは何も考えられなかった
ただただ静かにナユが来るのを待つ。そして、五分も待たぬ間にナユは集会場の入り口に現れた。入り口から中を覗き込むと、ジルクを見つけて入って来る。
ナユは大集会場の中央あたり、ジルクの座る前まで来ると話しかけた。
「父様、ロウホ様に言われてここへ来ました」
「ああ・・・」
ジルクからは素っ気ない返事が返ってくる。しかし、ロウホから大集会場にいるジルクの所へ行けと言われたことで、自分が次のお役目に決まったであろう事をなんとなく察していた。
「お役目、私に決まったんだね」
「ああ…」
そして、暫し沈黙した後にジルクは話し始めた。
「今回の仕え人送りの儀式は特別なのだそうだ。それでロウホ様が今までの選び方はしないと…、タリナで一番美しい娘をお役目にという事になった。そしてナユの名があがったのだ。次の円の月の夜には儀式が行われることになるだろう。今日から青の泉で身を清めるようにとの事だ」
そう言うとゆっくりとした動作で顔を上げ自分の娘を見る。
ナユには、その顔がいつものジルクと比べ、とても弱々しく見えた。
「父様、そんな顔しないで……お役目に選ばれるのは大変名誉な事なんでしょ?」
「ああ……」
「ナユはもう大人だよ。それにタリナで暮らすならいつかお役目が来るかもって考えない女衆はいないもん。とっくの昔に覚悟はできてるから……」
ジルクを安心させるつもりでそう言ったのだが、実は覚悟なんて出来てはいない。さっきまでは外の世界を自由に見れればなどと考えていたのだから。しかし、もうそんな日はこないのだ。
ジルクから話しを聞き、外の世界に興味を持ってしまった今、小さな頃とは明らかに何かが違ったが、この砦で育ったナユには、ロウホや長老衆が決めた事への拒否権などはないのだ。
だから全てを受け入れるしかない。
「だいぶ昔になるか、砦の外の世界の話しなど聞かせるべきではなかったな。それからナユが砦の外の世界に憧れてしまったのだろうから」
「私が勝手に憧れて勝手にがっかりしただけだから」
ナユがそう言うと、ジルクは少しの間だけ目を瞑り黙っていたが、その後は普段通りの顔に戻っていた。
あまりのショックに考える事を放棄しかけたが、ナユに覚悟は出来ていると言われてしまっては、いつまでも情けない顔はできない。
自分の弱さをこれ以上娘に見せる事などは出来なかった。
「家に帰るぞ」
「うん」
家に帰ると、ジルクは母のミサラにナユが次のお役目に選ばれた事を報告した。
すると「そうですか」と言ってジルクと同じような顔をした。
ナユは父様母様も自分がお役目に選ばれたら名誉だと、喜ぶのだとばかり思っていたのだが、そうではなかった。
今までお役目に選ばれた者達も、けして表情や態度には現さなかったが、こういった何とも言えない気持ちだった者がいたのかもしれない。
そんな事を考えていると、妹のサユが帰ってきた。
「次のお役目はナユなんだね。帰りの道でそればっかり言われちゃったよ。私も創造神様にお仕えしたいなぁ。きっと創造神様は超強くて超やさしくて超かっこいいんだよ」
などと言うと、想像力豊かな妹は、ナユに抱き付き羨ましそうな顔をした。
「サユがそう言うなら、そうなのかもね」
「お役目で行ったみんな戻ってこないんだもの。ぜったいそうだよ」
半信半疑な自分とは違い、神の住まう世界が在る事を疑わない無垢な妹、そんな愛しい自分の妹を見ながらやさしく微笑むと、心の中だけで語り掛けた。
(私が居なくなっても父様母様の事をお願いね)
……と。そして、今度こそ自分はお役目として選ばれたのだという覚悟を新たにするのだった。