奴隷市場の暴動④
「だいぶカファス商会側の旗色は悪いようだが、まだ戦い続けるのか?」
「………」
「まあいいさ、そろそろ俺達も決着を着け…!」
早く終わらせてしまおうという油断だった。
死角から投擲されるナイフの本数が一気に増え、もともと不規則だった事もあるが、空中でぶつかり軌道のかわった一本だけ避け損ねてしまった。
(ぬっ…油断したか……まだ何人かいたとはな……)
避け損ねたナイフは太腿に深々と突き刺ささり、流石にエルジェも動きを止める。
「主様っ!」
「ナユ、来るなっ!」
しかし、ナユは言う事を聞かずエルジェに近づいてしまった。
「クガン頼む!」
今度は投擲されたナイフがクガンを邪魔し、止めるのが一歩遅れてしまう。
カルケルは気を取られるエルジェを横薙ぎの一撃で牽制し、ナユへと躊躇なく大剣を振り下ろした。
「ナユっ!」
最悪の結末が一瞬頭を過ぎったが、ナユはその攻撃をあっさりと躱すと、カルケルの横をすり抜けざまに太腿を斬り付ける。
「ぐぅ…」
そして、エルジェの元へ駆けつけると毅然とした表情でこう宣った。
「女だからといって侮り過ぎです」
これにはエルジェも心の中で謝った。
(俺も過保護すぎました……ゴメンなさい)
女とはいっても、ナユはタリナで幼少より鍛えられてきたのだ。そこらへんの男にだって遅れをとるものではない。
「俺の心配はいいから元の場所へ戻るんだ」
「嫌です」
「……なら、自分の身だけはきっちり守るんだぞ」
エルジェは血が噴き出すのも構わずにナイフを抜き取り、剣を構え直した。
「さて、冗談じゃなくそろそろ終わらせようか」
そして、エルジェの表情が今までのものとは全く違うものへと変じる。今までの戦闘を楽しむような表情ではない。生き死にの闘いをするような真剣な表情となる。すると、奴隷展覧区域全体に一気に重苦しい空気が満ちた。
そう、これはタリナへ向かっている時、モンスターに対し一瞬だけ放たれた殺気である。それが全員感じ取れるような規模でエルジェから放出されたのだ。
この殺気を知っているタリナ側の者でさえ動きを阻害されるほどの密度だった。
この場にいるほとんどの者は始めて感じる殺気の圧力に動きを止め、下っ端の者達などは膝がガクガクと震えてしまっている。
さすがにカルケルは耐えているようだが、こんな中で動ける者は限られる。カルケル同様に殺気の圧力に耐えれるのか、ナイフを投擲する者が三人、エルジェはその攻撃を剣で払うと、足から抜き取ったナイフを狙いやすかった敵目掛けて投擲した。
「うっ……」
攻撃を受けた者のうめき声が聞こえ、一人仕留めた事が分かると、エルジェはそのまま姿を捕らえたもう一人への距離を一気に詰める。
剣を一閃、容赦の無い一撃は相手の右足を膝下で半ば切断し、バランスを崩した敵はその場に崩れるように倒れ込んだ。
一瞬で攻撃サポート役が二名仕留められた。
カルケルも次は自分の番かと恐怖を抱く。
(化け物め……まさかこれ程とはな…フォルター様に拾っていただいた恩はもう返した。命まで賭ける義理はないな)
すでにカファス商会側は百人を超える者が戦闘不能になり、それ以外もまともに動ける者が少なくなってきた。
このまま戦っても勝てる訳がないと悟った者は、すでに戦う気力自体をなくしてしまっている。
まだ女を手にいれる事に未練がある者もいるようだが、エルジェから感じた殺気の圧力に抗えない者が殆どの為、動きが止まっている者ばまりだ。
臨時雇われで集められた者が多いという事もあり、攻撃の手を止めて距離を置く者が途中から多く出ていたという事もあり、これ以上の戦闘はもう無理と言えた。
わずか十数名というのに、女も含めた総合戦力は最初からタリナ側が圧倒的だったのだ。カルケルも数で押せばなんとかなると判断したのだが、それがそもそもの間違いだったという事だろう。
「降参だ…降参……す」
カルケルの降参宣言を無視し鋭く振るわれた剣は、大剣を持ったままの右手を肘から切断した。
「ぐああああぁぁっ……」
エルジェは更に剣を振りかぶるが……
「主様、お辞めください」
ナユの言葉で振るうのを止める。
「いいのか? つい先程振り下ろされた大剣は間違いなくナユを殺すつもりだったぞ?」
「かまいません……ですから、ですからもう止めてください」
「そうか……カルケル、ナユに感謝するんだな。俺は四肢を切断した上でお前を見せしめにするつもりだったんだからな」
「………」
「他の者も武器を捨てその場に膝立ちに座れ。ナイフを投擲してるお前! 懐に隠してるナイフも全部出せ。こちらに従わない者は容赦なく斬り捨てる。その代わり従った者は罪が重くならないように口添えしてやろう」
エルジェの言葉を聞くと、誰からともなく武器を捨て、言われた通りに座りだした。
「一つ言い忘れたが、逃げた場合は外で待機しているタリナの者が容赦なく斬るからな。よし、前の十名、捨てられた武器を集めてもってこい」
こうして武装解除をしている間、ヤムカが警備兵に知らせに行き、重傷の者はポーションやイシュカの治癒魔法で応急処置を施す。
そして、三十分も待たない内にヤムカと二個小隊の警備兵が奴隷展覧区域に入ってきた。
警備兵とのやり取りはクガンに任せる事にし、今はエルジェもイシュカの治癒魔法により怪我の処置をしていた。
「まさかイシュカが治癒魔法を使えるとはな」
「でも治癒魔法は簡単なものしか使えないわ」
「それでも冒険者をしてるなら使えたほうがいいだろ?」
「それはそうね」
「私は異能もないし魔法も使えませんからイシュカさんが羨ましいです。今だって主様の為に何もする事ができませんから……」
ナユはまたいつものように悲しそうな顔をした。
「ナユはエルの側にいるだけで薬になるわ。そんなに悲しそうな顔をしないで」
「イシュカさん?」
「それとね、さん付けみたいな他人行儀な言い方はやめてちょうだい」
「シーナもシーナ? だからシーナでいいよ??」
シーナは自分で言っていて違和感があったのか、『こてん』と愛くるしく首を傾げた。
「あ、ありがとうシーナ」
「そう、それでいいのよナユ。ところで話しは変わるけどフォルターの方はどうするの?」
「そうだな。まずは護衛業事務所へ戻ってから考えるとしようか」
フォルターが逃げる為の時間稼ぎ、それだけの為にカルケルは奴隷を解き放った。そして、タリナの足止めに二百を超える人数を用意する。
逃げた者の数や行き先については、これから警備兵による尋問で明らかになるだろう。
カファス商会が起こしただろう奴隷開放からの暴動、一応の解決には至るだろうが、フォルターを逃した事により、奴隷密輸に関しては完全解決に至らなかった。
イシュカにとっては不安の残る結果となったが、それでもワカルフの奴隷密輸拠点を潰す事が出来たのは大きな成果と言えた。
カファス商会制圧から一時間程が経ち、重傷者の応急処置、クガンの警備兵への引き継ぎも終わった。
ワカルフ警備兵と王国軍駐屯兵の努力もあり、暴動は短時間で終息したのだが、護衛業事務所からフォルターが何処へと向かったのか、ワカルフを脱出してからどのくらいの時間が経っているのかもわからず、すぐその足取りを追うのは難しいと思われた。
限られた人数で全てに対処できるはずもなく、カファス商会を後にしたエルジェ達は、次の行動を決めるべく護衛業事務所へ向け移動を開始した。




