夢の中の世界へ
俺の名前はエルジェ・イスカーチェだ。歳は二十歳で、ついこの間まで、二年間だけ王都イズルーシを守る守備軍でお世話になった。
物心つく前から、なぜか必要だといわれ教え込まれた武術と魔法。そして、軍に入る前の三年間は、魔法をメインとした戦闘、格闘やらも両親の友人とやらに教え込まれ、おかげで体力や戦闘力はだいぶ高いレベルにあると自負できる。そして、日課として鍛錬が体に染み込んだという事もあるが、これは今も毎日続けている。
そのお陰か、軍にいた頃は徹底的に筋トレやら走らせられたりしたというのに、まったく苦にはならなかった。それに、何度も行った軍事演習やらモンスター討伐で、戦う事も好きになってしまった。俺はもしかしたら戦闘狂の気質があるのかもしれない。
ずっと軍に居てもよかったかと思わなくもないが、独身者は王城に近い寮での生活がメインであり、新入りは年齢に関係なく上下関係が厳しい。プライバシーだってあって無いようなものだ。部屋は一人部屋ではないし、出来る趣味だってある程度限られてしまう。更には外出時に門限まであるというおまけ付きだ。
誤解されないように言っておくが、決して門限が、いや、軍が嫌になって辞めた訳ではない。これからは自分の好きなように生きたいと思い、一般社会の生活に戻ったのだと言っておこう。
では、今は何をしているのかと言うと、王都イズルーシには、一際存在感がある闘技場が建っているが、そこが現在の俺の仕事場だ。
闘技場では、捕らえたモンスターと、闘技場所属の戦士による戦いが毎日開催されている。
【バトゥーリャ】と呼ばれるその見世物で、所属して半年ではあるが、俺は名前や顔を覚えてもらえるくらいは人気を獲得できているようだ。
顔の上半分を覆う仮面、武器は持たない格闘メインの近接戦闘と、闘技場戦士では珍しい魔法を使った派手な止めが人気獲得の理由だろう。
まあ、別に人気などはどうでもいいと思っている。人との戦闘では味わえない充実感を、モンスターという野生の脅威は俺に与えてくれるのだから。
戦闘に楽しみを見出す俺には、まさに天職といってもいいような職場だ。
ここで一つ訂正しよう。俺は間違いなく戦闘狂だ。
それにだ。軍にいた頃よりも給金は高くなり、門限だってない。そして、自由とプライバシーを手に入れることが出来たのが何よりもいい。
自分で言うのもなんだが、身長も180センチ以上あるし、戦闘時に仮面を着用してはいるが、顔も悪いほうではないと思う。それに加えて、今まで鍛えた体が【バトゥーリャ】では良い方に働く。特に露出した腹筋のシックスパック、つまりは鍛えられてバキバキに割れた腹筋を見ると、戦闘後の出待ち女子にボディタッチ許可を求められることだってある。
そして、付き合って日は浅いが、今の彼女が一目惚れしてくれたのもこの腹筋のおかげだ。偉いぞ俺の腹筋。君はいい奴だ。お礼に後でしっかり鍛えてやろう。
なので、体を鍛える事は今でも怠らない。
これはいい。何がいいかと言えば、鍛えれば鍛えるだけ体は思い通り動くようになり、ストレスも発散され、鍛えた体を堂々と晒すことが出来るからだ。
ということで、俺は毎日自分の体を『イジメル、イジメル、イジメル』、大抵の事は3セットやり最後に労わる。大人の都合という事で、特殊な運動器具を使って鍛えるのだ。後何年かすれば、闘技場で一番人気になれるかもしれないと、将来像が頭に浮かぶくらいは体を鍛えまくっている。
他にも強制的に両親等から詰め込まれた知識などがあるのだが、今は話すと長くなるのでご容赦願おう。
まあ、一つ自慢するならば、自分でも不思議だが、何かを覚えようとすると他の人と比べ通常の三倍は早いみたいだ。
「明日の【バトゥーリャ】ではこの体を活かした衣装にするべきだな。まぁ、もう用意しちゃったんだけど、ちょい悪役っぽい衣装が俺には合うみたいだし、今回はいろいろ特注してだいぶ用意に金を使ってしまったしな」
などと独り言を言いながら用意したのは、最近自分でデザインし特注した金属製の仮面だ。しかも、今回は特注制作してもらった一品物であり、多少は名前と顔を売るのを睨んでいるとはいえ気合いの入れ方がハンパない。
「くふっ…。くふふ…」と、ニヤニヤしながら自分がモンスターと戦うシーンを想像すると、エルジェは我慢出来ずに突きや蹴りを連射する。幼少より鍛えられ続けたエルジェの動きは無駄に鋭い。
流石に家の中で暴れまくる訳にはいかないのだが、エルジェは少し満足したのか動作を止める。そして、またニヤニヤとしながら頭の中で何度も戦闘シーンを回想する。
「そういえば次の相手はジャイアントオーガが三体同時だっけ。明日の【バトゥーリャ】はよっ。おっと、明日は出番が早いんだった。忘れ物が無いように持ち物もチェックしとかないとな」
そう言うと、エルジェは物置と化している六畳ほどの部屋へと移動する。しかし、誘惑に負けて衣装を着用してしまうと、明日闘技場へと持っていく荷物を背負いリビングへと戻る。そして、立ったまま辛抱たまらんといった体で戦闘シーンを回想していた時だった。
急に目の前の風景がぐにゃりと歪む。すると、エルジェの耳にはしっかりと女の声でこう聞こえた。
『もっと生きたい』
それは、心の底から生きたいと願っているような、悲痛な思いが込められた声だった。そして、声が聞こえたすぐ後には、凄まじい量の光で周囲が真っ白になり何も見えなくなった。
いったい何が起きたのか判断もできないまま、眠りに落ちる時の一瞬意識が飛んだような感覚を味わう。そして、光が収まると動画の逆再生のように歪んだ風景が戻りはじめる。それが収まった時、エルジェは炎に照らされながら見知らぬ場所に立っていた。
すると急に周りが騒めき始める。人の言葉のようだが、何を言ってるのか解るわけが…って、なぜか理解できた。いや、言葉が普段自分が使っているものと同じなので理解できるようだ。
そして、人々は皆が口をそろえて同じことを言っている。神が降臨したと…。
「おぉ・・・神がっ、神が降臨なされた。やはり五百を数える此度の儀式は特別であったか。今すぐに、今すぐにこの娘も神に捧げましょうぞ。クガンよ、儀式を続けよ」
そう言うと見知らぬ男は別な方向を向いた。
その男が見る目線の先、エルジェと数メートル離れた場所には、屈強な男が少女の隣りに立っており、少女は膝立ちの状態、神に懺悔をする聖女のような佇まいでこちらを見ているのだった。
(これは夢か? それともこれが噂の異世界転移?)
寝ているような感覚でもなく、夢を見ているという感覚でもない。なんだか様子がおかしいのだ。いつもなら夢の中では音がなく、声が聞こえるという事もないのだが、今回は視界もやけに鮮明であり声も聞こえる。そして、エルジェは頭を目の前の状況に対応する為に無理矢理切り替える。
先程の男は言った。少女を神に捧げると…。しかもこちらを向いて…。
なのであれば自分が降臨した神とやらであるのだろうか。そして、少し落ち着いた為か、時間が経ったからかは分からないが、何かが夢の中とシンクロした。そう、それは何度も見た夢の中に出てくる一人の少女だ。
クガンと呼ばれた男は自分の腰にあるナイフをゆっくりと抜き始め、今、自分の目の前で少女の命が絶たれようとしているだろうこの状況。
(もっと生きたい)
まさに少女の命が奪われようというその時、エルジェには少女がそう言ったように聞こえた。
いや、この場所へと来る前にも聞こえたような気がする叫びだ。
するとエルジェの体は少女を助けようと自然に動いた。
凄まじい勢いで地を蹴り、少女の方へと跳躍するとナイフを握る男を突き飛ばす。掌底が触れただけのように見えたが、男は十メートル近く飛ばされた後、一度起き上がり驚愕の顔でエルジェを見る。そして、白目を剥くと前のめりに倒れ込んだ。
自分でも信じられないような動きであったはずだが、今はそんな事はどうでもいい。
エルジェは少女の手を取り立たせると、肩の力を抜いて安堵の溜息を吐く。
「無事でよかった……怪我は無いかい?」
少女は驚きに目を大きくしながらゆっくりと頷く。
お伽話で語られるような素敵な出会いとはいかなかったが、これが少女とのファーストコンタクト。
俺と夢の中の少女との出会いだった。