ワカルフにて④ ~ 夢の懸け橋亭
(さっきのは何? 殺気ではない……でも、私に気づかせるように気配を露わにしたのはなぜ? もう、なんなのよ……)
自称完璧な街娘へと扮装し、カファス商会の様子を伺う為に街へ出ていたイシュカ。何度考えてもすっきりとしない先程の出来事に苛立ちを露わにする。
敵意はないようだったが、自分へと存在を知らせる為に気配をぶつけてきた相手。
今まで会った事がある者の気配であれば分かったかもしれないが、先程の気配はまったく知らないものだった。過去に似た雰囲気を感じた記憶はわずかにある。しかし、それがどのくらい昔の事で誰のものだったのか、少し思い出してみたくらいでは分からない。
モヤモヤしながら歩いているうちに宿へと着いてしまい、怪しい気配がないかだけ辺りを探り宿へと入る。お腹を空かせて待っているだろうシーナの為に、食堂へ寄ると二人分のサンドイッチと飲み物を用意してもらい、それを受け取った後は部屋へと向かった。
「イシュカ、寂しかったよ~っ。えへんっ」
「よしよし」
「うん!?」
最後になぜ胸を張って威張ったのか意味はよく分からないが、一人で待っているのは不安だったのだろう。部屋へと入ると嬉しそうに抱き付いてくるアマゾネスの少女。
それに対しなぜか頭ではなく腰とお尻をなでながら「よしよし」と言うイシュカ。
「ねえねえ、なんでお尻をなでなでするの?」
「それはね……シーナが可愛いすぎるのが悪いのよ?」
満足したのか、シーナから離れてそのように言うイシュカさん。
「おぉ~なるほどぉ」
理解してるのかいないのか、頭の上にはてなマークが見えそうなほど疑問だらけな顔をし、『こてん』と首を傾げる様子は今日も愛くるしい。
実はイシュカさん可愛い物(可愛い子)が大好物なのだ。そして、このアマゾネスの少女イシュカさんのどストライクなのだった。
宿の方へは昨日のうちに宿泊人数が増えたのを伝えており、広い部屋へと移っていた二人。買ってきた夕食の入ったバスケットを渡すと、シーナはさっそく食べる為に中身を出し始めた。
その様子を見て薄く微笑みながら、これからどうしようかとイシュカは思い悩む。
あれから何度か外へと様子を見に行った感じだと、街の中にはまだカファス商会の者だろう姿が多く見られ、シーナを連れて出歩くのは不味いと感じられた。見つかった場合でも、白昼堂々と街の中で騒ぎを起こす事はないと思うが、奴隷密輸は明るみに出ればまずい事だけに、どういった手段に出てくるかは予想出来なかった。
自分の身だけであれば守るのに問題はないが、シーナを連れていては遅れを取る可能性もある。本人に聞いたところ、一対一であればなんとかなるかもという話しだったが、それも実際に実力を知っている訳ではない為鵜呑みにはできない。
これから取れる方法は幾つかあるのだが、その中でも一番有効なのは、冒険者ギルドの保護を受ける事だ。ギルドからの依頼で動いている為、依頼内容と事情を話せば間違いなく保護してくれるだろう。
それに、イシュカの知名度は、数いる冒険者の中でもけして低くはない。
ワカルフの冒険者ギルドへは、過去にも何度か足を運んでおり、もしかしたら覚えている職員がいるかもしれない。しかし、内容が内容なだけに、確認に時間が掛かるのと、身分が冒険者であると広まれば今後動きづらくなるという問題が発生する。
次に取れるのは、王都イダンセのギルドにシーナを送ってしまう事だが、これにも幾つか問題があった。
自分が同行するのかしないのか? この場合もギルドへと依頼を出すのがいいのか? ギルドへと依頼を出すとなれば、保護が送る事になるだけで、懸念事項は変わらないという事もある。するとあとは第三者に依頼という事が考えられたが、安全を最優先する場合は選択肢が少なかった。
幸いにしてこのワカルフには【タリナ商隊護衛業】がある。商隊護衛以外の依頼を受けてもらえるのか、相談してみないと分からないが、おそらく金さえ用意すれば引き受けてくれる可能性はある。それにタリナの者達は猛者揃いである。王都イダンセにも支部をもつ彼らなら、引き受けてさえもらえれば無事に送り届けてくれるに違いない。
まずは明日、事務所へ行って話しだけでもしてみようとイシュカは決めるのだった。
街をゆっくりと散策し、宿へと向かっていたエルジェ達、教えてもらった通りに三十分ほど歩くと、大きな宿の姿と『夢の懸け橋亭』という看板が見えてきた。
宿へと着いた三名は、外で待つ他の護衛達と合流し、そのまま夕食を摂る為に食堂へと入る。
タリナの民は、男も女も平均以上に容姿が整っている為、やはりここでも人目を引きつけてしまう。特にナユに見惚れている男が多いようだが、見られる事に慣れているエルジェもなぜか落ち着かなかった。
注文した料理が運ばれてきて、全員に飲み物が行き渡ると最初に乾杯をする。そして、それぞれが好きな料理を食べ始めるが、どの料理も流石高級宿と言うべき味だった。
料理はどれもが美味であり、一つとして不味いものがない。これなら昼と夜に一般開放の要望があるのも頷ける。
そして、しばし食事をしながら歓談した後は、妙な噂を聞いたというミシュンからその内容を話してもらった。
「ここワカルフの街は、王国最大の奴隷市場がある事で知られていますが、街で聞いた噂では、どうやら奴隷が一人逃げたらしいのです。そして、奴隷市場の者が街中を探しているようですが、未だに見つかっていないらしいという事でした」
「なるほどなあ。街の中で何かを探し歩く男達には気づいてたよ。だけど奴隷が逃げたとは……」
「しかし妙なのです。逃げた奴隷に関しての特徴などが一切非公開で、探しているのは逃げられた奴隷商会の者だけだそうですよ」
「へえ、それはまた後ろめたい事でもあるんだろうな」
そう言ってグラスの中のワインを一口飲むと、エルジェは街の散策中に見かけた女を思い出していた。
(あの女は普通にしているようで男達の様子を伺っていたはずだ。しかし、女自身は奴隷ではないだろうな。であれば匿っているとかか? まあ、奴隷に関係しているのかも分からないけど……)
急に黙り込み考えに耽る主をチラリとみると、ナユも遠慮がちに話しに入ってくる。
「あの……私も気づいた事があるのですが……」
「どんなことだい?」
「もしかしたらですが、その男達は若い女ばかり気にしていたかもしれません……」
「おお、ナユはそんな事にまで気づいたのか」
「わ、私も何度か嫌な感じの視線を向けられたので、なんとなくですが、男達には気づいていました」
「視線を気にしすぎるのは良くないが、自分に害意があるかくらいは気を付けるといい。特にナユはね」
「………はい」
と、散策中に気になった事や、先程会った領主の事を話題にしながら食事をし、食事もおわりに近づくと最後はデザートが運ばれてきた。タリナ砦に居れば食べる事などできないような甘いデザート。それを一口食べたナユは、目をうっとりとさせながら一言だけ感想をもらした。
「すっごくおいし~ぃ」
言ってしまってから慌てて口を押さえるが、周りのテーブルに座る者達の注目も集めてしまう。少し頬を赤く染めながら周囲を見回すと、今度は小さな声でぼそりと呟く。
「すみません。あまりのおいしさについ……」
「構わないさ。誰にも迷惑なんてかけてないだろう?」
周囲のテーブルに座る者達は、すでに自分達の歓談へと戻っており、別にこちらの事を気にしている者などはいない。
こういった場になれないナユには、これからもいろいろな経験が必要になるだろうなとエルジェは思った。しかし、それはゆっくりでいいのだと思う。
この世界へと来たばかりで、右も左もわからず歩みの遅いエルジェ。二人で歩調を合わせるようにゆっくりゆっくりとだ。




