ワカルフにて② ~ 領主の館
護衛業事務所への訪問が終わると、次に向かったのは領主の館だった。街の中央に所在する為に馬車での移動となったが、およそ一時間ほどで目的の場所へと着く事ができた。
先触れとして先行したミシュンのおかげで門をすんなり通過でき、館の前へと馬車が止まると、領主の執事が近づいてきて入り口を開けてくれる。
降りる時に目に入ってきたのは、頭を下げ両脇に並ぶ出迎えのメイド達。正面最奥には、壮年期も半ばに差し掛かろうかという男女が立っているが、おそらく、それが領主夫妻なのだろう。
まさか領主自ら出迎えてくれるとは思わなかった為、エルジェは少しだけ動揺してしまったが、ある程度は作法に沿るのがいいと思い、馬車から先に降りるとナユをエスコートする。だが、差し出された手の意味を分からない為、ナユは馬車の中で固まってしまった。
本来であれば、側仕えをエスコートするなど可笑しな話しだが、そもそもが只の側仕えだとは思っていない。
「主様?」
「ナユ、俺の手を軽く握って」
「……はい」
無事エスコートし地上へ降り立たせると、自分の左側へ誘導し並んで夫妻へと正対する。すると夫妻からは挨拶の交換より先に感嘆の声が上がった。
「まぁ、なんと美しく可憐な……」
「美男美女であるな」
といった感じにだ。
すでに頭を上げて直立の姿勢へと戻っていた執事やメイド達も、目を輝かせながら二人の方を見ている。
それに対して少し恥ずかしいのだろうか、ナユは頬を朱色に染めてしまった。
「これは失礼した。ようこそ、ワカルフ領主の館へ。私が領主のジョフル・スルバン。隣りが妻のカルネだ」
「俺の名前はエルジェ・イスカーチェ。そして隣りにいるのはナユだ。残念ながら妻ではないけれどもね」
本当に残念そうな顔をするエルジェに対し、領主夫妻はカラカラと笑い、ナユは『困った主様だ』といった顔をするも満更ではない様子である。簡単だがお互いに挨拶の交換はこれで終わりとする。
領主と言うからにはどんな人物が出てくるかと身構えていたのだが、第一印象としては、柔和な顔というのもあり、争いなど好まない穏やかな人物であるように感じられた。
その後は館の中へと移動し、お茶をご馳走になりながらの歓談となったが、応接間へはエルジェとナユの二人だけが通された。他の者はどこか別の部屋でもてなされているはずだ。
予定調和かもしれないが、ここでもタリナに転移した後と似たやりとりが交わされる事になるだろう。
「まず最初に、畏まった話し方や態度は苦手なので、そこらへんはご容赦願いたい」
と、断りを入れるエルジェ。
「そんな事は些細な事だ。構わないとも」
「そう言ってもらえると助かる」
この夫妻はエルジェの態度や言動がどうだというのは特に気にしないらしい。
「それよりも、私は五百年ぶりに降臨したというエルジェ殿に興味があるのだ。代々領主の家系であるスルバン家とタリナの民の関係は、お伽話のような話しではあるが、神の降臨が始まってよりの付き合いだと伝わっている」
ジョフルはここまで言うと、間を取る為に一息つく。
「それからずっと良好な関係で今に至るのだが、その間にも何度か神の降臨があり、その度にスルバン家も関係を持ってきたらしいのだ。そして今回の降臨の報がもたらされたわけだが、降臨したというのは、ま、誠の事であるのか?」
一番最初に確認されるだろうとは思ったが、普通の人間であれば降臨など簡単に信じられる話しではない。しかし、それに対しエルジェはタリナの民達に言ったのと同じような説明をする。それにしても少し気になるのは、ジョフルが興奮ぎみな事だろうか。
「降臨とは少し違うのですよ。俺はこことは別な世界の住人なので、こちらの世界へと召喚されたのか、転移してきたと言ったほうが正解かと思う。そして、今まで降臨したという者も同じだったのではないかと考えている……んだけど……今は確証がないからなあ……」
「なんと……」
「まあ、何にしても簡単に元の世界に戻ったりという事はできないし、望んでこの世界へと来た訳ではないんだ。先程の話しに戻るが、俺は神ではなく別世界の人間だという事で、ジョフル殿には納得してもらいたい」
と、ここまで説明したが、ジョフルは歳に相応しくないほど子供のように目を輝かせながら口を開く。
「つまり……別世界の人間という事は、別世界は本当に存在すると?」
興奮のあまり大きく身を乗り出してしまうスルバン。
これには流石にエルジェもたじろいでしまう。
「お、俺がここへと来る前の世界はネオスフィアと言われていたけど、そこにもいろいろな話しが残っているんだ。何千年も前に交流を絶たれた世界があって、そ、それはオールドスフィアと呼ばれていたしね」
「おぉ………」
「俺としてはここがオールドスフィアだと思っている。ただしこれも確証はないけれど……」
「であれば、エルジェ殿だけが生き証人という事になるのですな」
この御仁、おそらくこういった話しが好きなのだろう。たまに天井を見上げては自分の世界へと入ってしまう。そして、何やらブツブツとつぶやき始めると、完全に自分の世界へと入ってしまった。客が目の前にいるというのにだ。
それにはカルネも少し困ったような顔をしながらも、何かを思い出したように話しに入ってきた。自分の夫のこういった事はいつもの事なのだろう。
「そうそう、私達にも二人の子供がいて、本当なら紹介をしたかったのだけれど、生憎と今は学校へ行って留守にしているの。でも時間としてはそろそろ帰ってきてもおかしくないかしらね」
「おお、ご子息はまだ学校へと行くようなお歳ですか」
「ええ、上が十五で下は十一歳、どちらも男の子なの。本当は女の子が一人ほしかったんだけど……」
そう言ってカルネはナユのほうをチラリと見やる。
何処の世界でも、子宝に関しては神のみぞ知るというやつなのだろう。エルジェも本当は兄弟が欲しかったのだが、両親は自分以外子宝に恵まれる事はなく、小さい頃は兄弟のいる友達がとても羨ましかった事を覚えている。
急に家族の事が思い出され、思考がそちら側へと流されそうになるが、目を瞑ってそれを振り払うと、横にいるナユのほうへと視線をやる。すると美しい紫紺の瞳が心配そうにこちらを見つめていた。それに対して大丈夫だよと微笑むと、そうですかと言うように微笑み返してくれた。
この後は、なんとか自力で現実世界へと戻ってきたジョフルとしばし歓談し、顔合わせは何事もなくお開きとなった。
ただ一つだけ、婦人はよほどナユの事を気に入ったのか、服を何着か仕立ててプレゼントしたいといい、別室へと連れていかれて採寸され帰ってきた。それと、結局二人の子息には会えなかったが、それもそのうち機会があるだろう。
「エルジェ殿、これからも良しなに。今度はネオスフィアの話しも聞かせていただけるとうれしいが」
「そのうちまた寄らせてもらうので、その時にでも」
こうして友好的に領主と顔合わせ出来た事に一番安堵したのは、一緒にワカルフへと来たクガンであった。自分ではあまり領主と顔を合わせたり会話した事がなく、もし領主がエルジェに対し悪い印象を持った場合には、どうフォローするかと悩んでいたのだ。しかし、それは杞憂であったらしい。




