ワカルフにて① ~ タリナ商隊護衛業
御者や護衛の者は、馬や馬車を置きに厩舎へと向かい、この場にはエルジェとナユだけが残された。
通りを歩く人々からは、遠慮のない視線が二人に向けられ、ここにこのままいるのも見世物のようで落ち着かない。別に厩舎へと行った者を待っている必要もない為、二人だけで事務所へと入る事にし、来客用の入り口から中へと入っていく。すると雇われだろうか、受付をしている若い女三人が二人へと頭を下げた。
「いらっしゃいませ。護衛の契約でしょうか?」
入ってきた二人の整いすぎている容姿に内心では驚きつつ、それを顔には出さず、営業用の挨拶をする受付の女。しかし、それに対して帰ってきたのは、受付の女も予想していなかった言葉だった。
「いや、タリナからワカルフへと来たので顔を出しに来たんだが」
これに対しては受付の女も首を傾げてしまう。
それはそうだろう。今まで護衛業事務所にタリナの女などは一度として来た事がない。それに二人という小人数でワカルフへ来る事などないというのも女は知っているのだ。しかし、関係者用の裏口から現れたクガンによりその疑問は氷解する。
「そのお方は新しくタリナの長となられたエルジェ様、そして隣りにいるのが側使えのナユだ。粗相のないようにな」
ここで『長になったっけ?』とは面倒くさいので言わない。
クガンの中ではもうなっているという事なのだろう。
「そうでしたか。大変失礼致しました。ではここ『タリナ商隊護衛業』の新しい代表でもあるという事ですね」
「そうなるな。本日いない者にも言っておいてくれ」
「かしこまりました」
「では奥の待機所のほうへ行きましょう。タリナの者達が皆待っております」
受付用カウンターの左手にあるドアから奥へと進むと、短い廊下が続き奥の部屋から明かりが漏れているのが見えた。廊下を通り、クガンを先頭にしてその部屋へと入っていくと、部屋の中にはタリナから来た者を除き十二名ほど男衆が待っていた。
「皆には先程いったが、こちらが降臨されたエルジェ様だ。それと隣りにいるナユは此度の仕え人送りでお役目となっていたが、そのままエルジェ様の側仕えとなったので覚えておいてくれ」
『はい』
返事をした後、何人かの若者がチラリとナユのほうを見る。
羨ましそうに、または残念そうに見る者といるが、その理由は痛いほど理解出来た。
夢の中でもそうだったが、タリナの若者の中には、ナユに憧れている者が何人もいるはずであったからだ。それが降臨した神の側仕えとなってしまっては、もう手を出したりする事などはできない。
「では、エルジェ様……」
「ああ、俺がエルジェだ。最初に言っておくけど神ではないからな。こことは別世界から来たというのはあるが、普通に人だ。詳しくは後からクガンあたりに聞いてほしい。短いが以上だ」
とりあえず全員頷く。が、そう言われてもしっくりこないのだろう。若者達の中には『何をいってるんだ?』という顔をしている者もいる。するとそんな若者達の中でも一番年配だろう者が代表して口を開く。
「私はまとめ役をしているサブルといいます。一つだけ確認したいのですが、これからはエルジェ様の方針に従ってここを運営していくという事になるのですか?」
「いや、今までと同じでかまわないよ」
「はあ……わかりました」
何を言われるか構えていたのだろうが、同じでいいと言われ拍子抜けした感じのサブル。
タリナの長であれば、ここ商隊護衛業の代表という事になるのだが、まだどういった人物か分からないだけに、あまり口出ししてほしくないというのが本音ではあるのだろう。
実は、ここの運営に関する事はクガンに任せようと既に決めてしまっている。
砦の民達の接し方やここに一緒に来ている事などから、今までタリナで実働の絡む事を仕切ってきたのだろうと予想でき、ロウホの息子という事を抜きにしても民からの信頼は厚いようだ。であれば、こういった事はこれからもクガンに任せておけば問題ないだろうと判断する事が出来たからだ。後でもう少し話し合う必要があるだろうが、大きく内容が変わるという事はないだろう。
「あまりしっくりきてないようだから、俺から最後にもう一言だけ皆に言っておこうか」
全員が自分に注目したのを確認すると、エルジェは腰に差してある剣を少しだけ引き抜き、親指を小さく切る。すると赤い血がたらりと流れだすのがその場にいる全員から確認できた。
「主様っ!」
『なぜそんな事を?』と驚くナユを制止し、エルジェは話しを続ける。
「この通り俺も赤い血の通った人間なんだよ。なので畏まる必要はないからどんどん話し掛けてほしいんだ。皆と仲良くしたいし、いろいろな事を教えてもほしい。今の俺は、この世界において右も左も分からない赤子同然だからな」
『………』
「そして、今は何を成せばいいのかもよく分からないんだ………可笑しな事だよな……この世界へと誘われたというのに」
これにはこの場にいる全員が唖然としたが、先程とは違い皆が真剣な眼差しをエルジェへと向ける。けして横暴でもなければ話しが通じないという訳でもない。寧ろいろいろと教えてほしいとまで言われた。
目の前にいるこの男がタリナの新しい長であり、神ではなく同じ人間だという事を、クガンも含め改めて認識したのだった。
そして、この後は軽く昼食をつまみながら、どういった運営をしているのか一通りの説明を受けていく。
現在、ワカルフを拠点として活動している者は四十名。四名一組として護衛に就く為、大きな商隊を護衛する場合は二組または三組と組単位で増員しての依頼受けとなるらしい。つまり、最大で十組を運用する事が可能だ。
本日は十二名が残っている事を考えると、二十八名の者、組にして七組が護衛として出払っている計算となる。商隊の護衛以外はよほどの事がない限り受けないという事で、やっている事は普通の護衛業であり、内容としては特に問題ないと思われた。
一つだけ気になったのは、王都イダンセの近郊にも砦を構えているという事だ。
テタリオ砦と呼ばれるその砦は、タリナ砦の三分の一ほどしかない小さな砦という事だが、王都イダンセにも支部があり、南方の拠点として、テタリオ砦と連携しながら護衛業を運営しているらしい。
そちらでも六十名十五組運営されているらしく、合計百名二十五組が『タリナ商隊護衛業』の総護衛戦力と把握する事が出来た。
主に街から街へと護衛する為、足の遅い商隊であれば、ワカルフからイダンセまでは二十日あまりの護衛となり、ラターニア王国最南端の都市リトナまで護衛の場合は、イダンセで護衛を引き継ぎ更に四日ほどが必要となる。
他国、ラハリクとメトはワカルフからほぼ同一距離で十五日ほど、それ以外の他国都市はここから護衛を引き受ける事はない。
まずはタリナとワカルフでの事を把握できればいい為、それに関しては後日ロウホにでも説明してもらえば良いだろう。
こうして『タリナ商隊護衛業』への訪問が終わると、陽は少し傾いてきてはいるが夕刻にはまだ早い。面倒な事はなるべく早く片付けてしまえという事で、次に向かう場所は領主の館と決まった。
先触れとしてミシュンを先行させると、準備が整い次第エルジェ達は次の場所へと出発した。




