ワカルフの街へ(後)
「主様、お怪我はありませんか?」
「ああ、大丈夫だ」
そういって微笑むと、ナユは薄っすらと頬を染めながら微笑み返してくれた。
「エルジェ様、一つお聞きしたいのですが、どの程度のモンスターまでなら相手にできるのですか?」
「そうだなぁ、こちらの世界にどういうモンスターがいるのかは分からないけど、俺のいたネオスフィアという世界では、ジャイアントオーガなら複数体同時、下位の龍種までなら一人で相手にして問題ないって武術の師から言われてたかな。試したことはないけどね」
『…………』
「ん? 皆どうした?」
「この大陸でタリナの男衆といえば猛者で通っていますが、それでも先程のようにフォレストベア、しかも興奮状態であるのを二体同時に素手で圧倒するのは無理ですな」
「素手ではなく武器を持てば問題ないのだろう?」
「それはそうですが、やはりエルジェ様の強さは我々からすれば規格外かもしれません。まだ本気ではないでしょうし」
「俺からすれば異能をもつタリナの民だって異質だよ。まぁ、話しはこれくらいにしてワカルフへと向かおう」
エルジェ達は、まだ近くにフォレストベアが潜んでないかを確認し、出発時と同じように梯隊を組むと、ワカルフへと向けて出発した。それからの道中は特に何事もなく、左手の森を大きく南へと迂回するように続く道をそのまま進み、イダンセとワカルフを結ぶ街道へと合流する。
街道は馬車がすれ違っても大丈夫なほどの拡幅整備がなされており、街まであとわずかばかりの道程という事もあるからだろう、徒歩や馬車で移動する人々、冒険者パーティーといった者たちの姿も多くなってきた。そして、外壁が見えてくると、ナユはフードを目深に被りワカルフへと入る為の準備をはじめた。しかし、それを見て不思議に思ったエルジェは小首を傾げる。
「ナユ? どうしてフードを被ったりするんだい?」
「タリナの決まりなんです。砦の外へと行く時は男衆二人以上の同伴、そして、人が多いワカルフへと行く時はフードを目深に被らなければならないという決まりです」
「じゃあ、ワカルフに住む者達はタリナの女衆の顔を見たことがないのか…」
「タリナ砦へと入る事を許されている僅かな者しか見た事はないはずです」
「そうか……まぁ、タリナの女は美しい者が多いし、それなりに対策も必要かもしれないけどね。するとワカルフは治安が悪いと言う理由か……」
「治安が悪いとか特にそういう事はないと思います」
理由が思いつかずまだ首を傾げているエルジェに対し、ナユは治安が悪いという事はないと言う。
「なら、ナユの美しい顔を隠すなんてもったいないじゃないか。俺が許すからフードは被らないという事にしよう」
「あっ!」
そう言うとエルジェはナユの被っているフードをおろしてしまう。すると、美しい黒髪が肩へと解け、紫紺の瞳がエルジェを見つめ返してきた。
「やはり顔が見えていたほうがいい。ワカルフの住民達も急に表れた美少女に驚くだろうな」
「そんなことは……」
「きっと驚くさ」
「では主様も驚かれるかもしれませんね」
「俺が?」
「はい。きっとそうです」
そう言ってナユはクスクスと笑った。
自分に驚かれる要素はないだろうなどと悩んでいるうちに、ワカルフの南大門が近づいてくる。
近づくのにあわせ馬車は少しずつ速度を落としていき、完全に馬車が止まると、衛兵が近づいてきてクガンと言葉をかわす。
「この馬車はタリナの者だな。中はいつものようにタリナの女だけか?」
「いや、今日はそれ以外にも連れてきている」
「そうか、では決まりなので中を検めさせてもらおう。領主との取り決め通りフードはとらなくてよい」
「わかった。エルジェ様、衛兵の検分です」
「ああ」
クガンは馬車の中から了承の言葉が返ってくると、馬から降りて入り口を開け放った。そして、中の状況を見て目が驚きに見開かれる。
「なっ!? ナユ、なぜフードを被っていないのだ」
「そ、それは……」
「俺が許した。フードに隠れて美しい顔が見えないなどもったいないだろう?」
「し、しかし……」
そして、衛兵も検分の為に中をのぞき見て同じように驚く。
「こ、これは……」
はじめて目にするタリナの女の顔。馬車の中にいる少女は、少なくとも衛兵が今まで見てきたどの女よりも美しい顔立ちをしていた。
自分の仕事も忘れ見惚れてしまった衛兵だが、我に返るとあわてて口を開く。
「も、問題なしだ。通ってよい」
「だそうだ。クガン、ワカルフへ入ろう」
「わかりました……」
もうどうとでもなれと諦めた様子のクガンに、ナユは申し訳なさそうに頭を下げた。
衛兵から許可証をもらって御者に渡すと、エルジェ達は門を潜り抜けてワカルフへと入る。そして、まず最初に向かったのはタリナが護衛業を営む『タリナ商隊護衛業』の事務所だった。
南大門から真っすぐ北へと進み、二つほど交差点を抜けた左手にその事務所はあった。
事務所の前へと馬車を止め、歩道上に二人が降りると、人通りの多いメインストリートだけに注目が集まる。男はナユに、女はエルジェへと遠慮のない視線を送り、中には足を止めて見惚れてしまう者もいる。おそらく通りを歩いている者達には、美男美女の高貴な者にでも見えているかもしれない。
見られるという事が前提の闘技場戦士であるエルジェとは違い、ナユは人から見られるという事に慣れていない。少し恥ずかしくなり、フードを被ろうと手をやるが、エルジェはその手を取ると、ナユのほうを見て顔を左右に振る。
「もう隠す必要はないよ。そのうち慣れるさ」
エルジェにそう言われてしまえば諦めるしかなかった。
生まれてから殆どをタリナ砦の中で暮らしていた事から考えれば、自分が今まで大事に守ってきた決まり事を平気で破ってしまう主、自由に振る舞うエルジェに驚かずにいられない。
外の世界へと強い憧れを抱いていたナユに、自分の主はこれからもいろいろな事を経験させてくれるだろう。そして、もしかしたらもっと遠くの街、それこそ別な国などへも連れて行ってくれるのではないだろうか。と、大きな期待を抱かせてくれるのだった。




