逃げた奴隷②
もうじき昼になろうかという時間、やっと目を覚ました女は、気怠そうに上半身を起こすと、酷い頭痛に右手を額に当てた。
昨日、酒場で一人酒を飲んでいる時に、しつこく口説いてきた男が居たのだが、下心見え見えの誘い文句に辟易しつつ、酒を奢らせる事で同席を許した。女にしてみれば暇故の気まぐれだったのだが、それが災いしてしまった。酔い潰してしまえばいいだろうと簡単に考えていたのだが、予想外にその男は酒に強く、酒豪を自負する女でさえなかなか酔い潰す事が出来なかったのだ。
つまりは男も同じような事を考えていたという事なのだろう。
最終的に男は酔い潰れ眠ってしまったが、やっと男から開放された頃には、ほぼ同じペースで酒を飲んだ自分自身もかなり酔ってしまっていた。すぐ宿に帰ってきて寝たという所までは覚えている。しかし、それからの記憶がはっきりとしなかった。そして、目が覚めれば体は汗にべた付き、二日酔いの頭痛はひどい。それに加え部屋のあちこちには装備と衣類が散乱しているという有様だ。
五日に一度は休日と決めていた為、羽目を外して大酒を飲んだ女だったが、今更ながらに後悔している。
彼女の名前はイシュカ・ランベル。王都イダンセを拠点として活動する冒険者である。
貴族の令嬢のように整った容姿、剣を握らせれば並の冒険者では敵わぬ実力があり、ラターニア王国第二王子であるサルファスがご執心だというのも王都イダンセでは有名な話しである。
イシュカは冒険者にしては珍しく、固定パーティーは組まずにソロで活動している。
ソロで活動できるだけの実力を備えているといえばそれまでだが、若くして上級冒険者と呼ばれるAランクまで登り詰め、パーティーへの誘いも引く手あまたなのだが、イシュカはその誘いを全て断っていた。
理由は「ある最強パーティーを知ってしまったから」だとか。
そんな彼女も臨時でパーティーに入る事はある。それはモンスター討伐依頼や護衛といった依頼だ。しかし、今回イシュカがワカルフまで来たのはそのどちらでもなければ、パーティーを組む事で達成するような依頼でもなかった。それは、イシュカがイダンセにある冒険者ギルドより依頼された内容が、奴隷の密輸に関しての調査であるからだ。
王国の規定により、ラターニアでは子供を奴隷として扱う事が禁じられている。しかし、王都イダンセに住む貴族へ、密輸された子供の奴隷が出回っているらしく、その状況を重く見た王国元老院は、ギルドへと秘密裏に調査依頼を出した。それをイシュカが引き受けたという形だ。
情報屋から、奴隷がワカルフから流れてきているという情報を得たイシュカは、現在調査の為に滞在している。まずは変装により自分が冒険者であるという事を偽り、気に入った奴隷を見つけるまでは通うという設定を設け、何日かに一度は奴隷市場に足を運ぶ。そして、いろいろな奴隷商人と会話しては顔と名前を覚えるといった事をしているが、今のところ有力な情報を得る事は出来ていなかった。
しかし、ふとした事から事態は動く事になる。
外が騒がしい事に気づき、嫌々ながらもベッドから起き出したイシュカは、カーテンの隙間から外の様子を伺ってみた。すると外では多くの若い男達が何かを探しているようだ。その中の一人に目を止めると、具合の悪さなど嘘のように目が鋭さを増していく。何度も通った奴隷市場のとある商会で、イシュカはその男の顔を見知っていた。
(あれはカファス商会の……。外では一体何が起きているの?)
自分の冒険者としての勘が何かを訴える。
それに外で奴隷商に関わる何かが起きているとなれば、今日は休日などと言って休んでなどはいられない。奴隷市場に行く為の服ではなく、冒険者としての服装を整え愛用の長剣を腰に装備する。鎧は身に着けず、盾の代わりも果たす手甲のみ左手に装備し、最後に少し迷ったあげく、もう一つ短剣より少し長めの武器も腰へと装着した。
イシュカは部屋を出る前に水差しをそのまま口へと運び水を飲む。その後に何かを短く呟いていたが、その後はやけにすっきりとした顔をしていた。
最後に腰につけたポーチの中身を確認すると、情報収集をする為に部屋を出た。
「もう嫌だよ。何も悪い事してないのに……どうしてこんな目に合うの?」
少女は飢えと捕まるかもしれないという恐怖に耐えながら、助けが来ることを祈る。
見る者が見れば分かるが、やや褐色の肌をしたその少女の種族は、この大陸であまり見かける事のないアマゾネスである。
女だけの種族であるが故に男を惹き付ける為とも言われるが、アマゾネスは他種族に比べ身体の成長が早熟の傾向にあり、少女もその特徴が表れていた。まだ少し幼さを残した顔であるのに対し、胸の起伏は同年代の少女より女を主張し、身体付きも丸みを帯びて色香が滲み出し始めている。大人とも少女とも取れる身体、南方にあるアマゾネスの住む島で有無を言わさず捕らえられた少女だが、今の成長過程にある身体ゆえ奴隷狩りに捕らえられたのだった。
捕まってから何日が経っただろうか、船で移動した為、遠くへと連れてこられたのは分かる。
だが、島から一度も出たことがない少女には、自分の居る場所が何処なのかという事まではわからない。それでも少女だとして侮った奴隷商のスキを見て逃げ出す事には成功した。そして、今は助けてくれそうな人が近くに来る事を期待し、何処の誰の厩舎かはわからないが身を隠しているのだった。
(できれば優しそうな人がいいなぁ)
そう考えるも、今のところ厩舎に来たのは少し強面の厩舎番だけであり、とてもではないが助けてくれそうには見えなかった。何か大きな建物の裏手ということもあり、まだ厩舎番以外の者を見かけていないという事も少女の不安を煽る。
そうして耐える事半日くらい経った頃だった。
厩舎へと誰かが近づいて来たのが少女にはわかった。
まずは厩舎の入り口を開ける音、そして、歩く時に響く靴の音は厩舎番のものとは違うものだ。それらから今まで厩舎に来た事がない者だと判断すると、少女は息をひそめて様子を伺う。厩舎の中には、他の馬とは明らかに違う威風堂々とした馬が一頭だけいるのだが、厩舎に入ってきた人物はその馬の前で歩みを止めたようだ。
「ヒヒィーン」
自分の主だと分かっている為だろうか、馬は嬉しそうに一度だけ嘶く。
「マルス、なかなか外に出してあげれなくてごめんなさい。もう少しだけ我慢してね」
(男じゃない!)
聞こえてきたのは女性の声だった。飼葉置き場で飼葉の中に身を隠していた少女は、男ではなく同姓の声だった事に安堵する。すると、また足音とともに女は移動し、今度は自分の方へと近づいてくるのがわかった。女とはある程度距離があり、多少身じろぎした程度では気づかれる筈はないのだが。
「そこに隠れている者、大人しくでてきなさい」
気づかれた。いや、厩舎へと入ってきた時から気づいていたのかも知れない。
少女はこれが神様のくれたチャンスだと言わんばかりに飼葉の中から転がり出る。
「お、お願い助けてっ」
「あなたは……」




