そして、降臨する
そして儀式の時間は来る。
ロウホの屋敷の前に広がる広場には、タリナ砦に住むほぼ全員が集まっていた。
そして、作られた壇上には神の降臨を待つ為の祭壇があり、タリナの民にはよく意味の分からない言葉が書かれた旗が二本ばかり立てられている。
その壇上の中央にロウホが立つと、広場の騒めきが急速に収まっていく。そして、広場の騒めきが完全に収まると、一つ頷いて話し始めるのだった。儀式の始まりである。
「此度の仕え人送りの儀式は、前の創造神様降臨より五百を数える節目の儀式となる。もし、創造神様が降臨されたならば、また我々に新しい何かをもたらしてくれるだろう。それでは仕え人送りの儀式を始める事とする。神へ祈りを」
『祈りを』
広場に集まった全員が唱和復唱し、目を瞑って祈りを捧げる。
それが終わると、ロウホは壇上から降りて端に寄り、控えているクガンのほうへと合図をする。
「火を灯せ」
クガンの声が響くと、儀式スペースの両脇に建てられた松明に次々と火が灯されていく。
予行などしていなくとも両端でタイミングを合わせて灯される松明は、これぞ儀式と思わせるに十分な雰囲気を辺りに醸し出す。
「野牛をここへ」
またクガンが指示をする。すると、三頭の野牛の子牛が広場まで男衆に引かれ連れてこられる。
野牛が祭壇手前十メートルほどの所で止まると、ロウホがまた儀式を進める。
タリナの民は一部の事を除き、何事にもあまり時間を掛けるということをしない。
儀式はテンポよくどんどん進むのだ。
「創造神様に贄を捧げよ」
すると三人の男衆のうち一人が自分の腰から短剣を抜き、野牛の喉を切り裂いた。大量の血が噴き出し、野牛は声をあげることもなく足を折り、やがて眼を閉じると動かなくなった。
と、その時だった。祭壇の方を見ていた者が異変に気付き声を上げる。
「なんだあれは? あの祭壇のあたりが何やらおかしいぞ?」
「まさか、本当に創造神様は降臨なさるのか?」
などと声はどんどん伝播し、聞きつけたロウホも祭壇の方へと顔を向ける。すると祭壇の中央あたりにある空間がぐにゃりと歪んでいるのが分かった。
ロウホは少しの間驚きに目を大きくしていたが、すぐ落ち着きを取り戻すと儀式を続けるように合図する。そして、次の野牛が捧げられ動かなくなった頃には、空間の歪みは誰が見てもわかるほどの大きさになっていた。
ここまで来ると流石に創造神降臨の期待が否が応でも高まる。しかし、三頭の野牛が贄とされた後も、それ以上の変化は見られない。
(やはり、伝承の通りであるとすれば、ナユも贄とせねばならぬか)
ロウホは心の中でだけ声にすると、また儀式を進める指示をする。
「送りの儀式に入る」
その声が広場に響くと、カナンに連れられたナユが広場の奥から歩いてくるのが見えた。
いよいよ儀式もクライマックスである。
皆の視線が歩いてくるナユに集まるが、そんな事を気にした様子もなくゆっくりと歩を進める。
ある程度近づくと、ナユにも祭壇上の起きている変化が分かった。そして、予定の位置につくと片膝を付き祈りを捧げる。否、意を決すると心の中で思いを打ち明けるように、ゆっくりと創造神に語り掛けるのだった。
(私は、本当に創造神様の元へと行くことができるのでしょうか? それとも、ただここで贄の野牛と同じように生を終えてしまうだけなのでしょうか? でも、そうだとすれば、いったい何の為に今までお役目の者は送られてきたのでしょうか? 覚悟は出来ていると父様には言ったけど、私は…私は……本当はもっと生きたい………)
そう心の中で言うと、ナユは自分の目から涙が溢れて伝うのが分かった。
そして思いはさらに涙とともに溢れ出す。
(大好きな父様、母様、妹のナユともっと一緒にいたかった。私はここタリナの民として)
「もっと生きたい……」
すでに最後のほうは小さいながらも声として口から出ていたのだが、そんな事にも自分では気づいていなかった。
お役目に選ばれてから毎日のように考えていた思いを、心の中で、または声として言い終わった時だった。後ろの方から誰かが近づいてくるのがわかった。おそらく、流れの通りであれば送ると言ったクガンだろう。 そして、歩いて来た存在はナユの右隣へと立つと、腰のナイフへとゆっくりとした動作で手をやる。
やはり、神から見れば小さな存在である私の思いなどは届くはずもないのだ。と、ナユは覚悟を決めると祭壇の方へと目をやった。
するとその時だった。
変化が現れた祭壇のあたりから眩い光が漏れだし、小さな粒子となると何かを模りはじめる。
その変化に広場の者は皆声を殺してそれを見守る。
祭壇上の光の粒子は徐々に人の形を成しはじめ、『パキーン』と大音量でガラスでも割り砕いたような音とともに祭壇の歪みがなくなると、そこには顔の上半分に仮面をつけた男が現れていた。
それを見たロウホは狂喜する。
「おぉ・・・神がっ、神が降臨なされた。やはり五百を数える此度の儀式は特別であったか。今すぐに、今すぐにこの娘も神に捧げましょうぞ。クガンよ、儀式を続けよ」
やはり私は、とナユが身構えた時だった。
壇上の男の姿が掻き消えると自分のすぐ目の前に現れ、少し遅れて離れた所から『ザザザー』と何かが地を滑っていく音がした。
そして、目の前の存在はナユの手を取り立たせるとこう言った。
「無事でよかった……。怪我は無いかい?」
ナユはその声を聞いた時、今まで感じた事のないような安心感を覚える。
目の前の存在に話しかけられた驚きに頷く事しか出来なかったが、自分はまだタリナの民として生きることが出来るという強い想い。
その想いは目の前の存在を自分がこれから仕える主として強く認識させる。
そして、少女は自然と祈りを捧げるのだった。
「私の主様……」
するとロウホも膝立ちになり祈りを捧げる。それを見た者達も次々と同じ姿勢になり祈りを捧げ始める。
「祈りを」
『祈りを』




