彼女のマンションで
ぼく達を乗せた百円バスほどなく終点の新浦安駅に着いた。
「ぼく、良かったわね。この服は宝物ね」
おばあちゃんは少年に向かってにこにこしていた。
「うん」
少年はバスを降りた後、ぼくに深々と頭を下げ走って行った。
「俺、かっこいいサイン考えてたんだけどなあ。初めてお披露目できると思ってわくわくしてたのに、お前だけかよ。チェッ」
誠はそう言って項垂れた。
「まあまあ」
ぼくは誠の肩をぽんと叩く。
「じゃあ、帰る。また月曜日な」
「おう。またな……誠……ありがとな。俺、有紀美のこと大切にするから」
「おう」
誠は駅の中へ入って行った。今日ぼくが新浦安駅に来たのは駅まで誠を送ることが目的ではない。有紀美とデートの約束をしていたのだ。スマートフォンを取り出し時間を確認した。十一時二十七分。約束の時間までまだ三十分以上ある。
新浦安駅の周辺には暇つぶしのできる場所がたくさんある。
ショッピングモールの中の書店で時間を潰すことにしたぼくはロータリーの脇を歩きだす。
「たっちゃん」
後ろからぼくを呼ぶ声がした。その声は有紀美であるとすぐに分かり、ぼくは振り向いた。
ジーパン生地のショートパンツに丈の短いピンクのTシャツ。彼女のおへそが露わになっていた。しかも少し小さめのTシャツは彼女の体のラインも浮かび上がらせている。
九月とはいえ、今日は太陽が燦々と輝いていた。
くっそー。なんでそんなに可愛いんだ。
「もう来てたんだ」
ぼくは目のやり場に困っていた。
「うん。たっちゃんも早く来るような気がして。早く逢いたかったし」
「そんなこと言ってえ、可愛すぎ」
「もう、恥ずかしいからやめてよ」
「そんな風に、真っ赤な顔で照れる有紀美がまた可愛いんだよね」
「もう、知らない」
彼女はぷんとそっぽを向いた。でも怒っているわけではない。
「なあ、ご飯まだだろ? 食べに行こうよ」
「うん」
彼女はご機嫌になった。まあ元々そんなにへそを曲げていたわけでもない。
「どこ行く?」
「パスタ屋さんに行きたい」
「いいね。確かショッピングモールの中にパスタ屋があったよね? そこいこっか」
「うん」
彼女はぼくの腕に摑まった。
学生のお財布に優しいパスタ屋の前に着くと、店内は混みあっているようだったがすぐに窓際の席に案内された。
ぼくはトマトソースベースのパスタなら何でも良かった。父の影響なのか、タバスコなどの辛い香辛料をかけて食べるのが好きなのだ。
「そんなにかけるの?」
彼女はびっくりしたようにぼくの顔を見た。
「辛いの好きなんだよね。今度バイト代が入ったら韓国料理屋さんに行こうよ。おごるから」
「いいけど高いんじゃないの?」
彼女は右手のお父さん指とお母さん指を繋げ、わっかを作ってぼくに見せた。
「大丈夫。時給千二百円ももらってるんだ。お父さんの同級生のお店なんだよ。そこに綺麗なおねえ……」
ぼくは話を止めた。つい勢いで話そうとしてしまった。彼女に変な心配をさせたくなかったのだ。
「どうしたの?」
「ううん。何でもない」
その後、彼女はペスカなんとかというパスタを食べ終えた。
「今日、これからどうする?」
ぼくは有紀美と一緒に過ごせればどこでも良かった。
「そうだなあ。有紀美のお家にでも行こうかな」
ぼくはエロ親父のように鼻の下を伸ばしながら、そうおどけた。
「じゃあ、そうしよ。パパもママもいないし、DVDでも借りてうちに行こうよ」
彼女から以外な言葉が返ってきた。一線を超えることを覚悟しているんだろうか。それともただ単にDVDを観たいだけなんだろうか。どうしよう。あろうことか、ぼくは期待と下半身を膨らませてしまった。
「じゃあ、そうしよう」
ぼくの顔は、まさかの展開に引きつっていただろう。
ぼく達は館内にあるレンタルビデオ屋さんに入った。そして彼女は一つのDVDを探し、手に取った。
「ゴースト/ニューヨークの幻」そう書かれたDVDを持ち、彼女はぼくに近付いてきた。
「これこれ、これが観たかったの。パパとママが結婚する前に映画館に観に行ったんだって。ママ号泣したらしいよ」
なんだか聞いたことのあるタイトルだった。ぼくは感動物を観るとすぐ涙がでてきてしまう。彼女の前で泣くわけにはいかない。
「コメディっぽい映画にしない?」
彼女は大きく首を振った。
「嫌だ。これが観たい」
ぼくは……負けた。
新浦安駅から十分近く歩いただろうか。茶色い建物が目に入った。「MEIKAI」建物の上にそう書いてある。大学である。元々その大学は埼玉にあったらしい。城西歯科大学というカレッジだったようだ。その単科大学に外国語学部と経済学部を設け、浦安にキャンパスを置いた。カレッジからユニバーシティになったのだ。
明海大学の名前の由来は単純である。キャンパスの住所が「浦安市明海」なのだ。ぼくの父は明海大学と名前が変わった直後に入学したらしく、明海大学の一期生である。父いわく、外国語学部、卒、らしい。
中三の夏休み後半、野球部を引退したぼくは初めて海外旅行をした。といってもハワイだったので日本語で充分だった。しかしタクシーに乗った時、運転手は日本語が解らないらしく、父が運転手と英語でやりとりをしていた。かっこいいな、この関西人。ぼくはそう思った。
それからぼくは英語の授業だけは真面目に聞こうと思ったのだ。お陰で成績は英語と体育だけは毎回5である。
「あの白いマンションだよ」
彼女が高層マンションを指差した。
「凄いマンションだね。こんなところに住んでたんだ」
彼女はぼくの手を引っ張り駆けだした。マンションのエントランスに入ると二基のエレベーターがあった。彼女は上を向いている三角形のボタンを押した。何度も何度も押していた――エレベーターさん、早く来い。そう言わんばかりに何度も押していた。
エレベーターに乗った瞬間、彼女が抱きついてきた。防犯カメラがぼくの方を睨んでいる。でもぼくはカメラなんて気にならなかった。彼女を抱きしめ、何度も何度もキスをした。
エレベーターのドアの上にデジタル表示がある。20のところで止まり、ドアが開いた。
「こっち、こっち」
彼女がぼくの腕を引っ張る。
玄関のドアはいかにも高級そうで重かった。
「お邪魔しまーす」
畳二十枚が入りそうなリビングには高級そうなソファがぼくを待っていた。そのソファの前に、ふかふかのラグが敷いてある。ぼくはそのラグを踏んだ瞬間、足が深く沈むのを感じた。
「うわっ、すげ」
思わず声を漏らした。
「待っててね、今紅茶淹れてくから」
ほどなく、ぼくの座っているソファの前にある高級そうなガラステーブルに、紅茶が二つ並んだ。ぼくはティーソサに置かれたレモンスライスを紅茶の中に滑り込ませると、香ばしいレモンの香りが届けられた。
彼女はDVDをセットすると、ぼくの隣に座った。リモコンを手に持ち再生ボタンを押す。
「でかいな、このテレビ。何インチ?」
「百」
「えっ?」
ぼくは唖然としたが、彼女は食い入るように画面を見つめていた。
ぼくも映画に集中した。