有紀美にそっくりなお姉さん ~はい。一目惚れです~
夏休みも残り一週間を切っていた。暑さは少し和らいだ気がする。今日の日中も太陽が燦燦と輝いてはいたのだけれど、嫌な暑さではなかった。
部活も引退し時間を持て余すようになったので、ぼくはアルバイトを始めようと思った。彼女との時間が合えばなるべく逢いたい。だから夜の仕事を探していた。彼女には門限があるのでどのみさち夜の九時以降は逢えないからである。
「お父さん、俺バイトやりたいんだけど何かないかな。なるべく夜がいいな」
「おう、それやったら聞いてみたるわ。高校ん時の野球部の同級生が浦安で串揚げ屋を始めてん。誰か紹介してくれへんかってこの前ゆうてたから。ちょっと待っとき、今電話してみるさかい」
父の清志は兵庫県の神戸生まれである。大手広告代理店に勤めている父は何度も転勤し、あちこちの言葉が交ざっている。背は高くかなりのマッチョなのだ。
兵庫の報拓学園という高校でキャプテンを務めたらしい。甲子園にも一度出場したらしく、朝日新聞社が撮ってくれた写真が沢山アルバムの中に飾られている。
その中の一枚をパネルにし、我が家のリビングに飾ってある。少し色あせているが父の宝物である。間もなくぼくの勇姿が映った写真の山も朝日新聞社から届く。父にお願いして、その写真の中から三枚パネルにしてもらった。パネルにするのは料金が高い。父は渋い顔をしたのだけれど、母の援護射撃により父もしぶしぶ納得してくれたのだ。そのうちの一枚は神戸のおばあちゃんに送るつもりである。
ぼくは父を超えたいと必死で野球を頑張ってきた。
甲子園でのチームとしての成績は父を超えた。父は甲子園で二回戦敗退だったようだが、ぼくはベスト8まで勝ち進んだ。しかし高校通算のホームラン数は二本及ばなかった。ホームランだけが野球ではないけれど、少し悔しかった。悔しさもあったが、父の偉大さにも気付かされた。
「もしもし、まいど! 儲かってるか?」
父の同級生に電話が繋がったようだ。
「なにがぼちぼちやねん。この前お店の前通ったら、満席やったじゃん」
――じゃん?
父がえせ関東弁を使った。
「そうそう、ほんでな、うっとこのせがれがバイトしたいってゆうてんねんけど、まだ募集してるか?」
「……」
「そうや。この前甲子園でホームラン打ったあのせがれや」
父は自慢げだった。
「……」
「ほうか。おおきに。ほな今から行かせるわ」
父は電話を切ってぼくに言った。
「今は忙しないけど十時に予約が入ったんやて。今から手伝ってほしいみたいやからすぐ来てくれってゆうてたで。はよう、支度し」
「うん。分かった」
ぼくはそう言って着替えの為に部屋へ戻ろうとしたが、足を止め振りかえった。
「お父さん、ありがとう」
「ええから、はよし」
「うん」
ぼくは急いで着替え、家を出た。でもすぐに戻ってきた。
「お父さん、そのお店どこにあるの?」
場所を聞いていなかったのだ。
「浦安駅の近くに西友があるやろ? 西友の駐車場入口の正面に『串かつ、山田』ってお店があるから」
「分かった。じゃあ行ってきます」
ぼくは自転車に乗り、急いで浦安駅に向かった。
自転車のペダルを必死で漕ぐが、月がぼくに付いてくる。登り坂を立ちながら漕いだ。小さな橋がその坂の頂点で、橋を超えると下り坂がぼくを迎えてくれる。ぼくは両足をペダルから離しぴんと伸ばした。何とも言えないほど風が気持ち良かった。
七月、千葉県予選の前に母がバリカンでぼくの髪の毛を短く切ってくれた。あれから一ヶ月半が経過し、ぼくの髪の毛は少し伸びていた。といっても、一般の人から見ると超短髪少年なのだろう。でもぼくの髪の毛は何年かぶりに三センチに迫る勢いの長さだった。風がぼくの前髪を押し返してくる。なんだかちょっと、嬉しかったりもした。
「これから髪の毛どうしよう」
坂道を下りながら、そんなことを考えた。母がスマートフォンの待ちうけに設定しているイギリスの元サッカー選手。あのかっこいい人、名前、なんだっけ? あの人みたいな短髪もいいかな。とりあえず有紀美に相談してみよう。という結論がでた。
そんなことを考えていると、ぼくの十メートルほど前を茶色い仔猫が横切った。どうやら首輪はしていないようだ。轢いてしまうほどの距離ではなかったのでぼくはブレーキを掛けずに通り過ぎようとした。すると、何を思ったのか仔猫は踵を返しぴょんと飛び跳ねた。自転車の前輪に当たり一メートルほど飛んでしまった。
なんか見たことのある光景だった。しかしいつものデジャヴであるとすぐに分かった。
ぼくは急ブレーキを掛け止まった。どうやら子猫は生きているようだが少し震えている。ぼくは仔猫を抱きあげ「大丈夫かにゃ」そう問いかけると、元気に「ニャー」と返事をしてくれた。仔猫はぼくの手の平からぴょんと飛び下り、どこかへ消えていった。
再び自転車にまたがり先を急いだ。
ほどなく串揚げ屋さんに着き、ぼくは暖簾をくぐった。
「こんばんは」
ぼくがお店に入ると、カウンター席に一組のカップルが座っているだけだった。
「達志君?」
父と同年代の店長さんらしきおじさんがぼくに話しかけてきた。
「はい。成願達志です。宜しくお願いします」
すると、キッチンと思われる場所から綺麗なお姉さんが出てきた。
「あ、店長がさっき話してた新人さんね。葉月です。宜しくね」
ぼくはぶったまげた。可愛いお姉さんだった。しかも有紀美に似ている。でも有紀美は一人っ子のはずである。有紀美のお姉さんであるわけがない。
有紀美に全く引けをとらないくらい綺麗なお姉さんだった。すらりとした体型に加え、顔は異常に小さい。金髪と茶髪の中間くらいだろうか。その真っ直ぐ伸びたロングヘアには天使の輪が幾重にも輝いていた。大学生なんだろうか。それともこのダンディな店長さんの……。
少し良からぬ妄想が頭をよぎった。
ぼくは首を振った。そんな訳はない。
その後、葉月さんがぼくに仕事の内容を教えてくれた。予約の団体さんが来る前にということで、いろんな仕事を僅か二十分ほどの間で説明された。
予約の団体さんが来たそばから、その他のお客さんもどっと押し寄せ、またたく間に店内は満員になった。
日付が変わったころ、全てのお客さんが帰っていった。
ぼくは役に立っていたのだろうか? ふとそんなことを考えた。すると店長さんがぼくのほうへやってきた。
「達志君、今日は助かったで。ほんまはちゃんと教えてから仕事してほしかってんけど、忙しかったからなんも教えられへんかった。ごめんな。ほんでもよう動いてくれはったからごっつい助かったで。おおきにやで。しかしキヨシによう似とんな。口元とかそっくりやで」
父とイントネーションが似ている。当たり前のことだがぼくはそう思った。
「達志君、お疲れ様でした。またよろしくね」
洗い物を終えた葉月さんがキッチンから出てきてぼくに笑顔を投げかけた。
なんだこの透き通った笑顔は。たかだか十八年の人生ではあるが、こんな笑顔の素敵な人は有紀美と葉月さんだけだった。
改めて葉月さんを見ると、やはり有紀美に似ていた。女性としての曲線もそっくりだった。二十一歳か二十二歳くらいだろう。
駄目だ。駄目だ。ぼくは首を左右に振った。
でも自分の気持ちに嘘はつけなかった。葉月さんに一目惚れしてしまったことを、ぼくはぼくに否定することができなかったのだ。