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二〇一八年――再会

 とうとう二〇一八年がやってきた。朝ベランダから外を眺めると葛西林間公園にある観覧車の左側に富士山の姿がくっきりと現れていた。今日ぼくと有紀美は死んで死んでしまうんだろうか。そう考えると富士山の美しささえ霞んで見えた。


 ぼくは百円バスに乗り、新浦安駅に向かった。二十歳くらいのお姉さんが鮮やかな色彩の振り袖を着て小股でバスに乗り込んできた。この人も初詣にいくのだろう。有紀美もこんなのを着たら可愛いんだろうな。ぼくは振り袖姿で微笑む有紀美の顔を思い浮かべた。


 そのお姉さんの後ろから、ニキビを頬やおでこに散らした高校生らしき男の子が乗り込んでくる。そして彼はぼくの顔を見ると笑顔で話しかけてきた。


「成願さんですよね?」


 なんだか見たことのある顔だった。しかしどこで会ったのか、さっぱり見当も付かなかった。これもいつものデジャヴなのだろう。


「あ、はい。そうですけど……」


 彼は苦笑しながら続けた。

「覚えてないですよね。ぼく、陰薄いし……。成願さんの一学年下で、同じ中学だったんです。小学校は違いますけど。妹さんとは中一の時、同じクラスだったんですけど、覚えてくれてるかどうか」


 彼のことは全く思い出せなかった――同じ学校にいたなら顔くらい知ってても良さそうなものである。こいつ、どんだけ陰薄いんだよ。


「あ、そうだったんだ。ごめん。覚えてないや」


「小学生の時も成願さんに会ったことがあるんです。まあ、それこそ覚えていないと思いますけどね」


「えっ? そうなの? いつ?」


「ぼくが小三くらいだったかな。男子の中学生達が女子の中学生をいじめていたんです。そしたらぼくと同い年くらいの気の強そうな女の子が通りがかって、その男子中学生達に『てめえら女子いじめて楽しいか。だっせえやつらだな』って中学生のお姉さんを助けたんです。お姉さんは逃げていきました。よかったあ、って思ってたら今度はその小学生の女の子が暴力を振るわれて……ぼくは意気地なしだから、見て見ぬふりをしようと思いました。でも女の子はお腹や足を蹴飛ばされてて、つい『やめろよ』って口出しちゃったんです。そしたら女の子は足を引きずりながら、どこかに消えていきました。多分助けを求めに行ったんだと思います。そしたら今度はぼくが暴力を受けてしまって……そこでぼくを助けてくれたのが成願さんだったんです」


「ああ、あの時の! 俺、覚えてるよ。君だったのか。俺もボコボコにされて、たまたま買い物にいく途中の母が助けてすれたんだよ。痛かったなー。俺も君も目を腫らしてさ」


「すみません。ぼくのせいで」

 彼は恐縮しながらはにかんだ。


「気にしない、気にしない。今となっては思い出だしね」


「あ、ぼくが中学に入るとその女の子がいたんです。あの時の女の子は叶夢ちゃんだったんです」


 ぼくは目を丸くし、彼を見た。

「まじ? 君が妹を助けてくれたの? ありがとう。ありがとうじゃないよな。妹のせいで君もボコボコにされちゃったんだもんね。ごめんね」


 ぼくが初めて「おかあさん」と呼べた日のことである。はっきりと記憶に残っている日なのだ。ぼくは母に肩を抱かれ家に帰ると、妹も足を引きずっていた気がする。どうしたんだろうとは思ったけれど、その時は体のあちこちが痛くて妹のことまで頭が回らなかった。


「いえ。いいんです。多分叶夢ちゃんはお母さんを呼びに行ったんじゃないですかね」


 そういえば、買い物に行く途中にぼくを見つけた。母はそう言っていたけれど、財布も何も持っていなかったかも知れない。ぼくは遠い記憶を掘り起こした。


「そうだったのか」


「ぼく中学に入って叶夢さんのことが好きになったんです。明るくて、運動もできて、友達もいっぱいいて、告白もいっぱいされてて。無い物ねだりって言うんですかね。まあ、あんなに可愛い叶夢さんがぼくの相手なんかしてくれるわけないとは思ったんですけどね。でも、ぼくはこの人気者の叶夢ちゃんを助けたことがあるって思うだけで、なんだか自信が付くっていうか……あ、叶夢さんには言わないで下さいね。鈴木がこんなこと言ってたなんて」


 鈴木君ていうんだ。初めて彼の名前を知った。


「大丈夫。言わないから安心して」


 そして鈴木君は神妙な面持ちでカミングアウトした。初めて話をしたぼくに対して。

「あの、信じられないかも知れないんですけど……」

 ぼくは嫌な予感がした。


「ひよっとして鈴木君て、二月二十九日生まれ?」


「なんで知ってるんですか?」

 鈴木君はびっくりしていた。びっくりなのはこっちですから! そう言いたかった。


「あ、なんとなく」

 ぼくは平静を装った。これは来るパターンである。馬鹿なぼくにも学習能力はある。


 いかにも鈴木君らしい、弱々しい言葉が流れる。

「ぼく……過去に行けるんです」


 ん? なんか違う。有紀美と葉月さんのカミングアウトとは何かが違う。そんな気がした。


「過去に……行ける? 未来から来た。じゃなくて?」


「はい。過去に行けるんです。信じられないですよね」

 鈴木君は硬い表情を解いた。


「うーん……分かった。信じる。普通誰も信じないことだろうけど、俺は信じる。で、どういうこと? 誰にも言わないから安心して。で? どういうこと?」


 その後鈴木君は有紀美や葉月さんと同じ説明をした。なるほど、この鈴木くんは鈴木君の本家なんだ。だから未来から来たではなく、過去に行けると言ったのだ。


「ぼく、成願さんに助けてもらってから、中学を卒業するまでずっと成願さんに憧れてたっていうか……。だから十六歳の誕生日に八年前の八歳に戻ったんです。八歳の姿のままで。ぼくも成願さんみたいに野球やってみたくなったんです。もっといっぱい友達を作って、明るく生きてみようかなって」


 鈴木君はそういって窓の外を眺めた。八歳に戻った自分の将来に期待しているのだろう。


 鈴木君は再びぼくの方を見て続けた。その表情は少し心配事でもあるかのように曇ったものに変わっていた。


「ぼくの分家は親ともぼくとも生活できないから、孤児院で生活してるんです。だからちょっと心配で。あ、そうそう。去年の秋だったかな。ぼくがこのバスに乗ったら成願さんも乗ってたんですよ。しかもぼくの分家もたまたま乗ってきちゃって。成願さんに気付いた分家はTシャツにサイン書いてもらってましたよ。覚えてます?」


「覚えてる、覚えてる。あの野球帽被った男の子だよね。あの子が鈴木君だったのか。なんか不思議な縁だね……俺達」


 話し込んでいるうちに車内の席は埋まっていた。

『次は終点、新浦安駅でございます』アナウンスの声にブザーを押す者はいない。


 ぼく達はメールアドレスを交換し、バスを降りた。

「それじゃあ」


 ぼくがそう言うと、鈴木君は、礼儀正しく頭を下げた。

「はい。それでは、失礼します」


 鈴木君を見送ると、後ろから有紀美の声が聞こえてきた。

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