有紀美と結婚?
関東地方の梅雨が明けたと今朝のニュースで言っていた。土曜の昼前、じりじりと刺すような初夏の陽ざしを受けながら、ぼくは地下鉄東西線の浦安駅で降りた。
父と母は駅の近くにあるスーパーで買い物をしていたらしく、駅のロータリーでぼくを待ってくれていた。
八人乗りのワンボックスカーの後部ドアがピッピッピッと音を立て、自動で開く。
「お兄ちゃん、お帰り」
叶夢が笑顔で迎えてくれた。
「おう。叶夢もいたのか。ただいま」
「おかえりなさい、達志。ちゃんと食べてる?」
助手席の母は振り向き心配そうに問いかけてきた。
「うん。帰って来られない土日は有紀美か叶夢がきてくれて、ご飯も作ってくれるから助かってるよ。バイト先でも従業員食堂でちゃんとしたもの出してくれるし」
「ならいいけど、ちゃんと食べて頑張ってね」
「そうそう、お母さん。叶夢が最初に来た時さあ、ハンバーグ作ってくれたんだけどね、それが真っ黒焦げでさあ……」
「もう! お兄ちゃん! そんなことばらさないでよ!」
ほっぺを膨らませながら、妹はぼくの肩をバシッと叩いた。
「ああ、だから最近料理を覚えたがっていたのね」
「だって、悔しかったんだもん」
「でも二回目来たときの肉じゃがは超美味しかったよ」
ぼくがそう言うと妹はたいそうご機嫌になった。
「でしょ? でしょ? わたしの生まれ持った女子力ってゆうのかなあ」
すると運転中の父は、バックミラーに映る妹の顔をちらっと見た。
「あ、謎が解けた。それでこの前三日続けて肉じゃがやってんな」
「もう! パパ!」
「ハハッ、叶夢ごめん、ごめん。でも達志、お前幸せもんやな。お前の為に妹が一生懸命料理覚えてんねんで。妹、大切にしいや」
「パパ、今いいこと言ったね。パパ大好き」
運転席の後ろから叶夢は父に抱きついた。
ぼくは三週間ぶりに家族のみんなと夕飯を囲んだ。いつもと変わらない、温かい空気が我が家のリビングを包んでいた。
叶夢は大きく口を開いて大笑いしている。
母はぼくと叶夢の馬鹿な会話の掛け合いを聞きながら目を細め微笑んでいる。
父は母が注いだ泡いっぱいのビールを口に運び、白い髭を付けながらぼくと叶夢の漫才を聞いている。
みんな幸せそうな表情を浮かべていた。
そろそろ寝ようということになり、ぼくは自分の部屋に入った。布団は既に敷いてあった。布団に大の字で横たわるとふかふかだった。おそらく母が干してくれていたいのだろう。ぼくはタオルケットを一枚だけ、お腹に掛け眠った。
翌日の日曜、ぼくは予定より早く目を覚ました。隣で何かが動くのを感じたからである。
「うわっ、なんでここに寝てんだよ」
妹は眠そうな目を擦りながらぼくの脇の下に潜り込んだ。
「お兄ちゃん、おはよ」
「おはようじゃねえよ。父さんや母さんが見たら変に思うだろうが」
「だって夜中に目が覚めたら寝られなくなっちゃって……くう」
また寝息を立て始めた。
ぼくは妹を抱きかかえ――いわゆるお姫様だっこっていうやつ――妹の部屋に連れていった。
布団の上に妹を置くと、ぼくを抱きしめてきた。
「なんだよ、起きてんのかよ」
ぼくがそう言うと、妹は少し真面目な目をして、
「お兄ちゃん、大好き」
恥ずかしげもなく、そう言った。
「はいはい。お兄ちゃんも大好きだよ」
妹は笑みを浮かべ、また寝息を立て始めた。妹の部屋に掛けてある時計に目をやると、まだ六時を少し回ったところだった。
ぼくは大きなあくびをしながら部屋に戻っていった。
ぼくは有紀美と結婚した。純白のウエディングドレスを身に纏い有紀美はお父さんに挨拶をしている。
「お父さん、今までわたしを育ててくれてありがとう。わたし、達志さんと一緒に生きていきます。お父さん……」
「分かった、分かった。それ以上言うな。達志君と手を取り合って、辛いとこも楽しいことも二人で分かち合って、幸せになっておくれ」
有紀美は大粒の涙を流した。お義父さんも涙をこらえ切れなかったようで有紀美以上に大泣きしている。
チャペルでお義父さんの腕に摑まり、有紀美が一歩一歩ぼくに近付いてくる。お義父さんはぼくに一礼し、有紀美をぼくに託した。お義父さんはぼくを見つめ「有紀美を頼む」そんな目をしていた。
外人の神父さんがつたない日本語でぼくに言った。
「……誓いますか?」
するとチャペル入口の大きなドアが開いた。逆光だったのでドアを開けた主の姿はシルエットしか見えなかった。ドアが閉まると眩しい太陽が姿を消すと同時に、主の顔がはっきりと見えた。
「か、叶夢!」
「嫌だー! お兄ちゃん、わたしを置いて行かないでー!」
「お兄ちゃん……お兄ちゃん! お兄ちゃんてばあ……早く起きてよお」
ぼくは目を覚ますと、隣で叶夢がぼくの体を揺すっていた。
「お兄ちゃん、うなされてたよ。変な夢でも見てたの?」
「あ、うん。あーびっくりした」
「ねえ、ねえ。どんな夢?」
「忘れた」
――忘れてない。ぼくは叶夢の顔を不思議な面持ちで眺めた。




