初めて向かえた十八歳の三月二日
なにはともあれぼくも有紀美も、そして玲央奈も助かった。
夜も遅かったので、ぼくは有紀美を送り届けることにした。自転車の後ろに乗せペダルをこぐ。少し向かい風が吹いていた。彼女のやわらかい部分がぼくの背中に当たっている。早く着いてしまうのは少しもったいない気がして、向かい風を言い訳にぼくはペースを落とす。
「なあ、有紀美。このこと……有紀美が未来から来たってことなんだけど、もしも俺が他人にしゃべったらどうなるの? 絶対人に言うなって言ってたよね?」
「しゃべったら、たっちゃん死んじゃうの。心臓発作で。言ってなかったっけ?」
「えー? なんでそれを早く言わないんだよ! あっぶねー。誠とかになら話してもいいかなって思ったから、この前言うところだったよ」
「たまに原因不明の心臓発作で人が亡くなったなんてニュースやってるでしょ? 心臓発作なんて考えられないような健康な人が突然亡くなって、お医者さんも首を傾げてるやつ。ああいうのはだいたいそうね」
「へー、そうなんだ」
「そう。だからこの事実は世の中に広がらないのよ」
「なるほどね」
ぼくは納得した。なんだか有紀美の存在が不思議過ぎて、今ひとつ納得できない部分もあった。でも今、胸のつか痞えが取れたのだ。
「あっ、そうだ。俺ってほんとに三回も死んだの?」
「そうだよ。やっとたっちゃんのこと、助けることができた。良かったあ。もう、最初たっちゃんが死んでから十六年も待ったんだからね! 十六年経ってやっと……」
彼女はそう言いながら、ぼくをぎゅっと抱きしめた。ぼくの背中で彼女は泣いているようだ。声に出して泣いているわけではないが、ぼくの背中が濡れていた。
「有紀美。ありがとう。俺が死ぬ度に二〇二〇の誕生日を待って、何回も二〇一六年に帰って来てくれたんだよね。ほんとにありがとう」
「ううん」
ぼくはさっき買ったブレスレットを眺める。アメシストが街灯に照らされきらりと光っている。ブレスレットの隣にある腕時計の針は夜の十二時を少し過ぎた辺りを指していた。
ぼくは生まれて初めて、「十八歳での三月二日」を迎えることができたのだ。誕生日より、クリスマスより、ぼくにとっては一番大切な思いでの日となるだろう。
「馬鹿……たっちゃんの馬鹿。もう死んだりしないでね」
彼女はぼくの背中にもたれ掛かったまま、そんなしおらしいことを言う。
「うん。有紀美に救ってもらったこの大切な命……」
ぼくはしみじみそう言ったが良く考えてみた。
「ん?」
「たっちゃん、どうしたの?」
「って言うかさあ、十二歳の有紀美が信号無視なんてしなきゃ、俺……元々死んでないよな」
「あ、バレた?」
「おいおい、勘弁してくれよー。覚えてないけど、トラックに轢かれた時って超痛かったんだろうな。可愛そう、俺」
「てへっ。ごめんね。たっちゃんはわたしの命の恩人だよ。愛してる。たっちゃん」
「調子いいなー。はいはい。DITTO、DITTO。てへじゃねえし」
「あー、DITTOって言ったー。感じ悪いんですけどー。なんていうの?」
「はいはい。I LOVE YOU TOO でございます」
「よろしい」
彼女はそう言ってぼくの背中をぎゅっと抱きしめた。
明海大学を過ぎると、何十棟もの高層マンションが背比べをしている。
この大切な記念日を、もう少し有紀美と過ごしたかった。有紀美もそう感じたのか、
「うち……来る?」
うつむきながらそう言った。
「えっ? でもお父さん達いるんでしょ? あ、でもこんなに遅くなっちゃったから謝りに行かなきゃ」
彼女は顔を上げて話しだす。
「大丈夫。元々ここにはパパもママもいないの。パパ達は普通の人間だから過去に戻ったりできないの。この二〇一六年にいるパパ達はさっき助けた本家のわたしと暮らしてるの。分家のわたしはパパやママに話しかけることもできなければ、触れることもできない。そういう決まりなの。わたしが過去に行くってパパ達に言ったら、次の日五千万をわたしに手渡して、『過去に行ったらこれでマンションを買いなさい。余ったお金で高校を卒業するまで生活して、卒業後は働くんだよ』そう言ったの」
「お父さんにもお母さんにも過去に行けることを話したの? そんなことしたらどっちかが死んじゃうんじゃないの?」
「ううん。両親を目の前にして、二人に同時に話せば二人は死なないからね」
「なるほど」
「だから、うちいこ」
彼女はそう言って微笑んだ。
「じゃあ、お泊りしちゃおうかな」
ぼくは部屋に入ると彼女に抱きついた。彼女もそれに応えてくれた。そして彼女の真っ白な体はぼくを芯から癒してくれた。今こうして生きている喜びを噛みしめながら、無我夢中で彼女を抱いた。
今まで彼女の口からは聞いたことのないような声をあげ、彼女は痙攣でもしたかのように体をくねらせた。
決してぼくの腕が上がった訳ではない。四度目の正直というか、彼女が長い間待ち望んだこの三月二日という日にぼくと重なり合えた喜びが彼女をそうさせたのだ――ぼくはそう思った。
彼女はことが終わるといつものようにシーツにくる包まる。
「ばあ」
ぼくもいつものようにシーツを剥がす。
「もう! 恥ずかしいでしょ!」
お決まりの返事が返ってくる。
そしていつものように、シーツごと彼女を抱きしめた。
しばらく沈黙が続くがぼくはその静寂を楽しんだ。ぼくの大好きなひと時である。
甲子園の初戦で逆転サヨナラホームランを打った時の写真が出窓に飾ってあった。その写真の隣にはディズニーシーで自撮りした二人の笑顔がぼくを見つめている。
「俺、三回死んだってことは今が四回目の人生だろ? ってことは四回甲子園に出たんだね。ある意味、幸せな人生だな」
ぼくがそう言うと、彼女はシーツをめくり、半分だけ顔をひょっこりと出す。
「ううん。違うよ。たっちゃんは三回しか甲子園に出てないんだよ」
ぼくは意味が分からず「ん?」と首を傾げる。
彼女は楽しそうに説明を始めた――ぼくの三回にも及ぶ前世と、有紀美が二〇一六年に戻ってきた真相について。




