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成る願い、達する志

 ぼくは野球部専用のバスの窓際の席に座り、青々と茂った甲子園球場の蔦をみつめていた。


「終わったんだな」


 ぼくがぼそっと呟くと、隣の席に座っている野球部キャプテンの片桐誠がバスの天井を見上げながら言う――後悔なんて全くないように。


「うん。終わったんだな。でも楽しかったな。しかしお前、あの打球よく捕ったよな」


 ――あっと言う間に時は流れる。


 ぼくは彼女の誕生日のお祝いで高級フレンチレストランに来た。


 そして彼女から衝撃の事実を伝えられる。

「ぼくは今日死ぬ」と。

 ぼくは彼女とぼくを助ける為、事故現場に向かう。


「たっちゃん、ここよ。この交差点」


「どうすればいい? とにかく少女……あ、玲央奈を止めればいいんだよな」


「うん。前回みたいにまたしくじらないでよ。また四年も待たなきゃなんないんだから」


「またって、俺今までに何回死んだの?」


「三回」


「まじか。それってどうやったって死ぬ運命なんじゃ……」


「ぐだぐだ言ってないで早く! もうすぐわたしが来ちゃう」


「鉄鋼団地の方からトラックが来るんだよな? よしまだ来てない。今のうちに横断歩道を渡って、向こうで玲央奈を止めればいいんだな。よし、行ってくる。ん? それともトラックを止めた方がいいかな?」


「もう! 時間ないんだから! どっちでもいいよ。早く!」


「わ、分かった」


 そう言ってぼくは走りだした。


 ――ドテッ。


 ぼくはこけた。でもトラックはまだ来ていない。ぼくは立ち上がり横断歩道を渡りきった。


 ほっとする間もなく玲央奈がイノシシのように突進してくるのが見えた。ぼくは両手を広げる。


「危なーい! 止まれー!」


 少女は振り返って右後を確認した。後ろから車が来ないか確認したのだろう。ぼくの数十センチ手前で急ハンドルを切り、横断歩道を斜めに渡ろうとした。ぼくは無我夢中でダイビングしながら自転車の荷台に手を掛ける。


「放してたまるか!」ぼくは必至に荷台を握り続ける。冷や汗で濡れたぼくの手の平は荷台を放してしまいそうだった。「くそ! 放すもんか」ぼくの体は二メートルほど引きずられ止まった。


 その瞬間、けたたましいクラクションの音を響かせ、トラックはぼくと少女の前を通り過ぎる。


「ふーっ」

 ぼく達は助かった。ぼくも少女も生きている。


「良かった。お姉ちゃん大丈夫?」

 ぼくはズボンの泥をはた叩きながら少女に向かって話しかけると少女は震えていた。


「は……はい。だ……大丈夫です。ありがとうございました」

 少女の顔はまだ引きつったままだった。すると少女はぼくの後ろに目を向け叫んだ。


「危ない!」


 ぼくが後ろを振り向くと赤い乗用車がこちらに向かって激走していた。「やっぱりぼくは死ぬんだ」気が遠くなる。


 少女がぼくの襟を掴む。そして歩道側へ引っ張られる感覚がした。


 ――キー! ガシャン!


 乗用車は少女の自転車を轢き飛ばした。二、三十メートル飛ばされた自転車は原型を留めていない。


 するとタコのように顔を真っ赤にしながら乗用車からスキンヘッドの男性が降りてきた。

「テメーら、何やってんだー! 俺の車、どうしてくれんだよ! ぐしゃぐしゃになってんじゃねえか! 弁償してもらうからな!」


 ものすごい剣幕でまくしたててくる。どう見てもチンピラかヤンキーである。


「あれ? そういうこと言います? 確かに交差点の中にぼく達はいましたし、お兄さんの信号は青だったと思います。でもお兄さんスピード何キロ出してました? このブレーキ痕を調べてもらえばスピードって割り出せるって聞きましたけど。お望みなら警察呼びましょうか? すぐそこに富岡交番もあるし。例え赤信号を歩行者が渡っていたとしても、その歩行者を轢いてしまえば罪に問われるのは運転者ですよね? 教習所でそう習いませんでした?」


「覚えてろ! クソガキ!」


 スキンヘッドのお兄さんは捨て台詞を吐き捨て、フロントが潰れた赤い車に乗りこんだ。


「中大法学部をなめんなよ!」

まだ入学した訳ではないが、ぼくは負けじと捨て台詞を吐いた。


「ふふっ」

 少女が笑う。中一か小六くらいだろう。すらっとした体型に長く伸びた髪の毛。そして透き通った瞳。


「あ、そうか。この子は有紀美なんだ」そう思うと納得できた。


 ぼくは不謹慎にも少女の胸に目を移す。この年の少女にしては大きい。「これからもっと大きくなるよ。そしてぼくと……」そんなことが頭をよぎる。


 全くのエロ親父だった。


 自転車が潰れていたので、歩いて帰ることにした。このまま有紀美――玲央奈の方――を一人で帰すのは心配だったのでぼくは送っていくことにしたのだ。


 ぼくは有紀美――今度はぼくの彼女――に目配せし、少女を送ると伝えた。有紀美は「うん」と笑顔で頷いた。


「今、何年生?」


「六年生」


「なんであんなに急いでたの?」


 ぼくが聞くと少女は申し訳なさそうに口を開く。

「友達んち家でおしゃべりしてて、わたしも友達も寝ちゃったんです。気がついたら門限を三時間も過ぎてて。パパに怒られるって思って……」


 少女は苦笑いを浮かべてぼくの顔を見た。


「門限て何時なの?」


「八時なんです」

 高校生になってから門限が一時間延びたのかな。そんなことを考えているうちに少女の家に着いた。レンガ造りの立派な一戸建てだった。高級そうな門の向こうに二人乗りのブランコが風に揺れていた。数台の防犯カメラがぼくを睨んでいる。


「お兄さん、ありがとうございました。お名前だけでも教えてもらえませんか?」


「成願達志。な成るねが願い、たっ達する(こころざし)。そう書いて成願達志。以後、お見知りおきを」

 ぼくはそう言って、男性バレリーノのように胸に手を当て、頭を下げた。



「はい。ありがとうございます」

 少女は踊った後のバレリーナのように、右足を前に置き両手を広げる。その両手で大きな満月を作り、右足は半円を描くように左足の後ろに滑らせ、膝を曲げながら頭を下げた。


「誕生日、おめでとう」


「えっ? 今日が誕生日だって、どうして……」

 ぼくはディズニーかマックの店員さんのように満面の微笑みを浮かべ、颯爽と消えていった。


 十二歳の有紀美も可愛かった。あの年であれだけ可愛ければ、そりゃ可愛くなるよな。そんな事を考えながら夜道を歩く。


 門を出て、角に差し掛かると顔を半分だけ出した女性が不気味な表情でぼくを見つめている。。街頭に照らされた右半分だけの顔はそれこそゴーストであった。


「わっ!」

 ぼくは驚き尻餅をつく。


「たっちゃん、ごめん。心配でついて来ちゃった」


「なんだ、有紀美かよ。『家政婦は見た』の人かと思ったよ」


「ごめん、ごめん。わたし、ちゃんとお家に帰った?」


「うん。今送り届けたよ。しかし有紀美ってあのころからオッパイ大きかったんだね」


 ――パシッ。


「どこ見てんのよ!」

 有紀美がぼくの頬を叩く。


「いってー。俺の彼女のオッパイ見てなにが悪いんだよ」


 有紀美は恥ずかしそうな顔をした。昔の自分を見られ、照れているようだ。まあ、そんなところも可愛いんだけど……。


「あの子はたっちゃんの彼女じゃないでしょ! このエロ親父!」


 確かに有紀美の言う通りである。ぼくは反省しながらも過去の有紀美の可愛らしい姿を思い浮かべていた。


 ニヤけるぼくが有紀美に再び頬を殴られてしまった事は言うまでもない。


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