DITTO(同じく)
寒い冬を超え、春の足音が聞こえてきた。土曜日の午前、まだ二月の半ばであるが江戸川沿いを歩くと早熟なつくしんぼが堂々と自己主張をしていた。
本来つくしは晩冬の二月終盤から芽を出し始める。そしてもう一度芽を出し始めるのが三月後半である。年に二回芽を出すのだ。食べて美味しいのは後半のつくしらしい。ぼくがまだ小さなころ、神戸のおばあちゃんがそう教えてくれた。
「つくしのてんぷらや、つくしの卵とじもごっつい美味しいねんで。おばあちゃん毎年作っとうから食べさせてあげたいんやけどなあ」
皺いっぱいでほほ笑むおばあちゃんの顔を思い出した。甲子園に出た時、おばあちゃんは腰を曲げ杖を突きながら炎天下でぼくを見つめてくれていた。しかも毎試合駆けつけてくれた。
朝日新聞社が撮ってくれた写真の中には一回戦でホームランを打った時の「ボールがバットに当たる瞬間」をとらえたものも、「満塁のピンチを防いだ横っ跳びの瞬間」をとらえたものもあった。ぼくは「横っ飛びのぼく」を二枚パネルにし、一枚をおばあちゃんに送ってあげた。おばあちゃんはそのパネルを宝物にしてくれているらしい。
「つくしんぼ、食べてみていな」
誰もいない江戸川沿いの土手で、右手にバットを持ちながらぼくはそうつぶやいた。
川の向こうには葛西のイトウヨウカドーや工場、更にはスカイツリーが見える。風はなく、それらの建物が静かな水面に映しだされていた。逆さ富士にも劣らない――静岡や山梨の人には怒られてしまいそうだが――逆さスカイツリーは絶景だった。ぼくは逆さスカイツリーに見惚れていた。
スマートフォンをジャージのポケットから取り出し、写真に収めようとした。
しかしその瞬間、海の方から意地悪そうな風が吹いてきた。そのいじめっ子は水面を揺らし、川の中の「日本一」はゆらゆら揺れていた。
ぼくはどうしても綺麗な逆さスカイツリーが撮りたくて、風がやむのを待った。その絶景を有紀美にも見せたかったのだ。しかし十分以上待ってもいじめっ子は帰ろうとはしてくれなかった。
諦めてスマートフォンをポケットに戻す。元々ここに来たのは素振りをする為である。ぼくはバチグロ(バッティンググローブ)を家に置いてきてしまったことに気づく。
「まあいっか」
春を待ちきれないかのような暖かい陽ざしがなんとも心地よく、ぼくはバットを振り続けた。汗が額を滑り、足元に落ちた。コンビニで買ってきた「緑茶」をリュックから取り出し、喉の奥深くに流し込んだ。
「うめっ」
ぼくはまたバットを振り始めた。現役のころは毎日五百から千スイングはしていた。しかし三百ほど振ると手の平に豆ができたのだ。バチグロのありがたさを今更のように感じた。
ふと川を見ると再び逆さスカイツリーが綺麗に映し出されていた。ぼくは慌ててスマートフォンを取り出す。
――カシャッ。
画像を確認すると我ながら綺麗に撮れていた。ぼくは満足し家に向かって歩いた。
翌日、日曜日であるが、有紀美は三月末の定期演奏会に向け、学校でラッパを吹いている。ラッパと言うと彼女は怒る。なんだっけ? アルトサックスの正式な名前。確か、アルト……サクソシスト、そんな名前だった。ちょっと間違ってるような気もするけど、まあ良い。音楽に疎いぼくは、思い出せなかった。
彼女と体を重ねてから半年近く経っていた。
五ヶ月前のぼくより四ヶ月前のぼくの方が、二ヶ月前のぼくより一ヶ月前のぼくの方が、そして昨日のぼくより今日のぼくの方が、有紀美を好きになっている。日に日に想いは強くなっている気がする。
朝、目が覚めると彼女のことを思い出す。夜になると彼女の声が聞きたくなる。声を聞いていると逢いたくなる。逢うと体に触れたくなる。これが恋ってやつなんだ。ぼくはそう思った。
その後、ぼくたちは何度も何度も逢い、重なり合った。彼女は何度も「愛してる」と口にした。ぼくはゴーストのサムのようにDITTOだけのそっけない返事はしたくなかった。
「俺も有紀美を愛してる」そうはっきり思いを伝えた。