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閑山短篇作品

弥勒

作者: 竹井閑山

 広隆寺は京都最古の寺であり、創建は推古天皇の時代にまでさかのぼる。ここが聖徳太子ゆかりの寺といわれるのは、太子が所有する仏像を祀るために秦河勝が創建したという記述が『日本書紀』にあるからで、この仏像が国宝第一号で知られる弥勒菩薩半跏思惟像、別名宝冠弥勒である。

 本堂のある境内は参拝自由だが、宝冠弥勒ほか寺宝が収蔵展示されている霊宝殿は入館料700円である。タクシー乗務員服を着ている私は、受付で交渉してタダで入れさせてもらう。

 弥勒菩薩はもう一体、泣き弥勒と呼ばれる仏像もあるが、疲れがひどいので、いまはただ一体、東洋のモナリザと呼ばれる宝冠弥勒さえ拝ませてもらえばの心境である。

 宝冠弥勒の口元の穏やかな微笑みは、古代ギリシア彫刻の「アルカイック・スマイル」に通ずるといわれる。右手の薬指を頬に当て、物思いにふける姿は、56億7000万年後に下界に降りるとき、どうしたら人間を救えるのかを模索しているのだという。そのあまりの美しさに1960年、京都大学の学生が頬ずりしようとして右手の薬指を折ってしまったという逸話がある。いまでは宝冠弥勒は何かスピリチュアルな力を持っていて、拝む者に癒しと活力を与えるだけでなく、なりたい自分になれるよう願いを叶えてくれる仏様とまで喧伝されている。

 弥勒を実在した人物と見る向きもある。弥勒は多くの優秀な釈迦の弟子の中でも抜きん出た存在で、未来で衆生を救う如来候補に選ばれ、現在は来たるべき日のために兜率天で修業中であるという。

 仏典の中から窺い知れる弥勒の来歴はこのくらいである。詳しい実像はわからない。上流階級の生まれで、若くして釈迦の弟子になったものの、それから十数年後に苦しみながら死んだと示唆する記述もある。私の中では、弥勒は平民以下の出であってほしい。何もブルジョアの子にまで情けをかけてもらいたくない。雇われ根性のひがみである。濁世の社会集団で揉まれたことのない浮世離れした坊ちゃんに、民草の嘆き苦しみがどこまでわかるというのだろう。

 そんなわけで私の考える弥勒少年は、貧しいながらも生まれつき利発で、同じ年頃の子が日がな一日遊んでいるときも、家の近くを流れる大河のほとりに佇んでは、人間はどこから来てどこへ向かうのだろうとか、何故この世に苦しみがあるのだろうとか、どうすれば苦しみから解放されて皆が幸せになれるのだろうというようなませたことを、ひとり思い詰めているのである。

 そんな弥勒少年が十三歳の頃のある日、弥勒少年の住む村を釈迦の一行が通りかかった。釈迦は村人に請われて説法を行うが、その集まりに弥勒少年も加わっていた。弥勒少年は、釈迦がまだ若い頃、自分と同じように何故この世に苦しみがあり、どうすればそこから逃れられるのかを突き詰めていたことを知り、夢中で話に聞き入った。釈迦の教えは明快であった。苦しみから逃れるには苦しみのもととなる原因を知り、さらにそれを取り除けばよい。その具体的方法が四諦であり、四諦の完成を目指すための出家と修行が必要であると説くのである。

 この説法に目を開かされた弥勒少年は、数名の篤志とともに釈迦に弟子入りする。ほかの弟子たちと比べてもひときわ年若である弥勒少年は、その利発さゆえに釈迦から大変かわいがられるが、決しておもねることはなく、近隣の村に病気で苦しむ者があれば行って看病してやり、心の悩みを訴える者がいれば話を聞いて慰めてやった。そして釈迦はもちろん、ほかの弟子たちの身の回りの世話をも甲斐甲斐しく務めたため、弟子たちから嫉妬や誤解の矢面に晒されることはなかった。弥勒少年は日々の勤めの中にも、人がいかにすれば苦しみから救われるのかという悟りへの道を見出そうとしていたのである。

 骨身を惜しまずまわりのために働き、寸暇を見つけて仏の教えを学ばねば夜も日も明けぬ生活を繰り返していた弥勒少年は、もとより丈夫でなかったためにみるみる弱っていった。それでも愚痴ひとつこぼさず、自利を捨て他利に生きようと無理を押し続けた末に、とうとう二度と起きあがれない体になってしまった。死の苦しみにあってもすべての人が苦しみから救われる理想世界の実現に思いを馳せる弥勒少年の姿に、釈迦は彼こそ遠い未来に衆生を救済する如来であると確信し、その時代の仏陀となるよう記別を授けた。

「弥勒よ。お前は我が身をかえりみないまでに人のために尽くし、人が苦しみから救われる道を究めようとした。お前こそ菩薩となるにふさわしい。これより先、兜率天にて自ら法を説き、56億7000万年後の未来に衆生を救うための備えとせよ」

 こうして弥勒は昇天し、兜率天という天上と地上の間の世界にあって、そこに住まう者に説法をほどこすことにより、未来の世界教師となるべく日夜その役割に向けた修業に励んでいるのである。

 以上は私の空想である。本当かどうかわからない。私にとって実在の弥勒は、いまも目を閉じ一心不乱に法を説き続けている年下の男の子。弥勒のいる兜率天は、私の心の奥底に存在しているのかも知れない。ただ心の耳を澄ましてみても、法の中身までは聞き取れない。永遠に回転する糸車のように、慈悲の言葉を紡ぎ続けるひたむきな姿だけが偲ばれる。私利私欲にとらわれないで、偉いな君は。同じ年頃の子であれば、異性にだって興味あるはずなのに。そういう俗気がないからこそ、超然としていられるのかもな。いつも我々のことを考えてくれてるんだ。その閉じた目を開いて直接私に語りかけてくれよ。少しの間だけ私ひとりの弥勒になって、どうすればこの塞いだ気持ちから脱け出せるのか、マンツーマンで教えてくれよ。でもみんなの弥勒だから、そんな専横なこと考えちゃいけないんだな。

 迷える私をお救いくださいって頼んでも、どのみち答えは56億7000万年経たないと出ないんだもんな。でも、じゃあいま生きてる私の自我はどう扱ったらいいんだよ。モラトリアムを過ぎてもまだ成長しきれない大人がいて、三十の坂越えて自己実現に励んだって、所詮いまの社会じゃ手遅れなんだよ。そんなに肩肘張らなくても生きていける社会を作らなきゃいけないんだけど、ハードルを下げたりゆとりを持たせたりすると、今度はやれもっと輪を大事にしろ、絆が大切だなどと、協調性という名の締めつけを仕掛けてくるんだよ。だから社会の側がもっと私たちを気負いなく生かしてくれるよう配慮してくれなくちゃだめなんだよ。

 56億7000何年後に生きてる人、または生まれ変わった人にお得な情報。もれなく救ってさしあげますってわけかい?

 宝冠弥勒は静かに微笑んだままである。21世紀に生きる人間たちの抱える疎外感や閉塞感なんて、とうに見越しているのだろう。

 そうやって、いつの時代にあっても穏やかに微笑みかけてくれるその変わらぬ姿に、いまでこそ心が離ればなれになってしまったけれど、はるか昔は共同体であった私たちの社会への憧れと懐かしさを感じる。人の悩み苦しみに等しく耳を傾けてくれる包容力に、いつ戻っても温かく迎えてくれる拠り所としての安心を感じる。私たちがどれだけ娑婆苦に生きる不平を漏らしても、いま妙案を考え中なんだよと笑って受け流す余裕を感じる。

 うしろ髪を引かれる思いで、霊宝殿をあとにする。

 最後にいま一度館内をふり返ると、宝冠弥勒がこんな言葉で見送ってくれるような気がした。


  羯諦 羯諦        ぎゃてい ぎゃてい

  波羅羯諦         はらぎゃてい

  波羅僧羯諦        はらそうぎゃてい

  菩提薩婆訶        ぼじそわか


  さようなら さようなら

  彼岸へ向かう旅人よ

  悟りを求むる心に幸あれ


  Good-bye, good-bye.

  I say good-bye to your journey for the next world.

  Good luck in your mind of looking for a spiritual awakening.


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