デート×デート
著者:白玉梅子
「デートするわよ」
優子さんは唐突にそう告げた。
季節は秋。銀杏の葉は黄色く染まり、夏場の暑さを忘れるほどに空気は冷え込む、この時期に。
僕は、思わず一瞬黙り込む。
「で、でぇと、ですか?」
「そうだけど。何か異論があるとでも?」
「そんな! 滅相もないです優子さん! 只、お一つ確認したいのです。僕ら、お付き合いして、るんでしょうか?」
優子さんの色素の薄い薄茶色の瞳が、僕をじろりと見下ろした。
優子さんは学校一の美人で有名だ。少しだけウェーブを描いた赤茶色の髪、もちもちの瑞々しい白い肌。顔立ちは勿論黄金比率で整っていて、小柄で細い体は愛嬌が詰まっている。
そんな彼女からのお誘いを無碍にする気はなかった。そんなことをした日には学校中全員から嫌われることは想像に難くない。
只。僕らは決して恋人みたいな関係ではないわけで。
確かに何度か話したことはあった。だが告白とかそういう一大イベントを行った覚えはまるでない。
そして僕は平凡そのものを描いたような人間だ。
成績は中の中。運動神経は特別にいいわけではなく、恋人いない歴は年齢と一緒。
そんな奴に果たして、優子さんみたいな別次元の人が惚れるかといえば微妙だと思う。
そんな中での御誘いだったのだから僕の質問はごく当然のものだと言える。
「付き合ってはないわね」
何を言わせてるのか、といったばかりに優子さんはそう返した。
「で、ですよね⁉︎ でも、どうして?」
「……一人で紅葉眺めに行ってましたなんて親に恥ずかしくて言えないでしょ? 察しなさいよ」
なんという無茶振り……と少しだけ思いながら、僕は諦めたように首を縦に振る。
「日は今週の日曜日、場所は龍二舎公園の噴水、時間はお昼一時からね? 忘れて御覧なさい? 七代まで祟るから」
それじゃ、と去る優子さんを尻目に僕はうんうんと悩む。
それは勿論何故僕がそんなお相手に選ばれたかに関してだ。こんな平凡がお似合いな僕をどうして誘ってくれたのか?
同情? 憐れみ?
下衆の勘ぐりみたいでよくないとはよくよく理解している。それでもやはり不思議なのだ。
「倉阪〜! 優子さんから御誘いとかどういうこった」
同級生の志布志がいかにも不服そうな顔で声をかけてきた。
そんなこと言われたって。僕だって状況が上手く飲み込めていないというのに。
「知らないよ。僕自身吃驚しすぎて呑み込めてないのに」
「餌付けでもしたのか?」
「そんな馬鹿なこと! 確かに何回か話をしたことはあるのは認める。でもだからさあデートなんてそんな関係でもなかったそれも又事実なわけ」
「ほう。ほほう? って、……そんなん言い訳になるかー‼︎ 男が話しかけるのも許されないような存在と貴様! 全力で羨ましい! というか妬ましい! 俺らにはできんようなことを! 許せん解せん!」
必死な叫びが痛々しい。この状況、頭を抱える他ないのか? というかお前この前B組の城田さんを世界における天使だとか言ってたじゃないかよ。
「それはまた別だ。優子さんは学校一の美人だぜ⁉︎ 性格に多少は難ありだけどそこもまたあの美貌に相応しい! 分かるだろ?」
「はいはい」
僕は適当に聞き流して、パラパラと教科書を読むふりに勤しむ。
志布志は不満そうな表情を崩すことはなかった。やはり納得がいかないらしい。それは僕だって自覚しているさ。悲しいことですけどね!
泣きたくなるような事実だけれども。そんなことに構ってもられないわけで。
(服とかどうすればいいかな……)
正直女の子と一緒に歩く時に相応しい服装すら僕は知らない。自分の無知さ加減に呆れてくる。
しかし何処に行くというんだろう。紅葉なら名所とかか?
ん……分からない。男ならやはり腹を括るべきなんだろうか。なんてことをずっと考えてた。
女子に聞くのも難しい。きっと答えてくれないに違いない。いや絶対答えない。分かり切っていることを実行するのは本当の馬鹿だけだ。
そんな僕に志布志はなんだかやはり納得いかなさそうである。もう不満なら自分からアタックしろよ。面倒くさい。
「だ、か、ら! 声をかけることすらおこがましいの! お分かり? 言っただろ? 話しかけることすら許されないと。全校生徒を敵に回す度胸なんてないわけ。お前分かってる? そういうことなの。御誘い受けた時点で味方はなし。いやまあ俺には無理です尊敬しますぅ」
「ウザいって言われるでしょ志布志」
「そんな馬鹿なー」
「頭を一度検査してもらったら? ね。オススメだよ」
僕は精一杯の嫌味を込めた笑顔を志布志に向けた。
志布志の表情はどんどん強張って行くのが手に取る様に分かる。僕を怒らせたら少し怖くなるの分かんないのか、このお馬鹿は。呆れるな。
「そんなもう底辺を見るようなその目止めてくれる?」
「いやもう唐突に見下したくなって仕方ないの。なんだろね。もう手に取るようにこいつ駄目だってのがよおーく分かるのね。自分自身のことよくわかってらっしゃるでしょ? 流石に」
「めちゃくちゃ畳み掛けてきたな。お前」
そう言って、志布志ははぁと重い溜息をつく。
「あー、でも。なんだかんだお前、女顔だもんな……」
「はい?」
「だってお前言われね? 可愛い系の顔だって一部の男子と女子によく言われてんぜー」
「冗談」
「マジだって。大マジ。俺もいけるかもよ?」
「やめろよ、キモいっ」
あ、つい本音が出てしまった。いけない。
僕はにっこり笑顔で「ごめんつい本音が」というと志布志はびっくりするぐらい老け込むのだった。
ここまでにしておこう。僕はそんなことを頭の隅で考えながら、少し机に倒れ込んだ。
人生初のモテ期到来……? そう、これは夢なのかな?
そうか、夢なのか。それなら納得行く。だって学年一の美人が俺なんかに御誘いなんてしてくれるわけ……っ。
「おーい、現実逃避するなぁ〜」
志布志の虚しいツッコミが僕に現実を見る、という正直気の重たい行為を強制させるようだった。
志布志は僕の肩をとんとん、と叩きながらにっこり微笑むと、「頑張れ」と大凡他人事なコメントを告げる。
「頑張れって言ったってどんな風に頑張ればよいのやら」
「オススメスポット紹介するとかじゃん?」
「例えば?」
「……ん〜。メイドカフェ? ご主人様お嬢様お帰りなさいませ☆ というまっこと素晴らしき接客を味わえるぞ」
「志布志が行きたいスポットってだけじゃないかそれ」
「ばれたか」
あははーと笑う彼には失笑する他ない。
「お前が良いって思ったところ紹介してやればいいんじゃないか? 優子さん紅葉が見たい感じだったからいい感じの雰囲気でかつ紅葉も見れる店に連れてってやるとかさ」
「う、うん……」
「お前人がなかなか得ることの出来ないチャンス貰えてんのよ? それを上手く利用しないでどうするの。上手くトントン拍子に進めば学年一美人との交際開始だぜ? あーでもそうすると背中ガラ空きには出来ねえな。誰か刺し違えそうだ」
「物騒な事言うなよお前」
「そんなそんな〜」
「褒めてない」
「俺が間違って刺しちゃうかもだし」
随分えげつない。こいつには背を向けないことにしよう。
安心して明日を迎えることが出来なさそうだ。それは正直あまり好ましくない。平和でいられないことほど辛いものはないはずだ。
(久々のハズレくじだったりして)
後悔だけが僕には残るのだった。
*
その後もずっと志布志には弄られっぱなしだった。嗚呼も弄られるとは思っていなかった。そんなに僕を弄って何が楽しいというのだろうか。
理解できない。
「僕ヘタレなのかなー……。うああああああ……」
「……狼狽えないでもらえる? 耳障りだわ」
「うわ!」
いつの間にか背後に居た優子さんに僕は驚きを隠せずにいた。というかいきなり現れるのは反則だと思う。
そんな僕を尻目に優子さんは髪をかきあげながら、赤く染まった窓の外の空を見つめている。
「狼狽えたわけじゃないんです。いや、本当に」
「あ、そう」
「どうして」
「別に。何しようと私の勝手でしょう?」
尤もな意見を優子さんは口にする。確かに言われてしまうとその通りである。
教室は今、僕と優子さんの二人きり。躊躇うことなど何もなかった。今なら。今なら聞ける。
僕は勇気を胸に、大きく息を吸い込んだ。
「あの!」
「……何?」
「やっぱり気になります。どうして僕なんかを御誘いしたのか」
「言ったでしょう」
「あの理由ならば僕である必要ないじゃないですか。僕みたいな目立たないような奴じゃなくても」
「貴方は自分を卑下し過ぎだと思うわ。そこまで気にする必要なんてないと、そう思わない?」
淡々と、彼女は言う。
「卑下とかじゃ、そんなんじゃ……」
「いいえ、それは卑下だわ。貴方は自信を持つべきよ。決して容姿が悪いわけではない。馬鹿すぎるわけでもない。確かに突出した才能はないけれど、過小評価するほどのものでもないわ。貴方は、私と対等に話しかけてくれた、唯一の人よ」
優子さんは言って、少し恥ずかしそうに頬を赤らめた。
それすらも、その類稀な容姿を際立たせていた。
「恥ずかしい事を話したわ。だから貴方を誘った。それじゃ、不満かしら」
異論は許されない、そんな威圧感が不意に感じられる。余程優子さんからすれば恥ずかしかったことなのだろう。
僕は横に首を振る。すると満足げに、彼女は笑った。
「最初からそうしなさい。全く……貴方ってつくづく、面白いわ」
手をひらひらとさせて、彼女は優雅に去る。僕はそれをただただ見守るのみだ。
不思議だ。
肩入れなんてする必要など、なかろうに。きっと今の僕は苦笑いを浮かべているに違いない。
「帰ろ」
ぼそりと呟いて、僕は既に教科書などが詰められている鞄を手に取った。
帰り道。僕は、ふらふらと本屋に立ち寄った。特に理由はなかったが、ファッション雑誌を見て勉強するのも一つとして有りだろう。それが、僕が着こなせるかに関しては不明だけども。
パラパラと読んでいくものの、僕はがっくりと肩を落とす。
『今時はロールキャベツ男子!』
『そんなんじゃ時代遅れ⁉︎ どうすればクリーミィ系男子になれるか⁉︎』
(理解不能だ……)
俗に言えばスイーツ臭を放つ単語に僕は目眩がする。
どうして普通の女子や男子はこんなものについていけるというのだろう。こんなのただの流行り、過ぎてしまえば古臭いと言われるリスクすらあるじゃないか。
僕は絶対こんなリスク負えないね。無理無理絶対無理。
「しっかしまあ。色んな種類があるもんで」
一概にファッション雑誌と言えども色んな会社、色んな編集部が管轄しているだろう何種類もの雑誌が僕を辟易させた。これを世の男たちは読み分けてファッションを習得してるのかと思うと、無駄な労力を割くもんだと笑いたくもなる。
「あ、倉阪くん」
唐突に愛らしい声が僕に投げかけられる。
振り返れば、同級生の島早さんがこの本屋で購入したのであろう重そうなビニール袋を両手ににっこり微笑んでいる。三つ編みに編まれた黒髪にその愛くるしい顔でさりげなく男子の人気をあげているらしい。
「島早さん」
「珍しいです。倉阪くんが本屋さんで熱心にファッション誌読んでるなんて。どうかされたんですか?」
「いや別に」
「もう志布志くんには情報提供受け済みですよ」
あいつ……っ! 明日徹底的に叩きのめしてやる! 許さない。これは断じて許されない行為だ!
僕の誓いを他所に、クスクスと島早さんは笑う。
「確か、廣田さんにデートをしてと誘われたとか。モテますね。凄く羨ましいです」
「違いますよぉ! 単なる気まぐれみたいなんです。俺はそれに付き合わされるだけそれだけです」
「でも、彼女の気まぐれ珍しいんですよ? 女子にすらなかなか気を許してくれるような方じゃないんですからー」
「そう、なんですか?」
「ええ。嘘なんてつきませんって」
彼女は頷いた。
「だから余程倉阪くんのこと信頼してると思って見ていいと思います。例え気まぐれでも気まぐれを起こすべき相手にお見事任命されたってことなんですから。自慢なさってもいいと思いますよ? 男子からは否応無く注目の的かもしれませんね!」
「そんな注目の的になんか。希望してないっすよ……。俺はゆっくり平々凡々の人生送れば満足な人間なんですよ。本当です。影薄く生きて行くんだ。優子さんとだなんて、罰が当たる」
僕は吐き捨てる。
何を舞い上がっているんだろう。所詮は一生徒でしかないというのに。
馬鹿みたいじゃないか。全く。
「倉阪くんって案外冷めてますよね」
「え?」
「達観しているというか、自分の事を諦めている節があるというか……。それ、いけないと思います。折角可愛い顔してるのに勿体無いです」
島早さんは言って、にこりと笑った。嘘をついている節はなさそうだ。
「倉阪くんもっと自信持ちましょうよ、ね? 倉阪くん今度の服装に悩んでるんでしょう? 私が服をコーディネイトしてあげますから」
「え……、いいんですか?」
「そういうの大好きですから大歓迎に決まってますよ♪ 任せてください。腕によりをふるいますから」
「……っ! ありがとうございます!」
「ふふふ」
くすくすと笑う島早さんは「メアド交換しましょうか?」と言う。
「そう、ですね」
赤外線通信でメールアドレスを交換する。
島早さんは腕が鳴るなぁとその間に告げる。それはとても心底楽しげな声で。女子とはこういうものが好きなのだろうか。
不思議だ。
「これで大丈夫ですね」
「しかし、本当にいいんですか?」
「気にしいさんですね〜。でしたらお礼前払いは如何ですか?」
「え?」
「そしたらもう気にしないですむじゃないですか。倉阪くんが」
確かに。
そこまで気負わなくてもいいかもしれない。
「そうですね〜。どうしようかな。じゃあ」
「はい!」
「これ持っていただけますか? 少しばかり重くって」
大量の本が入っているだろうビニール袋を、僕に差し出す。これくらい安いもんか。
受け取ると――なるほど、なかなかに重い。よくそんなか細い手で持ててたものだとしきりに感心する。中をちらっと覗けば、数冊の雑誌に小説本が沢山入っていた。
「大丈夫、ですか?」
「あ、はい。全然平気です」
「どうしても衝動買いしちゃうんですよね。本とか見ちゃうと」
「へぇ」
「小説とか色んな夢が詰まってるじゃないですか。私、そういうのがたまらなく大好きなんです。お家で読破するのが生き甲斐で」
語る彼女はどこかイキイキしていた。何処か、自分の夢を話す子供のようにも見受けられる。
島早さんは気づいたのか、顔を急速に真っ赤にさせる。
「あ! ごめんなさい……。どうでもいい話、ですよね」
「そんなことないです。凄く、いいことだと思います。他人事みたいかもしれないですけれど」
「有難う。やっぱり廣田さんが倉阪くんを選んだのわかる気がします」
「……」
「行きましょう?」
彼女は店外に出ることを促し、僕はそれに同意して着いていく。
島早さんの帰り道は割と上り坂が多く、この荷物だといつも大変だろうと同情を禁じ得ない。
「いつも大変じゃないですか?」
「そうですね。こんな荷物の時はいつも休憩しながら歩いています。今日は倉阪くんが居てくれて、助かりました」
島早さんの家は、少しだけ大きな一軒家だった。玄関には島早さんのお母さんであろう女性が居て、僕に柔和な笑みを浮かべる。
「あら、彼氏?」
「ううん。違うよ。お友達」
バッサリ否定。少し悲しくなるのは男の性なんだろうか。
「いつもうちの娘が御世話になっています」
「あ、いえ! とんでもないです。そうだ、これ。重いし気をつけて」
「はい。有難う」
彼女はそれを受け取ると、じゃあまた明日学校で、と告げる。
「はい。また明日」
島早さんはにっこり微笑むと、何故か悲しそうに「駄目だなぁ」と小さく呟くのが聞こえた。
*
日曜日。
約束の――日。僕はあまりの緊張に体が震えていた。服は島早さんが厳選に厳選を重ねたものらしく、日頃僕が着慣れていない代物だった。
長めの白地のTシャツに紺色のベストを羽織り、黒色のストールがシンプルながらも洒落ている。
細身のジーンズに革のブーツも履き慣れないが、島早さんの熱心な指導によって人前には見せれるような体にはなっている筈だ。
服は全て島早さんが用意したものであり、僕は正直にお金の心配をしたのだが、そこそこお金を稼げるバイトをしているらしく大丈夫だと言い張られた。
「……おはよう」
現れた優子さんは僕が喋りかけるのも烏滸がましいくらい、とても素敵だった。
赤い色調のVネックのシャツに淡いピンクのカーティガンを身につけ、髪にはクローバーの髪飾りがつけてある。膝丈のスカートはフリルがワンポイントとなっていて、可愛らしさを演出していた。
「いつもそんな格好なの?」
「いや、同級生にどういうの着ていけばいいのか相談をして……」
「でしょうね。そんなお洒落な格好しなさそうだもの」
物凄く胃にくる言葉を優子さんは言う。
「さて、行くわよ」
彼女は僕の腕を掴むと、足早に歩き出す。彼女の手は温もりに溢れていた。
銀杏並木は一面が黄色く染まり、地面にも銀杏の落ち葉が敷き詰められている。歩く度になる音は、何処か緊張気味の僕を幾分かは落ち着けさせた。
「銀杏並木、私好きなの」
「そうなんですか」
「小さい時からよくこの道を通ったわ。お父さんやお母さんと一緒に。この匂いも踏み締める音も全て好きだった。幸せな気持ちになれる……そんな気がして」
穏やかな面持ちで優子さんは告げる。
それはいつも見る、他者を寄せ付けない彼女ではなかった。
「変ね……。こんなベラベラ喋るだなんてね」
「そうですか?」
「そうよ。いつもならこんな喋らないもの」
優子さんは言って、苦笑いを浮かべる。
嗚呼。そんな顔も素敵だなんて。
「気持ち悪い顔してるわね」
「ふぇ?」
「ふぇ、じゃないわよ。変態」
「へ、へへへ、変態って! 酷いですよ!」
「ふん、事実じゃない」
見苦しいとばかりの顔に、僕はすごくショックを受けた。僕は一体どんな風に見られているのだろう。
彼女の視線が妙に痛い。
完全に突き刺さっている。主に僕の精神へ。
「やめてください、その目だけでも」
「ふぅん。目だけでいいの。へぇ」
「その刺々しいお言葉もやめて頂けると誠に助かります」
「つまんないわね」
多分優子さん以外になら身勝手甚だしいなどと言いかねないお言葉を優子さんから承る。
優子さんだから反論なんて一切しないわけだけども。
「次、何処に行く?」
「よければ、紅葉の紅葉が見れる良い所があるので、そこでいかがですか?」
「ならそうしましょう」
それで何処? と若干気怠げに聞いてくる。
僕は緊張しながら、全力でリサーチした場所に彼女を連れて行くことにした。気に入って、くれるだろうか?
気に入って、「素敵だわ」とか言ってくれるかな。そんな夢心地の期待と、気に入ってくれず、「ふん」と機嫌を損ねはしないだろうか、という不安で僕の心は掻き乱されていた。
彼女はそんな僕の心を知る由もなく、道中のショップなどの見定めをしている様子だ。
どう踏んでも、僕の言う良い所を信用している風には――見えないよなぁ……。
正直に言えばこの時点で僕のちっぽけな心は折れてしまいそうだった。どうしても今まで僕の運が良かっただけにしか思えなくて、それでめげてしまっている部分もあると思う。
でも。目の前にいる彼女も、島早さんも、僕に自信を持てと、そう言ってくれた。ならば自信を持って紹介せねばどうすると言うんだ。折角僕なんかを、優子さんは誘ってくれてるわけで。
(よし――っ!)
僕は覚悟を決める。
ここで諦めるのは男が廃るし、優子さんや島早さんの言葉を無視することになってしまう。全力でやってあげるのが然るべき対応だ。その筈だ。
そして。目的の場所にへと着く。
少し小さめなレストラン。一度足を運んで調べた店だ。和食を中心に取り扱うレストランで、その味も去ることながら、窓側の席から見える紅葉の紅葉がまた格別。
レビューサイトでも星五つを獲得しているそんなお店だった。
優子さんはへぇ、と少し嬉しそうな笑顔を浮かべる。
「貴方にしては凄いじゃない。和食のお店なのね。ふぅん。ともかく入りましょう」
僕は大きく首を振って、二人して店内に入る。
「いらっしゃいませ」
店員さんは着物姿にで僕らを出迎える。そして僕らに窓側の席に着くように促した。
そして、そこに来た瞬間、彼女の表情がより緩む。
「凄いっ……!」
窓側から覗くのは、数多の紅く紅く染め上げられた紅葉。鯉が泳ぐ池には赤い紅葉の葉が浮かび、幻想的な世界だった。
「本当に凄いわ。……まるで夢の世界に紛れ込んだ、そんな感じね」
詩を読むように彼女は告げ、その光景に魅入っている。
僕は、凄くそれが嬉しかった。認められたような、そんな感覚に陥ったのだ。
確かに、僕は来るのは二回目だがその景色に圧巻される。きっと妖精でも居着いているんじゃないだろうか。そんな風に思えてならなかった。
「あ、そうだ……。折角だしご飯も頼まないとね」
「そう、ですね」
「ここは、何が美味しいの?」
「今の時期だと秋刀魚ご飯とかが美味しいみたいです。僕は栗のおこわと松茸の茶碗蒸しとシメジの澄まし汁と秋刀魚の焼き魚がついた秋定食を頂きましたけど、それもとても美味しかったですよ」
「じゃあ私もその秋定食にしようかしら」
「じゃ、僕もそうします」
店員さんを呼んで注文だけ済ませると、優子さんは再び幻想の世界にへと浸る。余程お気に召して頂けたらしい。それが確認できただけでもリサーチを頑張って良かったなと思う。
僕も定食が届くまで、景色を鑑賞していようと窓の外を眺める。それにしてもなんと優雅な。優子さんの言葉のように、本当に夢の世界のようだ。別世界のそれに僕は改めて感動していた。
「お待たせ致しました。秋定食でございます」
良い匂いを漂わせてきたそれに、優子さんはすんすんと鼻で嗅いだ。
「良い香りね。さて……頂きます」
ぱちん、と割り箸を割る小気味良い音が響く。
この箸も又、竹で作られているそうで竹のなんとも言えぬ匂いが鼻を漂っている。
まず一口、栗のおこわを口に運ぶ。優しい味付けながらも、一口大に切られている栗の存在感がたまらない。
「美味しい……」
優子さんはほぅ、と息を一つ吐き出した。優子さんは松茸の茶碗蒸しを一口目に選んだらしい。
贅沢なほどふんだんに松茸が入っているそれは、秋にこの店に来る際は必ず味わうべき一品だと、レビューサイトにもあったと思う。出汁の効いた茶碗蒸しにも松茸の香りと旨味が染み出しており、体をまるで包み込むような、そんな感覚に陥る。
皿に添えられているすだちを絞ると、又風味は一変する。温かくまろやかなそれに、爽やかな風味がこれまた合うのだ。
「凄く、美味しいわ。風味が格別ね。味も優しくて、有難う。思った以上に素敵なところ。侮ってたわ。貴方の事。きっと、私の為にリサーチしてくれたんでしょう」
「……っ、そのっ」
「嬉しいの。素敵な場所に出逢わせてくれて。この秋刀魚も美味しいわ。脂が適度に乗っていて、臭みもない。身はフワフワで甘くて……」
蕩けるように告げる彼女は本当に幸せそうだ。
秋の贅沢がふんだんに使用された定食は瞬く間に胃袋へと消えていく。
秋刀魚の焼き魚にもすだちを軽く絞る。大根おろしと共に食べれば脂の乗った秋刀魚の旨味とすだちのしつこくない酸味、大根おろしの甘みが融合し、なんとも素晴らしい。
シメジのお澄ましも、薄味ではあるが椎茸で出されているという出汁の旨味、そしてシメジの触感が舌を満足させてくれた。
「ところで……」
優子さんは箸を置くと、こちらを見つめた。
え、何? ……何?
「いいえ。なんでもないの」
彼女は小さく首を横に振り、食事を再開させる。
余計に気になるじゃないか。
「何か、ついてましたか?」
「貴方にはついてないわ。ただ、そのね」
僕の斜め後ろに、彼女は視線を向けた。
それに釣られて、僕もその報告に視線を向けて彼女の言いたいことを理解した。嗚呼、成る程。
そこには島早さんが気まずそうにオレンジジュースをストローでチューチュー吸っていた。
頼んでいる定食はレディース定食らしく、秋刀魚ご飯のミニサイズやら筍の味噌汁やらラインナップが僕らと違う。いや、そんな事はどうだっていいんだけど。
何故、彼女はここにいるのか僕はさっぱりだった。
「協力者のつもり……そうね」
「服のコーディネートは手伝ってもらいました。因みに」
「どうでもいい情報提供有難う。で、なんでいるの? 島早さん」
「分かったら僕も驚いてないと思うんです」
「そう言われてしまうと、そうね」
島早さんは誤魔化すようにひたすらレディース定食を食べて、そっぽを向く。テンパっているらしい、顔には幾粒の冷や汗が島早さんに浮かんでいた。
僕は仕方なく、そっと立ち上がる。そして島早さんに近づいた。
「どう、したんですか?」
「けけけけけ、決して、しししししし心配になったとかそういうわけではないんですよおっ」
「心配だった、と」
「そうなります……」
「こっちに来なさい。全く、仕方ないわね……」
頭を痛そうにしながら彼女は溜息を吐き出す。
レディース定食の乗った御盆をこっちに持ってくる島早さんはやはり気まずそうにしている。確かに恥ずかしいと言われれば、恥ずかしい分類に入るよねこれは。
「で、改めて。どういうつもりか聞かせてもらおうかしら?」
「そ、そのぉ……」
「オレンジジュースに頼らない。お酒に頼るおじさんみたいよ。今」
「ふええ……。心配だったに決まってるじゃないですかぁ! なんかこーんなこととかそ、そそそ、そーんなことに発展したらどうしようかって……」
「想像力豊かなのは結構だけど、絶対あり得ない事象よそれ。はぁ……、頭が痛くてせっかくの美味しいものも美味しく感じなくなるじゃないの」
「すみません」
平謝りする島早さんも正直に言えば凄く可愛かった。髪はおろしていて、長い黒髪はちゃんと手入れをしているらしく艶やかで綺麗だ。
服装も落ち着いたコーディネートで誰もが好印象を受けるだろう。
そんな島早さんは反省しきりで立つ瀬もなさそうだった。
「ま、まあ。いいじゃないですか」
「……邪魔だけどね」
「へ」
「なんでもないわ。さっさと食べて帰るわよ。全く」
彼女は誤魔化すように告げ、そう促す。僕はそれをただ見ながら、秋定食を頬張ることにした。
*
「美味しかった、ですね?」
「思い切り乱入あったけれど」
呆れた声色で優子さんは告げた。
「ごめんなさい……」
「別に構わないわ。私は」
優子さんは気怠げに言って、横目に僕を見た。
若干恨みこもった目で僕を睨むのはやめて欲しい。僕に罪があるとでもいうのか。――まあ、あるのか。
「睨まないでください」
「睨んでないわ。気のせいじゃなくて?」
鼻で笑いながら、優子さんは告げる。絶対気のせいじゃないと思うんだけどなんていう一言が一瞬脳裏に浮かんだのだが、決してそんなことを口に出すわけにもいかず、黙ってソウデスネと片言で返しておいた。
次に優子さんは視線の先を島早さんに向ける。島早さんはまるで僕みたいにオドオドしている様子だ。
「別に、そんな緊張すること?」
「は、はわわ、そういうわけじゃないんですけど……っ」
「結構単純って言われない?」
「た、たまに……」
「でしょうね」
優子さんの一言で傷ついたらしい彼女は泣きそうな顔をしていた。
うう、という嗚咽ともつかぬような声が痛々しい。正直見ているこちらが可哀想になってくる。
「どうでもいいけれどどうする訳? 次」
優子さんは歩いていた足を止めて、そう僕たちに聞いた。そうだ。完全に抜けていた。失念していた僕に、優子さんは「考えていなかったってわけね?」と問う。
その通りです、というしかない僕はただ縦に首を振るのだった。
そんな中、島早さんが小さく口を開いた。
「とりあえず……紅葉見に来てる感じなんですよね、恐らくすれば」
「まあ、そうね」
「だったら私、とっておきの場所知ってます。そこに、宜しければ行きませんか? お詫びも兼ねて、なんですけれど」
「じゃあ、お願い出来る?」
「分かりました。じゃあ、行きましょうか。ここからだとバス通っていた筈なのですぐ着きますよ」
島早さんは言って、近くの停留所に誘う。島早さんのやや元気を取り戻したらしい笑顔が何とも愛らしい。
バスが来るのはそこまで時間がかからず、僕らは駆け足でバスに乗り込む。適当に座席にへと座ると、後ろの座席に座った島早さんが身を乗り出しts。
「でも、こうして集まってみると不思議ですよね」
「え?」
「普段はこうして集まることがないメンバーじゃないですか。だからこうやって見るとなんだか不思議な感じがするんです。変ですかね?」
「そんなことはないと思うわ。確かに、不思議な感じはするかもしれないわね。特に、これは」
そう言って僕に対し、優子さんは顎を向けた。
なんだか失礼なことを思われているような気がする。というか間違いなく思われていることだろう。
「なんだかなあ……」
「不服があって?」
ふふん、と鼻を鳴らして告げる彼女は僕に精神的なダメージをより深く負わせる。
鬼だ。この人、鬼かなんかだ。
僕は今なら泣いても許されるんじゃないだろうか。きっとその筈だ。なんて事を思いながら、僕は小さく肩を落とした。
バスは小道を抜け、大通りを走っていく。
「……そういえばなんだけれど」
「はい」
「倉阪くんだけきいて。島早さんは耳を塞いでおくこと」
「は、はい……」
不服そうだったが、島早さんは言われたとおりに耳を塞いだ。
「本日の夜八時。今日集合した場所に来ること。いいわね」
「あ、ええ。分かりました」
「島早さんもういいわよ」
「もうですか? 早いですね〜」
「対したことじゃないもの」
さらりと言う優子さんは、なんだか頬が紅潮しているように思えた。
島早さんはそれを不思議そうに見ている。
「もうそろそろ着きますよ」
島早さんの言葉に僕は窓の外を見る。停留所まで、あと僅かだ。
バスを降りると、島早さんは足早に歩いていく。 黒髪が左右に揺れる。しかしいつ見ても艶やかな髪だ。
優子さんは羨ましそうに彼女の髪を凝視している。
「こんな髪が欲しかったわ……」
「え」
「綺麗だから何にしても映えそう。括りたいわ」
何だか危ないことを吐いていらっしゃる。男ならば確実に変質者認定される発言だ。聞いていないふりをしよう。そうしよう。
島早さんはそんなこと時も気づかず、ふんふん、と鼻唄を歌っている。気楽だなぁ。
「ここをまっすぐ歩けば着きますよ」
「ふうん」
優子さんは至極どうでも良さそうに曖昧な返事をした。
なんだか優子さんのことについて、この半日でよく分かった気がする。優子さんは恐らく、素直になれない癖があるのだ。だからこうして曖昧に返す、と。そう考えるとなんて可愛いのだこの人は。
「ふぉう」
思わず妙な声が漏れる。
優子さんは一瞥して「気持ち悪い」と軽蔑したように告げるのだった。
「ここですここです」
そう言って僕らの前に見えたのは紅葉と銀杏が軒並んでいる森だった。見てて圧巻とはこのことで、僕ら二人は息を呑む。
「中に入れますから、行きましょう」
誘う彼女の目は輝いていた。早く入りたくて仕方ないらしい。
優子さんはそれに苦笑いしている。
中に入ると紅葉と銀杏の落ち葉が絨毯のように敷き詰められていた。赤と黄色のコントラストがなんとも美しい。
「夢の世界の森に迷い込んだみたい」
「ですよね。だからここ、別名でフェアリーフォレストって言われてるんです」
「まるで厨二病ね」
「嗚呼、それ、私もそう思いました」
妙に意気投合していらっしゃる辺り、女子とは凄い。男子には無理な芸当だと思う。
踏みしめる度に、サクサクという音が耳に心地良く響く。
「ここが一番綺麗なんですよ」
進むと、一箇所紅葉と銀杏の生えていない場所が現れる。そこには陽の光が射し込まれ、なんとも言えぬ幻想的な風景を生み出していた。
「これがフェアリーフォレストと呼ばれる一番大きな理由なんです。妖精が現れそうな感じ、しますよね」
夢現に浸るような、そんな声色だった。
だがしかし、確かに今にでも妖精が現れそうではある。そして不思議の国に導いてくれそうな、そんな感覚に陥らされた。
「ほんとね……。吃驚するぐらい美しい。有難う。良い処ね」
「いえ!」
「……そういえばメアド交換していなかったわね。皆、携帯ある?」
唐突な話題の切り出しだった。僕らはガサゴソと各々の携帯を取り出す。
「赤外線で送るわよ」
そう言って、優子さんは我先にへと準備を始めた。
タッチパネルを手慣れた動作にて動かし、僕らは互いに端末を向け合う。
「きたきた」
にっこり、彼女は笑んだ。
同じような動作を繰り返し、連絡先の交換が終了する。優子さんはとても満足そうな表情をしていた。
「これでいつも連絡が取れ合うわね」
「また遊びに行きたいですよね♪ 今度は遊園地とかどうですか?」
「それも良いわね。プラネタリウムでもいいかも」
「最高ですね!」
女子二人の盛り上がりに、僕は些かついていけないところはあったが、ただこの場所にいる事が、僕にとっては幸せなのかもしれない。少しだけ、穏やかになれるような、そんな気がした。
だいぶ時間が経った様子で、差し込んでいた柔らかい陽の光が、赤い夕焼け色の光に染まっていた。
「帰りましょうか。そろそろ」
「そうですね」
「……早かったですね、時間が過ぎるのって」
「楽しい時はそういうものよ。皆そう感じるわ」
そういう彼女も又、名残惜しそうにしている。
それほど楽しんだ、ということなのだろう。僕も同様だった。ここにずっといれればいいのに、そう感じている。どうして時間は永久ではないのかなんてザラでもないことを考えてしまう。
「……じゃあ、これで」
森を抜け、停留所に着いた時、優子さんはそう言った。
「ちょうどここの路線だから」
「そうなんですね」
「あ、後」
優子さんは僕の耳に顔を寄せると、「今日の八時、必ずね?」という伝言を囁く。
生暖かく、艶かしいそれに僕はドキリとしながら、コクリと小さく首を振った。それだけ見た優子さんはパタパタと停留所まで走る。
「どうかしたんですか?」
「ううん。どうもしてないですよ」
「そう――ですか」
島早さんは小さく呟いた。
「……倉阪くん」
「はい?」
それは、唐突だった。
彼女の顔が近づいたかと思うと、彼女の唇は僕の頬に触れていた。僕は人差し指で頬を触れる。
「っ――」
「私、倉阪君のこと好きです」
唐突の告白に、僕は只驚いていた。なんで、という気持ちが強かったのかもしれない。
「……ずっと前から見てた。気にしてました。倉阪くん、自分に自信がないかもしれないですけれど、すっごく優しくって、私は……言葉にするの凄く難しいんですけれど、だから好きなんです」
みるみるうちに赤く染まっていく島早さんは何とも愛らしい。
でも。
――でも。
「ごめん、なさい」
「優子さん、ですよね?」
「……」
「あー、駄目かぁ。精一杯の告白だったんだけどなぁ」
「ごめん、……応えられなくて。島早さんも素敵な子だってのは分かってるんだ。僕なんかとてもじゃないけれど勿体無いくらいの。でも僕、優子さんのこときっと好きなんだと思うんです」
「別にいいですって。応援してますから振られないでくださいね〜」
「……そうですね、うん。頑張ります」
僕は精一杯はにかんで、島早さんも泣きそうな顔なのに、笑っていた。
なんだか申し訳ない気分に陥る。僕風情が彼女を振ってしまった、という出来事が何だか重たく感じる。
「じゃあ、また学校で会いましょうね。頑張ってください」
「へ」
「分かってますって。八時にまた、会うんでしょう? こんな機会滅多にないんですよぉ? 全力尽くしてきてくださいね!」
「……勿論」
僕は大きく返事をする。
少しだけ勇気が湧いたような、そんな気がした。
*
八時。僕は例の場所で待っていた。
(遅いなぁ……)
時計を確認すると、既に三十分経っている。バスの遅延とかだろうか? だとすれば連絡の一つくらいくれればいいのに、なんて心の端で思いながら、僕は彼女が着くのを待つ。
そして彼女が到着したのはそれから十分程後のことだった。
「ごめんなさい。遅れたわ」
「何かあったんですか?」
「いえ。何もないけれど」
「……そうですか」
「――ん、ちょっと行くわよ」
「え、何処へ」
「後で教えるわよ」
「はぁ」
「とにかくついてきなさい」
有無を言わさぬ様子で彼女は告げる。
僕は首を振って、彼女に着いていく。彼女の足取りはしっかりしていて、なんだか頼もしい。登り坂は緩やかで、歩くのに然程疲れることがなかった。
流石に夜だからか人通りはなく酷く静かだ。その為か、時折吹く風の音が耳に響く。
「……寒いですね」
「そうね。もう冬が来るもの」
「あはは。風もだいぶ強いですね」
「近いうちに散ってしまうかもね。今日観れて良かったわ」
全くその通りです、と僕は同意する。
そして坂を登り切った時、優子さんはこちらを振り返った。
「着いたわよ」
そこは小さな丘だった。
そこから見えるのは、綺麗な星空と月光に照らされた街の姿だった。全てを受け入れてくれるような、そんな景色。
「……一緒に観れたらいいとそう思った」
「えっ……」
「っ! ち、違うわ! 決してそんな意味じゃないの‼︎ ちが、違うの!」
「う、うん……」
「駄目だ、動揺する度に泥沼にハマっている気がするわ……。嗚呼もういい! そうよ! 私が昔からあなたのことを好意的に見てたわよ! 素敵な人だとずっと思ってた! だから、 だから! その、つまり……好きなのよ! 私はあなたの事が好きなのよおおおお!」
発狂ともつかぬそれに僕は暫し口を開いていた。多分生きている中で一番間抜けな顔をしていたと思う。
優子さんは顔を赤く赤く染め上げて、下に俯く。余程恥ずかしかったらしい。それがまたなんとも可愛かった。
「一生の不覚だわ。本当に一生の不覚よっ……。で、返事はっ?」
「え?」
「返事は? って聞いているの。イエスかノーか。単純でしょう?」
彼女はそんな拷問な事を言い張って、僕を睨んだ。酷なことを言うものだ。
僕は深呼吸を何度か繰り返して、そして――覚悟を決める。
「こうなったら仕方ないよね。僕も、優子さんの事が大好きです。だから、あの、イエスです、イエス!」
「……っ! ほん、とうに?」
「はい。本当に、大好きです。ぼ、僕なんかで良かったら、ですけど」
「……! 自信持ちなさい。私に選ばれたということをっ。あ、あと……」
「はい?」
「……貴方、敬語辞めない?」
「敬語ですか?」
「そうよ。タメ語で良いわよ、タメ語で。かたっ苦しいんだから」
「が、頑張り……」
「……」
「が、頑張るよ……」
僕は吃りながらも、なんとか小さく頷く。
「全く、シャキッとなさい」
背中をばん、と彼女は叩く。――ちょっと痛い。
「痛いよ……」
「あ、あらごめんなさい……。ちょっと力入れすぎちゃったかしら……?」
「ちょっとどころか結構ね……」
僕も人を責める趣味はない。
折角彼女になってくれた、というのに。僕は頭を掻きながら、少しだけ口角を上げた。
「もうひとつ行きたい場所出来たんだけど、時間ある?」
「まあ、一応は……?」
「そこに行こう」
「どれくらいで付くのよ」
「三十分くらい。……さ、いこ」
僕はやや強引に、優子さんの手を引っ張る。
それこそ、問答無用に。優子さんはそれに驚いていた様子だった。きっと僕がこんな行動にでるなど想定すらもしていなかったのだろう。そんなことなんて簡単に想像がついた。
「……変わったわね」
「へ」
「今日一日でだいぶ変わったわよ。今迄正直に言えばヘタレの王道を欲しいものにしていた貴方が」
「一応は褒められているという認識で?」
「良いわよ。実際褒めているんだし。素直に有難く頂きなさいな」
「なるほど」
「細い路地通るのね」
「近道なんだ。ここが」
「結構来るの?」
「うん。まあね。家族と一緒に来ることが多いんだ」
連れて行こうとしている場所は小さい時から通い詰めている所だった。
思い入れに関しては人一倍強いんじゃないかと思う。だから是非とも優子さんには見て欲しい場所だった。
「ふうん。期待しないとね。それじゃ」
優子さんはにっこりと笑う。
思わず、心をときめくというのはこのことを指すに違いない。僕の心は鷲掴みにされていた。
「……そろそろ着くよ」
そして優子さんは時が止まったようにその光景を見ていた。
星空がよく見えるそこは小さな公園だった。ただ夜だからか人は居らず、若干物しずけな光景をになっている。
だが、星の光に照らされる幾つもの楓がとても幻影的だ。
「ここが密かなスポットなんだ。夜は割と人がいないから空を独り占めしたような気になるってかさ」
「そう」
「親しい人にしか教えてない穴場だよ。夏場だとここから見る花火ってのも最高なんだ」
「その時も連れてってくれる?」
彼女は、僕を見つめ、そう尋ねた。
「あ、当たり前だよ。……連れてく」
「決定ね。事前予約はこの通り取らせて頂いたわ。ちゃんと連れて行くこと。約束よ?」
「うん。分かった、分かった……」
「嘘ついたら承知しないからお願いね?」
なんとも物騒な彼女を持ってしまったものである。
「あ。そうそう。つい自然な流れで忘れるところだったわ」
「何を?」
「プレゼントよ」
そう言って、彼女に包装された袋を渡される。
開くとあったのは手編みのマフラーだった。
「え」
「今日遅れたのはそれよ。ちょっと引っ掛けてしまってほつれたから修正してたの。時間かかったんだから」
恥ずかしそうにしながら彼女をは告げる。
「あげる」
若干無愛想ながら、差し出す姿に愛が感じられる。凄く、凄く凄く僕は嬉しかった。
受け取ると、その柔らかな感触が手に馴染む。とても丁寧に作られたことが見受けられるそれに、僕は感動を覚えていた。
「凄く手がかかったでしょ。ありがとう、すごい嬉しい」
「べ、別に、そそそそんなことないわよっ! ちょちょっと作っただけだもの手なんてかかってないわよ」
彼女はこれまでの饒舌な口調とは打って変わって、息が乱れ、言葉をよく噛みながらそう強がる。
それが、彼女をより可愛らしく演出していた。
「動揺だけしちゃうじゃない……」
「ふふ」
「なな、何がおかしいのよ」
「いや、優子さんってそういうところあるんだなって思ってさ」
「意味わかんない」
「優子さんの色んな一面が見れて幸せだなってこと」
そして、僕はぎゅっとマフラーを握り締める。
「優子さん」
「何よ」
「よろしくね」
僕は言って笑いかけたのだった。
(了)