0047:中には死者の書とかも有ったとか無かったとか
まだ吸血鬼の「き」の字すらなく、銃の乱射事件などもなく、世間が平和で退屈な日常そのものであった頃。
マイペースな三つ編み文学少女、北原桜花は高校入学直後。県下一番から二番を争う学校に、なんかいつの間にか入学していた、と言う才媛である。
その中身は、マイナー作品ばかりを読み漁り、メジャーどころは「なんか流行に乗ってる感じがするから」と読みたがらない面白少女だった。
知らない本にこそ出会う価値を認める桜花は、東京の神田は当然として、足が届く古本屋は行き尽していた。
少し遠出すれば、地元交番のお巡りさんにお手数をかけるのも恐れず、場所を訊いて古本屋へ突撃する。
そんな桜花の部屋には机や床を問わず、本が山と平積みにされてる。
椅子はその山の中に埋もれ、今は本の塔が椅子の代わりと化していた。
「あれー……? この本は読んだっけか? もーダメだなー、勝手に既読アイコン付かんかなー」
『ダメ』なのは読み散らかして整理しないズボラ文学少女の方だったが、この少女はもう10年近くこの調子。気付いたら受験が終わっていた、と本人が言うのも伊達ではない。その彼女の能力を超える量の本が、部屋を埋め尽くしていたのだ。
簡潔に一言で言うと、整理整頓とかはもう諦めた。
本を探すのに歩き回り、自室の中でまで本を探していれば世話が無い、と思いつつ、まだ見ぬ――――――読まぬ――――――本を求めて頭から山の中に突っ込む。
「お……おおう。ちょっと遭難しかけた」
比喩抜きで本の海を泳ぎ切り、どうにか生還した桜花の手には、一冊の本があった。戦利品である。
一目見て覚えがなく、背表紙を見て直感した桜花は、本の塔の最下層から強引にそれをもぎ取って来た。
その後崩壊する本の神殿からの脱出は、アドベンチャー映画の如しだったが。
「どーれ……これ何時買ったヤツだー?」
いつ買ったかどこで買ったか分からない。そんなのは今に始まった事ではないので、無理に思い出そうともせず、とにかく内容を見ようとハードカバーの本を開いてみる。
「………なんじゃこりゃ?」
開いてみたのだが、そこには文字も絵も何も書かれてはおらず、ただ真っ白な紙面が広がっているだけだった。
◇
「……………………ありゃ?」
一瞬、足元が消えていたかのような感覚に襲われ、桜花はその場でたたらを踏む。
これでも病気知らずの文学少女。目眩を感じるのも、あまり経験の無い事。
二重にブレる視界を、目をしばたたかせて戻そうとする桜花。
意識が飛んだのは、その女を見てからだ。
背中から腿を覆うほどに長く、緩やかに波打つ金髪。
淡いブルーの瞳に、美しいが挑発的な笑みを作る顔立ち。
成熟した肉感的なカラダは、にわかに発達した魔法少女達とは比べ物にならない、危険なフェロモンを発している。
しかし、特筆すべきはそんな普通な特徴ではない。
女が身に着けているのは、大事な所しか隠れていないヒモを繋げたようなボンテージと、四肢に巻き付く鎖。
ブロンドの隙間から大きく天に伸びる、牛のようにねじ曲がった黒いツノ。
そして、何より目を惹きつけるのが、腿のあたりで揺れている、先端が槍のように尖る尻尾。それに、腰の後ろから大きく左右に広げられた、コウモリのような大きな翼。
その姿は、あたかも物語に出てくる、男を誘惑する悪魔の如しだ。
銀行の壁に突如現れた悪魔の如き姿の女は、垂直の壁から信号機の上へと軽やかに飛び移る。
とんでもない格好の異常な女だったが、それが桜花の目眩の原因ではないだろう。
何か、ポンっと抜けている記憶があるような。
マイペース文学少女の北原桜花は、眉間にしわを寄せて記憶を掘り起こそうとする。
だが、状況は彼女を置いてきぼりにして推移していた。




