0015:ベーコンレタスは良いがトマトを食べる気分ではない
多少気になる部分はあるが、概ねそこは日常の教室だった。
ふざけ合う男子、ファッション誌を読む女子達、雑談する生徒、机に突っ伏して半分寝ている生徒。
雑談の内容がちょっと常軌を逸していたり、ファッション誌の他、胃もたれしそうなオカルト小説を読んでいる三つ編み文学少女の存在などは、もう誤差の範囲内だろう。
そんな感じで、自分は平穏な日常に身を置いているのだ、と自己暗示中な雨音だったが、
「えー……一昨日の事なんだが、隣のクラスの女子生徒が、あー、傷害事件に巻き込まれていたとの事だ。幸い大事にはならなかったらしいが、皆も帰宅時にはひと気の無い場所は避けるように――――――――――――――」
HRの冒頭にて、慎重に言葉を選ぶ、ただ事ではない様子な教師の科白で現実へと引き戻されていた。
◇
「襲われて入院だってよ。ホントかねー雨音っち」
「吸血鬼デスよー!」
「やめなさいよ不謹慎な……」
長身長髪の女子生徒が眠そうに言うと、小型の天然金髪娘が異議ありとくっ付いてくる。
そして雨音は、ここでは適当に流しながら総菜パンなどパクついていた。
実は、HRで教師が語った生徒の被害という話は、何も今に始まった事ではない。
既に述べた通り、ここ暫く学校の内外で吸血鬼出現の噂が立っていた。その噂の根拠が、実際に牙を突き立てられたと思しき被害者の存在だ。
明確に『そう』とされた被害者はいないが、教師としても生徒の前で、そんな話をするワケにも行かないだろう。
しかし、このタイミングで『暴漢に襲われて怪我した上に入院』と言われれば、多少想像力のある人間ならば、何があったか見当も付こうと言うもの。つまるところ、誰も教師の言う事を真に受けてはいなかった。
本当は吸血鬼に襲われたのだ。
そんな馬鹿な話にも、妙な説得力が付いてしまった昨今。ましてや雨音とカティは、噂話が事実であると知っている。
だから迂闊な事を口走るんじゃねぇ、と視線で雨音はカティを抑えようとするが、どうやら無駄なようだった。破壊神モードでないと舐められている。
昼休みの教室は、生徒達が昼食を摂りながら雑談に花を咲かせるサロンと化す。
耳を澄ますまでもなく、噂の吸血鬼の話題は、身近に出た被害者――――――と思われる生徒――――――の話と共に雨音にも届いて来ていた。
「襲われたのって大牧ちゃんでしょ? 携帯にも出ないんよ。マジかも……」
「生きてるの……?」
「いやヤバいっしょーそれは……」
「もしホントに咬まれたんならさー……ヤバい?」
「ヤバいヤバい」
「で、マジなの?」
「仲の良い子がお見舞いに行こうって話になったんだけど、なんか面会謝絶だって」
「えー、先生大した事ないって言ってたじゃん」
「大した事なかったらもう学校来てるでしょー」
何とも中身に薄い会話ではあるが、雨音も「もっともだ」と思う。
吸血鬼の実在が確かな以上、この状況での入院となれば、やはり吸血鬼の牙にかかった可能性は小さくないと思えた。
「……大上さんて、傷害事件に巻き込まれた隣のクラスの娘って、知ってる?」
「えあ゛? あー……たしか文芸部じゃなかった? 北原っちと一緒に入部してたじゃんねー?」
「ん?」
話を振られた三つ編み文学少女は、二人分の視線を受けて首を傾げ、暫し考えた後。
「んあー……文芸部じゃずっと本読んでるだけだからー、他の部員とか知らないや」
何とも力の抜けた口調で言ってくれる。
それでいいのか文芸部、と思わなくもなかったが、帰宅部の雨音に何が言えるワケでもなかった。
「にしたって、どうせ文芸部の娘を襲うのなら、あたしのトコに来ればいいのにー」
「えー、マジですか北原さん」
「ノーウェイ……!」
とんでもない事をぽやっと言う三つ編み文学少女に、虚ろな目をしたカティが弱々しく首を振る。
これに関しては雨音も同感だった。この文学少女は、相手が腹の出た肥満オヤジ吸血鬼でも同じ事が言えるのだろうか。
いやそれ以前に、『咬まれたい』などという人間の心理が分からない。そんな理解不能の人間が雨音の隣人とは。以前から何かズレた少女だとは思っていたが。
「……咬まれたら死ぬか化けるかどっちかだと思うんだけど」
少なくとも碌な事にならないと思う雨音は、何となく目に付いた文学少女の文庫本を手に取ってみる。
パラパラとページを捲ってみると、何やらやたら耽美な男同士が吸血し合っている挿絵を発見。
こいつぁヤベェ、と雨音は即座に本を返した。
「んー、まーそうとも限らないんじゃない? 処女と童貞じゃないと咬まれても吸血鬼にならないって話があれば、血を送り込まないと仲間に出来ない、とか色々あるしさー」
「なにー!? エロいー!」
何故かこの時に限ってテンションが上がるダウナー系女子。上がってもダウナー気味なのは変わっていなかったが。
「……何にしても、大牧さん? に何かあったのはホントなんだし、吸血鬼云々は分からないけど、あんまりネタにすると不謹慎かもよ」
その場ではそう言って話を切り上げさせた雨音は、その日の放課後、カティと連れだって件の生徒が入院する病院へと赴いていた。




