0019:両者ともに運命と事故る誰も得しない必然的展開
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七月第3週の月曜日。
午後02時26分。
東方大陸、南部氏族同盟ザピロス、北側国境地帯。
生まれて初めて感じる死の恐怖に追い立てられ、少年は本能のまま走り回っていた。
皇帝として民に威を示すため邪神討伐を直率しに来たものの、肝心な軍団は圧倒的な邪神の力に蹴散らされ、自分は無様に逃げまどっている。
将軍や将官とも逸れていた。幼いながらに、自分が謀殺されかかっているのを察する。
皇帝、などと表向き崇められようとも、所詮はお飾りに過ぎないことも、小さな少年には分かっていた。
国内の政は大臣や官吏の者が行い、皇帝はそれを追認するだけ。権限こそあるが、否決する事も出来ない。
おかしな献策だと思っても必ず言いくるめられるし、老獪な政治屋に弁舌で適うワケもないのだ。
そうやって無力なまま流されてきたツケを、今こうして命で支払おうとしている。
「皇帝陛下をお連れしろー!!」
「グプタ殿は何処――――!!?」
「どっちに逃げればいいんだ!?」
「皇帝陛下をお守りするのだ!」
この期に及んで皇帝に付き従う、僅かな忠臣も道連れにして。
小さな玉体を載せているのは、小型トラック程の大きのアルマジロに似た生き物だった。籠を背負い、幼い皇帝をその中に収めている。
短い手足を必死に前後させ、自身の為か主の為か、全力で逃げていた。
そんな一団を、長過ぎる脚を持つ巨大生物が執拗に攻撃。
ミサイルのような破壊力を振るう足踏みで、アルマジロの至近の地面を吹き飛ばす。
「ふげああああ!!?」
「プアっ!? こ、皇帝陛下は――――!?」
「いかんグプタが倒れた! 皇帝をお助けしろー!!」
集団はあっという間に粉塵に巻かれた。
そのさなかで、全身ホコリまみれの兵士たちが駆けずり回り、ひっくり返っているアルマジロを引き起こそうとする。
むろん、巨大な災害が矮小な人間の事情を斟酌してくれることはない。
落雷のように、地面に落ち続ける大質量。
歩を進める巨大生物は、それはいよいよ身動きの取れない一行を踏み潰そうとし、
長大な翼を備えた物体が、低空から飛来し粉塵を吹き飛ばしていく。
「ッ……ぷあ!?」
砂交じりの暴風が叩き付け、幼い皇帝が思わず目と口を閉じていた。
しかし直後、近いところで爆音が響き、反射的にそちらに目をやる。
見ると、何本もの節足を束ねた邪神の表面で、炎が上がっていた。
銃と兵器の化身、魔法少女の『黒アリス』は両翼に4基のターボプロップエンジンを搭載したジャケットを大きく拡げ、右椀の105ミリ榴弾砲、左腕の30ミリ機関砲を乱射。
巨大生物の真横を駆け抜けながら、その巨体を滅多撃ちにする。
更に擦れ違いざま、フトモモを割り中から空対地ミサイルも発射。
成形炸薬の爆発力が内側に集中し、巨大生物の体内深くまでを撃ち抜いた。
「どう!? ――――ッ危ねぇ!!?」
4発のプロペラを最大出力でぶん回していた雨音は、相手のダメージのほどを確認しようとしたところでとっさに急上昇。
自分のすぐ下、直前までいたところを、快速特急のような昆虫脚が猛スピードで突き抜けていく。
雨音は全力で逃げながら、苦し紛れに赤く輝くフレアを射出していた。
「アレは……ヒト、か?」
幼い皇帝は、光の玉を撒き散らす黒い飛行物体の中心に少女らしきシルエットを見付けて、呆然と呟く。
何が何だか皆目見当もつかないが、助けが来たのかも知れない。
それも、大空を荒々しく飛翔し、暴風を従える嵐の王が。
そのように空を征く存在に気を取られていたならば、少年は突然後ろから首根っこ掴まれた。
「構わないから全員押し込め!」
「前の車両から乗せろ! 乗ったらすぐ出せ! GO!GO!GO!!」
砂色の装束に表を出した兜を被る大男が、周囲に怒鳴っている。幼帝を力強く掴み上げているのは、そんな男だった。
帝国内でこのような行為に及べば、即斬首である。
「無礼者! その方をどなたと心得る!? 偉大なる血族の頂! 帝国そのものの御方であるぞ! 貴様ら――――!!」
「軍曹ヤバい! ヤツが来る! ジャイアントが方向転換!!」
だが、その無礼者たちは、それどころじゃないほど、物凄く忙しそう。
言葉の違い故に何を言っているかは分からなかったが、何が起こっているのかはすぐにわかった。
嵐の王に押されていた邪神が、向きを変えたのだ。こちら側へ、というのが最悪。
地面を踏み鳴らす巨大生物は、何十と連なる脚の一本を持ち上げると、足元の生き物の群れへ杭打機のように突き込んだ。
「斬――――徹ッ閃!!」
これにカウンターで合わせる鎧武者、武倉士織は、斜め上に必殺の剣を振るい、巨大な節足を真っ向から斬り裂く。
薪割り状態で縦に割られ、反射行動的に脚を引っ込める巨大生物。
「ぎゃぶん!?」
「しおりー!!?」
かと思えば、直後に戻ってきた脚が鎧武者を蹴っ飛ばしていた。
あまりの即落ち2コマに魔法少女勢もビックリである。
「チクショウ! サムライがやられた!!」
「アレはもうダメだ……!」
「クソ!? 子供が――――!!」
ぽーん、と重量感なく飛んでいくフルアーマー鎧武者に、騒然となる海兵隊諸兄。
対照的に、もっと親密な仲の魔法少女たちは、比較的淡泊な反応であった。
「前から思っていたのだけれど……鎧以外は普通なのよね? 武倉さんって」
「そうですねー、衝撃とかはガッツリ入ってる、はず、なんですけど」
「あとで徳田せんせーのとこ連れて行こうねー、念のために」
友人たちも、決して心配していないワケではないのだ。
ただ、ポニテ武者が敵に突っ込んで行くのはいつもの事なので。
目を回している戦闘バカは、吸血鬼のネコウモリが集団で飛んでいき回収。
そして、一旦は保護された幼い皇帝はというと、鎧武者が吹っ飛ばされた攻撃の余波をくらい、海兵の手を離れていた。
小さな身体は、衝撃波で木の葉のように飛ばされていた。
地面に叩き付けられた痛みを自覚する暇もない。
おそらく、生まれてはじめての孤立。
自らの判断で動いた事などない子供は、ただ呆然と無数の巨脚が暴れ回る危険地帯のど真ん中で立ち尽くす他なく、
「っしゃーゲーット!!」
「うぉあぁあああああ!!?」
そのうちの一本が迫る直前、何やら太い紐のようなモノが身体にハマったかと思うと、軽々と空中へ吊り上げられた。
次に襲い来るのは邪神の脚、ではなく、腹の中身がひっくり返りそうな浮遊感と、直後に顔いっぱいに広がる柔らかく暖かいしっとりとした感触である。
チビ皇帝は、カウガールの胸の間に挟まっていた。
年上お姉さんの柔肌という新たな緊急事態に硬直する少年。未知の感覚が下腹から後頭部を経て脳天へと走っていく。
そんな男の子の純情など知らず、ビキニカウガールと白馬のエドは、一目散に駆け出していた。
「カウガール! そのまま走れ! ジャイアントから離れろ!!」
巨体の巻き起こす砂塵交じりの暴風の中を、カウガールの白馬と海兵隊の車両が並走していく。
窓から瘦せ細った老人が何やら叫んでいるが、誰も取り合っている暇などない。
今この瞬間にも、巨大生物が足元の小虫に注意を向けているからだ。
大質量が地面を叩き、激震で軍用車両が浮き上がる。
白馬がマスコット・アシスタントでなければ、怯えて暴走していただろう。
脚が特徴の巨大生物は、その一歩も圧倒的に大きい。
「危ない真上!」
「全員掴まってろ!!」
カウガールの警告で、急ハンドルを切るドライバーの海兵隊員(伍長)。応じて、車内はシェイカー状態。
しかも、その努力と苦労は必要なかった。
後方から飛来した魔法少女飛行物体が、振り下ろされそうとした脚を攻撃した為だ。
105ミリ砲をはじめとするガンシップの火力による集中砲火で、側面に大穴を開けられる巨脚。
直上からは空気を叩くプロペラ音が響き、ジャケットの主翼を広げた黒アリスが車列と白馬に追い付いてきた。
なお、下からだと黒ミニスカの中が丸見えとなっており、腰に引っ掛かっているような白の超ローライズがチビ皇帝の目を直撃する。
完全に、性の目覚め。
「こっちの方が谷になってる! そっちなら逃げられない!?」
「オーケーだ! 先行してくれ!!」
雨音が105ミリの砲身で指し示した先へ、全員を載せた車両が突っ走っていく。
バラ撒かれたミサイルも派手に煙幕を張り、一行は巨大生物から逃げ切るのに成功した。
当然ながらそれで終わりではなく、大変になったのはそこからである。
◇
「こ……『こうてい』?」
「行程?」
「公邸」
「校庭……?」
「肯定」
「皇帝であるな」
国境の川を離れて全速力で南下し、10分ほど。
そこは、雑草に取り囲まれる石造りの寺院らしき建物が並ぶ遺跡だった。四腕族が昔用いていたモノとか。
巨大生物の気配が遠くなり、一息吐いて状況を確認しようとしたところで出たのが、魔王嬢ラ・フィン様による爆弾発言である。
そして上から、脳が現状把握を拒んでいる黒ミニスカ、まだ頭がハッキリしていない決闘ポニテ、常識的判断から漢字変換が正常に機能しないお巡りさん、ボケておこう思ってスベるカウガール、何故か真面目腐った顔で言う三つ編み吸血鬼であった。
サラッと魔王がダメ押しするのだが。
「ひッ……ヒー……! ひか、控えおろう! 首を垂れ、ただおひとり天上におわす方を伏してお迎えせよ!
大地の頂にありし偉大なる帝国の支配者! 『オークトリタス・スマ』皇帝陛下である!」
ここで、枯れ枝のようなのノッポのご老体が、突如発奮。
小さな男の子を背中に庇う位置で、裏返った声を張り上げる。
東方大陸北部、ニウロミッド帝国。
老人の背中から恐る恐る顔をのぞかせるのが、その頂点に立つ最高権力者、皇帝であるのは間違いないようだった。
ミニ皇帝は注目を浴び居心地悪そうにしており、枯れ枝のような老人以外の帝国人は座り込み呆然としていたが。
「今までもお姫様とか王様とか魔王様とか、いろいろあったけどさぁ…………。
EC方面のポータルにつながってる国の皇帝とか、今まで以上にやべーヒト来ちゃったな」
「なんで巨大生物とのバトルど真ん中にいたんかねー? エアリーさまもそうだったけど。帝国も偉いヒトが自ら最前線で戦う感じ?」
「帝国の頂点は皇帝であるが、政の実権を握るのは中央の華員どもだ。力無き皇帝はお飾りにしかならん。傀儡であるな。
だが皇帝が帝国においてただひとり全てを自由にする権限を持つのも変わらない。
大方、上級華員の何者かが、政争において己の都合の良い皇帝へのすげ替えでも目論んだのであろうよ」
「……巨大生物を利用した、謀殺? マズいわねぇ……向こうでも政治が動くような案件だわ、コレは」
「ななな何故ここに魔王が!?」
車座になり、なぜか小声で状況を整理する魔法少女勢と魔王さま。概ね大事になるのが確定しているのが、もうどうしようもない。
一方で、その場にザピロスの魔王がいる事に、枯れ木のご老体は腰を抜かしそうなほど驚いていた。
「……どうする? 帝国の方に送っていく??」
「これがクーデターなら、戻っちゃうとマズい事になるんじゃない? 主に……皇帝陛下が??」
「政治体制に干渉するのはのはダメなんだろうけどー…………」
ちょっと様子を見に来ただけで、大変な事態とエンカウント。
迷子を家に送っていくのとはワケが違う。
迂闊に帰せば幼子がどうなるかわからない上に、送迎した魔法少女も恐らく帰してもらえない。
かと言って、保護するのも帝国の内政に思いっきり干渉しているので、いずれにせよ大事になるのは間違いない。
どっちでも大変な事になるなら、それほど悩む事もないかぁ。
とも思う雨音であったが。
◇
異世界の存在の確認、その交流と調査がはじまってから現在に至るまで、地球人類の関心は未だに高止まり状態となっている。
一方で、地球内の世論、異世界側の文化や安全上の問題、といった様々な事情により、人々の思うような情報収集が出来ていないのも事実だった。
大きな問題に絶えずぶち当たりつつも新鮮な情報には事欠かない日本や東西米国とは違い、同じようにポータルを抱えるイギリスとロシアは、遅々として進まない異世界調査に国民の我慢も限界に来ている。
ロシアの独立独歩は言うまでもなく、イギリスとしてもEC(欧州共同体)から離脱した手前、単独で成果を出さねば格好がつかない状況だ。
イギリス南部、ソールズベリー近郊の巨石遺構、ストーンヘンジ・ポータルと繋がる異世界の巨大帝国。
『ニウロミッド』。
極めて権威主義的な同帝国との交渉は、行き詰まりを見せていた。
そこに来てイギリスの諜報機関、SISが捉えた情報には、ダウニング街もひっくり返る事となる。
大帝国ニウロミッドの、最高権力者。
クーデターで地位を追われたと言っても、この上なく貴重な突破口となりうる人物だ。なんなら失脚したのさえ好都合。
「ロジャー・モンドは日本だ。出国には手間取るかもしれない。代わりに選手村へ行き、何としても例の皇帝と接触したまえ」
機関のトップから命令を受け、キャラメルブロンドを後ろで編み上げた女性が、太平洋の孤島へ飛ぶ事となった。
それも、他のエージェントの代わりのような形で。
それに文句を言える身分でもなく、レイチェル・ドーンウェルは専用小型機に乗せられ、到着した先でヒトとしての道を踏み外しそうになる。
◇
常に緊張感満ちる神経質な面持ちの自衛隊員、釘山三等佐ではあるが、この時の表情は更に一味違った。
「なるほど、確執のあるザピロスやオーランナトシアに滞在していただくのは問題があったのは理解した。エアリー殿下が同行されていたとはいえ、イレイヴェンで即受け入れていただくのも難しかっただろう。中立的立場というなら、選手村は悪くない選択だったかもしれない。
だがな、黒衣…………」
「偉いヒト達が大変なことになるなぁ、とは思ったんですけど…………」
西方大陸イレイヴェン、選手村にて。
黒ミニスカ魔法少女なりに考えた末、家を追い出された幼帝は連れて帰る事にした。
家に帰すという選択肢はあり得なかったのだ。
かと言って、ザピロスやオーランナトシアに預けていくというのも問題があった。
お隣さんの魔王嬢は自分のところで預かっても良いとは言ってくれたのだが、ショタ皇帝様ほかお付きの者たちが、ひどく怯えたのだ。
ニウロミッドの民は、ザピロスの『魔族』を恐れている。
一般庶民レベルでは単なる風評に過ぎない話だったが、帝国がザピロスの各氏族に何をしているかを思えば、恨まれる理由に心当たりもあるというものだろう。
そのようなワケで、この政治的な爆弾を、黒ミニスカJKは連れて帰って来てしまったと。
こういう話である。
言葉が出て来ない三佐に、雨音も申し訳なさそうにしていた。
そして、霞が関の外務省で死んでいる胡散臭い系官僚、仁田氏にも申し訳なく思うべきであろう。
「とりあえずー、まーこういうのはジイちゃんの案件じゃね? おねーちゃんの件もあるし、張り切って名誉挽回してくれるよー」
「コメントしづれぇ……」
すっかり政治的な問題の丸投げ先となっている、国会の大親分。
そんな祖父を使い倒すのに躊躇の無い、三つ編みの孫娘である。
やっぱり腹違いの姉のことで他意があるのか。
その辺は触れるのも怖い雨音だが、実際問題これは北原のご老体に相談しなければなるまいなぁ、とは思う。
「皇帝陛下は、どちらに滞在していただく事になるかしら? とりあえず……まだ具体的なお話はさせられないでしょうし。そうなると、領主館にならない?」
「アルセナさんにもお願いするとして……。いや、こういう偉いヒトに対応する責任的にも人数的にも、アルセナさんひとりだけじゃダメだわ」
「そっちはエアリーさまってかイレイヴェンの外交専門のお仕事かもねー」
異世界国交に思いっきり影響する人物だけあって、地球各国の関心の高さは考えるまでもない。よって、選手村内とはいえ、うかつなところには宿泊させられないだろう。
ホテルの中には、東西米国関係者が自由に出入りできるモノもある。
故に、完全に魔法少女の管轄となる領主館が無難となるが、いずれにせよお世話する人間は必要となるだろう。その辺を考えると、接客のプロが揃っているホテルの方が良いのだが。
今現在、領主館の主のようになっているのは、イレイヴェンから派遣された事務方のお姉さん、イフォン・アルセナさん。
だが、ただでさえ苦労しているのに、ここにきて東方大陸北部の(形式的な)支配者のお世話とかストレスで死んでしまいかねない。そもそも格も足りないだろう。
ザピロス皇帝陛下の接待役としてはイレイヴェンの国王陛下クラスか、最低でも王族でなければなるまい。
そのようなワケで、基本的に雨音から離れなかった銀髪姫が、父王への相談の為に一旦実家へ戻る事に。
「ではー……皇帝陛下、ご案内しますね。どうするかは何か食べてから考えましょう。いろいろと……」
「う……あ……ぅ、うむ、しかるべくととのえょ……」
必然、ショタ皇帝と黒ミニスカは、選手村で留守番する事になる。
今後の方針が固まらず、足元がフワフワしたままな雨音と、侍従長を挟まず慣れない直答で声が小さくなるオークトリタス・スマという少年。
これまた当然ながら、異世界屈指の大国の支配者という爆弾に、魔法少女や政治家、あるいは情報工作員という火種が近付き何も起こらないワケもなく、大騒動になる。




