0010:カティ的第二話開始である
割桐町『谷部倉庫盗難乱射事件』。
そして悪夢の『室盛市産業振興会館ヘリコプター乱射事件』から、約半月。
産業振興会館でのテロに倒れた那珂多巡査部長は、その後精神的なカウンセリングを含む治療を受け、つい最近復帰を果たしていた。
その部下である古家巡査は大した怪我もしなかったが、何よりカウンセリングを受けて、上司が事件以前の穏やかさを取り戻してくれたのがあり難かった。
どうにか修羅場を生き残り、これで後は何事もなく安定した人生を送る事が出来ればと、若き巡査は祈らずにはいられない。
しかし、昨今の異常な世情から見て、それもどうやら難しそうであった。
「吸血鬼ですよ吸血鬼、那珂多さん。いったい世の中どうしちゃったんですかね? まるで映画の中の話ですよ」
「私が若い頃に比べて、やっぱりおかしな人間が増えたよ。ストレスも増えて、社会が悪くなって、みんなが不満を溜め込んでいる。それで、心の荒んだ人間が犯罪やテロを起こすんだろうなぁ」
「ッ……で、ですね」
『テロ』という言葉が那珂多の口から出て、古家は心臓が止まりそうになった。なにせ産業振興会館の事件直後、那珂多の荒ぶりようは尋常ではなく、手にしたショットガン――――――私物(違法)――――――で誰かを撃ち殺さんばかりだったのだから。
そんなベテラン警官の有様に、所轄署は那珂多巡査部長を心理カウンセリングを行う病院――――――つまり精神病院――――――へ入院させて、事の次第によっては私物のショットガンを含め全てを闇に葬ろうか、と。
そんな事を考えたかどうかは、実際には誰にも分からない。
しかし、那珂多巡査部長はその後一週間ちょっとで退院し、元通りの面倒見の良い先輩警官として復帰した。だがその裏では、私生活で家族との間に微妙な溝が出来ているのだとか。一体誰が悪いのだろうか。
積年の情念から来る一時的錯乱はあったものの、一般市民を守る為、ショットガンを手に果敢にテロリストへ挑み、そして負傷した――――――と、された――――――那珂多巡査部長は警察内では有名人となっている。
結局警察は那珂多巡査部長を特に処分もせず、退院後は元の職場に戻し、那珂多も何事もなかったかのように、以前と同様、真面目に職務に専念していた。
「でも、こんな時だからこそ気合を入れて任務に当たらなくてはな。平和な国だと思って油断してたら、割桐の方や産業会館の方では発砲事件まであったと言うじゃないか」
「………那珂多さん?」
「一般市民のヒト達が安心して眠れるように、我々が目を光らせておかなければなぁ、古家巡査?」
何かがおかしい、と考えそうになった若き巡査は、その前に考えるのをやめた。
考えなければ、イヤな答えに辿り着かずに済む。
上司は病院でどんなカウンセリングを受けてきたのだろう。しまった考えてしまった。
信頼できる上司が戻ったと思ったのに、気が付けば隣で運転しているのは、上司の皮を被った自分の知らない人間だった。
ちょっとしたホラーな空間と化した、警邏中の警察車両内。
逃げる事も隠れる事も出来ない状況に、恐怖と緊張で強張る若き巡査。
そんな若き巡査の様子に、那珂多巡査部長は気が付かずに運転を続け、
「――――――――――バボラァア!!?」
「うぉおおおおおぉおおお――――――――――!!?」
「ギャァァアァアアアアアアアア!!?」
唐突に角から飛び出して来た肥満オヤジを跳ね飛ばした。
◇
「よしっッ! あ、いやちょっと弱いか!?」
「アマネさん!? ちょっとエグ過ぎやせんデス!!?」
狙い通りのピタゴラなんとかに、雨音は思わずガッツポーズ。
ヒトひとり(?)クルマに轢かせてこの態度の親友に、カティは改めて頼もしさと恐ろしさを覚えずにはいられなかった。
「大丈夫ですかー!? ヤバい那珂多さんヤバい!!」
「古家! 救急車だ! 大丈夫ですかー!?」
変態吸血鬼を撥ねた警察車両から、制服警官二人が飛び出してくる。
警官二人は跳ね飛ばした肥満オヤジへ駆け寄り、その状態を確かめようとするが、
「あー、うん…………すいません助けて下さーい!!」
「…………ハッ!?」
そこに、手を繋いだ少女二人が駆け寄って来た。つまり雨音とカティだ。
雨音は喉の調子を一瞬確かめると、カティがギョッとする可憐な声色で警官に助けを求めた。いつものクールさの欠片もない。
とは言え、町の平和を守るお巡りさんも、オッサンよりは少女の方にアンテナ感度が高いのも自然の摂理。
「どうしました!?」
「な、なにどうしたの君たち!?」
おまけに、雨音もカティもアベレージ越えの美少女だった。特に若い警官のテンションは高くなり、巡査部長は会話の少ない娘を思い出していた。
そうして早くも警官の心を捉えていた雨音は、庇うようにカティを抱き締め、地面の方へ向かって指を突き付け言い放つ。
「このヒト痴漢の変質者です!」
「は……!?」
「なッ……なにぃ!!?」
「あたし達、このヒトから逃げて来たんです!!」
ウソは言っていない。大事な一点が抜けてはいたが。
警官達の、自分達が轢いてしまった被害者を見る目が、年若いお嬢さん×2を脅かす性犯罪者を見る目に変わった。
あわよくば、自分達の過失を有耶無耶に出来るかも、と。
そんな事まで考えていたかどうかは、誰にも分からないが。
「おい、立ちなさい!」
「ちょっと話を聞かせてもらいましょうか? んん??」
轢いた事実は変わっていないのだが、警官達は少々語気を強め、倒れたままの変質者に呼び掛ける。
生きているのは確認済みだった。そもそも雨音も口走っていた通り、警邏中の警察車両は徐行に近い低速運転だった為、それほど激しい衝突ではなかったのだ。
「もしもーし? おとうさん起きてー」
若い警官が倒れた――――――轢き倒した――――――変質者の前に屈み込む。
Tシャツからハミ出る贅肉の多い肩を叩き、若い警官は顔を近づけ大声で呼びかけ、
「耳元でじゃかしいわボケぇ! こんのクソ警官が!!」
その顔面を、突然起き出した変質者に掴まれていた。
「ふ、古家!!」
「ぎゃぁぁああああ何なになになになになになに!? 痛だだだだだだだだだだだだ!!?」
アイアンクローで前が見えず、何をされているかも分からない若い警官が痛みに叫ぶ。凄まじい握力だったが、それだけではない。
顔面を掴まれたままの若い警官は、腹の出たオヤジの腕一本で持ち上げられ、足が地面から離れていた。
「このバカ警官がぁ! お前らこれ普通に警察の不祥事だろうが! 何デカイ顔してヒトに凄んでんねん!!」
「痛でぇえええええええええ何これどうなってんの那珂多さん!?」
見た目は腹の出たTシャツ姿のオヤジだが、勤続28年の警官の勘が、那珂多に最大級の警告を与える。
いや、最大級などとは生温い。これまでの那珂多の人生で、これほどの危機感を覚えた事などありはしない。
「手を離しなさい! 警官への暴行は罪が重いぞ!!」
そして何より、部下を守らねばならないという気概が、那珂多に銃を抜かせていた。
「ななな那珂多さんヤバい死ぬ死ぬ死ぬ!!」
「男の血ぃなんて吸いたないのぅ。あのおねえちゃん達どこ行った!?」
言われてみれば、警官に助けを求めてきた少女二人はいつの間にか消えていた。
それならそれで良い。
「今すぐ手を離さなければ発砲するぞ! 手を離しなさい!!」
「んー? 面白いのー、それ銀玉鉄砲か? 無敵の吸血鬼様に鉛玉が効くかのーコラわれぇ!!」
嘲りを込めて、挑発的に部下を片手でぶら下げたままTシャツのオヤジが言う。
しかし、吸血鬼オヤジの方は、警官の変化に気づいていなかった。
「黙れ……」
「……あん?」
銃の握りを手にした瞬間、那珂多は思い出してしまっていたのだ。
カウンセリングという名の記憶矯正により蓋をされた、大した事件もなく勤め上げた28年間の裏で育った漢の情念。
半月前の事件で目を覚まし、テロの前に倒れた、ハードボイルド那珂多の無念が、今ここに復活してしまう。
「その臭い口ぃ閉じんとビールっ腹にブチ込むぞこの性犯罪者がぁ!!!」
ぶら下げられている部下に当たる危険性も顧みず、コンプリート状態の那珂多が性犯罪者に向け連続発砲。
「ごあっっ!?」
「うわぁぁああああああああ!!!?」
空砲を除く4発全弾を、予告通りに被弾面積の大きな腹に着弾させた。
近距離からの被弾に、ビールっぱらのオヤジが若い刑事を取り落とす。しかし、倒れない。
「ッ……ったいのう!! このクソ警官よくも撃ちやがったなボケカスクソがぁ!!」
「古家かまわん撃ち殺せぇ!!」
「じゃかしいわボケぇ!!」
「このクソッたれがぁ!!!」
「な、那珂多さぁぁあああん!!」
今度は、弾切れとなっても那珂多は慌てない。
腰から警棒を惹き抜くと、撃たれても倒れない相手に猛然と突っ込み、
「ロッキー!!」
「せがーるッッ!!!?」
一発で殴り倒され宙を舞った。
「那珂多さぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああん!!」
こうして、後には若い警官がひとり残された。平穏な公務員生活以下略。
那珂多を一発でKOした怪物オヤジは、撃たれた腹をボリボリと掻きながら、銃を構えた若い警官を見下ろす。
「……ま、腹も減ったし、とりあえず若い方で我慢しておこうかのう」
ニィ、と笑った肥満オヤジの口の端には、どこかで見たような尖った歯が垣間見えた。
吸血鬼の話題を警邏中の警察車両車内で振ったのは古家なのに、今はその話題を頭が思い出すのを拒絶している。
銃を構え、犯人に向けているのにも関わらず、若い警官の指は引き金にかかったままピクリとも動かない。そのクセ、全身はガタガタと震えていた。
「そう怯えんでも良いがなお兄ちゃん。ワシに血ぃ吸われたらイケメン吸血鬼に仲間入りやでー。せいぜい若い娘こましてやり」
「ヒッ!? や、やめてくれ! やめて助けて神様ぁぁあああああああ!!」
「あーダメダメダメ、ワシそのヒト嫌い」
吸血オヤジは若い警官の頭を再び鷲掴みにすると、強引に首筋を露わにさせる。
圧倒的な腕力の前に若い警官は逃げられず、臭い息を吐き出しながら、脂ぎったオヤジの顔が首筋に近づいた、
その時であった(カッ!!)。
「そこまでデース悪党ども!!」
「いや悪党は一人だけよ多分」
土手の上に、逆光を背負って立つ二つの人影。
唐突に現れたその二人の人物に、吸血オヤジと若い警官の視線が集中するが、その片方は出落ち気味に突っ込みを入れられていた。




