0004:悪魔との契約はお断りDEATH
「え……なに? て言うか何??」
『貴女の適性は確認されました。ニルヴァーナ・イントレランスへのアクセスを許可します。貴女を識別するID名を登録してください』
「いや、あの……軽々しくネットにユーザー登録とかもしないようにしているんで」
『ビッグデータを無許可で販売したりユーザー情報を流出させたりしませんからどうかひとつ、お気軽に』
「この状況で無茶言うな」
自動応答音声のような無機質な声がどこからともなく聞こえて来たと思ったら、何食わぬ顔で―――――――――想像するにだが――――――――、何やら登録しろと押し売りして来る、この異常な状況。
「一体誰? ここは何なの? あたし……どうなっちゃった?」
雨音は、自分が夢を見ているのか、頭がおかしくなったかと思った。
目を擦り、頭を振り、頬をつねってみても現状に変化なし。
あまりに異常な事態になると、人間は恐怖すら感じる事がないのか。
雨音は怯える事も無く、ただ呆然と周囲を見回す。
見回していると思う。
視界が全方位変化が無く、位置を示す基点が何ひとつないので、自分の向いている方向が分からないのだ。
音も光も何もない空間では、人間は認識力が狂うという。白いか黒いかだけで、それは今の雨音にも変わらない事だった。
試しに走ってみる。ジャンプしてみる。
「おーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーい! ここどこーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!?」
大声を出してみる。
「反響が、無いじゃん………」
足元の感触は固くも柔らかくもない。そもそも地面が在るかどうかも怪しい。ジャンプしても、縦方向の慣性を感じ取れない。走っても同じだ。
多少広い空間なら、特有の音の響きが有るものだ。それが無いのは、そもそも音の跳ね返ってくる壁が無いという事になる。
『イントレランスは貴女の居た物理領域よりも上位の領域となります。当領域の時間、空間、質量、エネルギー、情報の概念は貴女の居た領域とは異なります。現在はイントレランスに貴女の活動可能な領域を模倣しています。リニアタイムライン設定により情報は常に一方向に更新されますが、変化情報は最小単位時間にて破棄されますので情報の総量に変化は発生しません。またエネルギー消費や質量のエネルギー崩壊はエミュレート領域ではシミュレートされません。ダイナミクスシミュレーターによる物理法則の再現は大半がオミット―――――――――――――――――――――――――』
「待ってー! 待ってー!! そんなワケ分からない説明はどうでも良いからここから出してー!!」
どこからともなく聞こえてくる声に、雨音も全力で声を張り上げる。
相手の声は自動音声の様で、しかし人間のようにも応えて来た。AIが実在したらこんな話し方になるか、と雨音は思う。
『貴女にはニルヴァーナ・イントレランスにより適性が認められました。IDを登録し、アーカイブよりアドバンスド・コンポーネントを選択してください。その後、コーデックスを参照してください。コーデックス参照後のプロトコルは貴女に一任されます』
「犬よりも話が通じないタイプなのね……。あのね、あーたーしーはー! ここから出たいの出たいの今すぐ出たいのアーカイブもプロトコルもあたしには関係ないもん出して出して出して出してもうそれ一択だけ他には何も聞いてませんからー!!」
『IDを登録してください』
「絶対にNO!!」
こうなると、雨音の意地っぱりが発現する。
断固として、この勝手な相手に膝を屈するのは嫌だった。
「ヤダヤダヤダヤダキャンセルキャンセルキャンセルキャンセルキャンセルキャンセルぜーったい登録なんてしません! しないしないしないしない!!!」
『貴女を識別するIDを登録してください。その後、アーカイブよりアドバンスド・コンポーネントを―――――――――』
「N! N! キャンセル! ×! エスケープ! 14日後に再表示!!」
『――――――――――後、コーデックスを参照してください』
「断固拒否!」
『プロトコルを――――――――』
「却下!!」
猫が威嚇するように、肩をいからせ息を荒げる雨音さん。
徹底抗戦により、遂には決められたプログラムのような相手を黙らせるのに成功した。
と、思ったのだが。
『5thシークエンスに障害発生。5thシークエンスを省略……プロトコルをBへ変更します。仮IDを自動設定します。コンポーネント設定ガイダンスを起動します。アーカイブを参照、ガイドプログラムをロードします』
「え? ちょ……まさか勝手に!!」
何がどうなっているのか分からないが、何か自分の意思を無視して進められているような気がした。
ワンクリック詐欺かブラクラ並みの悪辣さである。
「ワー! ギャー!! ふざけんなーバカー!! 絶対登録なんてしないからねー!! ここから出せダムシーット!!!」
とりあえず上に向かって中指を立てる成りたてJK。牙を剥いた狂犬であった。
『仮登録を完了しました。以降、ガイドプログラムに従って初期プロセスを完了してください』
「ハイ嘘だねー! 嘘吐きー! あたしは何にも登録してませーん! 残念でしたー! ザケんなクソバカ訴えるわよ!! 退会退会! アカウント削除ー!!!」
『仮、ですから』
ギャーギャーと、この歳の少女の有り余った元気を全開にして騒ぐが、暖簾に腕押しとはこの事か、取り澄ました平坦な声には全く通じた様子が無かった。
「こんちくしょー!!」
雨音さん、再びダッシュ。
道なき道をまっしぐらに駆けはじめる。若者らしい、ここではないどこかに行きたい~的な動機で。
世間も世の中も理不尽だ。自分に非が無くたって理不尽を押し付けてくる。ズルい、ズルいよと悔し涙を滲ませながら、丈の短いスカートが捲れてその下が見えるのも厭わずに全力疾走した。
どうせ誰も見ていないのだから知った事か。
と、思ったのだがしかし。
「まぁ待ってよお姉ちゃん。ここは運動の概念も関連性が限定的だから、走ってもどこにも行けないよ? 実は移動すらしてないし。重力だって感覚的なものでしかないからホラ、スカートも上がりっぱなし」
「……は? え? ぉわあ!!?」
実はさっき跳びはねた時から丸見えでした、というオチ。
しかも目撃者がいた。
乙女の矜持的に生かしておけない。
「も、目撃者は消すのみ!!」
今度の声は、先ほどから押し売りして来るどこから聞こえて来るのか分からない曖昧なモノではなかった。
雨音のすぐ後ろだ。
勢い込んで振り返るミニスカ少女。見敵必殺の構え。
声はまだ小さな子供のようだが、エロい表情でもしていようものなら、子供でも記憶を無くすような行為を実行するつもりだった。
ところが、
「………………またか」
声の方向には子供はおろか人影すらない。先の腹の立つ平坦な女の声と同じだ。
声は比較的近くから聞こえて来たと思ったのだが。
「こっちだよお姉ちゃん。ボクはお姉ちゃんの目の前にいるよ」
「え……どこ?」
ここにいるらしい。
雨音は真っ白な空間でどこに焦点を合わせていいかも分からず、眉を顰めて前方の空間を凝視するが。
「まだお姉ちゃんは確定してないから、見えないんだね。ボクはニルヴァーナ・イントレランスにアクセスする適性を持ったヒトをお手伝いする、ガイダンスプログラムだよ。まずはお姉ちゃんが話し易いように、インターフェイスを視覚化してよ」
「あ……いや待って。ガイダンス? じゃあ、とりあえずさっきの『仮登録』ってのを解除してよ。あんなの本人の意思無視してんじゃん。無効よ」
雨音としても、絶対に譲れない部分である。話が通じる相手なら、それが何より最優先だった。
そして、最優先がここからの脱出だというのを若干忘れていた。
意固地で頑固で正当な少女の主張を前に、新たに出現した幼い少年の声は応える。
「お姉ちゃん、この『セルウス・プログラム』は契約とか義務を押しつけるって話じゃなくて、適性をもってるヒトへの特別な贈り物なんだ。それはお姉ちゃんがどう使ってもいい。登録してもお姉ちゃんが、何か対価を支払わなきゃいけないって事は無いんだ」
小さな少年の声は、怒れる少女を説得するでもなく、また諭す様でもなく語るが。
「そんなの信じらんない。それに、あたしは別に何も欲しくないし。あたしだってもう高校生なワケよ。そんな怪しい話にホイホイ乗ったりしないわ。そもそも今のこの場所と状況が怪しすぎるし! あたしが望むのは、今すぐ、仮登録とか言うのを、取り消して! それだけよ」
少年の声でも完全に拒否。そして、やっぱりここからの脱出も忘れていた。
「じゃあここから脱出するコンポーネントにするとか―――――――――――――――――――――――――」
「い・や! そもそもこんな所に引き摺り込まれたのが不当っていうか犯罪なワケじゃない! 今すぐ、何もなしで、仮登録とかそんなのも全部無しにして……あたしを元に戻して!!」
徹頭徹尾、取り付く島が無かった。
「うーん……この試験運用失敗なんじゃないかなぁ……。成熟期直前の人間なら、特別な能力に魅力を感じるものだと想定されているんだけど………」
少年は小首を傾げ―――――るような口調でひとりごちる。
その声を遮る物も、また打ち消すような音源もこの場には無かった。つまり、当然この場にいる少女の耳にも入る。
「特別な……『能力』……? 超能力的な??」
「興味あるかい!?」
「……………………………ないわね」
本音を言うと無くも無かったが、雨音はその危険性を察していた。
ごく当たり前に、人間社会で超能力者など危険視され、異端視され迫害されて碌な目に遭わないのは、映画や漫画、小説が散々警告してくれているし、こんな得体のしれない存在に何かしら能力を授けてもらうなど、後でどんな悲劇が待っているかも分からない。
特別な能力、というものに惹かれないでもないが。
そして案の定、謎の存在達は悪魔の如く、雨音の心に隙を見つけて、そこに群がってきた。
「アーカイブに登録されているアドバンスド・コンポーネントの種類と組み合わせは無限だよ! 一度に全部使ったりは人間の持ってる容量の関係上無理だけど、お姉ちゃんならかなり容量があるから、基礎のファウンデーション・コンポーネントと、色々なエレメンタル・コンポーネントが使えると思うよ!」
『コンポーネントの一例としましては、ファウンデーションには概念強化「フィジカル・ブースト」、素子形成「モナド・マトリクス」、環境設定「エンヴァイラ・ルールメント」。エレメンタルは多岐に渡りますが、お望みの能力から逆引き検索でファウンデーション、エレメンタルの両コンポーネントを選択――――――――――――――――――――――――』
「うわあああああああああああああ要らん要らん要らん誘惑するな悪魔ども!!?」
そしてまた駆けだす若人。多分、明日とかそんな方向へ。
疲れてきたし、チョット面白そうだし諦めて言い包められても良いかなぁ、とか折れそうになる心の柱にしがみ付いて死守し、一歩でも誘惑者たちから距離を取ろうと脚を動かす。
物理的距離を移動出来ていないので、その場で脚をバタバタさせているのと変わりはなかったが。
しかし、後になって考えると、この時まともな能力を選んでおけば良かった、とか思わなくもない。
だが、意地っ張りの少女は、そんな悔恨にも似た考えをも、断固として否定するのだ。




