0016:田舎暮らしは安全保障等も含め計画的に
それほど高くもない断層の脇を通り、木々の突き出る濁った池を迂回し、森に沿って道なりに西へ進むと、木々の向こうに建物の屋根らしき物が見えてくる。
か細い道に出てから、約1時間。
午後0時付近。
太陽が真上に近い。
そこでフと気付いたのだが、高校一年生の旋崎雨音は、太陽の高さと時間の関係が『アイアンヘッド』より日本に近い事に首を傾げる。
これはもしかして日本と同経度の国だったりするのかな? と期待したかったが、生憎と今居る場所が、ロシアとも中国ともオーストラリアとも思えなかった。
道に続いて建物の存在にも軽い感動を覚える雨音と海兵だったが、銀髪の少女にそんな感情は無いのか、ここで更に足を速める。
銀髪娘の様子に、目的地が近いのかと黒アリスや海兵達は思ったが、二等軍曹はそこまで楽観的にはなれなかった。
そして、案の定というか。
辿り着いたのは、畑作と牧畜を行っているらしき、30世帯くらいの民家が集まる小さな村だった。
言うまでも無いが、地面は舗装などされていない、湿った剥き出しの土。
民家は全て木で作られている、黒アリスや海兵から見ると、古めかしい建物だ。
注目すべきは、窓が無い事。正確には無いワケではないのだが、ガラスではなく木の板で蓋をするような形になっていた。
電線もクルマも無い。チラホラ見える村人も、非常に地味で簡素な布の服を纏っている。
どこを見ても、文明の利器といった痕跡が、欠片も感じられない。
それに、銀髪の少女が身に着けている装備と比べても、釣り合わなく見える場所だった。
「ま~いったな、こりゃあ…………」
「…………民家の周囲100メートル圏内をパトロール。二人一組でだ」
ラテン系の海兵が皆の意見を代表し、二等軍曹は村内の偵察を指示する。
特に指定されるまでもなく、無口なビッグマンと器用なアフリカ系、インテリなラテン系と元武装偵察隊のEC系が、それぞれ組んで村の反対方向に散って行った。
銀髪貴族のエアリーはというと、村の中央にある広場で、村人のひとりを捉まえ話をしていた。
一応、護衛のつもりで黒アリスが後ろに控え、二等軍曹と若手の海兵も付いている。
そして間もなく、銀髪娘が変な声を上げた。
「はぁ!? 全部持っていかれた!!?」
「へぇ、スーバル伯爵のご命令で、という事で、全て。戦に出られる歳の男衆ごと、全部持って行かれたんでございますよ…………」
どんな村にも老いた馬の一頭くらいは居るだろう、と思っていた。
ところが、腰の曲がった老人が言う事には、この地を納める貴族が領内からありったけの馬を徴発した為に、一頭も残っていないのだとか。
おまけに、元気な男は少年から壮年まで徴兵され、女子供は近づく戦の気配に村から逃げ出し、残っているのは行くあても無い老人達だけ、という有様の村だった。
以前は150人程は居た村なのに、今は爺婆ばかり15人という状態。
なお、銀髪姫のエアリーが目指すイレイヴェンの王都『トライシア』までは、ここ『スーバル伯爵領』から複数の子爵、男爵の小さな領を通り、『リボーグマル侯爵領』を越えて国地に入りるルートで、馬なら約半月の行程。
伯爵の居る領都でさえ3日はかかり、どの道徒歩では話しにならなかった。
「ぜ、全然ダメじゃないの…………」
国境線での敗走から、どれくらい戦線が西に動いたのかも死ぬほど気になるのに。
それが、自分はこんな所で足止めとは。
あまりの情けなさと絶望感に力が抜け、銀髪の少女はがっくりと地面に四肢を付いていた。
目を丸くして驚く黒アリスが銀髪娘を抱き起こすが、腰の曲がった農夫は平然と、独り言のように話を続ける。
相手が貴族、という気負いは皆無らしい。
農夫のお爺さんが言うには、無いのは馬や人手だけではなく、大した食料も提供できないのだとか。
理由は、馬や人手と同じ。領主による強制徴収である。
村に残されたのは、取れたばかりのイモや穀類といった作物に、固いパンのみ。
トドメが、国境戦の敗退からその後の撤退戦で出た大量の敗残兵が、そのまま賊と化して周辺の村や街を襲っているという事だ。
当然、この村も例外ではない。
食い詰めた元傭兵などが食料を略奪に来ても、戦える者は連れていかれたのだから、対抗できる筈もない。
既に村でも、傭兵崩れの賊に逆らい、殺された者が出たのだという。
戦線崩壊は自分の責任だと落ち込む銀髪少女だが、それで敗残兵の蛮行を見過ごせるワケがない。
「イレイヴェン、ナラキアどころか全ての大陸が『濁流』に飲まれようとしている時に!」
落ち込んだと思ったら突然激昂し始め、隣で腕を引っ張り上げてたミニスカエプロンドレスの少女がビクッと震えていた。
父の臣下の領地で、銀髪少女に直接関わりのある場所ではないが、国を治める者の娘として、尊い血と国の歴史を継ぐ者として、断じて捨ておける理不尽ではない。
手ずから成敗してくれる! と決意する銀髪の少女だが、 ハッ! と、それどころではなかったのを思い出してしまった。
父や姉からも日頃散々「エアリーは周りが見えていない」とお小言を貰っていたが、国の危急を放っておいて、伯爵領の賊退治に目を血走らせている場合ではないのだ。
(クッ……私の剣があれば賊の10人や20人は蹴散らせるのに! ……ではなくて、第一にどうやって城に戻ろうか、という話なのよね)
頼みの綱の馬が手に入らない以上、もはやこの村に用は無い。
が、他の村も似たような状況で、馬を手に入れる為にのんびり領都まで歩いていたら、その前に王都が『濁流』に飲まれてしまうかもしれない。
「ぐ…………ぬぅ………………」
ハッキリ言って、どうにもこうにもならない手詰まりな状況。
その上、この村で銀髪少女に更なる追い打ちをかける事態が発生する。
◇
銀髪少女の奇行に黒アリスが首を傾げていたその頃、アフリカ系の海兵と大柄な海兵のふたりは、村の西側を見て回っていた。
アフリカ系のスローン上等兵は、手帳のメモを片手に村人と話をしている。
内容は、食料の購入交渉と、周辺の情報収集だ。
太平洋の孤島、『アイアンヘッド』から此方側に飛ばされた後、最初に辿り着いた村でも情報は得ていた。
しかし、東米国や日本と違って情報の伝達手段が極端に限られているらしく、内容は断片的な上に曖昧、そして分からない単語ばかりだったので、ほとんど何も分からなかったのだ。
事情は今もあまり変わっていない。
結果、収穫はあまり無かった。
村に食料はほとんど無い。ヒトも居ない。皆出て行った。敵も来る。お前達も去った方が良い。
弓を背負った猟師らしき爺さんは、変わった鎧兜といった出で立ちに、杖らしき物をぶら下げている奇妙な男達にも、親切に忠告してくれた。
「お前の料理は食えそうもないな、グルナット」
アフリカ系の仲間の軽口に、首を竦めて見せる無口なデカイ白人。
どの道、これ以上詳細な情報も、食料などの物資も得られない。
海兵ふたりは畑の脇の村道を戻り、村の中央に居る二等軍曹に報告する事とした。
通常なら短距離通信機を使えば良いだけの話だが、この半月で既に予備のバッテリーに交換しており、緊急時以外の使用を控えていたのだ。
「ノースカロライナのおふくろの田舎を思い出すな……。というか変なウシだな。いや、ウシか?」
囲いの中にただ一匹いる家畜は、やたら長い毛が全身から垂れ下がっており、角が生えている所は木か何かのカバーで先端を覆われている。
子供の頃に田舎で見たウシとは、明らかに違う種だった。
体形はウシなのだが。
「帰れなかったら農業でもやるか?」
ヒト気は全然無いが、のどかな村である。
農業なんてやった事は無いが、東米国に戻れなければ海兵でもあるまい。
そうなれば、のんびり農業で自給自足、というのも悪くない生き方に思えた。
何かと息苦しい東米国の生活では、田舎暮らしのスローライフは密かなブームである。
古米国のような生き方は恥とされる為、決して公然と口にする者も居なかったが。
とはいえ、どんな世界にも穏やかに生きたい人間を脅かす、ロクでもない輩は居るものである。
「もっとマシな食い物は無いのか!? おいジジー!!」
「隠してやがったらバラすぞ!?」
「ババァから逝くかコラァ!?」
森側に近い民家で、何か騒ぎが起こっていた。
スローン、グルナットの帰り道であり、タイミング悪く通りがかってしまった為に、ふたりは直接目にするハメとなる。
民家の前で小さな老人を足蹴にしていたのは、髪も髭も伸ばし放題にした大柄な男と、肥満一歩手前の重量感のある男のふたりだった。
そして、たまたま前を通ったが故に、海兵と男達の目が合ってしまう。
「んあ? な、何だテメーら!? この村で何してやがる!!?」
「おいおいおい、まさかその肌……『ダソト』のヤロウか!? なんでこんな東側に居るんだ!?」
無精ヒゲと肉まんじゅうのような男達は、老人を蹴飛ばすと海兵の方へ歩いて来た。
「ヤバいな、どうする?」
あまり緊張感なく、隣のデカイ仲間に言うアフリカ系の海兵。
無口な相棒からは、返事が返ってこない。
ふたりとも平然としているが、親指はライフルの安全装置にかかっていた。
それは、言うなれば牙を剥く寸前の猛獣だったが、男達は気付かない。
「へッ! 見ろよ、コイツら妙な恰好してるな」
「ああ……、剣を持っていやがらねぇ。魔道士か? 杖は高く売れるぜおい」
ニヤニヤと笑う皮鎧の男達は、腰にした剣を引き抜くと、無表情になっている風変わりな格好の魔道士ふたりへ、見せつけるように突き付ける。
「魔道士っつったってこの間合いじゃ俺達に勝てるとは思わねぇよなアホが!」
「身ぐるみ全部置いて行きな! 殺してから奪ってもいいんだぜ!? ええ、砂漠の戦士さんよ!!」
直後、海兵ふたりはライフルで剣を払い除け、銃庄を鎚のように使い、無精ヒゲと肉まんじゅうをブチのめしていた。
◇
家の中に招かれた黒アリスは、無作法と思われないよう、こっそりと内装を見回していた。
中は薄暗い。天井に照明器具が無いのだ。
テレビ、パソコン等のモニター類も無い。最近はIT化している農家なども珍しくも無いのに。
更に恐ろしい事に、コンセントや電源ケーブルなども見当たらない。
思い返すと、家の外にも電線や電話線らしき物が、全く付いてなかった気がする。
地下に埋設されている、と思いたいが、希望的観測に過ぎるというものだろう。
完全に気を落としてしまった銀髪の少女を見て、農家のお爺さんは自分の家で少し休んで行くよう勧めてくれた。
例によって雨音には何と言っているのか分からなかったのだが、手招きされるままに、お邪魔させてもらったのだ。
そこで、呆然としてしまう。
何せ、電化製品と言える物が、何ひとつ無かったので。
「さーさ、何も無い家ですが…………」
とはいえ、空虚感も無かった。
薄暗いが、小さな暖炉でチロチロと燃える薪のおかげか、室内は仄かに温かい。
有るべき物が無い、という違和感は、その家の中には無かった。
つまり、この家の中は、これで調和が取れているという事なのだろう。
多少煤けているが、隙間風も入って来ない、割としっかりした(失礼)作りの家だった。
木をくり抜いて作ったらしいコップには、嗅ぐと鼻の奥がスースーする香りの液体が満たされている。
コレは飲んで大丈夫なのか? と思いながら、手を付けないのも悪い気がする雨音は、恐る恐るコップを傾けた。
(…………コーン? いや、ちょっと渋い……けど、なんじゃコレ?)
何とも言えない味だった。
基本的に薄いのだが、ハッカのようにスースーすると思えば、コーンのような風味。しかし微かなお茶の渋みがある。
自分の知る味覚と照らし合わせて小首を傾げる黒アリスに、椅子に座りこんでしょんぼりする銀髪の少女も、お茶らしき物を飲んでホッと溜息をついていた。
「初めて飲むお茶だけど……不思議ね。温まるわ」
5分前までこの世の終わりのような顔をしていた銀髪娘が、今は少し落ち着いた様子を見せる。
すると、この家のふくよかなお婆さんが、緑色の木の実か種らしき物がたくさん入った皿を、テーブルに着く黒アリスと銀髪少女の前に置いた。
微かに焦げ目が付いている所を見ると、炒っているようだ。
「貴族さまにこんな物出していいのか分かりませんが」
「もうしわけございません、ロクな物がございませんで」
雨音の感覚では素朴な食べ物といっただけの印象だが、食料は勿論、薪といった燃料も手に入れるのに一苦労する農村では、温かい飲み物、熱を加えられた食べ物というのは、それなりに手のかかったもてなしの部類に入る。
「外側のパリパリ感凄い……。スナックとは違うし、こんなの初めて食べたわ」
「あ、これ美味しい、かも…………」
文明の利器に慣れ過ぎた黒アリスと、国で最上級の暮らしをして来た銀髪姫のエアリーに、その辺の実感がまるで無いのが残念だった。
「今ちょうどアカイモの時期でございましてな、茹でた物を作りたての乳油と一緒に召し上がっていただければ」
やはり銀髪少女から滲み出るセレブ感故か、それともお爺さんお婆さんにとって孫のような感覚なのか。
老人達は緑の炒り豆(仮)を一心不乱に食べる少女達を微笑ましく思いながら、更に茹でた赤黒い根菜に、無塩バターと思しき物をかけた物を供していた。
◇
二等軍曹が部下と共にその民家に入って来たのが、黒アリスと銀髪少女が、木製のフォークで赤い茹でジャガを食べている時だった。
「あ、二等軍曹」
何となしに少女ふたりだけで御馳走になってしまったが、二等軍曹は特に気にした様子は無い。
それよりも、黒アリスは二等軍曹が少しばかり緊張感を漂わせているのに気が付いた。
「クロー、少し面倒な事になったかも知れん」
二等軍曹の後ろには若手海兵がおり、扉の外には他4名の海兵も集まっていた。
全員が油断なく、全方位を警戒している。
アサルトライフルやバトルライフルの安全措置は、既に解除されていた。
いつでも発砲出来る体勢である
「昨夜のような連中がこの村にも居た。既に逃げたが、仲間を連れて戻ってくる可能性がある。今すぐ移動するぞ」
アフリカ系とデカイ白人の海兵が遭遇したふたりは、叩きのめされた後に森の中へと逃げて行った。
その後、男ふたりが暴行していた小柄な老人から話を聞くと、連中は森の奥に根城を持つ傭兵崩れの野盗なのだとか。
既に粗方の食料や価値のある物は持って行かれてしまったが、今も時折森から出てきて、極僅かな食糧すら奪って行くのだという。
「我々に村を守る事は出来ん。村人には悪いが、我々の都合を優先させてもらうしかない」
二等軍曹の言う事は、黒アリスにだって理解できる。
最優先すべきは、部下と一緒に東米国に帰還する事であって、見ず知らずの村と住人の為に、弾丸を減らして自分達の命を危険に晒す事ではないのだ。
だが黒アリスは、ごく短い間とはいえ温情を受けた老夫婦を、この不条理の中に置いて行きたくも無かった。
(…………やるか? いや…………)
森から来る、というのであれば、殲滅する手は幾つか考え付く。
銃砲兵器系魔法少女の力を以ってすれば、原始的な武器しか持たない賊の百人や千人は石器時代に戻してやる、という所だ。
しかし、黒アリスの魔法は、基本的に人間を殺傷出来るように出来ていない。
爆風などの二次的要因ならばその限りではないだろうし、能力を殺傷モードに切り替えれば殺す事も可能になるが、ハッキリ言って黒アリスに殺人は無理だった。
ヒトが殺した所を見ただけでも、雨音は失神しそうになるのだ。大量殺人なんて無理。
だからと言って、一時的に無力化しただけで、事態が根本的に解決するとも思わなかった。
それに、黒アリスが野盗殲滅に動けば、恐らくは海兵の皆さんも傍観者ではいないだろう。
海兵なら、自分達に襲いかかる脅威を射殺する事は迷うまい。
もっともそれは海兵風に言えば、ケツの穴の小さな黒アリスの尻を他人に拭かせる行為、に他ならないだろうが。
「あかんか…………」
自己嫌悪の雨音さん。
ジェノサイドも、海兵的なワイルドワイルドな言い回しも、似非ハードボイルドの黒アリスには所詮無理があった。
アフリカ系の海兵が銀髪少女に「家に帰れるか?」と訊くと、エアリーはその意味を察して慌てる。
つまり、ここでお別れ。
気落ちした様子の黒アリスも、急ぐ様子で席を立つ。
食料は手に入らなかったが、とりあえずここまでは銀髪の少女を送って来れた。
後は、村人を頼ってもらおう。
その前に、野盗に遭遇しないのを心から願った。
どうか無事に、家に帰れますように。
「行くぞクロー!」
「はい! じゃあね、エアリー」
「ま、待ちなさい! 待って!!」
銀髪少女が止めるが、黒アリスと海兵は止まってくれない。
エアリーは黒アリスや海兵達との出会いに、運命さえ感じていたのだ。
そして、今朝の精霊との邂逅で、ある想いが強くなった。
やたらスカート丈の短いメイドのような少女と、異邦人の騎士たち。
この者達なら、絶望的な故国の窮状を救う鍵に成り得るのでは、と。
なので、
「の……逃がすかー!!」
「わぎゃぁあああああ!!?」
「クロー!?」
外に出た直後の黒アリスに、銀髪少女のエアリーは飛び付いた。
御乱心の姫君。殿中でござる。
言葉が通じないので実力行使のハードルも低く、白い程腕が黒アリスの首を絞め上げる。
海兵が引き剥がそうとするが、必死でしがみ付く憂国の姫君は離れない。
タップしてもしょうがないので、黒アリスも頸動脈が絞まらないように抵抗し、海兵達としても華奢な少女を銃庄でぶん殴るワケにもいかず、
そんな事をしているうちに、多くの蹄と人間の足音が、村の中心に近づいていた。




