0005:魔法少女の明日が見えない
9月第3週の土曜日。
黒いミニスカエプロンドレスに金髪の黒アリスは、髪に着けたガンメタルシルバーのリボンを海風にはためかせていた。
所は、太平洋上に浮かぶ海上自衛隊の『はるな型』護衛艦、『しもなみ』の後部ヘリ甲板上。
千葉に在る陸自の駐屯地から、約6時間。
同じく陸自所有の輸送ヘリ、CH-47Jで1500キロを移動し、現在は給油待ちの状態だ。
つまり、サービスエリアでの休憩中であった。
時刻は午後9時15分。
新月の夜。
見渡す限り周囲に明りなど存在しない、いつかの夜を思い出させる暗闇の海。
トラウマがミシミシと音を立てる黒アリスは、下半身がヒンヤリ冷える気分だ。
6月末に東京を襲った、巨大生物との八丈島近海におけるファーストコンタクト。
あの時もこんな海だったが、今回も巨大生物絡みだというのが泣かせる。
◇
二日前。
9月第3週の木曜日。
色々あって陸上自衛隊の三等陸佐に知り合いがいる高校生の旋崎雨音は、その三佐からのメールに呼び出されて、東京は品川区にある『港の岡ふ頭公園』に赴いた。
と言っても、雨音はそのメールが、本当に三佐からのモノか最初から怪しんでいたが。
三佐名義のメールで指定された時刻に『港の岡ふ頭公園』へ行ってみると、案の定罠だった。
相手は、政府による非公式組織、『特殊状況対応部隊』に所属する隊員と、特殊能力者だ。
目的は能力者『黒アリス』の捕獲。
しかし、追い詰められた歩く火薬庫の如き魔法少女は、群がる敵集団と能力者を、仲間の能力者、怪力無双の巫女侍や吸血鬼――――――厳密には能力者ではない――――――と共に迎撃の上で圧倒。
警察や自衛隊で無いなら遠慮する必要もないと、ふ頭ごと殲滅した後、誰かを絞め上げ背後関係を吐かせた後、大元から叩くつもりだった。
ところが、敵集団をほぼ全滅させた頃合いで、ふ頭に現れるふたりの男。
ひとりは、巨大生物戦の最中に知り合い、事の解決後は黒アリスに基本的な戦闘技術――――――という建前の特殊戦技術――――――を仕込んだ、師匠とも言うべき人物。
陸上自衛隊の釘山武三等陸佐。メールを偽装された人物でもある。
もうひとりは、黒アリスを捕まえようとした部署の責任者だという。
胡散臭い笑みが特徴的な、少し逆立った髪の役人らしき男。
その男は『仁田』と、ただ名字だけ名乗った。
「いやーですがコレ、補償が大変ですねー。コンテナの荷物もそうですけど、ふ頭も暫くは封鎖でしょうし。いったいどれくらいの経済損失になるのかなー」
先ほどに続き、またしてもいきなり話を変える胡散臭い笑みの役人。
自身の窮状を救って欲しい、という先ほどの科白は、いったい何だったのか。
「誰がお金出すんでしょうねー。能力者の方は好き勝手に暴れていれば良いですが、そういう事を考えない。どうします、コレ?」
胡散臭い役人は、周囲に、と言うよりは特定の誰かに聞こえるように、独り言を垂れ流しにしている。
つまり、ふ頭を壊滅させた黒アリスに、責任を取って弁償しろと言っているのだ。
確かに、派手に大量破壊行為をやらかしたのは他でもない、銃砲兵器の魔法少女である。
だが、
「…………人質が死ぬのは、人質を取られた方の責任じゃない。人質を取った方が悪いんでしょう?」
「なにテメーを棚に上げてほざいてマスか…………。いつも通り税金でも機密費でも使うデスよ」
「おや、開き直りですか?」
根本責任を問えば、わざわざ爆弾を引っ張り出して刺激してくれたのは、そもそもいったい誰なのか、という事であった。
巫女侍の言うように、国民の血税でケツを拭かせるというのも、業腹な事に違いはなかったが。
それに、何十億かかるか知らないが、経済的には高校生に過ぎない旋崎雨音に負担など出来よう筈もない。
ならばいっそこの男を引き摺り回し、賠償費用と言う名目で血税と本物の血液を絞り出してくれようか、と残忍な目になる黒アリスさん。
「ま、それは良いとしましょう」
かと思えば、胡散臭い笑みの男は、またもコロッと話を変えて来た。
巫女侍はキレる寸前で、今にも殴りかかりそうになっている。
黒アリスも、まともに話をする気が無いのなら、さっさと撃ってしまおうかと大分危うい思考に入っていた。
「いい加減にしろ、仁田」
これを止めたのが、魔法少女と胡散臭い笑みの男の会話を聞いて、睨みを利かせていた釘山三佐だ。
「安い脅迫だ。確保出来れば良し。叶わなければ、宥め賺すか? 『アイアンヘッド』の件に黒衣は関係無い。巻き込むな」
叱責するように言う三佐。
有無を言わせぬ迫力は、胡散臭い男の周囲を固める荒事に慣れた黒服達が冷や汗をかく程。
「ですが彼女以外にあの怪物を倒せますか!? 東米国のSクラス能力者でさえ手をこまねいている相手。日本政府の能力者が倒したとなれば、島内調査で主導権を握れます!」
しかし、仁田と呼ばれる男に気圧される様子は無い。
暖簾に腕押しとでも言うように、軽い調子も自分のペースも変えなかった。
「向こうは要請して来ないだろう。それに、黒衣がアレに勝てるとは限らんぞ」
「ですが5人の戦略級能力者のひとりで、ランキング21位! 『ネスト』を正面から相手取って倒した実績もある、少なくとも日本で最も強力な能力者のひとりです。だいたい釘山、何の為に彼女を鍛えていた? いずれ使う時の為に、行儀見習いをさせていたんじゃないのか?」
何でも良いから詳細を訊きたい黒アリスだったが、黙っていた方が情報が得られるかもと思い、ふたりの話を黙って聴いていた。
気になる単語もポンポン出て来ている。
断片を拾って推測するに、『アイアンヘッド』とか言う何か、あるいは何処かに関連して、黒アリスを戦力として使いたいという事なのだろう。
呼び出しをかけたのも、黒アリスに威力的な交渉をする為だった、と。
それにしても、『戦略級』だの『ランキング21位』だの、あまり深く考えたくない科白が。
確か前にネット上で見た時には、自分のランクは22位だったと黒アリスは記憶していたが、アレとは違うのだろうか。
「いかがでしょう黒アリスさん? 力を試すような真似をしたのはお詫び申し上げます。ですがどうか、もう一度我々を救っていただけないでしょうか?」
既に、協力を強要するつもりだったというのがバレているのは分かっているだろうに、飽くまでも『テストだった』と言い張るのは、さすが役人。
胡散臭い笑みも相まって、凄い面の皮である。
「無論タダとは申しません! 何と言っても世界で戦略級能力者の『黒アリス』を欲しがる国は多いですからねぇ、ええ。これに対して我が国は、今回の破壊行為への免責! 国内における黒アリスさんへの自由の保障! 報酬も出しましょう、ドーンと1億!」
「なにどさくさで黒アリスさんに責任おっかぶせてやがるマスか。寝言ほざいてっとコンテナ詰めて南米圏へ出荷するデスよ?」
そして巫女侍の言う通り、隙あらば黒アリスに弱みを作って付け込もうとするあたり、本当に油断ならない。
正直雨音は、この胡散臭い笑みの役人との駆け引きで勝てる気がしなかった。ペースに飲まれたら、どんな罠に追い込まれるか、分かったモノではない。
特に、今回は初手から引っかけられている事だし、交渉自体してはならない、する意味も無い相手であると感じていた。
「何だか知らないけどお断りします。あたしは今までだって静かに暮らして行けるように努力してきました。ちょっかいかけられない限り、この力を節操無しに振るう気もありません」
だから、あたしの事は放っておけ、さもなくば潰す、という意思を極力丁寧な言葉で伝える。
口約束など当てにならない。ならば、武力による抑止しかないだろう。
個の力で群に勝てるとも思わないが、そこはハッタリと言うか。
黒アリスを捕らえる事は、払うコストに見合わない、と思わせるしかないと考えた。
だが、仁田という男が予想以上に狡猾だったのか、それとも黒アリスの状況認識が甘かったのか。
「ですが黒アリスさん、巨大生物の脅威は去っておりませんよ?」
このたった一言で、仁田は黒アリスを完全縛り付けてしまった。
予想した通り、胡散臭いだけではなく恐るべき男である。
黒アリスは呼び出しに乗った時点で、とっくに捕まっていたのだった。
◇
場面は暗闇の洋上に戻る。
まんまと乗せられたという自覚はあったが、笑顔も何もかもが胡散臭い役人の科白を、雨音は無視出来なかった。
恐らく、日本で誰よりも巨大生物を恐れていたのは、誰よりも近くで戦って来た臆病者の魔法少女であろう。
だからこそ、見て見ぬ振りも出来なかったのだ。
もう一度、あの怪物が自分や家族、仲間を襲って来るという可能性を。
そのように振り返ってみれば、いつも通りのパターンではあった。
土曜日に迎えのヘリに乗ったのは、黒アリスの他には相棒の巫女侍だけだ。他の魔法少女には、今回の件、話をしていない。
吸血鬼の女王である三つ編み文学少女は、ふ頭で何が起こっていたのかを知っていたが、同行に関しては黒アリスが断固認めなかった。
仁田とか言う男の目に、他の魔法少女を晒したくなかったからだ。三つ編み文学少女は、そんな黒アリスの判断に憤慨していたが。
巫女侍に関しては、例によって付いて来るとテコでも譲らなかったので、仕方なく。
三佐も言ったが、黒アリスが行ったところで巨大生物を排除できるとは限らない。
話を聞いた限り東京に現れたモノとは違う個体の様であるし、同じ個体だとしても、東京スカイツリーがもう一本必要となるだろう。
東京の巨大生物を倒せたのは、仲間の魔法少女や自衛隊が居て、幾つかの幸運が重なったからだ。
ある意味、ホームであったと言っても良かった。
だが、今回は仲間と言えるのは巫女侍だけ――――――マスコット・アシスタントはまた別――――――。
場所は、初めて足を踏み入れる未開の島。
周囲には、油断ならない役人や、初めて会うような能力者ばかりという。
アウェイ感が半端無い。
「お前が責任を負うような事ではなかった」
格納庫の端に背を預け、ぼんやりと給油作業と周囲の暗闇を眺めていた黒アリス横に、いつの間にか釘山三佐が立っていた。
「三佐…………」
「弱みを見せたな。仁田の思うつぼだぞ」
咎める、と言うよりは呆れた様な三佐の口調だった。
恐らく、初対面の相手なら区別がつかない程微細な違いだが。
「えーと…………ごめんなさい三佐。何か色々気を使ってもらったみたいで」
「いや…………」
首を振って短く返す三佐は、少しの沈黙の後、この件の背景を黒アリスに言って聴かせた。
6月末の巨大生物戦後にあった、お気楽な女子高生には知り得ない話。
大量の能力者が出現した事態を受けて、政府におけるその対応。
巨大生物の出現経緯と、その移動経路の追跡調査の実施。
人工衛星による走査で発見される巨大生物の島と、その全てを独占しようとする東米国。
時を同じくして秘密裏に設立される、日本や東米国、または各国政府の能力者機関。
東米国は日本を使い、編成したばかりの能力者集団と海兵隊を『アイアンヘッド』と呼称する島へ送り込むも、新種の巨大生物と眷属らしき生物群によって、調査は頓挫してしまう。
巨大生物だけではない、島自体で発生する不可解な現象も相まって、今も人員と設備に多大な被害を出し続けているのだという。
「…………撤退するって選択肢は無いんですか?」
形勢が不利であるならば、一時的にでも退却して、勝てる体勢を整えて挑む。
と言うのが、黒アリスが三佐から教わった常識だ。
にもかかわらず島に留まり、徒に戦力と時間を浪費する意味が分からない。
「無いな。巨大生物の情報はそれが有益であろうと無益であろうと、国際情勢における戦略情報になり得る。東米国が撤退すれば、次は古米国と日本が即座に近海を押さえるだろう」
だがそうなれば、問題は今まで出した損害だけの話ではなくなる。
万が一、古米国が有益な情報を手に入れるような事になれば、情報と戦略面において大きく差を付けられる事にもなりかねないと、東米国政府は恐れているのだ。
捕捉すると、100年前の第3次世界大戦を機に、事実上の独立をした北米大陸西部の古米国を、大陸東部の東米国は認めていない。
東米国も必死だという事なのだろう。
「…………あれ?」
そこまでを三佐から聞いた黒アリスは、頭の中で情報を整理すると、首を傾げた。
「東米国が躍起になるのは分かるんですけど……日本……て言うか、あの『仁田』ってヒトは何がしたいんですか? 情報を手に入れるにしても、東米国の為に日本が頑張る理由は無いんじゃ…………」
具体的に頑張るハメになりそうなのは他でもない黒アリスだが、それはともかく。
巨大生物の情報収集は必要だろう。今後の国家安全保障の為にも急務と言える。
日本単独での情報収集が難しいのも理解できる。単純な戦力だけではなく、政治的にも問題が多いだろう。野党とか周辺国とか柵とか。
だからと言って、東米国と日本の合同調査がお題目そのままに行われていると思うほど、雨音も世間知らずの小娘ではない。
これまでがそうであったように、東米国が日本に対して全ての情報をシャットアウトするのは、容易に想像できたからだ。
少なくとも東米国とやるよりは、古米国と調査した方が実りはあるように思えるのだが。
地理的に、日本はどうしたって件の島に関わる事になるだろうし。
「…………東米国の威圧的な外交を恐れる官僚や政治家が多いという事だ。東米国政府は自国に不利益があれば、駐留の部隊を日本への実力部隊に――――――――いや、これはお前には関係無い」
三佐は科白を途中で切ったが、最後まで聞かなくても、大体の想像は雨音にも付く。
東米国のやりそうな事だ。
ならば、あの『仁田』と言う男も、東米国に従順な官僚のひとりか、と黒アリスは思ったが、
「『アイアンヘッド』での調査活動は手詰まりだ。東米国も古米国に監視され海兵や能力者の増員が出来ないでいる。仁田は大人しく政府や東米国に尻尾を振るタマではない。何かする気だろうな、黒衣を使って」
見た目通り、腹に一物どころか、どっさり何やら抱えた男であったらしい。
そんなのに目を付けられた魔法少女としては、むしろ考え無しのバ官僚であったほうが有難かった。
何であたしやねん、と苦い顔の黒アリスが呟くが、羽田や上野での事を思えば、それも仕方が無い事か。
他の魔法少女にまで目を付けてないのは不幸中の幸い――――――――――いやまだ分からないが。
「こうなった以上、この事も教えておく」
三佐が黒アリスに差し出したのは、市販品でもある栄養補助食品(チーズ味)だった。
いったい何の話しが飛び出してくるのかと、三佐の出した物を受け取った黒アリスは、心拍数を上げて喉を鳴らす。
「現在、各国が能力者の情報を収集するのに総力を上げているのは想像できるだろうが、国家戦略上、特に動向を注視されている能力者が5人いる。戦略級と分類されている能力者で、黒衣、お前もそのひとりだ」
エデンの少女。
ミスターウェザー。
ワープシックス。
バイナリーウィザード。
そして、黒アリス。
いずれもが、世界情勢を根底からひっくり返しかねない、超ド級の要注意人物として認定されているのだとか。
当然、追いかける方も追いかけられる方も必死で、
『エデンの少女』は古米国市民で国によって保護されるも、水面下での国同士の攻防が凄まじく、
『ミスターウェザー』は同様にEC圏に管理されるも、どこぞの経済組織に四六時中身柄を狙われ、
『ワープシックス』は東米国市民だったが全世界を跨いで逃亡中で、
『バイナリーウィザード』は故国の中国からロシアに亡命し、他の国も誘拐、さもなくば暗殺しようと物騒な人間が跳梁跋扈しているのだという。
「――――――――とはいえ、能力者が地球全土で何人いるか予測も出来ない状況だ。今後も戦略級とされる能力者が増える可能性は高いが……泣くな黒衣」
「だ、だって三佐ぁ…………」
夏休みの訓練の時のように、ミニスカエプロンドレスの少女は、栄養補助食品をかっ喰らいながら泣きべそをかいていた。
高校1年の女子生徒には、いささか重すぎる話である。
三佐はこうなるのが分かっていたから、黒アリスを鍛えながらも、情報を他に漏らさないようにしていたのだろうが。
だが一方で、無駄なのも分かっていた。
戦略級原潜、イージス艦、戦闘ヘリ、戦闘車両、重火器、弾薬やミサイル。
そんな物を湯水の如く無数に作り出せる、あまりにも危険な能力者の情報を、幹部の三佐とはいえいち自衛官の力で封をし続けていられる筈もなかったのだ。
平穏で静かな生活を、この銃砲兵器の魔法少女が望んでいるのも知っていた。
だからこそ、いざという時に少しでも自分の意思を徹せるように、無理を承知で鍛え上げていたのだ。
しかし、思い返してみると、今の能力者部隊の指揮官というポジションも、三佐と黒アリスとの繋がりを考えてのモノとも考えられる。
事実、黒アリスは三佐のメールアドレスに呼ばれて、罠に嵌ったのだ。
この推測が正しく、まんまとどこかのニヤケ面の官僚にやられたのだとしたら、三佐もこのままで済ますつもりはなかった。
しゃがみ込んだ黒アリスがもそもそと栄養補助食品を食べきったところで、ヘリの給油が完了し、手洗いに行っていた巫女侍も戻って来る。
少しばかりショッキングな――――――黒アリスにとって――――――サービスエリアでの休息を終え、CH-47J三機は、護衛艦『しもなみ』から離陸して東へ飛んだ。
それから、約5時間後の午前三時。
9月最終週の日曜日。
道中、重苦しいヘリの機内ではあったが、胡散臭いニヤケ面の官僚と同乗するよりは、遥かにマシだったと思われる。
窓の外から見る景色は、塗り潰したかのような黒一色。
しかし、ヘリが旋回するのを身体に感じると、黒アリスの視界の中に、小さな赤い明りが複数入って来た。
ヘリが高度を下げると、赤い光の有った場所が一斉に明るくなり、広い甲板が現れる。
闇の中に浮かび上がる、おおすみ型輸送艦『よねご』の姿だ。
甲板上に着地すると、黒アリスは誰に断るでもなく、真っ先にヘリを降りる。
同時にそれは、未だに闇の中で見えない巨大生物の島、騒動の中心と思われた『アイアンヘッド』への到着も意味していた。




