0001:衣替えとは見方を変えると衣替えられとも取れる
ナラキア地方、ナラキア共同体に属する国家群の中に、イレイヴェンいう名の国が在った。
西方大陸を大きく抉るエルリアリ湾の東岸に存在し、南側には『大海』を接する、水産資源豊かで風光明美な土地柄である。
そのイレイヴェン、王都『トライシア』から前線までは、馬の脚で6日から7日の距離となる。
既に国境線は、敵の勢力によって侵されていた。
統制も何もない敵の群れは、気紛れに何時どのように動くか、まるで予測出来ない。
しかし、王都は今のところ平静を保ち、この日もいつも通りの穏やかな朝を迎えていた。
冬を終えたばかりのエルリアリ湾岸一帯は、早朝の冷たい空気の中にも、僅かに温かなモノが混じりはじめている。
メイドさんの手により、客室にあるテラスへの窓が開け放たれると、爽やかな朝の空気が淀んだ部屋の中に流れ込んでいた。
決して不快にならないよう、控え目な声で起床の時を告げられるのは、豪奢な天蓋付きベッドで爆睡していた、ひとりの少女だ。
胸の高さまで来る金髪に、未だ閉ざされた瞳に、長い睫毛。
掛け布団のキルトの下は下着だけなのか、肩や胸元の素肌が見えていた。
「――――、――――――――?」
声をかけられているのを無視も出来ず、ベッドにいた少女は仕方なく目を覚ます。
疲労が残り、まだ眠気の払えない少女の気分は、当然あまりよろしくない。
メイドさんはフリル付きワンピースのようなドレスを寝ぼけ眼の少女に示すが、金髪の少女の方は、首を振ってそれを拒否。
近くの椅子に掛けてある、黒いミニスカートのエプロンドレスを指差した。
メイドさんが着ている服に似ているが、スカート丈が致命的に異なる。
少し戸惑うような表情を見せていたメイドさんだったが、ベッドから出た金髪の少女は、さっさと自分で服を着てしまった。
それに微かに溜息をついた後、気を取り直したように、メイドさんはテーブルに置いてあるティーポットから、紅茶らしき液体をカップへと注ぐ。
ミニスカエプロンドレスの金髪少女は、ソーサーの上からカップだけ浚ってテラスに出ると、湯気を立てる紅茶を啜り、一言。
「クソッ……やっぱ夢じゃなかったか」
心底からの渋面に、優雅な時間が台無しであった。
テラスから見える景色は、石造りの家々が並ぶ異国情緒溢れた街並みに、時代がかった服装の人々に、行き交う馬や馬車といったモノ。
黒いミニスカエプロンドレスの少女。銃砲兵器系魔法少女の黒アリスが、どうしてこんな所に居るのか。
そもそもここはどこなのか。
話は、今から一週間程前まで遡る。
◇
現役の高校一年生である旋崎雨音は、恥ずかしながら魔法少女なんてモノをやっていた。
身長は160センチほどで、体形はただいま発達中。3サイズは内緒。
ちなみに、最近また下着のサイズをひとつアップしている。
髪は飾り気の無い胸まで来る黒のストレート。美容院で軽く梳いてもらっている以外は、特に弄っていない。
化粧っ気は無いが、顔立ちは整っており素材としては良い方。
冷静で冷淡な瞳が男女を問わず惹きつけるクール少女だが、実際には臆病な本性を、平静を装い取り繕うビビり少女であった。
なお、追い詰められると凶暴化する。
多少問題点はあるが、概ね今時の淡白女子高生である。
そんな難儀な事情を持つ少女であるが、基本的に平日は真面目に学生をしていた。
今も、朝からHRでクラス会議の最中だ。
「焼きソバ屋台にタコ焼きタイ焼きー、お化け屋敷、お芝居、喫茶店……平凡過ぎる。3回しか無い高校の文化祭でやるこっちゃないよー」
雨音の横の席で「つまんないー」と頬杖をつき嘆きの声を漏らすのは、中肉中背、髪を房の大きな三つ編みにしている、一見大人しそうな文学少女風の女子生徒だ。
その名は、北原桜花。
しかし、大人しくて儚げなのは見た目だけ。
その実態は、メジャーなモノや有名なモノ、無難なモノを好まず、変わったモノやマイナーなモノばかりを好む、マイノリティー文学少女である。
「そんじゃ、こんな時こそオーカ(桜花)の知識を生かすデスよ。なんか違うモノ考えるネー」
「まぁ同感だけどカティ、アンタ自分の席に戻りなさい」
「ヤーン!?」
当たり前のように雨音のイスを半分占拠して座っていたのは、膝まで届く長い金髪を緩くウェーブさせている、少し小柄な女子生徒だ。
カティーナ=プレメシス嬢。
愛称は『カティ』。
華奢な体付きだが、痩せているワケでも貧相でもない。
最近は雨音に負けないくらいの成長率を誇る。
パッチリと開いた瞳に、可憐な顔立ち。
コロコロと良く変わる表情と子犬のように愛らしい仕草で、クラス内でもマスコットキャラクターのような可愛がられ方をしていた。
ちなみに、この子犬は自分を席から追い出そうとするつれないご主人様にご執心だ。
9月第3週の水曜日。
本朝のクラス会議における議題は、開催までひと月を切った文化祭における、クラスでの出し物を何にするかについてだ。
一週間と少し前に告知され、各自意見を出すようにと言われていた出し物のアイディアだが、集まった意見がどれも平凡極まるモノだったというのは、本心からか、やる気が無いと言う事なのか。
だが、雨音の意見としては、何をするにしてもクオリティーこそが重要であり、手際の悪さやら準備不足で文化祭当日にグダグダにならないかの方が懸念された。
そうでなければ別に何だって良いのだタコ焼きでもタイ焼きでも焼きソバでも。
演劇になったら、木の役でもやらせてもらうとして。
「でもさーせんちゃん、屋台系は島でもやったしさー」
「やったのはあたしらじゃなくて、ジャック達でしょ。それに、あたしはちょっと美味しい焼きソバ作りに挑戦してみたい気がしなくもないわ」
「んー……アマネが作るならカティも食べてみたいデスねー」
ゴマ油、ベーコンに豚肉、アスパラ、タマゴ、焦がしソース、青海苔、鰹節、紅ショウガ、と材料と調理手順をつらつら連ねる雨音。
その会話に、いつの間にかクラス中が聞き入り、会議は止まる。
既に全員の口の中には、香ばしいソースの風味と麺の歯ごたえ、肉の旨味に紅ショウガと青海苔の香り高いアクセントがいっぱいに広がっていた。
早朝なのに、何と言う飯テロ。
そして、銃砲兵器テロリストだけではなく飯テロリストの称号までを欲しいままにする雨音さん。
生徒達の心は、この時にひとつになっていた。
これは、投票を行えば焼きソバ屋台に決まりだろう。
と、誰もが思ったのだが。
「タイ焼きはアンコの焦げた所が美味しいし、タコ焼きは中をトロッとさせて外をパリッとさせるのが難しいけど、そこが美味しいわよね。喫茶店メニューなら温かいホットサンドとかカルボナーラが好きだし、ナポリタンとかカレー、ピラフ、ガーリックライスを包んだトロトロのオムレツ、あらびきの熱々ハンバーグとかスイーツサンドイッチ、それから――――――――」
機関砲の如く連発される、飯テロ精神攻撃。
その後、一転して会議は荒れまくり、多数派工作の跋扈する仁義なき選挙戦が行われる事となった。
◇
このような平穏な学生生活を謳歌している雨音達であったが、ここまでの4カ月は、想像を絶するほど大変だったのだ。
高校生になって間もなく、『ニルヴァーナ・イントレランス』を名乗る何者かによって、雨音は魔法少女なんて恥ずかしいモノにされてしまった。
かと思えば、そんな我が身を顧みる暇もなく、同様に生まれた起源を同じくする魔法少女や能力者達と戦う事になったり、同じく魔法少女によって生み出された吸血鬼の集団と戦う事になったり、どこかから現れた超巨大怪獣や怪生物群と戦う事になったり、と。
ハッキリ言って、普通の高校生の処理能力の限界を完全に超える4カ月であった。
そんな安全装置の無いジェットコースターライフを生き抜く事が出来たのは、魔法少女の力故か。
それとも、若過ぎる少女達の生命力が故か。
何にしても、二度と生きるだ死ぬだの事態に巻き込まれないのを、臆病な少女としても祈るばかりだった。
世界の情勢的に見ると、祈ってもダメかもしれないが。
6月末の巨大生物襲来を切っ掛けにして、特殊能力者の存在が世界中の人々に知られる事となった。
あまりにも身近に居る、通常の物理法則に縛られない特別な力を振るう能力者達。
時に彼らは望むまま気ままに能力を用い、己の利になる事ばかりか、場合によっては平然と他者を傷付ける。
能力者の巻き起こす事件、事象は、今や世界に大きな波紋を広げ、各所に影響を与えていた。
雨音は、正直関わり合いになりたいとは思わない。
危険人物や犯罪者など、警察や自衛隊にでもお任せしておきたいところだ。
しかし、いまさら見て見ぬ振りをするには、雨音は魔法少女として事に関わり過ぎた。
恐らく雨音はこれからも、警察や自衛隊のご迷惑にならないよう、異変の起きた現場近くをうろちょろするのだろう。
そして、どうにか出来ると思ったならば、自分の持つ過ぎた力を最大限に発揮して、遠慮しながら出来る事、やるべき事をしに行くのだ。
これまでがそうであったように、これからも恐らく、雨音の行動は変わるまい事は、容易に想像できた。
そんな雨音には現在、仲間とでも言うべき似たような境遇の魔法少女達がいた。
怪力無双の巫女侍、秋山勝左衛門。
正体は、クラスメイトのカティーナ=プレメシス。
吸血鬼の女王、秋月サクラ。
こちらもクラスメイトである三つ編みの文学少女、北原桜花。
ルール無用のハイレグビキニのカウガール、レディ・ストーン。
その表の姿は、お嬢様学園の生徒会長にして日本屈指の名家、『荒堂』の跡取り娘。荒堂美由。
相手を強敵と見定めるや脇目も振らずに挑んで行く赤備えの鎧武者、島津四五朗。
鎧の中身は、武の道を志す剣道少女の武倉士織。
チビッ子テンプレ魔法少女刑事のトリア=パーティクル。
実体は、現職のキャリア警察官、三条京警視。ちなみに三十路前。
魔法の海賊船で東京湾を暴走する、海賊魔法少女のキャプテンマリー。
変身前も褐色に日焼けしている、ヤンキー女子高生のブラコン姉、安保茉莉。
史上最大の戦艦『武蔵』が好きなあまり、勢い余って魔法の力で復活させてしまった魔法少女艦長の、宮口文香。
艦の外では、海上自衛官の祖父と父を持つ、ちょっとヘタレたお嬢様、梅枝文香。
長い下積み時代を経て現在人気急上昇中のアイドル魔法少女、遠山キララ。
プライベートでは、芸能界を渡っていけるのか心配になるほど素直で純真なお上りさん、浦賀麻子。
出会い方は揃いも揃って普通ではなかったが、皆、修羅場の中で共に戦い、助け合った本物の戦友達だ。
この平和な時代に『戦友』を得るとは、つくづく魔法少女という人種は業が深い。
いや、既に平和とも平穏な時代とも言えないのかもしれないが。
これら秘密を共有する仲間達で、荒堂家所有の島へと遊びに行ったのが、3日前から昨日までの事。
昨日の昼過ぎに長崎から東京都江戸川区に戻った後、少女達は真っ直ぐ自宅に戻り、翌日から再開される日常生活に備えていた。
次に皆と会うのは、それぞれの学校で行われる文化祭の時になるだろうか。
仲間と別れて24時間も経っていないクセに、雨音は早くも寂しく、そして待ち遠しい気持ちになっていた。断じて口には出さないが。
臆病に加え、実は寂しがりの冷淡少女であった。
◇
結果から言うと、朝のクラス会議は始まった当初とは逆ベクトルで纏まらなかった。
クラスメイト達がやる気を出し過ぎたせいで、出し物の候補すら固まらなかったのである。
それもこれも飯テロリストが場を引っ掻き回したせいだったが、元凶である雨音に、その自覚はゼロだ。
そして、午後4時25分。
終業後のHRでは、そもそも食べたいだけなのか出店をしたいのかその辺からクラスメイト達は分からなくなってきており、会議がおかしな方向に迷走した末、全ての議論が一旦白紙に還った。
こんなので文化祭に間に合うのか、と雨音も心配に思わなくもない。
もはや準備期間は一カ月も無いのだ。
仮に食べ物系にした場合、材料の仕入れ先を決めたり機材のレンタル――――――リースという言葉の意味を知らなかった――――――をしたり、必要とする時間に対して、使える時間が足りなくなりやしないかと。
雨音も詳しくは知らないが。
しかし、準備も何も肝心な出し物が決まらなければ段取りを進めようもない。
結局は、明朝のHRに改めて意見を出し合い、その場で投票を行い最終決定とする運びになった。
◇
HRが終わった後、雨音はカティと共に風紀委員会室へと向かっていた。
先週の事、一方的に風紀委員会の副委員長なんかに任命されてしまった件は、雨音とて納得しているワケではない。
成り行きで臨時の生徒総会に出て壇上に立ったりもしたが、早急に解任させねばなるまいと思っていた。
単に雨音が無視すれば良いだけの話ではあったが、そこは何か責任を放棄しているみたいで気分が悪い。それがまた委員長への怒りを増幅させる。
一度はしばき倒しもしたのだが、ちゃらんぽらんに見えて彼の風紀委員長も存外粘るもので、リバーブローを喰らって酸素欠乏を引き起こしながらも、解任の件は承知しなかった。
「ま、今回はどうしてもと言うなら記憶でも飛ばしてやりましょうか」
「あ、アマネの魔法て記憶だけ飛ばしたりも出来たんデス?」
出来そうな気がしてしまうのが恐い。
肩を回しながら言う雨音に、横を歩くカティは他人事ながら泣きそうな顔をしていた。
そして、答えは三分後に出る事に。
「――――――期間は前後に一週間取っています。一年生で冬用を用意していない生徒には、この間に購買部でも購入できるのを……ぅ……い、委員長、あまり撫で回さないでください」
「んー? クマちゃんのお腹、あったかいなりー……」
「『クマちゃん』と呼ばないでください……。それに、こんな姿勢で話し合わなければならない必然性がどこに…………あ」
「委員同士で密接なコミュニケーションを図りつつ会議をしてるんでーす。いいじゃん、ふたりっきりなんだからー」
風紀委員会室にて。
窓の方を向いた委員長の席に、ピッタリと重なるように座っているふたりの女子生徒。
後ろ側に座る怪しい目をした風紀委員長は、前に座らせた真面目そうなメガネの女子生徒のお腹を撫でていた。
だが、その指先がツツツ……と下の方へ移動すると、メガネの女子生徒は慌てたように風紀委員長の腕を取り、
「んぁッ!? そ、そちらの方は……ダメです」
「えへへへへ、『そっち』ってどっち? 何でダメなのー?」
「そ、そんな事………」
「風紀委員だからに決まっとるだろうが」
雨音のアイアンクローが、エロ風紀委員長の後頭部を握り潰さんばかりに絞め上げていた。
「お゛ぉおおおおおお!? こ、この香りはあまねちゃん!? ちょ!? 頭が脳圧が大変な事ががががが!!?」
「一体何をしていらっしゃるんですかねこの風紀委員長は。いえ答えなくてもイイです」
「それは言いワケすらさせてもらえないって事かしら!?」
見付けた瞬間に射殺が許可されている灼熱の国家体制の如しだった。
真面目そうな風紀委員の女子生徒は驚いた拍子に逃げてしまい、もはやこの惨劇を止める者は誰もいない。
確かに雨音の言う通り、風紀委員長の記憶は消えそうだった。
ついでに命も消えそうになっていたが。
美容院で整えられた茶髪が盛大に乱れてしまったが、風紀委員長の己町鈴花は、己の命が有る事だけを幸運に思うべきだろう。
「あたしが副委員長にされた件で、辞める、って言いに来たんだけど委員長……アンタ何やってんの?」
「『何』って……もちろん来週の衣替えの事で、全校通知について委員の娘と話し合いをね?」
「…………まぁヒトの趣味に口を出す気はないけど。能力を使って?」
「うんにゃ、あの娘の場合は能力無し。だからちょっと手間をかけたけど、もう少しでノーパ――――――――」
「その話はもういいです。それより……あたしの副委員長の事…………」
雨音の目が冗談の通じないモードに入ったのを察し、エロ風紀委員長も残念なニヤケ面を改めていた。
直後に、雨音を見て普段のイタズラっぽい表情に変わっていたが。
「その件については、風紀委員長の権限で却下した筈よん」
「それこそあたしの知った事ですか。そもそも何で選挙で選ばれたワケでもないあたしが副委員長なんですか」
「雨音ちゃんみたいなキツイ娘を近くに置いといていずれデレさせてアヘアヘ言わせるのが――――――――冗談です! ちょっとしたジョーク!!」
カティが先に襲いかかったので、雨音の方が特に何かをする必要も無かった。
放っておいても、風紀委員長は馬力のある金髪娘さんに撲殺されそうである。
が、副委員長を解任してもらう前にうっかり死なれると、繰り上がりで雨音が風紀委員長になりかねない。
死ぬ前に、そこの所はキッチリ処理しておいてもらわねば。
「た、助けて雨音ちゃん――――――――テンプルッッ!?」
「そうですね……さっさと副委員長を辞めさせてくれたら楽に殺してあげます」
「あ、そこはもう変わらないんだ!?」
「アマネを名前で呼ぶなんざ馴れ馴れしいデスよ!!」
容赦なくコメカミをぶん殴られる哀れな美少女風紀委員長。
一方、ぶん殴っているのは金髪の美少女であるという、非常に特殊な絵面であった。
「女の子侍らせたいなら、あたしじゃなくても他にいくらでもいるでしょうが」
「だって副委員長ってポジションが一番似合うのは絶対にこの娘だって思ったんだもん! それに能力持ちの生徒を取り締まるのだって、雨音ちゃんなら適任じゃん!?」
床に押し倒されマウントポジションを取られた風紀委員長は、圧し掛かって来る金髪の小悪魔を相手に必死で抵抗している。
ジワジワと押されていたが。
しかし、雨音の方は風紀委員長の言葉に、少しだけ考え直す思いだった。
風紀委員会が校内の能力者を監視、監督すると言うのなら、雨音としても協力するに吝かではない。
能力者が校内で騒ぎを起こし、それが大々的な問題に発展するのは困るので、風紀委員に引き締めを行って欲しい。
そう言い出したのは、他らならぬ雨音だ。
丸投げして知らんぷり、というのも、言われてみれば気が引ける話ではある。
「でも……あたしもプライベートで忙しくなるかも知れないし、いつも風紀委員会に出られるとは限らないですよ?」
雨音も学校を最優先したいが、万が一、命がかかった非常事態が発生すれば、そちらを優先せざるを得ないだろう。
事によっては、学校に来るのも難しくなるやも知れない。
正体を隠して活動するヒーローなら、誰もが通る道なのであった。
雨音はヒーローではなく魔法少女だが。
「そ、それなら籍だけ置いて時々来てくれればいいから! 能力者関係で時々相談出来ればいいし! なんなら愛人枠で―――――――――!!」
「こりねーヤローデース!」
「――――――――ギャァアアアアア!!?」
というワケで、風紀委員長の言葉に甘えるワケではないが、副委員長の件は保留とさせてもらった
他の委員としては、副委員長が非常勤的な扱いなのはどうなのよ? とも訊いてみたのだが、風紀委員会は基本的に委員長のハーレムなので問題無いのだとか。
雨音は訊いたのを後悔した。
副委員長より、委員長の人選の方が遥かに大きな問題である。
あと、どうでも良い話ではあるが、ハーレムでひとりだけ特別扱いの娘がいたら、それはそれで問題になるモノなのだが。
いかんせんこの場に、そこの所を指摘できる娘はいなかった。
◇
カティも風紀委員会ハーレムに入れば良い。
別の娘――――――つまり雨音――――――が好きで自分の方を向いていない娘をNTRっぽく可愛がってしまうのも激燃え。
なんて余計な事を言わなければもう少し長く生きていられたのに、と鼻血を流して白目を剥く美少女の屍を前に、雨音はしみじみ思ったものだ。
というのは限りなく現実に近い例え話で、まだ死んじゃいなかったが。
「アレで仕事はしてるってんだから始末に負えんわ。ただの害悪ならあのまま処理してやったものを」
無論、冗談である。
基本的に雨音は、ただのか弱い女子高生なのだから。
応用的には自衛隊でレンジャーの訓練を受けた弾数無限の銃砲兵器系魔法少女であるが。
雨音とカティのふたりは学校を出て、今は家路についていた。
途中で本屋に寄り、デパ地下で買ったクレープふたつをカティとシェアしつつ「こういうのも――――――文化祭で――――――良いなぁ」と呟き、割と必死なカティに「やめた方がいいデスよ!?」と止められたりしていた。
9月も後半となると、6時過ぎには完全に日が落ちてしまう。
日没が早くなるのを実感する時期だった。
衣替えを前にして、夏服だと多少肌寒く感じる。
少ししんみりしてしまい、フと会話が無くなって暫く後、
「…………アマネ?」
「ん? どうしたの??」
口元にチョコレートを付けたカティが、何か不安そうに雨音を見ていた。
いつも明るく能天気そうなお嬢さんではあるが、時々このように、捨てられるのを怖がる子犬のような顔をする。
「アマネ、またどこかに行くデスか?」
「…………はぁ? 何でそんな事を? あたし、そんな事言ったっけか?」
突然何を言い出すのかと、目を丸くする雨音は脳内を検索するが、カティが不安に思うような事には、とんと心当たりが無い。
それで話を訊いてみると、先ほどの風紀委員長との会話で『忙しくなるかも』と雨音が言ったのが引っ掛かり、心配になってしまったのだとか。
先の巨大生物戦で、一時的に雨音は行方不明となっていた経緯がある。
カティはその当時の事を思い出して、酷く心細くなっていた。
「またアマネ、ひとりでどっか行ったらて思うと……会えなくなるかもて思うと……怖いデスよ」
遠慮がちに雨音のブラウスの裾を掴むカティ。
だが、雨音が言ったのは飽くまでも可能性の話で、何も起こらなければそれに越した事は無い。
未来に何が有るかなんて誰にも分からないにしても、雨音は誰より危険な事に関わりたくないと思っているのだ。
もうあんな死にそうな目に遭うのは、頼まれたって御免である。
もっとも、東京湾に局地爆撃機で落ちた時だって、望んでそうなったワケでも、事前にどうにか出来ていたワケでもないだろうだが。
「…………ひとりでどこか行くなって、んな事言ったってカティは勝手に付いて来るでしょ? なら問題ないんじゃないの?」
「ムイッ…………?」
カティの口元を拭いてあげながら、何となく誤魔化すような言い方をする雨音だったが、ここである事に気が付いた。
「あれ? カティ、あんた少し大きくなった?」
「どゆ事デス?」
雨音に凝視されて小首を傾げるカティ。
しかし、何の不思議もあるまい。
ここ4カ月、10年以上偏食していたお嬢さんの栄養状態は、劇的に改善されていたのだ。
最近は肉付きも良くなってきたし、縦に伸びても何らおかしくはない。
第2次性徴期なのもあるだろう。
プレメシス夫妻――――――特にグラマーな夫人の方――――――を見ても、カティが将来高身長のナイスバディーに成長する可能性は低くなかった。
「ダックスフントがゴールデンレトリバーに…………」
「どういう事なんデス!?」
「いや……ゴメン何でもない」
いくら子犬っぽいと思っていても、面と向かって犬扱いするのは酷い話である。
話を強引に切り上げた雨音は、急ぎ足になりカティの先へと歩いて行ってしまう。
カティの方も置いて行かれるのは嫌だと、ご主人様に駆け寄り腕に抱きつくと、家に着くまで離れようとはしなかった。
◇
前述の通り、危うきに近寄るのを良しとしない雨音だったが、それは危機から目を背けるという意味ではない。
むしろ、心配性であるが故に、危機管理の大切さを知っている。
思い返してみれば、巨大生物戦の時も事前工作のおかげで、物凄く助かっていた。
予め他の魔法少女達と会っていなければ、派手に開戦の狼煙を上げていなければ、今頃はとんでもない事になっていただろう。
背筋が寒くなる話だった。
警察レベルでの能力者対策が進んでいる現在、雨音とカティが夜の街に出る意味も少なくなっていたが、それでも時々散歩の延長のように、魔法少女の姿で外に出ていた。
この時に雨音が決まって行うのが、携帯電話の着信確認である。
無論、ただの携帯電話ではない。
巨大生物戦の縁で知り合った陸上自衛隊の三等陸佐で、雨音の戦闘技術の師匠である、釘山三佐から貰った携帯電話だ。
この携帯電話は、普段電源を切った上で電波を遮蔽するアルミケースに入れている。
三佐の事は信用しているが、携帯電話を追跡されて、個人や住所を特定されるのはゴメンなのだ。
なので、電源を入れてメールや着信が無いかを確認するのは、家でも学校でもない場所で行うのが決まりとなっていた。
となると当然、リアルタイムで着信など受けられないし、メールが来てもすぐには返事が出来ないという事態が、容易に想像できるワケなのだが、
「ヤベ…………三佐からメールが」
「どうかしまシタ?」
案の定、恐れていた事が。
先日までの3日間、遠くの島に行っていた関係で携帯電話の確認も出来ていなかったのだが、メールには『緊急事態の為、至急返信を乞う』と記されている。
予想されていた事ではあるが、雨音の背中には大量の冷や汗が浮いていた。
ある建物の屋上で、携帯の液晶画面を凝視し口をへの字に曲げる、ミニスカエプロンドレスの魔法少女。
そして、このメールが来る前から、雨音とカティは既に予感していたのかもしれない。
この便りが、新たなる事象の波の到来を告げるモノである事を。




