0086:老兵はまだ死んでないので無茶をなさらず
午後4時35分。
東京湾では戦艦『武蔵』と魔法少女艦長の宮口文香が奮闘中。
そして、墨田区押上での作業は遅々として進まず、現場の作業員は苦戦を強いられていた。
それも仕方ない。なにせ、誰も想定していなかった作業である。
高所溶接作業組合の作業員や鳶職の仕事人達は、それでもジリジリと玄人の作業を続けていた。
もうお爺ちゃんと言えるようなニッカポッカスタイルの職人や、全身筋肉のツナギ姿のおじさんが頻繁に巨大な鉄塔を出入りする。
迷彩服に迷彩柄のヘルメットを着けた自衛隊員が、計測機器を手に動き回っている。
ある一角では超大型クレーンの設置作業が進められ、モスグリーンの自衛隊車両に護衛されて、黄色いトラックの様な電源車が何台も現場入りしていた。
だが、全体の作業工程から言うと、果たして5%行ったか行ってないか。
「ま、それは良いとして…………」
誰にも言えないが、黒アリスの予定通りではある。
でも、羽田空港沖の第2戦は、海上自衛隊に勝ってもらって一向に構わなかったのだが。
(それで勝てるなら苦労しないってか…………海自の方々には悪いけど)
羽田に先行する突撃系魔法少女3人組と、同行する混成第6中隊の支援分隊から戦況は聞いている。
戦艦武蔵の主砲、46センチ三連装砲で仕留められなかったというのは、黒アリスとしても少々ショックな話だった。
失われた最強の砲熕兵器による艦砲射撃。
ミサイルなどの爆発威力に因らない、質量弾による運動エネルギー攻撃として。そして大都市のど真ん中という環境下では、戦艦武蔵の艦載砲は有効な兵器だった筈だ。流れ弾を出さないという前提条件はあるが。
だが、残念な事に巨大生物の装甲をブチ抜くほどではなかったらしい。いや、46センチ砲徹甲弾を以ってしても破れない装甲であるのを評価するべきなのか。
いずれにせよ、個人の携行兵器や戦車などの陸戦兵器、航空機が搭載し得る兵器を超える、戦闘艦の艦載兵器でも巨大生物を倒せなかった。
つまりそれは、もはやまともな手段で倒すのは不可能という事になる。
「…………4時半ちょい過ぎ…………まだ早いなぁ……」
エプロンポケットから通信機を取り出す黒アリスは、そこに繋がるイヤホンマイクとスピーカーを身に着ける。
「えーと……釘山三佐へ。黒衣です」
『釘山だ、状況は聞いている』
宇宙航空研究開発機構の調布宇宙センターで全体の指揮を執る混成第6中隊長、釘山三等陸佐も、自衛隊の通信には常に耳を澄ませている。
故に、黒アリスの言わんとするところも、言われるまでも無く察していた。
『プランBの実行に関しては官邸にも既に許可を取ってある。例の件も可能な限り部下には徹底するが……黒衣、正直私には抵抗がある』
常にやるべき事だけを口にする釘山三佐が、感想の様なものをハッキリ表に出すと言うのは、付き合いの短い黒アリスでも大事であるのが分かる。
それに、釘山三佐の懸念はもっともだ。
雨音自身、この計画も手段も徹頭徹尾メチャクチャだと言うのは分かっているが、
『…………いや、すまんな。コントロール出来ると言うお前の話は信じる。部隊の移動は始めるが、構わんな?』
「なんかすいません三佐…………。こっちからも行ってもらいます。それで、そちらの方はどんな感じです?」
自衛官として、釘山三佐は様々なモノを飲みこんで、黒アリスを信じてくれているのだろう。三佐だけには計画の全貌を話しているが、それでもやっぱり申し訳ない。ただでさえ神経質そうな顔をしているのに、ここに到って心労ひとり占めである。
釘山三佐は黒アリスとの通信後、中隊本部を通して全部隊に『プランA』から『プランB』への作戦変更を指示。
ミニスカエプロンドレスに眼帯の金髪少女も、おじさん達の中で浮きながらも現場を走り回る。
◇
東京湾、羽田空港沖。
艦首砲もミサイル兵器も通じない。それどころか、敵は強力な中長距離対艦攻撃まで持ち、あらゆる距離で鋼鉄の護衛艦さえ沈めかねない攻撃能力を発揮する不死身の生物。
だからどうした。海上自衛隊の力を見さらせ。
「艦橋より戦闘指揮所! 73式短魚雷、アスロック発射! 頭上で自爆させろ!!」
『73式アスロック発射了解!』
本来、対潜魚雷であるアスロックを、地上目標に向かってブッ放す海上自衛隊護衛艦。
巡航ミサイルも対艦ミサイルも対空ミサイルさえ撃ち尽くし、それでも攻撃を止めずに、とにかくなんでも良いから巨大生物に向かって叩き込んでいる。
ところが、偶然にも巨大生物の頭上に打ち上げられたアスロック対潜魚雷は、その頭部の真横で自爆。
撃った護衛艦の艦長も予想だにせず、感覚器の集中する真横で爆発を喰らった巨大生物が大きく揺れた
。
「戦闘指揮所、Mk.45を頭部に集中! 頭を抑えろ!!」
「僚艦『にのみね』再装填作業完了! 戦列に復帰します!」
『Mk.45単装速射砲、「甲種」頭部へ集中発砲了解! 撃ち方始め!』
護衛艦隊は各艦が空港に対して並行に動きつつ、全火力を振り絞って巨大生物に攻撃を加えている。
航跡を引いた護衛艦が砲口から白煙を噴き、その中を突っ切って行く。
127ミリ単装速射砲。発射速度は分間20発。3秒に1発の発射サイクル。
それに、76ミリ単装速射砲。分間65発。秒間に約1発。
戦線を維持する10の砲口から、巨大生物へ絶え間ない砲撃が続けられていた。
だが、相手は対艦ミサイルの直撃にもビクともしない常識外の怪物。
『「甲種」砲撃態勢を確認!!』
「取り舵いっぱい! 進路1-0-0! 艦尾乗組員は中央に退避!!」
「全艦に衝撃警報!!」
全身に砲弾を喰らいながら、巨大生物は滑走路上に張り付き4腕4脚を喰い込ませると、大口と全身の孔から大量の空気を吸い込み始めていた。
この予備動作から来る砲撃は、2キロ先にいる護衛艦を一撃で中破、あるいは大破させるほどのとんでもない威力を持つ。
即座に護衛艦隊は一斉に回避行動を開始。急回頭を行い砲撃に備え。
東京都心と東京湾を揺るがす、火山噴火の如き発砲音。
絶大な威力を持つ砲弾は、全長600メートルの巨大生物を張り倒す。
1砲塔3門の砲口から放たれた砲弾は、1発が直撃、2発が前後の滑走路に着弾。大爆発を起こし、空港の第2ターミナルを半分ほど吹っ飛ばしていた。
「ち、着弾観測! 直撃1、交叉、1近、1遠!」
「あ、あら…………」
戦艦『武蔵』の艦橋内。200年前の旧帝国海軍の白い制服と士官帽の魔法少女艦長は、空港施設を吹っ飛ばした爆発に冷や汗をかいていた。
最新の誘導兵器じゃあるまいし、大砲という性質上、100発100中で着弾誤差1メートル以内というワケには行かない。
だが、観測報告を行った海上自衛官をはじめ、艦橋内の自衛官達の醸し出すやっちまった感溢るる空気に、魔法少女艦長の宮口文香の顔色も徐々に悪くなり、
「…………まぁ良かろう」
鶴のひと声で、その空気は霧散し、魔法少女艦長も救われていた。
声の主は、海自内で一目置かれる名艦長の梅枝一佐。梅枝文香のお爺ちゃんである。
無論、己の職務に厳格な、老練の海上自衛官。決して孫に甘いが故に、こんな事を言っているワケではない。
僚艦を守り、『甲種』脅威生物を抑える事が出来るのは戦艦『武蔵』だけであり、その砲撃で発生した被害としては、ターミナルの半壊も許容範囲内だろうとの判断だ。
実際、既に2時間近く武蔵が押さえているおかげで、海上自衛隊の護衛艦隊も全滅せずに済んでいるのだから。
しかもその間、武蔵の46センチ砲は、ほぼ100発100中。魔法戦艦としての性能と、指揮を執る梅枝一佐、そして宮口文香の手腕としても、奇跡的な戦果であった。
しかし、そろそろ疲労の色が濃い。
護衛艦隊と武蔵が連携して引き延ばしているとはいえ、敵に対して決定打は無く、時間は遅々として進まない。
それでも、海上自衛隊は官邸と司令部からの命令通り、全力で『甲種』への攻撃を継続し、戦線を維持しているのだ。
「『かぐやま』、再装填作業完了! 本艦の陰より出ます! 『かぐやま』艦長より入電、『貴艦の支援に感謝する』以上です!」
巨大生物の砲撃を喰らって補修作業を行ったり、弾を撃ち尽くし再装填する護衛艦は、武蔵の巨体の陰に入っている。
その威容からして、まさに海上の城塞。
双眼鏡を覗くと、護衛艦の艦橋に敬礼している自衛官達の姿を見る事が出来た。
「一佐、艦長! 『甲種』活動再開!」
通信手と観測手が報告を入ると同時に、身を捩って起き上がる巨大生物に対して、護衛艦隊からも攻撃が再開される。
今のところ、巨大生物に対して致命傷も与えられなかったが、動きを抑えるのは上手く行っている。護衛艦隊の攻撃も牽制にはなっているし、大きな動きがあれば武蔵の主砲が事前に阻止する。
武蔵の砲塔内に砲弾は各360発。既に20斉射以上しているが、タケゾウ先任伍長曰く、別の場所からも供給は可能との事。
官邸と作戦本部の切ったタイムリミットは、午後7時前後。梅枝一佐が確認する時計によると、あと2時間と少し。
護衛艦の兵装の残りと補給のリズム。武蔵の残弾と、砲撃能力。
(上にどんな成算があるかは分からんが……これなら持たせられるか)
艦橋の風防越しに、梅枝一佐は噴煙を巻き上げる戦場そのモノの空港を睥睨する。
時間いっぱいまで応戦出来ると思いたい。
だが、やはり何と言っても、相手は想像も理解も超えた恐るべき巨大生物。孫を背に沈黙する梅枝一佐も、長い経験から発する自分の危機感を無視する事は難しく。
「『甲種』砲撃体勢! 『にしづち』が狙いと思われます!!」
「2番砲塔照準!」
しかし、巨大生物の危険な動きが報告される以上、自身の予感に拘泥してもいられない。
護衛艦隊も孫娘も放ってはおけない、と思い指示を出そうとする祖父だが、何かを言う前に、既に魔法少女艦長は命令を出していた。
「梅枝一佐殿!?」
「うむ…………通信手、僚艦と艦内に警報を」
「先任伍長! 2番砲塔撃ち方始め!」
「2番砲塔撃ち方始めー!」
巨大生物の砲撃に備えて回避行動を取っていた護衛艦隊は、慌てて戦艦『武蔵』からも離れて行く。あまりにも強大な主砲の余波は、傍にいるだけでも被害を被りかねないからだ。
既に照準を合わせていた砲塔は、魔法少女艦長の命令で即座に発砲。
すぐ側に雷が落ちたような爆音が響き、大口径の砲弾は秒速780メートルの光の弾となって、巨大生物へ飛翔。
全く同じタイミングで、巨大生物が戦艦『武蔵』目がけて発砲する。
巨大生物の砲撃は、その巨体の正面にいる護衛艦『にしづち』へ向けられているものと予想された。
しかし、実際には巨大生物の砲は、微妙に射線のズレた方向の『武蔵』へ。しかも、発射まで20秒と見られた生物砲が、半分ほどの速度で放たれる。
巨大生物と戦艦『武蔵』の距離は、約1.5キロメートル。巨大生物の砲弾は、2秒足らずで腹を向けている戦艦の右舷に直撃するかと思われた。
ところが、戦艦武蔵の艦体を襲ったのは、生物弾ではなく巨大な爆発の衝撃波。
生物弾の散弾によって迎撃された46センチ砲弾が空中で爆発し、衝撃波が戦艦『武蔵』の艦体を激しく揺らす。
「キャァ――――――――――!!?」
「ぬぐッ…………!!?」
「うおぁああああああ!?」
爆発の衝撃で、戦艦『武蔵』は左舷に大きく傾斜。戦闘中とはいえ突然の事に、艦内の人員も空中に投げ出された。
特に、高い位置にある艦橋の振れ幅は大きく、魔法少女艦長も長い黒髪を振り乱して床を転げ回るハメとなる。
「うー……うぅー…………」
「艦長!? ご無事でありますか!!?」
操舵輪に掴まり揺れに耐えた下士官姿のマスコット・アシスタント、タケゾウ先任伍長が、主である魔法少女艦長に駆け寄った。
束ねていた髪が顔の前にかかり、魔法少女艦長は前も後ろも分からない有様に。
見えないまま少年先任伍長の手を借りて身を起こす魔法少女艦長と同じように、周囲の自衛官も、壁や士官席を手掛かりに立ち上がっていた。
『「武蔵」、応答して下さい! そちらの被害状況は!? 「武蔵」、梅枝一佐!?』
通信手の無線機からは、他の護衛艦からの必死の呼びかけが。
外からは、沈黙した『武蔵』を援護すべく、護衛艦が一斉攻撃を行う砲声が聞こえる。
振り回されて頭の中がハッキリしない魔法少女艦長は、ノロノロと顔の前にかかる黒髪を脇に除けて、周囲がどうなっているのかを無意識に確認した。
その時に、艦長席の横に倒れる祖父を発見する。
「――――――――おじいさま!?」
「梅枝艦長!?」
「艦長!!」
仰向けに倒れ、苦しそうに顔を顰めている梅枝一佐に、孫娘と『つしま』の部下が血相を変えて駆け寄った。
特に、魔法少女艦長の孫娘は脇目も振らず飛び付こうとするが、迂闊に動かしてはならないと一佐の部下に止められる。
「おじいさま!? 大丈夫ですか!? おじいさま!?」
「こちら艦橋! 梅枝艦長負傷! 衛生科員は至急艦橋へ――――――って『おじいさま』!!?」
魔法少女艦長の発言に自衛官が仰天しているが、本人はそれどころではなく。
そして、孫娘の必死の呼びかけに、背中から強く叩き付けられたお爺ちゃんは、緩慢に手を動かして応えた。
「艦長、動かないでください!」
「おじいさま? なんです!? 何が仰りたいのですか!!?」
部下が止めるが、梅枝一佐は何かを伝えようと手を動かし続ける。
真っ青になっている孫娘の文香は、祖父の手を取りその意味を知ろうとするが。
「『かさとり』より警報! 『甲種』に次弾の動きあり! 旗艦『まつしま』より『武蔵』へ、主砲による砲撃要請!」
祖父の言わんとするのは、これだった。
戦闘は続いている。巨大生物は健在。動きを止めれば、被害は増え、全滅だってしかねない。
梅枝一佐は外を指し示し、その事を伝えたかったのだ。
巨大生物の動きは速く、今度は限界いっぱいまで空気を取り込んで膨れ上がり、全身の筋肉を一瞬で絞って生物弾の砲撃を行う。
巨大生物の200センチ砲、その最大出力である初速1000メートル/秒の砲弾は、無防備に腹を見せる大戦艦『武蔵』の舷側に直撃した。
主砲の発砲時以上の衝撃が艦体を襲い、46センチ砲弾が至近距離で爆発するよりも、強烈な衝撃が艦体を殴り付ける。
艦は再び激しく揺さ振られ、大きく左舷へと傾いた。
が、それだけだった。
「その程度で…………この『武蔵』と、おじいさまが沈むものか…………!」
「はっ! 艦長!」
艦が揺さぶられた拍子に、魔法少女艦長の顔を長い黒髪が覆い隠す。
その奥からは、低く響く、巨大な機関が静かに起動する様な声が。
200年前、大砲による殴り合いを想定して建造された大和型戦艦の舷側装甲は、厚さ約40センチメートル。巨大生物の生物砲弾も、装甲にヘコみこそ入れたが、これを破るには程遠い。
そして、この最強の戦艦『武蔵』の中にいる以上、祖父である梅枝一佐が死ぬ道理も無いのだ。
「分かりました、おじいさま……後はお任せください。すいませんが、おじいさまをお願いします」
「あ? は、はい……!」
毅然と立ち上がった魔法少女艦長は、長い黒髪を束ね、白い士官帽を被り直すと、祖父を自衛官に任せて艦長席へ。
「タケゾウ先任伍長、全主砲、副砲、機銃座の射撃準備を!」
「了解! 全主砲塔に再装填完了! 15.5センチ連装砲旋回開始! 12.7センチ砲装弾中! 目標『甲種』へ全砲照準! 砲撃準備完了であります!」
魔法少女艦長の命令に、戦艦『武蔵』の全ての兵装が目を覚ます。
砲塔が動き、仰角を調整。砲弾が装填され、46センチ砲3基9門、15.5センチ砲2基6門、右舷12.7センチ砲3基6門、その他機銃座多数、全門発射の態勢に。
今から何が起こるのか、魔法少女艦長の顔色を見て予想が出来た通信手の自衛官は、大急ぎで艦隊に警報を出した。
その予想通りに、
「『武蔵』全門、全力攻撃開始! 撃ち方始めぇええ!」
「全力射撃、撃ち方始めー!!」
目と腹の据わった少女が怒声を上げた直後、巨大生物の方を向く兵器が、戦艦ごと爆発したかのような勢いで一斉に発砲。
これまでの比ではない膨大な量の砲火に海が割れ、大量の砲弾がターミナルビルごと巨大生物を押し潰す。
ここからは、戦艦『武蔵』本来の戦い方。
手加減も後先も考えない、全力の殴り合いである。




