0072:入浴すると素顔が見えてしまう問題
高校大学と非常に優秀な成績を修めた彼女は、在学中には既に将来の警察入りを睨み、剣道や柔道、合気道といった武道にも打ち込んでいた。
勉強が出来て生真面目で頭が回って理知的で理性的で穏やかで眼鏡っ娘美少女。
そりゃもう男女問わずにモテたのだ。
警察に入ってからは、反動のように悲惨な事になっていたが。
「痛ー…………」
ついでに今は、身体も疲労で悲惨な事になっていた。
学生時代には経験した事の無い痛みが、三十路近いお姉さんの五体を襲う。
昔はこんな事無かったのに、もうトシ――――――――――いやそんな事は無い筈。
こんな所にも筋肉が有るんだ、と驚かされる様な個所が、かつてない激しい自己主張を続けていた。
「う……ぬぬ…………」
湯の中で脚を伸ばし、半ば顔を湯に着けながら屈伸運動しているのは、銀髪縦ロールのチビッ子魔法少女刑事、トリア・パーティクル、ではない。
ローマ風銭湯の大理石の浴槽には、高校生の小娘どもとは違う、成熟した肉感の女性の姿が。
普段はスーツに押し込んでいる巨乳をお湯に浮かべ、程良く肉の付いた手足を目一杯伸ばして喉を鳴らすお姉さんは、警視庁のエリートキャリアにして組織内の苦労人、三条京警視である。
三条警視は他の魔法少女達と違って、基本的に正体バレしていない。
その為、入浴は出来ればひとりで、と密かに願っていたが、特に揉めることも無く魔法少女達がバラけてしまったので、三条警視は望み通りひとりゆったりと寛ぐ事が出来た。
(……話に聞いていたより広いのね。ホントはいけないんだけど、こんな所をひとりで貸し切りなんて…………なんて贅沢)
警官として、放置された施設を占有するなど褒められた事ではないが、戦い詰めの後で入浴の誘惑に勝てなかったのも事実。
結果として、少女達のワガママに折れた形となったが、何となく年下の少女達をダシにしたようで、気が引ける部分もあった。
それにしても、これほどのんびりした事など、平時でもここ最近あっただろうか。実はえらい人なので、忙しい日々を過ごしていたのだ。
魔法少女になっている最中は、身体能力はかなり向上している為に、ほとんど負担を感じた事が無い。
にもかかわらず、今になってこれほどの疲労を感じるという事は、つまりそれだけ過負荷がかかる戦いだった、と言う事だ。
(…………魔法少女じゃなかったら危なかったわね)
今、改めて魔法少女の力に感謝。キャリアの肩書など、この状況では何の役にも立たなかっただろう。
多くのヒトを助け、ここまで生き残ってこれたのは、まぎれも無く魔法少女刑事の力だった。
見た目はチビッ子キラキラ魔法少女だが。
(それに、あの娘たち…………)
魔法少女刑事の力は確かに強力だったが、他の魔法少女達にも助けられた。
自分のルールで周囲を振り回すビキニ水着のカウガール、レティ・ストーン。
巨大生物が踏んでも壊れない不退転の鎧武者、島津四五朗。
剛力無双の猪巫女侍、秋山勝左衛門
そして、圧倒的火力を以って敵を殲滅する銃砲兵器系魔法少女、黒アリス。
思えば、最初は警察官と犯罪者の間柄だった。
世に能力者が現れ始め、法を犯すも普通の警察官では手に負えない、という状況になった時、魔法少女刑事の自分には、それを取り締まる義務が有ると思った。
だが、共に戦って来た魔法少女達は、そういった犯罪者とは違うらしい。
いや実際に東京某所の防波堤で大暴れしていたのだから、犯罪者には違いないだろうが。
しかし、それを言ったら、実は魔法少女刑事も同じである。
魔法少女刑事の持つ魔法の杖、魔法の警察手帳は、警察組織内でトリア・パーティクルの身分を保障し、あらゆる協力要請を通す事の出来るアイテムだ。
とはいえ、魔法少女なんてモノが、そもそも警察機構の中で、存在が許されるワケも無い。
警視である三条京と、魔法少女刑事のトリア・パーティクルは別人だ。正式な警察官でなければ、犯罪を取り締まる権限も、本来は無い。
結局、自らの信じる正義を力任せに振りかざすだけならば、犯罪者と大差ないのだ。
もっとも、矛盾を感じたのは一瞬で、現実がそんな事を悠長に悩んでいる暇を与えてくれなかったが。
今となっては、魔法少女達を取り締まる気も起きない。
今後の事は分からないが、皆、今の状況で懸命に闘っているのだから。
(と言うか……あんな子供達に戦わせちゃダメよねぇ…………)
大人達が揃いも揃って何やってるんだか、とは思うが、実際問題魔法少女達の力が無ければ、今頃東京はどうなっていた事か。
いや、被害は東京を飛び越え他県や、あるいは日本全土に広がっていたかもしれない。
土台、まともな状況じゃないのだ。
「この後はー……どうなるかしらー…………」
少々お湯に浸かり過ぎか、間延びしたお姉さんの独り言が、広いローマ風呂の中に反響する。
混成第6中隊の隊長、釘山三佐は、どうやら三条警視と同意見らしい。次の巨大生物の総攻撃に、魔法少女達を加える気は無いようだ。
いざとなれば、どうなるか分からないが。
(もし、また彼女達が引っ張り出されるような事になれば…………)
その時自分はどうするのか。
そもそも未成年を戦わせる事が論外とはいえ、必要と感じれば、恐らく魔法少女達は引き下がるまい。
ならば、警察官として三条警視に出来る事など、考えるまでも無いのだろう。
「カラダ洗って出ましょうかね…………っててて…………」
湯船の中で伸びをすると、太腿からお尻にかけての大腿筋が痛い。
こんな体たらくで、あの少女達を守れるのか。
情けなく思いながら大理石の浴槽の縁に肘を突き、痛む部分の太腿の裏やお尻をムニムニとマッサージする、ちょっと残念な姿の三十路前美人警視。
その耳が、ペタペタという接近して来る足音を探知し、
「ッ――――――――――!!」
大慌ての三条警視は、お湯をかき分け浴槽のど真ん中に鎮座する、彫刻の後ろに隠れていた。
(誰か来た? あの娘たち…………?)
別に来るなとは言っていないので、他の魔法少女がローマ風呂に来てもおかしくない。
その為に、用心して魔法の警察手帳(防水)を携帯しておいたのだが、誰かの目の前で変身するのは避けたいところ。
そんなワケで、ドキドキしながら耳を澄まして足音を聞いていたのだが、フと、少し妙な事に気付く。
歩幅感覚が、あの少女達にしては短いのだ。
タオルなど身を隠す物も無く、ビーナスの像の後ろから顔を出して足音の方を窺うお姉さんの視界に入って来たのは、非常に小柄な男の子の姿だった。
「あれー? ここじゃない…………」
海パン姿なので少年と分かるが、顔立ちは一見して女の子にも見える、そのお子様。
三条警視も知る海賊魔法少女、マリーの弟である安保徒秋少年だ。
キョロキョロと周囲を見回している徒秋少年は、見たところ迷い込んで来た様子。
恐らく、ここではない何処かにいる姉を探しているのだろうが、子供と言うのは何ら脈絡も合理性も無い事を唐突にやりだすモノだ。
「おー……おおー!!」
「――――――――――えぇ!!?」
徒秋少年、広くて無人のローマ風呂を眺めて感心したような声を出した直後、プールの様に広い大理石の浴槽目がけて走り出した。
仰天するのは、素っ裸な上に息を潜めているノーマル状態の魔法少女刑事だ。例え魔法少女相手じゃなくても、素顔を見られるのは色々と拙い。それに、今この銭湯施設には、魔法少女とマスコット・アシスタント以外は誰もいない事になっているのだ。
大理石の浴槽に飛び込むやんちゃな少年は、派手にお湯を跳ね上げながら泳ぎ始める。結構早い。
「ちちちょっとまッ――――――――――――!!?」
小学3年の8歳児は、お母さんと女湯に入るボーダーとしてはどうなのか。未婚で子供のいない仕事一筋の出来るキャリアには完全に畑違いの命題であり、と言うよりもハダカも素顔もどっちも見られるのは素直に言って困る。
浴槽の中を右に左に泳ぎ回る、細いくせに馬力のある少年に、警視のお姉さんもビーナス像の後ろを右往左往し隠れきろうとしていた。
だと言うのに、
「こーらー、アキー! お前こんな所で何してるー」
「お姉ちゃーん!」
褐色肌で色の抜けたロングヘア、胸にサラシを巻いて下は水着にパレオな海賊姉、参上。
いつも着けている黒い三角帽とコート、手袋とヒールのブーツは今は脱いでいるので、そのまま泳げる格好らしい。サラシは濡れたら透ける気がするが。
「おまえひとりであっちこっち行くなよー。姉ちゃん心配すんだろがー」
「ゴメーン! お姉ちゃんも泳ごうよー!」
「おめゴメンっつっといて何言ってんだ。お風呂で泳いじゃいけないんだぞー」
と、科白こそ弟を窘めていたが、ブラコン姉は弟に誘われ超笑顔だった。
海賊姉は足取り軽く大理石の浴槽へ。しかも、よりにもよってビーナス像の逆側から回り込み弟を捕まえちゃうぞー、と言う事らしい。
そんな事になったら、像の後ろに隠れている不審者の方が捕まってしまう。警察官なのに。
(お、お湯の中に!? いや漫画じゃあるまいし見つかるでしょうコレは!!?)
ローマ風銭湯は照明も明るくお湯も澄み切っている。潜った所で普通に見つかる。
「こらアキッ! おまえそもそも女湯じゃねーかここ!」
「いいじゃんお姉ちゃんしかいないんだから混浴でー!」
「こ、混浴!?」
ブラコン姉は弟と『混浴』という言葉に胸を高鳴らせ、ビーナス像に縋りつく全裸のお姉さんは、こんな場面で発見される事に恐れ慄き心臓がヤバい事に。
そして、当人は気が付かなかったが、像の陰からお湯やら汗やらを滴らせてテンパった顔を覗かせる美人さんは、傍から見ればこう、心霊現象に近いモノにも見え、
「お…………おぅねえちゃあああああああん!?」
「ど、どうしたアキー!?」
遂に目撃してしまった少年が、湯の中にひっくり返りながら悲鳴を上げていた。
しまった、と思っても時既に遅く、警視のお姉さんに逃げ場無し。
何事かと湯をかき分けて駆け寄るブラコン海賊姉は、もう像のすぐ横に接近しており、追い詰められた三条警視は最終手段とばかりに、首から下げたモノに手を伸ばす。
「まままマジカルプロモーション!!」
「ぶわぁああああ!!?」
その像が――――――正確にはその背後が――――――天井までを貫く光の柱に飲み込まれたかと思うと、湯の中に尻もちをつく海賊少女の目の前に、魔法少女刑事のトリア・パーティクルが姿を現していた。
◇
こうして、海賊魔法少女とその弟に正体バレせずに済んだ魔法少女刑事の三条京警視だったが、怨み半分に徒秋少年に公共マナーについて説教を喰らわせると、姉のヤンキー少女に咬み付かれ、そもそも弟くんは空飛ぶ魔法少女に興味しんしんで聞いちゃいない、と。
これまた子供特有の突拍子の無さで脚に飛び付かれ、慌てて逃げ出そうとした魔法少女刑事は徒秋少年ごと浮いてしまい、これが甚く男の子の心を捉えてしまったのだ。
それから、空飛ぶチビッ子魔法少女刑事は遊園地風呂で子供のオモチャと化し、指を咥えるブラコンお姉ちゃん海賊に逆恨みの念を喰らう事に。
だが、その姉弟も今はおらず、
「いい機会よ! あなたの正体も見せなさい!!」
「そ、その件なら前にお話ししたじゃないですか!? あたしがお姉さんの正体を知っていた所でそんな問題には――――――――――――!?」
「いいえ! やっぱり考えたけど、お互い正体を掴んでいれば、それこそ問題無いじゃないの!? ここには二人っきりよ…………さぁお姉さんに素顔のあなたを見せてみなさい!!」
「ず、ズルい!! 社会的立場が全然違うじゃないですかー!!」
いきなり大ピンチな黒アリスと、幼い顔に眼光鋭い魔法少女刑事は、回転拳銃を向け合いながらジリジリとお互いの側面に回り込む動き。
こんな香港映画みたいなのヤダ、と内心で泣きべそをかく黒アリスだったが、生憎と頼れる巫女侍も他の魔法少女達もここにはいない。
つい先ほど正体バレの恐怖を味わったお姉さんには、自分の素顔を知っている少女の存在は、他の魔法少女以上に看過出来ないらしく。
「大丈夫! とりあえず逮捕とかは考えてないから!!」
「そ、それを信じるほどあたしは純真無垢じゃないです!!」
冷や汗をかきながら、涙目で顔を引き攣らせる黒アリスは、銃口に追い詰められて遊園地風呂の片隅へ。
そんな黒アリスを救ったのは、つい先ほど銭湯を出て行った海賊少女と手下の海賊、だけではない他の全ての魔法少女達だった。
「姐御ー! 姐御姉――――――――――!? テメなにやってんだチビガキ!?」
「黒アリスさん!? 正体現しやがったデスねーわかづくり(若作り)デカ!?」
遊園地銭湯へ入るなり突撃して来る海賊魔法少女と巫女侍に、日焼けマッチョの海賊たちが続いてくる。
黒アリスに銃を突き付け呆気に取られていた魔法少女刑事は、巫女侍と海賊少女のタックルを喰らい、肺から空気の抜ける音を発して浴槽に叩き込まれてしまった。
「あらあら、お取り込み中だったかしらー?」
「黒衣殿……よもやセクハラとか強制ワイセツでの現行犯では――――――――――」
「なんでよ!?」
鎧武者少女の酷い言いがかりに、黒アリスはちょっと発砲したくなった。不退転の鎧とでは相性が悪いかもしれないが。
そして気が付くと、お嬢様生徒会長もポニテ剣道少女も、魔法少女の姿である。
「それでどうしたの? みんな揃って…………」
お嬢様学園組のふたりに相棒の巫女侍はともかく、つい先ほど出て行った海賊少女がこうも早く戻って来たのは、いったいどういう事か。
見れば、入口には黒アリスのマスコット・アシスタントである黒スーツの巨漢に、着物を着崩した妖艶なお姉さん、その手に手綱を引かれた白馬と、馬上には海賊少女の弟までいる。
「黒アリスの姐さん! 自衛隊の大将から連絡が入ったんでさ! すぐ戻って来いって言ってましたぜ!!」
「え!? あ、ああ……そうなんだ……」
いきなり日焼けしたヒゲ面に話しかけられ、ビックリして黒アリスの肩が跳ねた。
7人でひとりの、海賊少女のマスコット・アシスタント。救助活動中にも頻繁に接触を持ったが、未だに慣れていなかった。
それより問題は、『自衛隊の大将』こと混成第6中隊の隊長、釘山三佐から連絡が入った、という事だろう。
「ぷあッッ!? ゴホゴホゴホッ――――――――――――!!」
「打ち取ったデースこの恩知らズ!! 打ち首にしてやるデスよ!!」
「姐御に銃向けやがったなガキがー! マストから吊るすぞ!?」
激怒な巫女侍と海賊少女により、魔法少女刑事が銀髪縦ロールを掴まれ、お湯から引き摺り揚げられていた。
当然、揃ってズブ濡れである。
「どうします姐御、このチビガキ刑事!?」
「コイツはカティと違ってきっと生えてるデスよ……ムシってやるデスねー!!」
涙目の巫女侍は自分が喰らったお仕置き――――――生えてなかったので未遂――――――を年上のお姉さんに喰らわせようとし、水を吸ったフレアスカートを引っ剥がそうとする。
だが、黒アリスはあえてそこには突っ込まず、
「勝左衛門、マリー、総理官邸に戻るわよ!」
休息の終わりを悟り、魔法の杖をエプロンポケットに収めて踵を返した。
「アーンもー、他の銭湯にも入りたかったー」
「この件が終わったら、また来るでござるよ」
溜息をつくビキニカウガールと鎧武者も黒アリスに続き、何故か海賊少女の手下までが、船長を放って他の魔法少女達に続く。
「あ……待ってデース黒アリスさん!!」
「え? ちょ……姐御、コレどうすんの!?」
「は……離してー!!」
温水プールのような浴槽に飛び込んでいた魔法少女3人も、大量の湯を纏わりつかせて床を濡らしながら、濡れ透けのはしたない格好で黒アリスを追い掛けて行った。




