0066:3年あれば別人だが限度はある
古米国総領事館は中央に森とプールがあり、その周囲に職員住宅や総領事官邸、総領事館本体が建っている。
古米国は何かに付けて古い物、ノスタルジックな物が多いが、総領事館本館はコンクリート造りの現代的な建築物で、総領事官邸は古い趣のある欧州風建築となっている。
意外かもしれないが、規模としては総理官邸――――――公邸含む――――――よりも広大だ。
在日本古米国総領事のひとり娘、カティーナ=プレメシスの携帯電話には、父親からのメールが着信していた。
とっくに逃げ出したと思っていたのに、今まで放っておいたクセに、こんな時ばかり『待っている』などと書いて寄越して来る。
当然無視するつもりだった。
だが裏腹に、カティは携帯電話から手が離せなくなっていた。
しかも、鷹の目の如く目敏い親友に顔色を気取られ、身包み剥がされる勢いで携帯を没収される。もうお嫁にいけない。やっぱり責任とって貰おう。
親友の旋崎雨音は、プレメシス家の家庭環境があまり良くないのを知っている。
カティが迷っているのを察するや、雨音は有無を言わせず、乗っていたヘリを総領事館へ急行させていた。男前過ぎる。結婚して欲しい。
なんて事を考えている場合でもなかった。
ヘリで到着してみると、総理官邸に比べればマシだったが、総領事館内にも相当数の怪生物が入り込んでいたのだから。
散発的な銃声が聞こえる事からも、警備の兵士が戦闘を行っているのは明らか。
つまりメールの文面通り、一番偉い人が残っている可能性が高かった。
「なに……考えてるデス? 今までのんびりこんな所で待ってたマシたか!?」
「避難してないのね、総領事閣下…………お嬢様を待って?」
巫女侍とビキニカウガールが、乗員席のサイドドアを開いて、真下を覗き込んでいる。
ビキニカウガールこと『レディ・ストーン』の荒堂美由は、日本随一の良家のお嬢様故に、総領事とも面識がある。
カウガールの陽気さは鳴りを潜め、良い所のお嬢様の顔で呟いていた。
そして実の娘としては、何もこんな所でなくても、とか、こんな時ばかり――――――ある意味いつも通り――――――娘を待ったりしなくても、と言いたい事は多くあったが、それよりも前に立つのは、腹立たしいやら呆れるやら。
こんな事で情にほだされたりしない。生まれてこの方ほったらかしなのに、今更帰って来い(?)など虫が良過ぎるのである。
「アマネー…………」
「ちょっと待ちなさい着陸地点確保するから。ジャック、どこか降りられない!?」
だが、そんな心とは裏腹に、巫女侍の顔は情けなく曇っていた。
カティの迷いが分かる黒アリスは、もういっそ自分の手でカティの両親を確保しようと決めている。親子喧嘩は命の安全を確保してから、後で好きなだけやればいいのだ。
「木ばっかりだから着地は難しいよ!」
「あ! あっちに学校みたいなのあるわよ、黒アリスガール!」
「あそこのは…………何かのグラウンドでござるかな?」
「どっちもちょっと距離あるわね…………」
総領事館も敷地内にも、ヘリが着陸できそうな場所が確保できない。
総領事館本館の上には広いスペースがあるが、10トンを超える重量の機体が上に乗って、屋上が耐えられるとは限らない。Hマークが無い以上、ヘリが着地する事は想定していないのだ。
魔法少女達が四方を見回して着陸出来そうなスペースを探すが、やはり定番は学校の校庭か。しかし、総領事館からは離れている。
いっそ森にクレーターでもこさえて着陸地点を作ってしまうか。
本気でそんな事を考える黒アリスであったが。
「ッ…………黒アリスさんに迷惑はかけんデスよ! ちょっと行って仕事人間をデスクから引っぺがして来るデース!!」
「はッ!? ちょっと待ちなさいカティ――――――――――!!」
「勝左衛門殿!?」
何がイヤだって、自分の両親の事で親友に嫌な思いをさせたくない猪武者。
なので、親友の黒アリスさんや鎧武者が止める間もなく、猪の如く飛行中のヘリ――――――高度50メートル――――――から巫女侍のカティは飛び出して行ってしまった。
◇
50メートルの高さなど、身体能力にパラメータを全振りしている巫女侍系魔法少女には全く問題にならない。
着地の衝撃で地面に足首まで埋まりながら、一本下駄に付いた泥を蹴飛ばす巫女侍は、その後勝手知ったる総領事官邸に突撃。
閉鎖された扉をブチ壊し、怪生物を叩き斬り、大刀が振り辛かったので素手で殴り倒して、総領事執務室へ突き進む。
バリケードや防火扉も一緒に叩き壊してしまったが、どうせここから引き摺り出すのだから構いやしない。
「ったく、何かあると面倒ばかり作ってくれるのね、あなた達は! 何もしないんなら、何もさせないで欲しい物だわ!!」
そうして、日本人っぽいのに英語を喋る巫女侍は、総領事とその妻、つまりカティの両親が留まっていた執務室へ踏み入っていた。
「何かねいったい? 何者だ君は?」
「も、申し訳ありません総領事! なんだお前は!? どこの人間だ!?」
執務机から総領事が立ち上がり、巫女侍の後ろからはライフルを構えた兵士が慌てて追い付いて来る。
侵入者やテロリスト、と呼ぶには違和感のある美女――――――または美少女――――――の登場に、執務室に籠っていた面々は戸惑いの表情を隠せなかった。
「私の事なんかどうでもいいわよ……。それより、待ってもお嬢さんは来ないわよ。あなたもさっさと逃げたら?」
だが、正体不明の相手から思わぬ話が出て、総領事夫妻が目を見張る。
娘の事は、夫妻以外には秘書くらいしか知らない筈だ。
それが、何か知らないが派手な格好をした女が、音信不通になっている娘の事を口にするとは、一体どういう事なのか。
「誰なの……? どうしてあの娘……カティーナの事を……!?」
「ちょっとした知り合いよ。あなた達の知った事じゃない…………」
動揺しながら毅然と問う母から、巫女侍の娘は少し強張って目を逸らした。
父もそうだが、明らかに他人へ接する両親の顔に、娘のカティは微かな恐れを誘われる。今まで他人の様だと思っていたが、それも少し違ったようだ、と。
「彼女は安全な所にいるわ…………。あなた達もこんな所からはもう逃げなさいよ。ボーっとしてたら、昨日の首相官邸みたいに何万って数のモンスターに囲まれる事になるから」
この時点で既に十分追い詰められているというのに、いきなり現れた女が、コレとは比較にならない数の怪生物が来ると言う。
執務室の中はどよめきを増し、警備の兵士は巫女侍の壊した防火扉をどうにか直しに走ったが、総領事は動揺する様子も無く、冷静な様子で携帯電話を取り出していた。
「忠告には感謝するが、キミの言う娘の話が真実かどうか判断出来ない以上、私はここから離れられないな」
ヒトの話聞いてたのか、と一瞬腹を立てる、巫女侍の格好をした実の娘。
たが、そこで父親が何をしようとしているのかに気付き、(しまった)と思うが、時既に遅く。
巫女侍の腰のあたりで、某時代劇の暴れん坊な殺陣シーン着信音が鳴りだしていた。
「…………ウップス」
外では着信音はオフにしておこう。そんな公共マナーを思い出す一方で、こんな事なら最初にメールで「総領事館には行かねぇ」とでも送っておくべきだった、と反省のカティ。
後悔は先に立たず、総領事、その妻、秘書、職員、兵士の視線が巫女侍ひとりに集まる。
総領事は無言のまま再度携帯メールを操作すると、新たなメッセージを電波に乗せて送信した。
「…………どういう事かね」
「預かったのよ、彼女から」
またしても鳴り出す巫女侍の携帯電話に、総領事は静かに、そして明らかに不信感を滲ませている様子だった。
面倒な事になった、と思いながら、巫女侍の中のヒトも、少々不機嫌になって来る。
いや、最初から機嫌は悪かったが、どうして自分がこんなヒト達の為に悩まなければならないのか、と。
不機嫌の理由は、それだけでもなかったが。
「それじゃ……どうすれば納得するのかしらね? 私がお嬢さんを連れ去った、とでも言えば良いのかしら? それなら大人しくここから避難するの?」
「誘拐……!? 本当なの!!? 何が目的!」
「んなワケないでしょう……メンドクサイなー」
普段は公務優先の澄まし顔な母が、巫女侍の科白に眦を吊り上げ声を荒げている。
カティは『面倒』といったが、その本心は少し違った。本人にも理解不能だったので、最も近いと思った表現を使っただけだ。
「キサマ、総領事の御息女をどうした!? 正直に吐け!!」
面倒な事は重なるもので、頭をかいている巫女侍は、後頭部に銃口を突き付けられる。突き付けているのは、警備隊の隊長である大尉だ。
密着状態で5.56ミリライフル弾を喰らえば、頑強極まりない巫女侍の魔法少女もどうなるか分からない。
「私の娘は、今、どこで、どうしている? 今はこの様な事態だ……私としても、スマートな方法は取っていられないが。素直に喋るのをお勧めしたい」
「…………どこでどうしていたって、あなた達には関係ないじゃない。いつも娘の事なんて無視している癖に…………。とりあえず生きてさえいれば、他はどうだっていいんじゃないの?」
聞きなれた父の独善的な言い回しに、巫女侍は銃を向けられてもお構いなしで、いつもの調子で言い返していた。
いっそ警備の兵士を全員叩きのめし、力尽くでこの連中を引き摺りだした方が、楽だしスッキリするかも。
そんなちょっと楽しい想像に、キレのある美貌の巫女侍が、その顔に獰猛な笑みを浮かべる。
ところが、
「…………頼む。娘が無事かどうかだけでも教えて欲しい。無事に保護出来るのなら、可能な限りの要求は飲む」
「…………は?」
父である総領事は執務机に手を突き、巫女侍に頭を下げていた。
いつだって何でも自分の思い通りに物事を進める父が、初めて下手に出て見せる。
これは、カティには思いがけず、ショックが大きかった。何故ショックを受けているのか、自分でも分からなかったが。
無事だと教えるのは簡単だ。本人は目の前にいるんだし、無事だと言っても口から出まかせではない。
確認を取るとなると、それはもう不可能に近かったが。
「…………無事よ。家で待ってる。いつも通り、ひとりでね」
仕方なしに、虚実織り交ぜた科白を苦労して吐く巫女侍の中のヒト。
しかし、総領事は首を振って異を唱えた。
「今は日本中で電話が通じないのだよ。キミの言う事は信じたいが…………」
「それならそれで、帰って確かめてみればいいじゃないのよ……。どっちみち、ここに残る理由は無いわよ」
「仮に、キミの言う事が事実ではなかったら……娘がここに来るかも知れない。だから、私がここを離れるワケには、いかない」
飽くまでも娘の安否が分からないうちは、ここから離れる気が無いという総領事の父。
寄り添う妻、カティの母もまた、意見は同じのようだった。
カティの心中は複雑だった。
今更何言ってやがる、という憤懣や苛立ちが9割に、残り1割は自分でも説明不能。
ただこのままだと、埒が明かないというのも事実のようで。
だからというワケでもないが、カティは自然と、この二人に見せつける気持ちになっていた。
「…………いいわ。それなら総領事と奥さん、ふたりだけ残して後は部屋を出て。娘さんの事を教えてあげるわ」
「分かった。済まないが、皆……大尉」
「待って下さい、総領事!」
一も二も無く巫女侍の言葉に従おうとする総領事だが、当然、警備隊の隊長は素直に従うワケにはいかない。
何せ、この派手な女は総領事館に強引に侵入し、総領事のひとり娘を誘拐した恐れのある、要注意人物なのだ。
総領事達とこの女だけにして、万が一の可能性を考えないならば、それはもう警護担当失格である。
「お嬢さまの事は吐かせます! この女とふたり……いや、我々抜きでというのは危険すぎます!」
「これ以上面倒にして欲しくないわね。なんなら手っ取り早く片を付けてから、ゆっくり総領事方と話をしてもいいんだけど?」
「これでもそう言えるか!?」
隊長をはじめ、兵士達が一斉に巫女侍に銃口を向けた。
いよいよ面倒臭さに拍車がかかったカティは、目を血走らせた軍人相手に渋面を作り、本当に力尽くで黙らせるか迷い出す。
ちょうどその時、
「ねぇあんた…………いったい誰に銃口を向けてんのかしら?」
「なッ……!!?」
古米国の領土にあって、突然の日本語。
そして、警備隊長の大尉の背後には、7キロある5.56ミリ軽機関銃を左右に二丁持ちした黒アリスが、能面のような無表情で殺気を放っていた。
「く、黒アリスさん…………!?」
黒アリスの雨音も、巫女侍が飛び出して行った直後にヘリから降下していたのだ。
生まれて初めてのロープ降下はスリル満点で、ちょっと漏らしそうになったが。
ところが、降りた時点でもう巫女侍を見失っており、仕方なく黒アリスは単独で総領事官邸の中へ。
倒れた怪生物を辿ってここまでやって来てみれば、巫女侍が銃口を突き付けられており、それを見た黒アリスはいきなり回転超過状態に。
と、こういうワケだ。
なお、ヘリは少し離れた学校で待機中。魔法少女4人が留守番をしてくれている。
「今すぐその娘に向けてる銃口を下ろさなければ、この場で全員皆殺しよ……! って、通訳して勝左衛門」
「り、了解デース!」
引き攣った青い顔の巫女侍も、日本語で黒アリスに応えた。親友の銃砲兵器系魔法少女は、鉄火場での凄味を増す一方だ。
とは言え、今の状況ではまったくもって有難い。持つべき者は大好きな親友である。後でカラダでお礼をしよう。
「黒アリスさん……ちょっとココ良いデスか?」
「いいけど…………」
黒アリスを見て少し調子を取り戻した巫女侍は、総領事と妻を押して、執務室の奥にある寝室へと入っていく。
お願いされた通りに黒アリスは、銃を下ろした兵士達と差し向かいの睨み合いに。自分が何をしているのか考えると恐くなりそうだが、後ろにカティがいるので頑張れた。
だが、その直後、総領事と妻、そして娘の入って行った寝室から、何とも言えない珍妙な声が上がる。
すわ緊急事態か、と色めき立つ兵士達だったが、それにしては様子がおかしい。
一瞬、兵士達の反応に肝を冷やす黒アリスだったが、今頃寝室で何が起こっているかを考えると、その混乱具合が目に見えるようだった。
それで、少しカティを尊敬した。
そこから更に数分後。
寝室から出て来た巫女侍は、少し赤い顔で不貞腐れていた。
背後の二人、巫女侍の両親である総領事とその妻は、夫婦揃ってキツネにつままれた様な顔をしている。
アレが普通のヒトの反応か、と、黒アリスも今後の事を考え、少し身につまされた。
「黒アリスさん…………このヒト達を避難させマス。送ってくれると嬉しいデース」
「そりゃいいけど…………」
どこか平坦な様子の巫女侍だったが、取り合えず黒アリスは何も言わずに頷いていた。
◇
黒アリスを先頭にして、巫女侍と総領事夫婦を中心に、警備隊と職員の全員が総領事館を出る。
総領事館の外へ、そこから街中を通って学校へ。道中には多少の怪生物がいたが、もはや黒アリスの敵ではなく、警備隊の兵士もいたので、特に危なげなく一団は学校に到着出来た。
到着直前、MH-60一機――――――定員11名――――――じゃ全員――――――50名近く――――――は乗れんわな、と黒アリスは考えていたが、実際に校庭に着いてみると、そこにはCH-47大型輸送ヘリが。
銃砲兵器系魔法少女の黒アリスは作った覚えのない代物だったが、無人航空攻撃機で事態を掌握した釘山三佐が手配してくれたものだった。出来る男である。
「…………これからどこに行くのだね」
今までマジマジと巫女侍を観察していた総領事は、尋ねながらも今は娘に従っている。
娘の方は少し呆れたような口調で、
「さっきも言ったと思うけど、あなた達は総領事館以外にも家を持ってるのよ。忘れてた?」
それは敵意というよりは、どことなく拗ねたような言い方だった。
英語がそれほど堪能ではない黒アリスの普通女子高生は、横で聞いていて、ほんの少し寂しい思いをしていた。
ヘリは室盛市郊外にある公園に着陸後、黒アリスが物陰から持って来た装甲車3台と軽装甲機動車に分乗し、総領事館の一団はプレメシス総領事の私邸へ到着。
ここを一時的な総領事館とし、総理官邸の釘山三佐を通じて総理大臣にもそれが伝えられた。
ちなみに、釘山三佐に話を通したのは黒アリスである。
久しく両親が、カティの家に戻って来た。大量の軍人や職員も付いて来たが。
それに何かしらの感慨を持ちそうになるカティだったが、黒アリスや他の魔法少女が移動を開始したので、小走りで付いて行こうとする。
「…………カティーナ! どこに行く?」
「カティーナ……?」
その直前、門前に戻って来たプレメシス総領事夫妻は、家に戻らずどこかへ行こうとする娘を呼び止めていた。
家の前で、今日はカティが両親を置いて行こうとしている。
それに少し小気味良さを感じる巫女侍。
「私の部屋には入らないでね」
そう言って背を向ける娘は、成長したのか、反発していたのか。
父と母は、今までほとんど娘から目を離していた事を、ここに来て少し後悔していたのかもしれない。
巫女侍の行く所は、相棒の黒アリスの行く先だ。
総領事館近くの学校に応援に来たCH-47内で、黒アリスは釘山三佐からの通信を受けていた。
この後、黒アリスはヘリで再び総理官邸へ向かう事になるが、他の魔法少女達は家に帰るなり避難所に行くなりする筈だ。
カティも、このまま家に帰る選択肢だってあると、黒アリスは考えている。
だが、カティは両親と別れてから、真っすぐ雨音へと突っ込んで来ると、抱きついて離れない。
胸に顔を埋めて何も言わない親友に、雨音も早々に引き剥がすのを諦めていた。




