0065:待ち人強襲の破城槌
米国合衆国と言えば100年以上前北米大陸最大の国家であり、同時に世界最大の軍事力を有する超大国であった。
しかし、第3次世界大戦を経て、大国は中央から東西に分裂。
大西洋に面した東海岸はその後、右傾化、アメリカ主義、ナショナリズムに傾倒。分裂した事を公式に認めたワケではなかったが、世間的には東米国、また新米国とも呼称されている。
そして太平洋側の西米国は古米国とも呼ばれ、戦前の米国または現在の東米国と違い、各国との融和や協調を重んじ、汚染された国土の再開拓を掲げていた。
軍事力、という点では東は積極的に海外へ派兵するという事もあり、かつての米国と同様強大な軍を擁する。
一方の西側は日本と同様に専守防衛を旨としており、兵力は最小限となっている。当然、海外に駐留する部隊も多くない。
せいぜい、大使館や領事館に警備隊を置く程度である。
◇
霞が関にほど近い古米国総領事館には、警備として古米国防衛軍の一個小隊程度が配備されていた。
しかし現在、敷地内には多数の怪生物が入り込み、庭園を荒し、豪華な建物に爪を立てている
古米国は東米国ほど日本国内に戦力を置いておらず、その為に救出は当分見込めない。だが、4腕4脚の怪生物がそんな国の事情などを斟酌するワケも無く、僅かな隙間や脆い所に鈍い鉤爪を捻じ込み、筋肉の塊のような身体を無理矢理突っ込んでいた。
古米国大使館は先鋭的なコンクリート作りの建物だったが、ガラス張りの部分も多い。無論、防弾ガラスではあったが、銃やライフルと違って怪生物の攻撃には終わりが無かった。
芝の中庭では、建物の中から灰色の迷彩服を着た兵士がアサルトライフルを撃つ、散発的な発砲音が響いている。
石造りの白亜の廊下でも兵士や領事館職員がバリケードを作り、怪生物の侵入を防ごうとしていた。
敷地内の森に囲まれたプールでは、怪生物が水と戯れ木々を喰い荒している。
領事館敷地内の共同住宅に誰も居なかったのは救いだったが、領事官邸には領事本人と若干名が残っていた。
領事官邸内に入り込んだ怪生物は、真っ先に食料のある場所を喰い荒した後、パソコンなどの電子機器を叩き壊しながら暴れ回っている。
調度の良い物が飾られている赤絨毯の廊下を、壁や天井を問わず這い寄って来る怪生物に対し、警備の兵士は銃撃を続けながら後退。
しかし、5.56ミリライフル弾を一発二発喰らったところで怪生物の動きは止められず、領事執務室にまであと僅かと言う所まで詰められていた。
「ファイアシャッターを閉じます!!」
「急げ急げ急げ!!」
脱出ルートは全て使えず、逃げる機を逸した総領事とその妻、そして数名の官邸職員と警備の兵士は、2階の執務室を囲む防火扉を封鎖する。
駆けて来るスーツの女性後方から来る怪生物へ、壁際に張り付いた兵士が発砲。
頭を抱えて女性が飛び込んで来た直後、兵士が鋼鉄の防火扉を閉ざそうとするが、怪生物も昆虫か何かのように防火扉へと飛びかかって来た。
「この×××ー!! くたばりやがれ!!」
「邪魔だ閉まらない!」
「蹴飛ばせ! さっさと退かせノロマが!!」
閉じようとした防火扉に身体を割り込ませ、閉鎖を妨害する怪生物。
凶暴に振り回される4腕に屈強な兵士が殴り飛ばされ、別の兵士が至近距離からフルオートでライフル弾を叩き込む。
兵士の足元で白い体液が飛び散り、臭気と絶叫が鼻と耳を突いた。
邪魔な怪生物を叩き出すと、間一髪で閉ざされた鋼鉄の扉に、後続の怪生物が激突する。
怪生物はその後も防火扉を引っ掻き、叩き、気味の悪い鳴き声を立てていた。
「総領事……これなら2、3日の籠城は可能でしょうが、食料はほとんど持ち込めていません。それに……トイレの問題もあります。我々は問題ありませんが」
迷彩服を怪生物の体液で汚し、所々が引き裂かれていた隊長が、執務室の総領事に報告を入れる。
最後の科白はジョークだったのか。だが、隊長は笑っていなかったし、他の誰も笑えなかった。
執務室内には、総領事の他に妻、秘書など総領事館で働いている数名がいた。
ほとんどの人間は、この騒動が始まった時点で東京から離れるべく総領事館を出ていた。しかし、総領事が残っていた為に、警備隊の兵士含めて数名が残らざるを得なかったのだ。
「すまない、大尉。面倒な事に付き合わせているな」
「いえ……それより、こうなっては我々だけでの脱出は困難です。四国にいる『シスコ』の隊が間に合うとも思えません。どうされます?」
少し目を伏せ謝意を伝える総領事だが、隊長としてはコレが任務だ、謝られる筋合いのモノでもない。踏ん反り返って怒鳴られるよりは、100倍マシなのも事実だが。
それに、総領事が避難しなかったのは、その役割故の事だと隊長や他の人間は考えていた。総領事は、日本で暮らす邦人、古米国人を守らねばならないのだから。
「……この事態は収束すると思うかね、大尉」
「は……日本軍があのモンスターに有効な手を打つのは期待できません。日本政府に期待するよりは、自分達で生きる道を探すべきと考えます」
軍人として確実な道を選ぶ、と言うのを差し引いても、優柔不断で思い切りも悪い日本政府に、巨大生物襲来と言う異常事態に対して迅速な対応が出来るとは到底考えられなかった。
それは、総領事としても言われるまでも無い事だったが、
「…………妻と他の職員を優先して避難させたい。手はあるかね?」
「あなた…………?」
夫の重々しい言い方に、総領事の妻が眉を顰める。
総領事には、この場所に残らなければならない理由があった。
だがその為に、これ以上他の者を危険な場所に止め置く事は出来ないのだ。
「封鎖しておいてくれれば、後は私だけでいい。大尉、どうにか全員を護衛して、安全な場所に避難してくれたまえ」
「は!? あ、いえ、我々の任務は総領事と総領事館の警護であります。総領事おひとり残して行くワケには……。それに、ひとりで残るなど自殺行為です、承服致しかねます」
総領事の意図を量りかねる隊長の大尉だったが、任務的にも軍人的にも、総領事ひとり残して行く事など出来るワケが無い。
とは言え、それもある意味杞憂か。
どの道、今現在の総領事館の戦力だけで、脱出するのは不可能に近い。
その上、更に事態は悪くなる。
「た、隊長! 来てください隊長! 南エントランス側の廊下が――――――――――!!」
「どうした!?」
部下のひとりが、息せき切って走って来る。
報告によると、総領事官邸の正面エントランスに通じる廊下が、一部陥没したとか。
3日どころではない。コンクリートを穿り、ガラスを削り、木材を噛み砕いた強靭な怪生物は、防火扉を回避して、内側へ侵入ようとしているのだ。
「南側廊下にバリケードを形成! 何でも良い、積み上げろ!!」
隊長以下警備の隊員達が執務室を飛び出し、各部屋にあった家具やら置き物を廊下に積み上げる。いずれも高級品だけあって、重厚な作りをしていた。
しかし、怪生物相手にどれだけの防壁になるか。
「ッ…………!? うぉあ!?」
「近づくな! 退がれ退がれ!!」
廊下に開いた穴から出て来た筋張った腕に、怪生物を叩き落とそうと近づいた兵士が脚を引っ張り込まれた。
慌てて仲間を引っ張り返す兵士がいる一方で、ある兵士は帽子立てで穴の中を突いていた。
そんな事をしても、怪生物が入り込んで来るのは時間の問題だ。
同時に、防火扉が向こう側から、何か途方も無い強い力で叩かれ始める。
「な、なんだありゃ!? あの向こうに何がいるんだ!?」
「さぁな! バケモノどものクイーンでもいるんじゃないのか!?」
ゾッとしない冗談に、仲間の兵士の喉が鳴った。冗談であるのを切に願う。
廊下の穴からはミイラのような腕が2本3本と伸び、分厚い防火扉は破裂するかのような音を発し、衝撃波が廊下に走った。
隊長の命令で、バリケードは中途半端な状態で放棄され、兵士達は後方で列を組み防火扉へ銃を向ける。
「隊長!」
「発砲待て! バリケードを越えた瞬間に、確実に命中させろ!!」
見えない物に対する恐怖に、銃を構えた兵士達の指が震える。
廊下の赤絨毯を引っ掻き、もがきながら穴の中より這い出して来る怪生物は、目論見が上手く行ったのを喜ぶように声を上げた、その瞬間。
怪力魔法少女に蹴倒された鋼鉄の防火扉が、真上から怪生物を叩き潰していた。
「…………なしてカティが締め出されてモンスターが中に入ってますか……意味ねーデス!」
一瞬、発砲しそうになった警備の兵士達であったが、透き通った女の声と、ひと目見て美女と分かるその姿で、撃たずに踏み止まれた。
いや、魅入られたと言うべきか。
「と、止まれ! 何者だ!?」
「カティは……あー……総領事閣下に用があって来たデスよ? てかどうしてまだこんなトコにいるデスか」
突如吹き飛んだ防火扉――――――というように兵士達には見えた――――――から、長身に黒い長髪の女――――――あるいは少女――――――が歩み出る。
見れば、防火扉の向こうの廊下には、身体のあちこちをへこませた怪生物が何十体と倒れていた。
銃口が自分の方を向いているにもかかわらず、女は平然と兵士達の方へ接近して来る。
腰には時代錯誤な刀を帯び、赤と白の着物に似た巫女装束を纏うが、肩回りや腰回りで露出が多くなるよう改造されている。
勝気な瞳には朱色のアイシャドーが引かれ、女の美貌を引き立てていた。
突如として、派手な登場をした派手な女に、兵士達も対応に迷う。
明らかに怪生物ではないが、かと言って普通の一般人とも到底思えない。
だが、怪しいと言えば怪しいので、隊長の大尉は再度止まるよう、女に警告を与えようとした。
「――――――――おい危ない後ろ!!」
そこに、背後の窓から滑り込み、後ろから跳ねるように女へと接近する怪生物。
気付いていない女に、隊長は思わず警告を叫ぶが、
「今は忙しいデス!」
ギラリと女の双眸が光ったかと思うと、背後から飛びかかった怪生物は、フルスイングされた裏拳に殴り飛ばされていた。
「スっ込んでるデスねー!!」
圧倒的な女の力で、怪生物は壁を突き破って室内を跳ね回る。
落ちて倒れた怪生物は、廊下の左右に転がる複数の個体同様、頭部がハッキリと見て取れるほどに変形していた。
「こんなになるまであのバカ親父、いったい何してました……」
美貌を不機嫌に歪めて、小さく吐き捨てる長身黒髪の女。
見た目と違い過ぎる美女の剛腕に、銃を持った兵士達は開いた口が塞がらない思い。
その兵士達のど真ん中を、巫女侍の魔法少女秋山勝左衛門こと古米国総領事のひとり娘、カティーナ=プレメシス嬢は、堂々と通り過ぎて行った。




