0061:狂気とは本人だけが気付かない
巨大生物の上陸から4日目の、午後8時30分。
首相官邸は明治神宮3キロ圏内から僅かに離れており、対巨大生物処理作戦の作戦区域ギリギリ外に位置していた。
決して安全と言えない所に踏み留まり、攻撃の司令部としたのは、政府、内閣としての体面の為だ。
日本政府は、都民と国民を脅かす巨大生物の脅威に、先頭に立って立ち向かう、という。
羽田空港が真っ先に潰されなければ、閣僚も政治家も真っ先に逃げ出していただろうが。
羽田侵攻阻止作戦、明治神宮包囲殲滅戦の失敗。それで白旗を上げるワケにはいかない。
交渉が通じる相手ではないし、攻撃失敗の失点を挽回しなければならないのだ。
巨大生物を倒せませんでした、では済まない官邸の巨大生物災害対策本部は、当然次の対策を取ろうとする。
ところが、会議は都内の被害や攻撃による補償、その後の責任問題論を恐れて、有効な方策は一向に纏まらない。
その間に、事態が致命的に悪化する事となった。
纏まらない会議に時間を費やし、巨大生物の監視にばかり注意を払っていた所に、巨大生物がバラ撒く大量の怪生物が都内に蔓延り、護衛官や警備の自衛官が警告するのも聞かずに、気が付けば都内も周囲も大量の怪生物に埋め尽くされてしまった。
そのようなワケで、
「内閣総理大臣をはじめとする官邸内に残された人員を至急救出する。黒衣にはすまんが、引き続き武器弾薬の提供を頼みたい」
「それは……了解ですけど……」
多摩川河川敷の避難所にある仮設本部の大型テント。
その内部には通信機器、情報モニター、地図、ホワイトボード、段ボール箱、照明器具が置かれている。
ちなみに、情報モニターの一つには、複数台の無人航空攻撃機による監視映像が映し出されていた。
既に日が落ち、ほとんど人の居なくなった23区内では、真暗闇の中にポツポツと小さな明りが灯っている。
そして、映像をひとたび赤外線カメラに変えれば、映し出されるのは無数の異形の熱画像だ。
特に官邸周辺は、満員電車内の如く4腕4脚の怪生物でごった返している。その場所に、政治的に最も重要な人物がいるのが、分かっているとでも言うのか。
「こ、ここに…………?」
「今回は救出活動は我々だけで行う。キミは武器の提供だけでいい」
テントに呼び出されて来た黒アリスは、情報画面を見て鳥肌を立てながら、引き攣った震え声で呟やいていた。
これまで数十数百という怪生物を相手にして来たが、相変わらず慣れる事が出来ない気味の悪さだ。
釘山三佐の気遣いも、あまり慰めにならない。
「まぁ……こうなったらNBC兵器以外なら何でも出しますけど……コレどうにかなるのかなぁ……」
呆然としながら洒落にならない科白を吐く黒アリスに、居並ぶ自衛隊の幹部達がどよめきを上げる。
黒アリスは気付かなかったが、テント内には機器の発する熱以外の、妙な熱気が溜まっていた。
今からバケモノの巣窟に殴りこもうというのだから、それは当然とも言えたが。
「実際、どう手を付けていいか分からない、ってのはあるな」
「遠条さん」
そんな中、砕けた調子で黒アリスに言うのは、長卓の上でパソコンを叩いていた鉄兜の自衛隊員。第6中隊第1小隊の遠条一曹だ。
救助活動で都内のあちこちを回っている中、三佐より『黒衣に張り付け』と言われて連絡役などもしていた為、黒アリスともすっかり顔馴染みのお兄さんである。
今まで第1小隊と行動して来たのだから、当然ではあった。
「首相官邸は地上5階地下1階。出入り口は1階通用口、3階部分の南側と東側。南側は公邸への勝手口みたいになっている。植生強く、外部への出入り口は無し。で、見ての通り、官邸敷地内はあのバケモノでぎっしり。しかもまだ増え続けている。日本人みたいに列を見ると並びたくなるのかね」
各出入り口前には、当然のように怪生物が押し寄せている。
それに、外部からの熱映像を見る限りは、官邸内にも相当数が入り込んでいるようだった。
怪生物の行動原理は不明だが、この中から残されている人々を救助するとなると、考えるまでも無く困難極まる。
遠条一曹の軽口も、こうなると全く笑えない。
「これ首相ってどこにいるんです?」
「地下階の危機管理センターに災害対策本部が置かれている。総理大臣と主な閣僚はここに。他の官邸スタッフ、または官邸担当の記者やマスコミ関係者も別の階に残されている可能性が高い」
釘山三佐が黒アリスへ説明すると、幹部を含む自衛官、自衛隊員達は、改めて難しい顔で唸る。
こんな状況での救出活動など前代未聞だ。
それを言うなら、巨大生物の上陸から今まで起こったあらゆる事が、前代未聞尽くめではあるが。
「やはり西側(通用口)から地下階の総理と閣僚を連れ出すのが最優先でしょう。怪物……乙種の巣窟のような場所での、それ以上の捜索活動など危険過ぎます」
白髪が混じったオールバックの男性、第6中隊ではない別の隊の一尉が首を振る。
優先順位で言えばそうだ、と肯く隊員もいた。
「電撃作戦で全館を封鎖して、乙種を排除後に中を捜索してからヘリで脱出しては?」
「既にシャッターが破られている箇所も映像から確認出来ます。完全封鎖は不可能でしょう。内部にどの程度の乙種が入り込んでいるかも不明な状況では…………」
超が付くほど大柄でありながら丁寧な言葉遣いの二曹に、頬に生傷をこさえた女性自衛官が応える。
官邸の屋上には、ヘリポートが設けられていた。
しかし、怪生物は官邸の外壁を登って屋上にまで屯しており、長時間離着陸地点を確保するのも難しいと思われる。
当然、正面口からの侵入など問題外。中庭にいる怪生物に阻まれ、数メートルも進めないだろう。
官邸西側は傾斜により他よりも低くなっており、公道から伸びる道路で直接官邸1階へ入る事が出来るが、怪生物の数は他より多少マシという程度だ。
西側ルートは地下の危機管理センターへの最短コースとなるが、残る官邸スタッフや官邸詰めのマスコミ関係者を見捨てる事になる。
自衛官としては、それは避けたいところだった。
無論、最優先すべきは内閣総理大臣と閣僚の救出であろうが。
「地下……って、たしか秘密の脱出トンネルとかあるんじゃ…………」
何となく、呼ばれたのに放置気味な黒アリスは、ネットで読み流した記事だか何かの事を呟いていた。
黒アリスは知らなかったが、それは所謂都市伝説などと言われる、事実ではないとされる話。
ところが、
「東京メトロ内は現在封鎖されている。内部には乙種生物が多く潜んでいる為に、地下鉄へ通じる地下通路も使用は出来ないとの事だ」
それ言っちゃっていいの!? と士官クラスの自衛官達が、一斉に釘山三佐を凝視していた。
そして、下士官以下兵卒は、聞かなかった事にした。
じゃダメですねー、と独り言のように言う女子高生は、事の重大性に気付いていない。
堅物に見える三佐だが、時として大真面目な顔で予想もしない事をやらかす。
例えば、魔法少女を当たり前のように隊内で運用していたり。
何を考えているか分からない、計り知れない人だった。
「と、とにかく釘山隊長、この際他の官邸スタッフの救出は後でも出来ます。西口通用口一本に絞った救出作戦を実行するべきでは?」
「だが、この状態ではどれだけ持つかも分からん。5分救出が遅れれば、文字通り命取りにも――――――――――」
「そもそも他の官邸スタッフがまだ残っているのかも、生き残っているのかも不明ですし…………」
「居ないと断定も出来ません」
「現実問題として不可能です。一刻を争うというのであれば、やはり確実に総理と閣僚を救出する事を――――――――――」
どうやらまだ具体的な作戦案が決まっていないらしく、三佐の左右で議論が始まってしまう。
黒アリスは邪魔にならないように姿勢を低く、長卓の隅で何やらパソコンを叩いている遠条一曹の横に、ちょこんと座り込んでいた。
「でー……具体的には何が必要なんですかね?」
「ん? ああ、西側の車用出入り口から極秘裏に潜入して、総理と政治家先生達連れ出そうって事になりかけたんだけど、提供してもらった無人機の映像から、それもダメっぽいって話になったんだわ」
「この状況じゃコッソリは無理ですよね…………」
「それなら、東側で陽動かけて、その間に突入かけようかって言うんだけど」
「地下のお偉方を回収するなら時間が読めるけど、その他を捜索するとなると時間切れで救出部隊が孤立する可能性があるんですね」
「それに室内の接近戦闘となるとレンジャー持ちでも危険だしね。特にあのバケモノ、何匹いるかも分からない連中に怯えながらの館内捜索なんて、リスクがあり過ぎるって話で」
つまり、銃砲兵器系魔法少女の黒アリスは、何が必要かも決まっていない内に呼ばれた、と。
作戦が決まらないので、先に呼ばれてしまったと言うのがホントの所だ。
会議は未だ紛糾中。
必要最低限の目標を達成し、リスクを最小限にするのか。
戦力を2方面に振り分けリスクを分散し、可能な限り高い目的を達するのか。
時間は少なく、経過する秒単位で命の危険は大きくなる。
黒アリスも切羽詰まった状況であるのは分かっていたが、何せ自分と違って玄人ばかりが集まっている場所だ。
元より荒事が得意な方ではなく――――――異議は認める――――――、自衛官達の話に首を突っ込む気も無かったのだが、黒アリスは何となくポツリと。
「制圧してからゆっくり救出すればいいのに…………」
ある意味、隠密とか救出という言葉から最も遠い科白を呟く銃砲兵器系魔法少女に、自衛官達の視線が集中していた。




