0054:ホテルガールズベンジェンス2004号室
何かしら物音が聞こえて跳ね起きた少女は、しばらくの間自分のいる場所が分からず、寝起きで働かない頭をどうにか回転させ、状況の理解に努めていた。
自分はベッドで寝ており、室内には他に誰もいない。
広い部屋だった。
隣にはもうひとつベッドがあるが、枕と布団は無い。自分の寝ているひとつのベッドに纏まっている。
壁には絵画が、ベッドと向かい合う壁際にはソファーが、窓の逆側には姿見の卓がある。卓の横は、小型の薄型テレビが備え付けられ、手前には盆と伏せられた磁器製の湯飲みがある。
「…………あ、そうだった」
こうして一通り室内を見回した後、少し冷淡な女子高生の旋崎雨音は、自分がホテルの一室で力尽きたのを思い出していた。
ついでに、海水でズブ濡れになった後、生乾きで布団に潜り込んだ事も。
「うぅ……き、気持ち悪い……痛い……」
今の雨音はミニスカエプロンドレスでも金髪でもなく、また巨乳でもない。
顔も体形も並――――――自己申告――――――の、制服姿の黒髪の少女が、姿見には映っていた。
「うわ……ブサイク……」
第三者から見ればそうでもないのだが、本人は鏡に映る自分の顔を見て、うんざりといった呻きを漏らす。
15歳の少女の表情には生気と言うものが欠け、目はどんよりと曇り、目元にはクマが出来ている。
頭が痛く、ついでに節々も動かしてみると痛みを感じる。全身が物凄くベタベタと張り付き、ハッキリ言って物凄く汗臭かった。乙女として終わっている。
(変身解けば……なんて甘い考えだったか)
未だに細かい理屈が分からないが、変身時の汚れも何も、元の姿に戻れば関係ない、と言う程都合の良い物でもないらしい。考えたら、あるいは考えた時点で負けなのかもしれない。
乙女の軟肌には、魔法少女だった時に潜った海水の塩気がしっかりと張り付いている。高速で海面を転がった時の痛みも同様だ。
とりあえず、風呂。
どれほど寝ていたかも気になるし、今現在世間がどうなっているのかも確認しておきたい。
電話で家や友達に連絡を取りたいが、今の雨音は不法侵入の身である。部屋に電話機があるとはいえ、あまり図々しい事も出来なかった。
だが乙女として、風呂はまた別問題である。
「後でこっそり宿代置いとこう…………」
そう言えばこの部屋一泊どれくらいするのだろう、とか思いながら、寝起き最悪の少女は部屋のカギを確認すると、シワだらけになった制服からクツ下、白一色の下着に到るまでをその場に脱ぎ捨て、シャワールームに入る。誰も見てないと思って、それほど気の大きくない雨音でさえ、今はこのズボラさだ。
15年の人生で親に連れられホテルに宿泊した経験も何度かあり、慣れたものとは言わないが、こういった場での身の処し方は知っている。いきなり全裸少女だったが。
シャワールーム、という名目だったが内部にはバスタブもあり、寛げるほどの広さもあった。かなり良い部類に入るが、雨音はビジネスホテルなど使った事もない高校生なので、それが当たり前だと思っているが。
湯船に浸かりたい強烈な誘惑はあったが、不法侵入の身でゆっくりもしていられない。外がどうなっているのかも気になり、雨音は早々に身体の塩気だけシャワーで落として出て行こうと決めていた。
そして、シャワーの音で室内が満たされた為に、雨音はそれ以外の音に気付く事が出来なかった。
◇
熱いお湯に肌を打たれると、染み入る熱に幸せを感じてしまう。
「う゛~~~~~~~~ヤバい……なにもかもどうでもよくなるー……」
狭いシャワールーム内に、雨音の気の抜けた科白が響く。
体温が下がっていた事もあり、2枚重ねの布団で寝ていたのだが、シャワーの温かさはまた別格。痛んだ身体が温まり、痛んだ部分が溶き解されていく。
同時に、色々顧み泣けて来た。
ついこの前まで自分は普通の高校生だった筈なのに、今は魔法少女としてダイナミックなデスロードを突っ走っている。
下手すれば今頃、東京湾で死んでいたかもしれないのだ。
「うぅ…………し、死にたくないなぁ…………」
頭からシャワーを浴び、雨音は泣きながら掠れた声を出していた。
里心が付き、弱り切った少女はシャワーを止めると、アメニティのバスタオルを借りて、少女は瑞々しい肢体から水気を拭う。
今すぐ家に帰りたい。
とにかくもう家に帰って、家族と友達の無事を確認するのだ。携帯電話が壊れたので、家に帰らないとカティへ電話も出来ない。
シャワーを浴びた事で頭も冴え、落ち着いて考えてみると、雨音は自分がどれだけ寝ていたかも知らないのに気が付く。
あれからどうなり、現在外の状況はどうなっているのか。
シャワー室の鏡を見ると、そこには幾分マシになった冷製女子高生の顔があった。
「よし……帰ろ」
シャワー室から出る雨音は、動作にも多少のキレが戻っている。
家に帰るのが最優先。
下着や制服をどうにかする手など無し。時間も無いのでそのまま身に着けてしまおうと、バスタオルを身体に巻いた雨音は、脱ぎ散らかしたそれらに手を伸ばし、
「ゲェエエエエエエ――――――――――――!!」
「ッ――――――!? キャァアアアアアアアア!!?」
真っ二つに部屋の扉を割り襲って来る怪生物に、悲鳴を上げてひっくり返っていた。
「ゲー! グググ……グググ! ア゛ー!!」
「なッ!? はぁッ!!?」
あまりにも唐突な事に、シャワールームのすぐ横にあった部屋の入り口から、半裸の雨音は四つん這いで飛び退く。
真中から縦に割られた扉からは、怪生物が無理矢理身体を押し込みながら、4腕の爪の先で壁を引っ掻いている。
何が起こったのか分からず、一瞬頭が真っ白になっていた雨音だったが。
「あッ――――――」(――――――コイツ、防波堤の!?)
ハッと思い出したのは、昨日の東京某所の防波堤で襲って来た巨大生物のミニチュア版。全長2メートル以上ある、筋張った4腕4脚の怪生物だった。
だが何故ここに、しかもこのタイミングで。
怪生物は雨音にのっぺりとした顔を向け、無数の細かい歯の並ぶ顎を開き、嗤っているかのようだ。
寒さとは別の理由で、外気に晒される雨音の肌が鳥肌に埋め尽くされる。
(ッ……ガンスミス・リボルバー!?)
とにかく武器であった。
そうでなくてもヒトより若干運動がダメな女子高生だ。とてもじゃないが、合成材で出来ているとはいえホテルの扉を真っ二つにするような相手と格闘戦なんか出来ない。
だが、魔法少女で、しかも過剰に攻撃力のある黒アリスの旋崎雨音には、『ガンスミス・リボルバー』という50口径の魔法の杖がある。
その魔法の杖がもたらす奇跡も凄まじい物があったが、S&W M500を模した杖は、そのまま撃っ放しても大威力を誇る。
本当にどこまでも高火力の魔法少女であったが、
「あれ!? ど、どこ!? どこやったっけ……!!?」
どれほど超火力な魔法が使えても、肝心要の魔法の杖が無ければ、そもそも魔法少女になれなかった。
寝込んでしまう前の事は、気力体力共に限界だったので良く覚えていない。
たしか持ったまま寝てしまったので、ベッドの中にでも転がっているのかと思ったが、布団を全て引っ剥がしても銀の拳銃は見当たらない。枕の下も同様だ。
(これはヤバい!?)
登校直前に財布を見失ったのとはワケが違う。今は止めてくれ、と真っ青の雨音は、誰へでもなく心の中で叫んでいた。
バタバタと暴れる怪生物は、もはや身体半分ほど捻じ込んで来ている。
こうなれば雨音などは単なる半裸の女子高生だ。
雨音が忍び込んだのはホテル2階の一般客室。窓の外は、上から見て『U』の字になっている建物の中庭に当たる。それほど地上まで高さはないとは言え、普通の少女に飛べる高さでもない。
怪生物はバキバキと音を立て、筋肉の塊のような己の身体が通れるほどに扉を押し割ると、遂には4脚までを室内に侵入させ、
「ッ――――――――――だぁあああああ!!」
未だバスタオル一枚の雨音は、ズボンプレッサー――――――クローゼット内にあった、1メートル×40センチ×5センチ、重量約8キロ――――――を破城槌に突撃した。
「ゲ――――――――――!!」
「ッぐぅ?!」
半壊した扉ごと怪生物を突き飛ばした雨音は、廊下に転がり出た直後に勢い余って壁に激突し、床に落ちる。
息が止まり、目の前がグラつくが、とにかく逃げなければという気持ちだけで壁に手を突き動こうとした。
その背を追い怪生物が腕を伸ばすと、幸か不幸か雨音に僅かに届かなかった代わりに、身体に巻いていたバスタオルの端が爪先に引っ掛かる。
「わっ!? ちちちょっとヤダ!!?」
着物の生娘コマ回しの如く、強引にバスタオルを引っ剥がされた雨音は回転しながら廊下に叩きつけられるハメに。当然、素っ裸である。
「ッ――――――――ウソっ!!?」
無人のホテル内と言っても、全裸で公共の場所をうろつけるほど雨音は強心臓ではない。
カーペットの上に尻もちをついた雨音は、胸やら前やらを手で隠しながら後退る。
だが、廊下いっぱいに4腕4脚を伸ばして迫る怪生物は、苦もなく全裸少女の脚を捕まえると、自分の方へと引っ張り込んだ。
喉を鳴らす不気味な声を出し、無数の歯の隙間からヨダレを垂らす怪生物。
醜悪な顎が雨音へと開かれ、生臭い息がすぐ近くで感じられ、
「ヒッ――――――――!? やッ……ヤダッ!! か、カティ! ジャックー!!」
半泣きの雨音が悲鳴を上げた瞬間、怪生物の真横にあった客室の扉が内外逆に蹴破られ、外れた扉が怪生物を下敷きにした。
その威力はかなりのモノで、怪生物をド突き倒した扉は、真ん中からへし折れている。
そして、乙女のピンチにアクション映画張りの登場を見せたのは何者かというと、
「遅いよアマネちゃん! もっと早く呼んでよ!」
「じ……ジャックぅ……!!」
高さも幅もある、厳つい顔の巨漢。
黒いスーツに撫でつけた髪とサングラスでマフィアか何かにしか見えない、魔法少女のマスコット・アシスタント。
ジャックであった。
しかし、恐いのは見た目だけで中身は純情な少年、と思っていたのだが、やはり見た目相応に力もあったようである。
そんな意外な(?)頼もしさに救われた雨音だったが、ハッと、重大な事実に思い至った。
「こ、ここここっち見んなジャック! あんた見たら射殺するからね!!」
「え!? で、でもアマネちゃ――――――――――!?」
今の雨音は文字通り一糸纏わぬ生まれたままの姿。既に子供ではいられない、オンナとしての変化が始まっているカラダだ。
中身が幼い少年であっても、ジャックのようなビッグダンディーに見られるのは抵抗があり過ぎる。
そのようなワケで、真っ赤な顔で身体を隠そうと無駄な努力をする雨音だったが、そんな悠長な事をしていられる場合でもなかった。
『でも』とジャックの言わんとした所。つまり、危機はまだ去ってはいないのだ。
「グググ――――――――――ググ……!」
「うわぁ!? ちょ! ジャック! しっかりトドメ刺してよトドメ!!」
「ええ!?」
巨漢に蹴り飛ばされた怪生物が、折れた扉の下でもがき始める。
トドメを刺せ、と雨音に言われたジャックは懐に手を突っ込むと、脇に吊ったホルスターから銀色の大口径回転拳銃を引き抜き、
「――――――――――アマネちゃん!!」
「……え!?」
構えるではなく、そのまま雨音の方に放り投げた。
宙で回転し、放物線を描いて飛んで来るその物体が、雨音にはヤケにハッキリと識別できた。
思わず手を伸ばした雨音の手の中に、回転拳銃は誘導兵器のように吸い込まれる。
そして、回転拳銃の握りを少女の手が捉えた瞬間、
雨音の全身が、爆音を上げて破裂した。
ホテルの廊下に硝煙が広がり、その中心にはマズルファイアの如き炎を吹き上げたヒトの姿が。
しかし、銃口が炎を吹くのは、一瞬だけの事。
硝煙が薄まると、そこにはひとりの魔法少女が佇んでいる。
丈の短いスカートの黒いエプロンドレスとマントの様なジャケットを纏い、胸まで来る金髪を揺らす、冷え冷えとした美貌の少女。
ただの女子高生だった時よりも少し成長した姿で、スラリと伸びた腕の先には銀の回転拳銃が。
そして、普段は冷めている双眸を発砲の赤熱に変え、銃砲兵器系魔法少女の黒アリスは、ここに再臨していた。
「フシュー…………」
「あ、アマネ、ちゃん?」
今まで幾度となく、主である魔法少女の変身は見て来たマスコット・アシスタントのジャックであったが、今回は何か様子が違う。
ジャックは恐る恐る、蟠る熱気に気だるく金髪を振る黒アリスへ声をかけるが、その時。
「グググググ……! ア゛ー! ア゛ー!!」
上に乗っている扉を蹴散らし、怪生物が壁を引っ掻き立ち上がった。
4腕4脚を廊下全体に張り巡らせ怪生物は、食べ損ねた獲物へ大口を空け、鳥肌物の絶叫を上げて黒アリスへと喰らい付き、
「煩いわね」
魔法の杖、S&W M500から撃ち出される50口径弾5発によって、全身に大穴を開け廊下の彼方にまで吹っ飛ばされていた。
某ビキニのカウガールにも劣らない、超高速の連射である。
「…………女の子を真っ裸に剥いて襲うようなバカは、お亡くなりになりやがれ」
「ヒイィ……!?」
平坦な声のクセに、焼けるような殺気を垂れ流しにする傷心の乙女。
主に似て小心者のマスコット・アシスタントの少年は、地獄から響くような少女の声色に漏らしそうになっていた。
この少女が、襲われて追いかけられて助けられる、か弱いヒロインのままでいる筈もない。
息を吹き返した魔法少女の黒アリスは、乙女の怒り心頭の破壊神モードに突入していた。
そんな黒アリスの視界に、止せばいいのに入って来るのは、たった今吹き飛ばされた怪生物とは別の個体。
海に近く、食料の多いホテル内へは、既に多数の怪生物が入り込んでいたのだ。
「…………宿代替わりね。…………狩るわよ、ジャック」
「い、イエッサー!!」
この後、ホテル内の怪生物を宣言通り狩って回った黒アリスは、その途中で窓から自衛隊の大型輸送ヘリを目撃。近くで救助活動が行われているのを察する。
急ぎヘリ型無人攻撃機を飛ばした黒アリスが見たものは、ある学校らしき体育館に群がり、更に数を増やしつつある怪生物の群れだった。
当然、数十分前の我が身のに降りかかった不幸を思い返した黒アリスは、怪生物の醜悪さ下劣さ嫌らしさ傲慢さその他無数の負の感情に燃えあがり、即座に侵攻を決意する。
こうして、100人以上の一般市民と25名の自衛隊員、8人の海賊団、31体の等身大フィギュアが立て篭もり、8000体以上の怪生物が群がる体育館へ、怒れる銃砲兵器系魔法少女の黒アリスは殴り込む事となったのだ。




