0049:大きいお友達向け商品ではない
19時30分。
巨大生物が羽田空港に上陸し、所属不明のAC-130が空港ごと巨大生物を攻撃した混乱は、東京湾を挟んで反対側になる江戸川区にも波及していた。
自衛隊が巨大生物の侵攻阻止に失敗し、情報が錯綜する中、警察や行政の対応もバラつきが出る。最も混乱の度合いが激しかった時間。
車道歩道の区別なくヒトが溢れ、クルマの流れが詰まり、動かない電車に、駅のホームで線路に落ちる人間も出る。
東京湾からは続々と4腕4脚の小型――――――と言っても2メートル越え――――――怪生物が上陸し、内陸へと逃げる人々を追いかけ、混乱に拍車をかける。
そして、江戸川区葛西の某所にある30階建て高層マンションからも、東京の外へ逃げようと、住人が次々に出て行くところだった。
「凄いなー……夜逃げみたい」
そんな中、同マンションに住む小学3年生、安保徒秋は20階にある自分の家から下界を見下ろしていた。
線が細く、一見して女の子にも見えてしまう柔らかい面立ちの少年だ。髪もサラサラで、ボーイッシュな女の子でも通用しそう。小さな男の子好きのお兄さんお姉さんには、危なくて近寄らせてはいけないタイプだった。
敵は身近にいたとも言えるが。
都内の分譲マンション、約100坪の5LDKに住むだけあって、徒秋少年の両親は非常に忙しいヒト達だ。
今も、徒秋は広い部屋の中にひとりきり。
テレビでは、地上の光を背景にして、何か巨大な生き物の影を報道ヘリが上空から撮影し、その映像が生中継で流されている。
小学校3年生の身ではあるが、自衛隊が『一時撤退』したというアナウンサーの言葉を聞くまでも無く、この場所も安全ではないのだろう事は分かっていた。
だが、逃げようにも逃げられない。
前述の通り両親は不在。家以外に行く所と言えば母の実家か、自分の通っている小学校。その小学校周辺には警察署や他の学校もあり、徒秋の同階に住むクラスメイトの一家は、そちらの方に避難するそうだ。
しかし、ひとりで行くにはどちらも少々ハードルが高い。クラスメイト一家の、一緒に避難しようという誘いも断ってしまった。
外の混乱ぶりを見ても、今更ひとりでその中を通って行くのは不安だった。
それに、姉からも連絡が無い。
徒秋には血の繋がらない高校生の姉がいる。一家四人で暮らしているが、両親は再婚で、父は継父にあたり、徒秋は母の血筋だった。
その継父の実の娘が、今の自分の姉というワケだ。
男っぽい口調で少々ガサツでぶっきら棒な姉だが、徒秋はそんな姉が嫌いではない。何を考えているのか少々捉えどころが無いが、自分には優しい姉だ。
この騒ぎが始まった時、徒秋は最初に姉に連絡を入れようとした。
ところが、電源が入っていないのか電波の範囲外なのかは分からないが、何度かけても繋がらない。メールにも返信が無い。
姉頼りになるワケではないが、置いて逃げる気もなかった。
それに、前述の通り逃げる先にアテなど無い。
思い出したようにかかって来た母親からの電話でも、自分が帰るのを待つか姉と一緒にいろと言う。
以って、徒秋少年には現状出来る事が無く、こうして下界かテレビを見ながら、誰かの帰りを待つ他ないのだった。
そんな状況で、一時間半が経過した、午後9時。
専ら食事はひとりで取る少年は、マンション一階のテナントに入っているコンビニエンスストアで弁当を買うのが常となっていた。
特に不満は無い。昨今のコンビニは栄養価も良く考えられ、購買客を飽きさせないように、内容も頻繁に変えられる。
コンビニは好きだ。弁当やお菓子、飲み物だけではない。漫画や雑誌、ゲームソフトも買える。最近では漫画キャラの景品が貰える有料クジにハマっている。同じマンションに住む知り合いと、交換したりもするのだ。
危機的状況は変わっていないのだろうが、逃げ出す人々のピークも過ぎ、今は時折駆け足で通り過ぎるヒトを見かけるだけになった。
耳を澄ませば、遠くからヒトの声やら何やらの音が合わさった、無数のざわめきのような音が聞こえる。
お腹が空いた徒秋少年は、いつものように夜食を買いにエレベーターに乗りコンビニへ。
その数分前、丁度コンビニへの集配トラックが到着していた。
世間が混乱のど真ん中でも、仕事を続ける人間はいる。
特に、POSにより売れ行きと在庫情報がリアルタイムで管理され、最適な商品、最適な時間毎に商品が配送されて来る一連の流れは自動化されており、混乱の最中でも動き続けていた。
しかしそれも限界で、これが最後の配送となったが。
何となく、こんな事していて良いのかと考えてながらも、トラックの運転手は大量の弁当や総菜パンといった食品を中心に、各種商品をコンビニ内に運び込む。
運転手の考えは正しかった。
ウマそうな匂いに誘われ、トラックを追い掛けていた怪生物は食べ物の詰まっているコンビニを発見すると、そのまま自動ドアを開け店内に入り込む。
後は、店員と配送担当の運転手が逃げ出したコンビニ内で、怪生物はその数を増やしてやりたい放題貪っていた。
間が悪い事に、徒秋がコンビニに来てしまったのが、そんな時。
「…………わっ!?」
初めは何が起こっているのか分からなかった。
マンション内側とコンビニを隔てるガラスから、店内で暴れる何かをマジマジと見ていた徒秋だが、その生き物が目の前のガラスに激突してくると、ハッキリと見えた不気味な姿と大きさに、思わず声を上げてしまう。
すぐさま逃げ帰る徒秋だったが、その後怪生物はコンビニから、マンション上の住居世帯にまで入り込んで来てしまった。
様々な理由で残っていた住民も身体一つで逃げ出す一方、怪生物は各部屋の扉を引っ掻き、凄まじい力で壁やコンクリートを抉ってマンション内を破壊する。
最初は一匹だけだったものが、一か所に食料が集まっているのが怪生物に伝わったのか、見る見るうちに数を増しマンション内を埋めつくすと、遂には徒秋の部屋の前でもガリガリと爪を鳴らし始める。
怯える少年は自分の部屋に閉じ籠り、居間ではテレビがつけっ放しの日常の光景。
小さな少年は布団を引っ掴むと、クローゼットの中に潜り込む。
心細さに涙が滲み、一刻も早く姉に帰って来て欲しいと願うが、携帯電話を持って来なかったのに気が付き、いよいよ精神的にも追い詰められていた。
「ゥ………お姉ちゃん……!」
玄関の重い扉はギシギシと悲鳴を上げ、今にも不気味な生き物が入って来ようとする。
少年はこれでもかと言うほど縮み上がり、声を殺して無意識に呟いていた。
その時、
「ギッ――――――――――――!?」
玄関の方で、鳥肌が立ちそうな鳴き声が聞こえたかと思うと、重い物を叩きつける打撃音が連続した。
複数の足音が派手に響き、暴れる振動が徒秋の足元にも伝わってくる。
とばっちりを食ったドアがゴンゴンと激しく叩かれ、普通ではない悲鳴がギーギーと響き、まるで突如大工事が始まったかのような大騒ぎが始まると、フッとそれが止む。
やがて、蝶番が壊れたドアが外され、足音が安保家の中を進むと、
「徒秋氏! もう大丈夫でござるよ徒秋氏ぃいい! 助けに参上仕ったでござるゥウウう!!」
やや高い必死な男の声が、クローゼットに隠れていた少年を呼んでいた。
◇
カチリ、と廊下に面した部屋のひとつが解錠され、中から小さな少年が頭半分だけ覗かせる。
身長は120センチほどと非常に小柄。それもその筈、まだ小学校3年生で、8歳の少年だ。華奢で線が細く、儚げにも見えた。
「洋介お兄ちゃん!?」
だが、家に入って来た男の顔を見ると、安心したように顔を綻ばせる。
「大丈夫でござるか徒秋氏!? とっくに逃げ出したと思っていたでござるが、下で姿を見かけて仰天したでちよ!」
徒秋の前に現れたのは、小柄な少年の倍はあろうかと錯覚するほど背丈のひょろ長い、痩せ気味の男性だった。
安保家の下の階に住む住人で、徒秋がコンビニで景品クジをやった折、2回購入して2回同じフィギュアを手に入れてしまった際に、「片っぽトレードして頂けぬかそこの御仁!?」と声を掛けられたのが知り合った縁。
以後、深夜帯にコンビニに行くと時々出くわし、景品クジの戦果を見せ合ったり、持っている漫画を融通し合ったりと親交を深めていた。
それからは、「洋介お兄ちゃん」「徒秋氏」の間柄である。
本名、家津洋介。
『ニルヴァーナ・イントレランス』によって特別な能力を与えられた、能力者のひとりだった。
「徒秋氏、ここはもう落ちるでござる! 早々に逃げるでちよ!!」
「え? お、『落ちる』……?」
「怪物に乗っ取られるでござるよ! あのおっかない姉はどうしたでちか!?」
「えーと……お姉ちゃん帰って来ない……」
「ふぬぅ!? あのJKビッチ! 陰で散々せっしゃの事を『キモイ』だの『オタク』だの差別するクセに、自分はこんないたいけな弟君を放っておいて○交でちか!? これだから3次は!?」
頭を抱え、鼻息も荒くグネグネと身体を曲げるヒョロ長男、怒りのリアクションに、小学校3年生の少年は大分引き気味だった。年齢差も20近い。
「何にしてもここにはいられんでござるよ! とにかくここから逃げるでござる!」
「で、でも……洋介お兄ちゃん! お姉ちゃんが帰って来ないし……!」
「しかし徒秋氏!? 玄関もこんな感じでござるし、ここには……」
「お、お姉ちゃん置いて行ったら、かわいそうだよ……」
言い難そうに俯く少年の健気な言葉に、ひょろ長い背の男も感じ入るモノがあった。
こんなに小さくても、相手がヤンキーの如き腐れ女子高生でも――――――家津視点――――――、家族を想う姿は健気である、と。
そしてひょろ長い背の男は、可憐な少女と見紛うばかりの徒秋少年に、外道に落ちそうな己を律するのが大変であった。
「むぅ……でも、でござるがな、徒秋氏。……せっしゃの家なんて何か知らんがあのバケモノに総攻撃を喰らったでち……返り討ちにしてやったでござるが。やはりここからは移動した方が良いでちよ」
「…………うん」
とは言え、ひょろ長い背の男も一人の大人として、こんな子供を残して行くワケにはいかない。
もはや立て篭もるのにも、マンションは適さないだろう。
徒秋の姉には書き置きを残すと言う事で、ひょろ長い背の男は避難を承知させた。
それに、ここに留まればどんな事になるか、利発なお子様には容易に想像できたのだ。
同時に、玄関を破壊するほどの怪物どもが屯する中を、無事に脱出出来るのかという不安もある。
しかし、
「心配いらんでち、徒秋氏……、せっしゃ達には心強い味方が付いているでござるよ!!」
利口な少年の懸念を聞いたひょろ長い背の男は、外に出ながら力強く頷いて見せる。
他人への気遣いも持つ少年は、痩せ過ぎの男が――――――暴力面では――――――頼りにならなそう、という本音を口に出さず、促されるまま自分の家の外に出ると、
そこには、廊下に転がる数体の怪生物と、その生物を足蹴にしている、手に手に鈍器を持った何人ものヒトの姿があった。




