0025:結婚は相手の同意を得るべきかと
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日本政府の危機管理態勢を、正直なところ、旋崎雨音は舐めていた。
先の世界最大の豪華客船、沈没事故。
その後、この件に対して政府は『情報を精査した上で対応を協議する』というお定まりの方針を外に示した上で、一切の情報を特定機密に指定。事の真相に関する情報を、全て内々に抱え込んだ。
早い段階で正確な事実を掴んだ政府と高官達は、速やかに資産を換金し、財産を他国に移し、家族や知人と一緒に日本から逃げ出す算段を整え始めた。
そして、国民の方には徹底して何も知らせず、『必ずしも何かが起こるとは限らない』、と事態を見守る事とした。
仮に最悪の事態となっても、政府は『何も知らなかった』、『想定外過ぎた』、『怪獣の存在予測など、現実的ではなかった』という知らぬ存ぜぬを決め込むつもりだ。これなら、政府の責任にはならない。
これが要らない正義感を出して非常事態宣言などすれば、国民に事情を説明せねばならない。
怪獣が日本に接近しているかもしれない、なんて説明してもバカみたいだし、本気にされれば国民の混乱やら避難やらで経済が停滞する。
それで何も起こらなければ、批判されるのは政府だ。支持率の低下にも繋がる。選挙にも響く。内閣が野党から追及される。
何かした人間は、どんな結果になっても責任を取らされる。ならば、何もしない方が良い。
この根性も、決して政治家だけが悪いワケでもないのだろうが、自分が腹を切ってでもやるべき事をやるという気合の入った為政者は、少なくとも内閣にはいなかった。
そう、雨音は政府の危機管理体制を、保身の為に時間を惜しみ労力を惜しまない行動力を、まったくもって甘く見ていたのである。
◇
プレメシスさん家のお嬢様と、お父上の古米国総領事様は、その家庭環境からあまり仲が宜しくない。
総領事と補佐を行う妻――――――カティの母――――――は、政治家としての活動に精力的であり家庭にはそれほど興味が無い。
夫婦としても、夫と妻としてではなく仕事上のパートナーとして接しており、お互いにとって『仲睦まじい古米国総領事夫婦』という体面は有益であったが、決してそれ以上の物ではなかった。
何より自分のキャリアを優先するプレメシス夫妻には、自分達の子供の事など煩わしい雑事でしかない。
将来何かの役に立てば良し、だが問題を起こされれば自分のキャリアに傷が付く。さりとて放っておけば、また世間体が悪い。
どちらにせよ面倒な存在でしかなかく、その心にまで想いを寄せるという発想自体が、最初から無い。
そこまで事情に詳しくはない雨音の、想像以上にカティの環境は悲惨であると言えた。
「家に帰っていないそうだな。監視がいなくなれば、もうやりたい放題か?」
「…………今更気付いたの? 何しに来たの、父さん」
下校しようと学校を出た直後、突然のプレメシス総領事の来訪。
カティは母親似なのか、父親とはあまり似ていない。
ネイティブな英語なのはともかく、普段とあまりにも違う暗い険のあるカティに、若干雨音は引いていた。
以前、雨音がカティに付き合い領事館へ行った時にも、カティは様子を一変させていた。当時はまだ付き合いも浅かったので、場所柄そんなものかと気にしてはいなかったが。
「学校には行っているようだな。どこに泊まっている?」
「父さんに関係ないでしょ……」
「私は父親だ。子供を管理する責任がある」
「管理……? 犬猫だってもう少し手をかけるわよ。普段ほったらかしで何言ってるの?」
さも当然という感じの澄まし顔で言う父の総領事に、普段はお日様のようなカティが陰鬱な上目遣いでボソボソと呟いていた。やはり雨音には何を言っているのか分からなかったが。
「まぁいい。時間もない」
総領事は娘の言う事が聞こえていないように、勝手に話を進める。
「乗りなさい、カティーナ。すぐに日本を離れる。一度本国に戻る事になった」
「…………はぁ?」
そして、到底カティに受け入れられるものではなかった。
「いきなりこんな所まで来て何かと思ったら……父さん、何をバカみたいな事言ってるの? 私は帰る気ないわよ」
「お前の意見は聞いていない。空港に専用機を待たせてある。30分後に離陸だ」
「だったら父さん達だけで勝手に帰ればいいじゃない! いつもはほっとくクセに、必要になったら命令口調とかいい加減にして! 私は父さんのお飾り人形じゃないのよ!!?」
凄まじいカティの剣幕に、真横に居る雨音まで心臓が縮み上がりそうになっていた。
だが、雨音だってボーっと立っているだけではない。
日本の英語教育では、とてもじゃないが実践英会話など身に着きようもないだろう。それでも、どうにかプレメシス親子が何を言っているのか聞き取ろうとしていた。
そこから導き出した推測が、かなり最悪だったが。
「議論している時間はない。いいからクルマに乗りなさい。私を煩わせるな」
「冗談じゃないわよ! だから勝手に父さんと母さんだけで帰ればいいでしょ!? いつも通りにほっといてよ!」
「私はお前の親だぞ」
「だから何!?」
思えば父――――――そして母――――――と、最後にまともな会話をしたのはいつだったか。
犬よりも話が通じないと思ったカティは、唐突に雨音の手にを握ると、父親の総領事を無視するように大股で横をすり抜けようとする。
「いい加減にしなさい、カティーナ。今日は、お前の気を引こうとするワガママに付き合っている暇はない」
「…………なんて?」
が、つまらなそうに言う父の言葉に、聞き捨てならぬと冷めきった目の娘が振り向いた。
すぐ先に立つ総領事の父は頭二つ分以上背が高く、小柄なカティからするとかなり見上げる形。
それでも、今この瞬間はカティの方が父親を見下していた。
総領事は父として、娘の事は今まで見て来たつもりだ。
しかし、こうまで露骨な侮蔑の目は今まで一度として向けられた事はなく、流石に目を見張った。
「前はそうだったかも………でも、今はあなた達なんてどうでもよくなった」
カティはグイッと、自分の傍らに居る少女を引き寄せる。
事情がまるで分からないまま、雨音はカティの馬力に成す術なく引っ張り込まれ、
「私は何処にも行かない……この国で、私はこの娘と結婚するから!」
先方のお父上の前で、いきなり結婚相手として紹介されてしまった。




