0005:同じ疑問はたくさん寄せられた
乾物問屋『瓦屋』は、千代田のお城にも干し物を納める、江戸でも屈指の大店であった。
草木も眠る丑三つ時。真っ暗な新月の晩。
火消しの見回りが鳴らす拍子木を叩く音は遠く、瓦屋のある本所深川町も寝静まっている。
しかし耳を澄ますと、微かな衣擦れと、足袋が地面を踏む音が聞こえてくた。
真っ暗闇の中に、提灯も持たずに蠢く十人前後の集団。
全員が忍びのような黒尽くめで、顔は目が出る部分以外を覆い隠しており、一様に一言も発する事なく移動していた。
一団は瓦屋の前で止まり、身を屈めて周囲を窺う。
しかし、仮に誰か通りがかったとしても、完全に闇に溶け込んで動かない黒尽くめの集団を、見分ける事が出来ただろうか。
間もなく、瓦屋の勝手口が内から開かれる。黒尽くめの仲間が引き込みとして入り込んでいたのだ。
一団は凶賊だった。
牢抜けの塩蔵一味。
過去に二度お縄になっているが、二度とも牢から抜け出し、その日のうちに当てつけのように畜生働きをやらかしている、闇の世界では伝説にもなっている親分の一味だ。
その塩蔵が次に目を付けたのが、年の瀬に乾物を売り尽してたんまりと儲けたであろう、ここ瓦屋だったと言うワケだった。
「いいか、一人も生かしておくんじゃねぇ。運び出すのも大骨な数の千両箱だ。今日ばかりは女にも手を出すなよ。間を置かずに皆殺しだ」
「へい!」
「へい親分!」
塩蔵は最後の念押しを手下どもにすると、勝手口から店の中に滑り込む。
そのまま塩蔵は手下ともども店の奥へ。店の仕様人が寝ている大部屋へと向かう。
使用人たちの大部屋を前にして、凶賊どもは懐から匕首を、あるいは背負っていた人切り包丁を抜き放った。
障子が開いたら、凶賊は一斉に中に傾れ込み、眠っている使用人を一人残らず皆殺しにするつもりだ。
塩蔵は障子の組子に指を掛け、手下どもに目くばせすると、一息に開け放つ。
後は、使用人たちは悲鳴を上げる暇もなく、あっという間に息の根を止められる、
筈だった。
「ッ……いないぞ!?」
「どういう事だ井背吉!?」
「そんな……さっきまでは確かに――――――!!?」
部屋は蛻の殻であった。
布団は敷いてあるが、寝ている使用人はひとりも居ない。
引き込み役だった井背吉に凶賊の仲間が詰め寄るが、井背吉にだってワケが分からなかった。
自分だって塩蔵達を店の中に入れる直前まで、ここで寝ていたのだから。
「親分、なんか妙だ……!」
「……合い鍵はあるんだ。今すぐ金だけ持ってズラかるぞ」
「そうだな……ここの奴ら、俺らが来ると勘付いて逃げたのかも知れねぇ」
「火盗や奉行所の木っ端役人が来る前にな」
とにかく、ここまで企ては進んでいたのだから、手ぶらで尻尾巻いて逃げる手はない。
なにより、この仕事を最後に江戸を売り、暫くは上方で遊んで暮らす予定なのだから。
塩蔵と手下は縁から庭に下りると、屋敷を回り込んで金蔵へ向かおうとする。
だが、その前に立ち塞がる者があった。
「ぬっ……!? 何だてめぇは!?」
「用心棒か!?」
一気に殺気立つ暗闇の庭。微かな星明かりに、悪党の凶刃が閃く。
牢抜けの塩蔵一味の前に立ち塞がった人影も、腰の物を抜き放ち、
「悪党ども、お前達の悪逆非道も今宵限りと知るデース!!」
御江戸の平和を脅かす手合いへと斬りかかる。
その後、江戸中を駆け回りながら凶賊と斬り結び、凶賊の背後にいた若年寄の手下と斬り合い、火の海になる江戸と乱れ撃たれる花火、闇の忍者軍団が空飛ぶ凧で跳梁跋扈し、裏の将軍が超変形大江戸カラクリロボで秋津島を恐怖のどん底に叩き落とすのを阻止すべく、カティは天守閣で最大の敵と相対する。
もはや日本でも何でもなかったが、とにかく、最高の夢でした。
◇
学校から帰って、すぐに制服のまま寝てしまい――――――カティはそう思っているが――――――、目が覚めた時には、外は日が落ちていた。
両親は年中多忙な為、カティは家に一人でいる事が多い。
だだっ広いばかりの家屋敷も、明りを付ける人間が誰もいないのなら、それは廃屋と大して変わりがない。と、カティは常日頃から思っていた。
その気になれば一流レストランのフルコースだって食べられる食費は渡されている。
しかし、カティの夕食は専ら丼物、あるいはウドン、蕎麦の出前、さもなくばコンビニで適当に何か買って食べる、と簡素――――――または雑――――――な物になっていた。
寝起きでダルイならいつも使っている店の出前を、と考えるところだが、その時のカティのテンションは、真逆の方向に突っ走っていた。ハートが震えて燃え尽きるほどヒート。
初夏にも早いというのに、その日は温かかった。
こんな夜は、何か特別な事が起こりそうな予感に胸が躍り、カティの足を夜の世界へと向かわせる。
若い娘さんが夜に外を歩き回るというのは感心できない行為だが、外国人の中には、日本が無暗矢鱈に安全だと盲信している方々も多い。
カティもその辺りの認識は怪しかったが、
偶然か必然か、その『何か』は実際に起きてしまう。
コンビニで火盗改めの頭が表紙を飾る雑誌と、適当なオニギリとペットボトルを購入したカティは、散歩がてら少し遠回りをした所で、事件の現場を目撃する事となった。
カティの夢は、そこで本当に覚めていた。
住宅地の通りから、幹線道路に出る直前だった。
明るい幹線道路方面から歩いて来た女子大生風の女性が、路上駐車されていたワゴンの中へと乱暴に連れ込まれた。
少し離れた場所で行われる、現実の悪事。
目撃者となったカティの小さな体の中で正義の炎が燃え盛ったが、フと、気が付いてしまう。
自分なんかに何が出来るのか、と。
特別力があるワケでもない、何か格闘技が出来るでもない。夢の中のように、悪党相手に無双するような力は、非力なカティには有りはしなかった。
有りはしない、と、思ったのだが。
「勝左衛門様」
唐突に、自分の名前を呼ばれ、カティの身体が跳ねる。
いや、しかしその認識はおかしい。
カティの本名はカティーナ=プレメシス。
まちがっても『勝左衛門』とかいう純和風の名前ではない。
「勝左衛門様」
「………ハ」
だが、あったのだ。
つい最近――――――と言うかついさっき――――――、カティはその名前で呼ばれていた事が。
振り返ると、柳の下の幽霊のように、その女性は佇んでいた。
艶やかな着物姿だが、髪は結っておらず、流されるままになっている。
身に着ける着物は着崩されており、露にされた艶めかしい肩が、しっとりとした大人の色気を醸し出していた。
美しい女性だったが、カティはその美人よりも、彼女が胸に抱く物の方に目を釘付けにされる。
着物姿で幽霊のように現れた女性。
その女性が抱えているのは、鞘に収まる大小の二振り。
「さあどうぞ、勝左衛門様」
「ぉ――――きサン……コレ……カティの……?」
差し出されるままに、カティの手がフラフラと伸びていき、そして指先が柄頭へと触れた瞬間。
「ゥ――――――――――ップス!!」
ひとりでに鞘から刀が持ち上がり、その狭間から放たれる強烈な光に、カティの視界は塗りつぶされたていた。
◇
翌朝、カティは自分の部屋で目を覚ます。
しかし、今度はしっかりと覚えていた。
魔法の杖の如き日本刀の力で変身したカティは、女性に不埒な悪行三昧の男達のクルマを、一撃の下に一刀両断。
今まさに女性に取り返しのつかない事を仕出かそうとしていた若者三人も、アッと言う間に斬り捨ててしまう。
斬り捨てると言っても峰打ちだったが。
乱れた服装で呆然とカティを見上げる女子大生へ、倒れていた男のひとりから上着を引っ剥がして押し付け、カティはその場からダッシュで離脱。
その直後、カティは再び妖艶な着物姿の彼女と、『ニルヴァーナ・イントレランス』を名乗る超常の存在と再会した。
いったいどこからどこまでが夢だったのか。
まともに考えれば、一から十まで全部夢だったと考えるのが普通だ。
でなければおかしい。
こんな荒唐無稽な事は、現実ではありえない。
ところが、この身体に残る手応え、この実感はどうだろう。
理性では夢だと思いながらも、本音では夢だとは思いたくない、その矛盾。
「でも……なしてサムライが魔法少女デスか?」
首を傾げながら、古米国産金髪少女は身支度をし、朝食を取らずに学校へ。
鏡を見ていつも通りの自分であるのを確認し、少し安心して家を出た。
そしてこの日から、時々だったカティの夜歩きは常態化する事となった。




