0019:転ばぬ先の魔法の杖としたいところ
時刻は再び深夜に戻る。
旧帝国海軍の白い軍服に士官帽の魔法少女、宮口文香。
その魔法少女によって甦り、再び大海原を往く史上最大の戦艦『武蔵』。
砂上の楼閣ならぬ海上の宮殿といった趣の豪華客船は海中に消え、乗員乗客はこの戦艦と、救助に来ていた十数隻の海上保安庁並びに海上自衛隊の船に縋っている。
それも、あと2時間と少しと言ったところ。
豪華客船に乗っていた乗員乗客、それに船を失った自衛官、併せて4000名余りも、八丈島で降りれば後は日本政府にお任せである。
では、残ったもうひとつの巨大な問題は、今後どうなるのか。
「梅枝一佐、質問しても?」
「どうぞ」
一見して、海自の青い帽子と作業着に、白いライフジャケットを身に着けただけの、普通のおじさん。その実際は、海自においても現場一筋、ベテラン艦長の梅枝一豊一等海佐。
その梅枝一佐と『武蔵』艦橋で差し向かいになっているのは、ミニスカエプロンドレスの上にマントの様なジャケットを羽織る、冷たい美貌の金髪娘。
銃砲兵器系魔法少女の、黒いアリス。
パッと見では対等に向い合っているようだが、黒アリスのそれはギリギリ限界のメッキコートである。
それでも、今訊かずにいつ訊くのだ、という話なので、頑張って出来る女の演技を続けていた。
「海上自衛隊は、今後どのように動かれるのでしょうか?」
「『どう』、と仰いますと?」
「あの怪物です」
一瞬、普通に世間話でもしている様なおじさんの顔に、金剛力士かお不動様の如き形相が浮かび上がって見え、黒アリスの全身が汗を噴く。
が、直後にそれは見間違いだったかと思えるほどにキレイサッパリ消え失せ、元のおじさんの顔に戻っていた。
「ふむ……巨大な影ですな。自分はソナーでしか見ていませんが」
「あ……ええ、そうでしたね…………」
船と僚艦を沈められ、怪我人も多く出したとなれば、艦長として憤るのも当然か。
老いてなお衰えない武人の覇気で、小娘の黒アリスは肌を炙られる思いだ。
「あなたは……直接ご覧に? あのイージス艦に乗艦されていたかと…………」
「え? ええそうです。 艦を自爆させた際に、あの怪物の姿をハッキリと…………と言っても頭とその周辺だけですけど」
実はカマを掛けられている黒アリスだったが、怪物の姿を思い出している雨音は、それに気付かない。幸運な事に、それほど大事でもなかったが。
むしろ引っ掛かった事で、黒アリスの話に信憑性が増していた。
「それで……どのような?」
問われるまでもなく、雨音は梅枝一佐に自分の見たモノを聞いてもらうつもりだった。
だが、出来る事なら二度と思い出したくない。悪夢でしかないし、自分でも見たものが信じられない。
のっぺりとしたフォルムの頭部に、細かい無数の歯が敷き詰められている、嗤った様に裂けた口。
その頭の左右には、真っ白い目らしき円形の器官が、これまた無数に群生している。
胴体から延びる腕らしきモノは、胴体に比して骨と皮だけかと思うほど筋張っており、両腕を広げれば全長で一キロメートルに迫るのでは、と思えるほど長い。
そして、体表は四角形の穴がびっしりと敷き詰められた、平面充填構造になっていた。
最後に、自分を傷付けた者が分かっているかのように、上空を舞う黒アリスの輸送ヘリへ向けて放った、精神を引き裂かんばかりの咆哮。
見えたのは一部だし、一瞬の事。にもかかわらず、見た者の神経を毟り取るその姿は、忘れようがなかった。
そして、姿もそうだが何より聞き逃せないのが、声である。
「叫び声を上げる……って事は、肺に相当する器官があるのでは、と…………」
「アレが陸上に出て来ると、あなたは考えてらっしゃる…………?」
海中にいるだけで十分過ぎる脅威なのに、あの怪物が地上に出て来る。よりにもよって、なんて想像をするんだと雨音自身も思うが。
口に出してみて、黒アリスの表情も今までにないほど厳しいものになった。口は固く結ばれ、眉間にシワが寄り、目付きのキレもこの上なく鋭利になっている。
梅枝一佐としても、黒アリスの言葉に誇張や妄想を見止める事はなかった。
「……ま、私の言葉がどうであれ、そちらの船が何隻も沈められたのは事実です。当然そちらの指令本部の判断になるんでしょうが」
「無論、今回の事はありのまま、横須賀方面本部と防衛省に上げる事になります。ですが、私自身海上自衛隊という組織に属していてなんですが、政府が即座に怪獣退治に動くとは考え辛いかと、思いますな」
「海自の上や政府は、今回の事も黙殺すると?」
常識で言えば信じられない対応だが、不本意な事に、日本政府ならやりそうだと納得してまう。雨音とは違い、ダメな方で事なかれ主義である。
それに、『全長600メートル超の巨大生物』というフレーズが非常識である上に、残念な事に人死も出ていないのが、いかにも事の真実味を薄れさせてしまっていた。
「例え9隻沈没という被害を鑑みても、漂流物等の衝突、という適当な理由を付けて片づけないとは、残念ながら言い切れません」
どれほどのデータがあろうと、どれほどの実害が出ていようと、それを全て覆い包み、誰かに責任をおっ被せて、事件を終わりにしてしまう。
不都合な事実が経済を停滞させ、対策費用などで巨額の予算を必要とし、何より面倒だったり、自分に何の利益が無いとなれば、進んで動かないのが政治家という人種だ。
勿論、全ての政治家がそうであるとは言えない、と願いたいが。
「事態を知れば、深刻に受け止める者もいるでしょう。ですが、救助作業の不手際という事で、私が責任を取る形で全てを幕引きにしようとする動きも当然出て来る筈ですが……さて」
「そんなッッ!」
事の深刻さに対して、明日の天気でも占う様な口調の梅枝一佐に、それまで艦長席でジッとしていた軍服少女が声を上げていた。
同じ艦長(?)として我慢ならないのか。理不尽というのは雨音も同感ではあったが、もっと深い想いがあるとは、外様である雨音には想像のしようもなかった。
「確かに……事態を正しく把握している数少ない方に降りてもらうのは困ります」
「…………は?」
梅枝一佐は、黒アリスの懸念の科白を聞き逃してしまう。
慌てて席に着き、顔が見えないように俯く士官帽の魔法少女。
洞察力に優れる梅枝一佐は、少しの間その士官帽を見つめていたが、
「次の被害が出るまで……いえ、見て見ぬ振りが出来なくなるまで、どれだけ被害を出す気でしょうか? 何もない事を祈るという点では、私も同じ気持ちですけど」
「私は……海上自衛隊の内外を問わず、話が出来る相手に事実を伝えるつもりですが…………」
2人の艦長の間にあるモノに気付かず話を続ける黒アリスに、軍服の魔法少女から梅枝一佐は目を離して言う。
「私からもお聞きしたい。あなた方はこの後、どうされるおつもりです?」
これは、黒アリスだけではなく、同時に軍服の魔法少女へ向ける問いかけでもあった。
対象が微妙に変わった事に、気付いたのは軍服の魔法少女だけだ。
「私は……素直な希望を言わせていただければ、怪獣退治は自衛隊にお任せしたいです。今回の件も、海上自衛隊と海上保安庁でどうにかしてもらえたなら、私達は何もする気がありませんでした。あんなの誰にも予想出来なかったとは思いますけど」
「我々としても不甲斐無い思いです。申し訳ない……」
「そんな……おじ……! う、梅枝艦長は……任務に忠じて船を無くされたではありませんか!?」
振り返ると、軍服の魔法少女は完全に席を降りていた。
隠すのを忘れて顔を上げた魔法少女は、梅枝一佐と目が合うと、慌てて帽子のつばを抑える。
梅枝一佐はただ短く「痛み入ります」とだけ返し、その一言で、軍服の少女はなおさら恐縮していた。
◇
「んでー……どうすんの、黒アリスガールは?」
「……何をです?」
世界最大の豪華客船、ヘイヴン・オブ・オーシャン沈没事故より数日後の日曜日。
午前6時30分。
少し波の高い東京某所の防波堤は、花曇りの下にあった。
世界最大の豪華客船、ヘイヴン・オブ・オーシャンの件は規模の大きさもあり、国際的な関心も大きかったが、概ね『事故』と言う事で、世間への報道は各社横並びと言った感じだ。
『国防上の理由』で報道ヘリの撮影した現場映像は全て防衛省が押収。その強引な対応に、当然マスコミは報道の自由を叫ぶが後の祭りで、実際に何が起こっていたのかを説明出来る人間もいない。
事故の中継映像はネット上に多く残っていたが、そこには海上自衛隊の護衛艦が沈んだ場面などは入っておらず、結局は国の発表と同じ『事故と思われる』という報道しか出来ないのが実情だ。
唯一巨大生物が姿を現したその瞬間も、マスコミのヘリはイージス艦の戦闘に巻き込まれるのを恐れて現場から逃げていたので、映像どころか目撃者すらいない。
イージス艦が何かと戦っていた。この事実だけでも誰がどう見たって『事故』なんかではないが、憶測でニュースを作る事すら、圧力をかけられ出来なかった。
唯一、情報ソース不明の『海中の巨大生物』という記事がネットに上げられていたが、完全にオカルトかネタニュース扱い。
そのネット記事も、保存されていたサーバーの全データ諸共、消失していた。
海自側の救助艦隊責任者であった梅枝一佐がその後どうなったのか、雨音には知る由もない。
これはいよいよ本気で知らんぷりを決め込むつもりか。
マスコミを強引に押さえたのが少々予想外だったにしても、現状は梅枝一佐と話した想定の通りになっているように見える。
国の対応に破滅的な危機感を持つ雨音だが、そもそも、ここ2カ月の間に頻発している異常現象や怪事件を国が対処出来ていないのを考えれば、初めから想定して然りの結果ではあった。
そんなワケで、黒アリスは今回も、先手を打って保険をかけておく事にしたのだ。
「信じられないわ……。それも、私達みたいな特別な何かが関わっているのかしら?」
「それは何とも言えませんけど……警察の方にも、海の事故に絡んで何か情報来てませんか? 名目不明の緊急避難マニュアルでも出回ってたり、って思って期待したりしてたんですけど……」
防波堤には5人の魔法少女と50人からの機動隊員がいた。しかし、機動隊員に関しては、全員が撤収中である。
そして魔法少女達は、防波堤の少し高くなっている外海側の縁に腰かけ、銘々が複雑な面持ちになっていた。
「ですが黒衣殿、それほどの怪物がいるのであれば、誰かしら他にも目にしたという噂が流れるのでは?」
赤備えの鎧武者、朱塗りの戦国鎧で全身を固めている戦国武将系魔法少女の、島津四五朗。
「ヤー……でもチョーっと見てみたい感じ。わたしって怪獣映画とか見た事無いのよねーん。こっちに来たりしてー、ハッハー!」
潮風に煽られるテンガロンハットを抑えている、ワイルドヘアの金髪娘。
腿から足はカウボーイレギンスとブーツが覆い、旧米国旗柄のビキニ水着を身に着けているが、その上には革のジャケットを着ているという、露出が多いんだか少ないんだか分からない、カウガール系魔法少女の、レディ・ストーン。
「ちょっと不謹し――――――――――そ、そんな怪獣が街に来たら大変な事になっちゃう! 冗談でもそんな事言っちゃダメー!」
「お姉さん……あたし達の前じゃキャラ作らなくてもいいんじゃないですかね?」
黒アリスの気遣うような科白に凍りついたのは、一見して小学生くらいの小柄な少女。
身体を覆うほどボリュームがあるプラチナブロンドの縦ロールという髪に、ふっくらとした丸みのある顔の輪郭と、パッチリとした大きな瞳。
オレンジ色をしたフレアスカートのワンピースに、上には金の刺繍入りの白いマントを羽織っている。
最も魔法少女然とした姿の、魔法少女刑事、トリア・パーティクル。
そして、銃砲系魔法少女の黒アリスに、巫女侍の秋山勝左衛門の2人。
何故この5人が性懲りもなく一堂に会しているのかと言えば、前述の通りに黒アリスさんが、患いが無いよう備えをしに来た為である。
単なる気休めとも言う。
『いまさら魔法少女と言われても』はフィクションです。
登場する人物、団体、国家は現実のものとは関係ありません。




