0016:溺れる艦長黒アリスを掴む
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当たり前の話ではあるが、魔法も特殊能力も知らない常識人からすれば、
「ところで……貴官らはどこに所属していらっしゃるのかな?」
と、言う話になるのは当然。
戦艦『武蔵』ほどの巨大な戦力が、どこの国家にも組織にも所属していないなんて事は、本来あり得ないし、あってはならない。
「し、所属、で、ありますか? あの――――――――――――」
まさか通っている学校の名前を言うワケにもいかない魔法戦艦『武蔵』艦長の宮口文香。本名、梅枝文香。
海自護衛艦『つしま』艦長の梅枝一佐には、下の名前はもっと言えなかった。
黒アリスにより勝手に紹介された時には、心臓が止まりそうになったが。
「あたし達は単に、ニュースを見て来たボランティアってところです。色々お話しできない事もあるんですけど、時間も無いんでここはスルーしていただけると…………」
事情につき手一杯な宮口艦長に代わり、シレッと言外に「聞かないで」と言う黒アリス。その辺の質問が来るのは想定の内であった。
溺れかかった人々を引き合いに出した、時間無し、選択肢無し、で決断を迫る、まるっきり悪党の知能犯な手口だったが、これで「お前らみたいな怪しい者の手は借りん」とか突っぱねられたら、もう打つ手なしである。
実は艦長の軍服魔法少女に負けないくらいテンパっていた黒アリス。
「んーむ……」と唸る梅枝艦長に、二人の魔法少女は教師の前で凍りつく生徒の如しだったが。
「……仰る通りですな。いや、救助の受け入れに感謝いたします」
未熟者二人――――――+マスコット・アシスタント2人――――――を前に、老練の艦長はどう思ったのか。
黒アリスの狙い通りだったのかは分からないが、言わんとする所には納得した様子の梅枝一佐は、それ以上は何も聞かずにいてくれた。
◇
最初に乗り込んだ梅枝一佐がそのまま陣頭指揮を執る事になり、要救助者や艦を失い漂流中の自衛隊員の収容が開始された。
『武蔵』に乗り込んだ自衛官は、そのまま豪華客船の要救助者収容の為の人員となり、内火艇や救命ボートで運ばれてきた乗員乗客を、舷梯から甲板へ引き上げていく。
同時に、海上保安庁の巡視船はソナーで海中を警戒し、海中に何か巨大なモノがいやしないかと警戒していた。
現代の船より大分装甲が厚いとはいえ、既に2000人以上の人間が乗り込んでいる『武蔵』が襲われては一大事である。
巡視船から持ち出されたタオルやブランケットが武蔵内の人々に配られ、哨戒ヘリは沈みかけの豪華客船からの救助作業をスポットライトで監視する。
マスコミのヘリは予想もしない展開の連続に齧り付き、燃料切れギリギリまで空域で粘っている。
『武蔵』艦橋構造体の周囲に配置された投光器が四方を照らし、救助された乗客たちは無数の大砲の威容に目を奪われ、豪華客船に代わって今はこの戦艦が、海上の城といった様相を見せていた。
そして、艦橋の魔法少女達は、やる事が無かった。
いざ救助活動が始まってしまえば、その辺は海上自衛官や海上保安庁の人間の方が慣れている。
戦艦系魔法少女はこの後大事な仕事が残っているが、少なくとも銃砲兵器系魔法少女と猪武者の魔法少女には出来る事が無い。
例の巨大な怪獣が再び現れるか、海自か海保が敵にならない限りは出番も無い。そして、あって欲しくもなかった。
そんなワケで黒アリスと巫女侍は、艦橋から甲板の様子など見ながら、手持無沙汰といった感じ。
水密扉の開け閉めは艦そのものであるマスコット・アシスタントのタケゾウ先任伍長が遠隔操作出来る為、機関室や艦橋といった重要区画には誰も出入り出来ないようになっている。
しかし、海自や海保との通信と警備の為の自衛官2名が艦橋に詰めていたので、変な私語も出来ずに空気が重い。
気軽に本物の自衛官に話しかける事など出来ず、黒アリスの冷静沈着クレバーガールな演技も、いい加減限界であった。
「ん~~~~眠いデスねー…………」
だが、こんな時でも巫女侍は超マイペース。本当に剛の者である。
艦橋内で黒アリス以上に浮きまくっている改造巫女装束の巫女侍は、海自の自衛官が見ているのもお構いなしで大あくびをしていた。見た目がキレのある美人なので、子供っぽい仕草にかなりのギャップがある。
黒アリスの雨音は、エプロンポケット内のスマートフォンで時刻を確認。
間もなく深夜の3時過ぎ。雨音とカティがニュースを見てから、約3時間と言ったところ。
アレだけの事があってまだ3時間とは。思い返して、雨音も疲れがドッと溢れてくる思いだった。
「あ゛ー……タケゾウ先任伍長、双眼鏡貸してもらえる?」
「ハッ、どうぞ黒アリス殿!」
艦そのものであるタケゾウ先任伍長から、やたら大きな双眼鏡を借り、黒アリスは沈みかけの豪華客船を観察する。
つい先ほどまでは海自や海保の内火艇がひっきりなしに動いていたが、今は1~2隻が貨客船の回りを低速で動いているだけだ。
「…………もう中には誰もいないって事?」
「はい、ヘイヴン・オブ・オーシャンの乗員乗客は全員避難終了。船内の捜索も終了し、現在は乗員乗客の名簿で逃げ遅れた人間がいないか確認中です」
「あ……ど、どうも……」
ひとり言のつもりだったのだが、連絡係の自衛官から真面目な口調で応えられて、動揺した黒アリスが曖昧に礼を言っていた。
「じゃもう出発するデスかー? せっしゃ、やる事がありマセーん」
「名簿確認中だってならそういうワケにもいかないでしょ。……確認して乗客の人数が足りてなかった、とか言ってから船沈んだら…………」
巫女侍を窘めながら、黒アリスは再び双眼鏡を覗き込む。
早く終わって欲しいのは雨音だって同じだ。とは言え、後になって誰かを残して来たと知れれば、大問題である。
黒アリスは、自分も地上無人攻撃機を船内に送り込んで捜索に加わった方が良いのか、と考えはじめるが。
「…………お?」
流しっ放しの無線が俄かに騒がしくなり、黒アリスの見ている前で、世界最大の豪華客船に動きが見られた。
もはや上部甲板の半分以上が海中に沈んでいたが、その周囲に大量の泡が発生し始めている。
「――――――――――はっ……ハイ、了解です! 宮口艦長、ヘイヴン・オブ・オーシャンが沈みます! 巻き込まれる恐れがあります! 後進をお願いします!!」
「『武蔵』了解しました。先任伍長、機関後進中速。全艦に警報」
「機関後進中速! 全艦に警報了解!」
艦長席に着いていれば、落ち付きのある頼れる戦艦系魔法少女の宮口艦長。
操舵席のタケゾウ先任伍長が命令を復唱すると、海域全体に『武蔵』からの警笛が響き渡り、戦艦はゆったりと後ろ向きに進み始めた。
巡視船や内火艇も一斉に沈む船から離れ始め、ヘリと船の全スポットライトが一点に注がれる。
甲板上にいた人々は船を指差し、あるいはどよめきを上げていた。
ひとつ間違えれば、自分達は今もあの中に居たのかも。誰もがそう考えずにはいられなかったのだ。
その海域の全ての人間が見守る中、全長約360メートルの世界最大の豪華客船、ヘイヴン・オブ・オーシャンは、泡を残して海中へと姿を消していた。
◇
最終的に、豪華客船の乗員乗客と自衛官の大半を乗せ、魔法戦艦『武蔵』には4000名に近い人数が乗り込んでいた。
『武蔵』は前後左右を海上保安庁の巡視船に囲まれ、沈没現場の海域から約100キロ北西の距離にある八丈島へ向かっている。到着予定時刻は2時間後の、早朝の5時前後だ。
上空には、相変わらず海自と海保の哨戒ヘリと、報道のヘリが飛び回っていた。
こんな怪しい戦艦に4000名も乗せていれば、自衛隊と海上保安庁として当然の警戒と思われる。
こりゃ後が大変だ、と雨音は逃げる算段を考え、頭が痛い思いだった。
全員を下ろした後に、素直に解放してくれればいいのだが。
「にしてもどこ行ったデスかね、あの怪獣」
「さてね…………。艦長、この船ってソナーは積んでるの?」
「バルバス・バウに水中聴音機室がありますが、現用のソナーとは比べ物にならないであります……」
「まぁ……そうよね」
問題と言えば、最大級に危険なのが海自の船を9隻も沈めてくれた海中の怪物だ。
周囲の巡視船もソナーで睨みを利かせてくれていると思うが、実際に襲われたら戦うのも逃げるのも不可能。
とりあえずでもどうにか出来そうなのは、魔法少女の黒アリスのみ。
艦橋から真っ暗な海を眺める黒アリスは、魔法の杖を握り締めたまま、腕を組んで緊張の面持ちだった。
そしてカティは我慢出来ずに、士官席に座り居眠りしていた。
「はい、こちら『武蔵』艦橋…………ハッ…………宮口艦長」
「なんでありましょう?」
海上自衛隊や海上保安庁との連絡員として艦橋に居た自衛官が、何事か連絡を受けて艦長席の軍服少女に伝える。
これと言って緊迫感も無い様子から、黒アリスは魔法の杖を握り締めていた手の平から力を抜いたが、
「はぁッッ!!? オ……い、いや、梅枝一佐殿が、で、ありますか!!?」
「ぅおッッ……と!?」
裏返った軍服少女の叫びに、思わず魔法の杖を取り落としそうになった。
「はい、よろしければ宮口艦長に、艦橋へ立ち入る許可をいただきたいと」
「そ、それはもちろん……いえ、悪いワケではないのでありますが……」
聞こえた会話内容からすると、梅枝一佐が艦橋へ入る許可を求めているらしい。
梅枝一佐はヘイヴン・オブ・オーシャンの沈没前後から艦の出発まで、甲板で乗り込んだ自衛官達の指揮をしていた。
全ての要救助者の収容を確認し、これから八丈島にこの巨大戦艦を着けねばならない事を考えれば、海自側の責任者である梅枝一佐が艦橋で指揮を取りたいというのも分かる話である。
そのくらいは軍服の魔法少女も分かっていると思ったのだが。
「く、黒アリスさん?」
何故か、艦長席に着いて引き締まっている筈の戦艦系魔法少女は、真剣に困った顔で黒アリスに助けを求めていた。
「梅枝一佐だってこの艦の動向は自分の目で確認したいでしょうし、いいじゃない入っていただけば」
「そ、それはそうでありますが…………」
「向こうは大人で艦長よ。あなたの事を立ててくれるわ。それにどうせこの艦はあなた以外には動かせないじゃない。実際の進路とか動きとか、ベテラン艦長に横で指示してもらえれば心強いんじゃないの?」
操艦については魔法戦艦に不安はないが、航海上のルールや他の巡視船との連動、入港の動きなどは、素人艦長だと少し不安だ。
軍服少女が言いたいのはそういう事ではなかったのだが、かと言って相談も出来ず。
それに、黒アリスの言う事はもっともであり、また軍服少女に梅枝一佐を拒否する事など出来ない。
実は祖父と孫で、魔法少女に変身後もほとんど顔が変わっていなくて、下の名前なんてそのまんま。だが艦長として向きあわねばならないとか、事情が複雑過ぎた。
「お、お入りください、であります…………」
士官帽をこれでもかと頭に押し付けながら、呻くように軍服魔法少女の宮口艦長が言う。
黒アリスが「なるだけフォローするから」とは言うが、あまり気休めにはならなかった。




