0008:沈黙できなかった艦隊
いまさら説明するまでもないが、黒アリスの中のヒト、旋崎雨音の神経は細い。
爬虫類系、昆虫系、巨大系、見上げる系、ブツブツ系、幽霊系、真っ暗闇と、弱点を上げれば枚挙にいとまが無い。
不安があると眠れなくなり、問題を先送りに出来ない性質。とりあえずでも解決案があれば落ち着くのだが。
しかし、多少雨音に弱点が多いと言っても、それは特別な事だろうか。
現状で生態系の頂点に立ち、特に平和な日本においては、馬や牛と言った中型の生物に出会う事すら稀なのが、現代社会に生きる人間の実情だ。
動物園や水族館に行けば、キリンやゾウ、クジラ――――――小型の――――――やジンベイザメ、と言った大型の生物を見る機会もあるだろう。
ただ、それは明確に区切られた安全圏から観察しているだけで、決して同じ場所に立っているワケではない。
サバンナの動物。無法の荒野。魔法少女や能力者同士の接触にも似て、何の安全保障も無いフィールドにおいて、未知で巨大な相手と差し向かいになったと仮定する。
相手が何かの気紛れや、ほんの少し身を捩っただけで、自分が押し潰されてしまいそうな、比べるのも馬鹿らしくなるほど巨大な存在。
これに恐怖を感じないとすれば、もはや生物の個体維持本能に問題があると言わざるを得ないだろう。
ただ、雨音が今感じている恐怖は、実はそれよりも一段上のものだった。
雨音自身、恐怖に取り乱して気付かなかったが、それは個の命を守ろうとする本能から来る恐怖ではなく、人類という種の存亡に危機感を訴える恐怖だった。
◇
そうは言っても、雨音だって恐い。何度も言うが、この社会や国民を守るのは、専門職の方々にお願いしたいところ。
「あれ……生き物かな? クジラ? 原潜??」
雨音の他のお勧めは『局所的な海水温の上昇』だが、残念な事に温水はサメの様に動き回ったりはしないと思われる。
「フネがー……良く分からんですけど、フネより大きいデス?」
比較対象物は巨大な貨客船しかないが、明らかにそれより大きい。
雨音もカティも詳しい事は知らなかったが、現在沈没しかかっている世界最大の豪華客船は、全長が360メートル。
熱源のサイズは、それよりも倍はあるだろうか。考えれば考えるほど恐ろしくなる。
良く見れば、熱源が船に接触する度、船全体が揺れているようだった。
いや、スケールが大きいだけで微かな揺れに見えてしまうが、実際の衝撃はいかほどか。
巨大な船が沈みかけ、乗組員が恐慌状態にあるのを思えば、想像も出来ようものだ。
「水中の無人攻撃機……なんてあったっけ?」
問題は、それが何かである。
真っ暗な水面はその下を見通せず、報道ヘリの狭い光など無いも同じ。
「直接行って見るデスか?」
「ヤダ怖いじゃない!!」
あまりにも剛の者なカティの発言に、雨音は震え上がっていた。ある意味尊敬さえする。
雨音としては、ほんの僅かだって近づくのはゴメンであった。
現場海域に行って、正体不明の巨大な何かを見物するなど、うっかり食べられたりしたら。
と、嫌な想像を働かせた所で、雨音はこれまた今更な事実に気付いてしまった。
「海自と海保はこの事…………」
「ジエータイ(自衛隊)は無人偵察機を持ってるデスか?」
確か導入は進んでいた筈だが、救助任務で無人偵察機による先行偵察など行っているとも考え辛い。
気の利いた報道ヘリなら暗視機能のあるカメラを積んでいるかもしれないが、日中だって難しいのに、夜闇の中で水面下まで見通せるとは思えない。
つまり、現在事態を正しく把握しているのは、雨音とカティだけである可能性が高かった。
「こ……コレはヤバいぞォ……」
黒アリスの頭に血が昇り、全身からドッと汗が噴き出した。
最悪の想定として、このまま自衛隊と海上保安庁の救助艦隊が事故海域に接近すれば、今まさに沈みかけている世界最大の豪華貨客船、ヘイヴン・オブ・オーシャンの二の舞ともなり得る。
そうなれば最悪の場合、7000~15000名に近い人命が海の藻屑に。
さもなくば、正体不明の巨大な何かの餌食となるかもしれない。
「ジャック、無線で警告! 何でも良いから海の中に何かスゴイのがいるって連絡して!!」
「え? ええ!? そんな事言ったって……こ、このボタンかな?」
武器と兵器の操作ならともかく、やはり無線機の扱いは専門外だった。
そうでなくても、ジャックはヘリを操縦してくれている。あまり気を散らす事も出来ない。
「ええい……!?」
雨音は無人攻撃機の操作機器を脇にやり、ジャックの横の副操縦士席に着いて無線を弄る。
その時、雨音に代わり無人攻撃機の操作機器を見ていたカティが声を上げた。
「アマネ! 動いたデス! 動いてマスよ!!」
「え!? 何が!!?」
それまで、沈みかけの貨客船に体当たりをしていた巨大な熱源が、唐突に向きを変えて貨客船から離れた。
そのまま一直線に、速度を上げて移動を始める。
「離れる……?」
一瞬、雨音の中に希望が生まれた。
相手が何者か知らないが、どこかに行ってくれるのなら、自衛隊と海上保安庁による救助活動に障害は無くなる。
その巨大な熱源が何かは死ぬほど気になるが、とりあえず救助活動さえできるなら、正体に関してはこの際後回しでも良い、
そう思っていたが。
「何だか知らないけど行っちゃえ行っちゃえ……!」
「でもアレ、急にどこに向かうデスかね?」
「………………………………………………………………え?」
テンパった黒アリスの笑みが、巫女侍の科白で固まってしまった。
相手が何を考えているかなど分からないが、もし、何かしらの意思を持つ存在なら、急な移動には理由がある筈だ。
「えーと……アレ、どこに行ったの?」
「ハイ、アマネ」
巫女侍が差し出す操作機器で、黒アリスは無人攻撃機に熱源を追わせる。
進路は、北。
無人攻撃機の機首にある架台を動かし、カメラの映像を進行方向に向けさせると。
そこには、列を成して事故海域に向かって来る、大艦隊の放つ光が。
「うわぁ!? 来ちゃった!!」
「あー…………あっち向かってったデスね、さっきノ」
呆と言う巫女侍に対して、黒アリスの尻にはいきなり火が付いていた。
このタイミングで大挙してやって来る船の群れなど、遭難した貨客船の救助艦隊以外あり得ない。
あの艦隊が接近して来たのを知り、巨大熱源が目先を変えてそちらに向かっていったのだとしたら。
無いとは思いたいが、海上自衛隊及び海上保安庁の艦艇全滅の危険性再び。
「ジャック…………ギリギリまで低空飛行で艦隊の後方に回り込んで」
「警告は?」
「やり方分かんないし、どうせ信じてもらえない……」
現実的に考えれば、 黒アリスの言う事はもっともだった。そもそも水中の巨大物体なんてものが非現実的ではあるが。
しかし、その5分後。
海上自衛隊と海上保安庁の救助艦隊は、どれほど目を背けても逃れようの無い現実に襲われる事になる。
黒アリスと巫女侍が無人攻撃機で見ている前で、巨大な熱源は次々と艦艇を襲い、沈めていく。
言葉も無かった。未知の相手に不意を撃たれたとはいえ、海上自衛隊の戦闘艦が、さも当然の節理の様に破壊される光景は。
艦隊から距離を取った輸送ヘリは、海面を波立たせるほどの低空でホバリング中。
そして、黒アリスは2択を迫られる。
「よし…………ジャック、赤島に戻って。撤退よ」
「エー!? た、助けないデス……?」
想像もしない科白に思わず声を上げる巫女侍だが、真っ白になって汗まみれの黒アリスを見て、その語尾が尻すぼみになっていった。
だって仕方ないではないか。こんなの手に負えない。魔法少女だからどうという話ではない。関われば低くない確率で死ぬ。
「……ダメもとで援護くらいはして来るわ。だからカティ、あんたは降りてなさい」
なので、そんな危ない所にカティは連れていけないのだ。
雨音だって逃げたい。吸血鬼や勝手に動く美少女フィギュアや国籍不明の犯罪者集団を相手にするのとはワケが違う。
相手は馬鹿みたいに大きくて正体不明で、海上自衛隊と海上保安庁が手も足も出ない相手なのだ。どんどんスケールが大きくなって涙が止まらない。
そして、全部見捨てて逃げ出せるのなら、初めからそうしている、って話である。
「な……何でデース!! どうしてそうなっちゃうデスー!!」
「ぅ痛ぁああ!!?」
そんな戯けた事を言う親友の雨音に、カティは顔の両サイドへダブル・びんた・アタックをかましていた。
回避しようのない一撃――――――二撃――――――を喰らい、黒アリスが裏声で悲鳴を上げる。馬鹿力の巫女侍にやられると洒落にならない。
「もー! またアマネはひとりで頑張っちゃうデスか!? いい加減カラダに性的なお仕置きするデスよ!!」
「そ、そんなんじゃないわよ! だってカティあんた海の上じゃ出来る事無いじゃん!」
「そんなの今更デース! やデース!! ぜったいアマネから離れマセーん!!」
泣きっ面の巫女侍が、ヌイグルミを取り上げられまいとするように、黒アリスの頭を抱き絞めてしまう。
黒アリスの力では巫女侍の胸から脱出不能であり、結局は連れて行かざるを得なかった。
言い出した時点で、雨音には半分想定できていた事だが。
こうして、黒アリスは未知の相手へ総力戦に打って出る。
ヘリの上から海のど真ん中へ、黒いアリスは魔法の杖で魔法の弾丸を発射。
銃身を金床に、撃鉄によって叩き出されるのは、史上最強の戦闘艦。
海水を断ち斬り、海面へと浮上して来たイージス艦の後部甲板へ輸送ヘリは着地する。
「ジャック! 機関始動! あと電源も!!」
「その後艦橋だね! 了解!!」
着地すると同時に、雨音はジャックを機関室へと走らせる。
以前、大艦巨砲主義の魔法少女と海賊魔法少女を黙らせた際にもイージス艦を使っており、その辺の手順はジャックも心得たもの。
「カティも手伝うデース! お雪さんも呼ぶデスよ!!」
艦内中央の戦闘指揮所へと駆ける黒アリスは、巫女侍を見て一瞬機関室へ行ってもらおうかとも逡巡するが。
「……いや、いいわ」
「なしてデース!? そりゃ……カティはバカ力だけの魔法少女デスけど……」
走りながら、シュンと項垂れてしまう巫女侍。
だが、雨音はカティを役立たずなどとは思っていない。
何が起こるか分からないこの状況で、カティをひとりにするのも、カティと離れるのも不安なのだ。
だから。
「あんたはずっと、あたしの傍にいなさい!!」
雨音は乱暴にカティの手を取り、自分の方に引き寄せ言い放った。
しばらく、カティはビックリしたように目を見開いていたが、やがて『ヘニャ……』と萎れたように赤くなってしまう。
「う……うぅー……ず、ズルイですアマネー……。そんな……いきなり言われたらカティ…………」
「分かったらホラ行くわよ!」
「あ……あぁーん!!」
雨音の科白でキュンとやられてしまったカティだが、生憎と状況は乙女にモジモジする時間など与えず。
遅刻寸前の教室へ駆け込む女子高生の様に、戦闘指揮所へ駆け込んで行く2人の魔法少女。
銃砲兵器系魔法少女でありイージス艦の主である黒アリスは、イージスシステムのMk.99火器管制席へ飛び乗ると、頭の中のアーカイブを参照してコンソールを叩き始めた。
「えーと……レーダー……は今はいらない。ソナーと射撃指揮装置接続同期……。ソナー……不明機“1”を探知。目標諸元入力。標的捕捉。イージスシステム、半自動モードへ」
黒アリスはイージスシステムに、ソナーとセンサーで拾った敵の熱紋と音響データを設定。その瞬間からシステムは敵を自動で追尾し始める。
「よし……いい、ジャック、カティ、お雪さん!?」
『艦橋、いつでも動かせるよ』
『微力を尽くしますわ、黒アリスさま』
「だいじょぶデース! アマネはカティが守るデスよ!!」
「みんなよろしく。それじゃ……機関全速! 方位1-8-5! 初っ端からブチかまして行くからね!!」
雨音の号令と同時に、イージス艦の主機が全力運転を開始。慣性が搭乗している者を置き去りにしようとする。
黒アリスはそれに耐えながら、火器管制で全兵装を立ち上げ。
宣言通り、第一手から最大火器の巡航ミサイル発射をイージスシステムに指示。
命令を受け、イージス艦は前部甲板のMk.41垂直発射装置のミサイル・セルを解放。
内部から発射炎を噴き出し、真っ直ぐ上へ撃ち上げられた全長6.25メートル、重量1.5トンのミサイルは、発射後数秒で自律飛行を開始。
垂直から弧を描き、格納されていた主翼を展開。
マッハ0.8、秒速272メートルという速度で、海上自衛隊を襲う海中の巨大目標へ飛翔する。




