0006:某魔法少女のイージス
最初の警報は、救助艦隊の先頭を往く海上自衛隊の護衛艦、『しもかぜ』による物だった。
対潜ソナーに感有り。それも、至近の海底から急浮上して来る。
「僚艦に警報! どこに浮かぶ!?」
「艦隊進路の左舷かと思われますが…………お、大きい!?」
ソナーに移る影は、あまりにも巨大だった。艦隊旗艦のひゅうが型――――――197メートル――――――の優に倍以上はある。
「まさか……気泡か!? いかん! 『つしま』と『ほうざん』に転舵を――――――――――!!」
「『つしま』より進路指示! 方位2-1-0へ進路変更!」
「了解した! 副長、進路面舵! 2-1-0!」
「転舵2-1-0、了解!」
魔の海域と呼ばれる海で、突如船が沈没してしまう原因は、海底から湧き上がって来る大量の泡にあるのではないか、という説がある。
船が水に浮くのは、水圧が船を上向きに押し退けようとする浮力が働くからだ。しかし、船が気泡に捕らわれると、浮力を無くして真っ逆さまに落ちる。
浮くように設計されている船が唐突に沈んでしまうのは、この泡のせいだと言われている。
海底の空気溜まりや地殻変動、メタンハイドレートなどの海底資源により、海底に気体が溜まる要素は意外に多い。
『しもかぜ』艦長、そして旗艦『つしま』の艦長はすぐにその危険性に思い当たり、何かが浮上して来る地点を回避する進路を取った。
20隻以上の船から成る遭難貨客船の救助艦隊は、菱形の陣形を維持したまま大きく右へと舵を切る。
そして、艦隊を追うように、ソナーに映る巨大な影も移動方向を変えて来た。
「か、かか、艦長!? 浮上中の物体がし、進路変更! 進路、2-1-0!!」
ソナーの報告に、『つしま』の艦橋内に動揺が広がる。
海底から浮上して来る『つしま』の倍以上大きな物体。それが、艦隊に真っ直ぐ向かって来る。
つまり、気砲などではないという事だ。
だが、気泡でなければ何だというのか。
世界最大の潜水艦でも、全長は約173メートル。生物で言えば、シロナガスクジラが20~30メートル足らず。
つまりどう考えても、400メートルを超える移動物体など、存在している筈が無いのだ。
「…………気泡では、ないとすると……?」
『つしま』艦長梅枝一豊一佐も、一旦は豪華客船ヘイヴン・オブ・オーシャンの遭難した原因が、気泡による物だと想像した。
だが、海に出て40年余りの経験が梅枝一佐に囁く。これまでも海に出て、理屈で説明出来ない物と遭遇するような事だって何度もあった。
重要なのは、それが危険か否かだ。
「副長……相手方に通信を。何でも良い。交信を試み所属と行動目的を確認してくれ」
「艦長!? この……これが艦影だと? これほど巨大な潜水艦など――――――――あ、いえ! 了解しました!」
「『しまんと』、『たかせ』、『すなおし』へ通信。未確認の移動物体後方に位置し、いつでも対潜攻撃に移れるよう準備を…………海保さんには先に行ってもらった方が良いかも知れんな。横須賀にも連絡を」
大岩の如く動じない梅枝一佐の命令の下、対潜能力に優れる『はつゆき型』護衛艦3隻が艦隊を離脱。大きく弧を描く進路で後方へ向かう。
一方で、対潜能力を持たない海上保安庁の巡視船は、貨客船の遭難海域へ先行。
速度を落とした『ひゅうが型』ヘリ搭載護衛艦『つしま』を指揮艦とし、海上自衛隊の艦は正体不明の巨大移動物体へ対処する事となった。
そして、
「こちら日本海上自衛隊護衛艦『つしま』。現在海難救助の作戦行動中。接近中の大型潜水艦、応答されたし。そちらの所属、行動目的を明らかにせよ」
あらゆる通信帯で呼びかけているにもかかわらず、応答はなく進路も変わらず、ソナーの巨大な影は真っ直ぐに自衛隊の艦隊へ向かって来た。
進行速度も見る間に上がり、艦隊の後方に肉薄する。
想定を超える未確認物体の速力に、後方へ回り込んで追撃する筈だった対潜護衛艦の3隻は作戦を変更。『つしま』と未確認物体の間に割り込む形で進出した。
対潜ソナーで位置は分かっている。
対潜護衛艦3隻は、それぞれ搭載してある哨戒ヘリを発艦させていた。
ヘリは海面へ対潜水艦用音響捜索機器を投下。より正確な目標位置を捉えると、同時に旗艦の梅枝一佐は攻撃を許可。
命令を受け対潜護衛艦は、艦側面の68式3連装短魚雷発射管から97式短魚雷を一斉に発射。
9発の魚雷は約50キロという速度で海中を突き進み、巨大目標の進行方向側面から直撃しようとした、筈だった。
「どうした!? 対象の動きは!? 撃沈したか!?」
「はッ…………」
副長は自分で言っておいて、実戦で『撃沈』という言葉を使う事になるとは、海上自衛隊に入って以来夢にも思っていなかった。
今まで、訓練以外で魚雷を使った事はない。それも、訓練用の模擬弾を使って、訓練標的へ向けてだ。それは海上自衛隊にいる自衛官の大半がそうであったが。
それにしたって、魚雷が目標に命中したなら、爆発でも何でも無いとおかしい、程度の事は分かる。
「艦長……?」
副長が動揺を抑え込み、艦長に視線で指示を求める。
艦長にも副長や他の者の戸惑いは分かる。攻撃に対して反応が返って来ないというのは、艦長としても判断に迷う所だ。
やはり、船や生物ではありえないのか。たまたま自分達と同じ進路へ流れて来ただけなのか。
「…………目標の動きは?」
梅枝一佐は進路を一度北に戻そうかと考える。それで、相手が通り過ぎれば良し。これまで何度かあった、不可思議な現象の一つと言う事だろう。
魚雷を使ったのは大問題になるだろうが。
「はッ、依然進路そのまま、深度60メートルで我が方と同進路を…………あッ!?」
しかし、レーダー監視員の上げた声で、即座に考えを変えさせられる。
「対象が進路変更! 進路1-8-5……た、『たかせ』へ向かいます!」
「『たかせ』へ警報! 回避行動を取らせ! 『しまんと』、『すなおし』に迎撃させろ!!」
厳しい顔で押し黙る艦長に代わり、副長が通信士へ怒鳴った。
その代わりに艦長は、次の行動を副長に指示する。
「『なるせ』は当海域より速やかに退避。『あかがわ』、『よね』、『かりの』を左舷へ、本艦及びその他の僚艦は右舷より転舵。進路0-8-5。副長」
「進路0-8-5了解! 『あかがわ』、『よね』、『かりの』は対潜攻撃準備!」
「『たかせ』回避間に合いません! 『たかせ』、不明移動物体と接触!!」
ソナーの巨大な影と、目一杯舵を切って逃げようとした僚艦の『たかせ』が交差した。
真夜中という事で有視界距離はほぼゼロ。
自らの船の機関音で、外の音など聞こえない。
状況を知らせるのは、レーダーとソナー、そして、僚艦との通信だけだ。
その通信も、
『こッ……! こちら「たかせ」! 不明物体と激突! 船底が破損! 艦操――――――――――!?』
一瞬の絶叫の後、二度と回復する事が無かった。
「何があった!? 『たかせ』を呼び出せ!!」
「……『しまんと』、『すなおし』は進路2-2-0へ退避。『あかがわ』らに対潜攻撃を実行させる」
「待って下さい! 未確認物体再び進路変更!」
ソナーの巨大な影は、全速力でその場から離れようとする『しまんと』、『すなおし』へ一瞬で追い付き、その2艦にも『たかせ』同様の衝撃が襲った。
『こちら「すなおし」! 舵がやられ操舵不能! 未確認物体への対潜攻撃効果無し!』
『「しまんと」より「つしま」! 艦を何かにぶつけられ浸水! 火器管制システムダウン! 本艦は継戦能力を失いました!!』
「対象が増速!! よ、40ノットを超えています! 進路1-0-0!」
「クソッ! 『あかがわ』の方へ向かっている!?」
「むぅ…………」
基本的に対潜攻撃は、魚雷か対潜ミサイルを用いる事になる。
しかし、現用の通常魚雷が約28ノットという速度。
巨大な未確認物体の叩き出す40ノットという速度は尋常ではなく、魚雷すら振り切ってしまう。
「副長、横須賀に救援要請を。僚艦は直ちに対潜哨戒ヘリを発進。全力を以って対象を攻撃する」
「あ、了解! 哨戒ヘリ全機発進! 各艦は魚雷、並びに対潜ミサイル準備!」
攻撃に向かっていた『あかがわ』、『よね』、『かりの』の3艦は、側面に大穴を開けられ、舳先を潰され、海中に没していく。
残る『つしま』を先頭とし、『くしだ』、『きの』、『しもかぜ』は扇状に広がり、短魚雷を吊り下げた哨戒ヘリが先行する。
未確認物体は蛇行しつつ、更に速度を上げて『つしま』艦隊に急速に近づいた。
「魚雷発射。対潜ミサイル撃ち方始め…………」
「魚雷発射了解! 対潜ミサイル撃ち方始めぇ!!」
梅枝一佐の命令を副長が復唱し、自衛隊の艦隊は一斉に迎撃弾を発射。
暗い海面いっぱいに魚雷が走り、対潜ミサイルが魚雷を海中に落とすと、自ら探信音を発して目標へ突き進む。
至近距離での爆発は、直ちに衝撃音を『つしま』へ伝える。
何機もの哨戒ヘリが海面にスポットライトを当て、立ち昇る水飛沫が闇の中で白く浮き上がるが、
『「つしま」、何か見える……! な! 何だアレは!? 「つしま」!?』
哨戒ヘリの1機が巨大な輪郭を浮き彫りにし、その影は魚雷の一斉攻撃をモノともせずに『つしま』へ向かい一直線に突撃。
凄まじい巨体に合わない圧倒的な速度に回避の術は無く、『つしま』は正面から正体不明の存在にカチ上げられていた。
◇
深夜1時18分。
遭難した貨客船ヘイヴン・オブ・オーシャンの救援に来た海上自衛隊と海上保安庁の艦隊は、救助作戦海域で謎の移動物体に遭遇。
全長400メートル以上、そして40ノットを超える速度で移動する物体に攻撃され、海上自衛隊側の艦隊は旗艦の『つしま』以下、壊滅状態に陥っていた。
「……損害状況は」
「ッ……各部署、損害を報告!!」
旗艦『つしま』の艦橋も、ひどい状況であった。
レーダー監視員、操舵手、通信担当は機器や床に叩きつけられ出血し、副長も床に転がり脇腹を押えながら指示を飛ばす。
椅子から落ちこそしなかったものの、艦長も息が出来ない思いだ。
しかし、船全体の被害も相当なもので、各所で電装系の火災、油圧の漏れ、浸水、システムの不調、そして無数の怪我人が出ていた。
「か、艦長! 『くしだ』が……!!」
まるで自分達の艦の対処も出来ない状態でも、現実は無慈悲にゴリ押しを続ける。
『つしま』が艦首を潰された直後に、僚艦の『くしだ』が船底に大穴を開けられ横倒しになっていた。
海上自衛隊側の艦で無事なのは、護衛艦の『きの』、『しもかぜ』と補給艦『なるせ』の3艦のみ。もはや救助活動どころではない。
そして、残りの護衛艦だけで巨大移動物体を止められるとは思えず、海上自衛隊の艦船が全滅すれば、次は海上保安庁の巡視艇と、沈みかけている貨客船のヘイヴン・オブ・オーシャンだ。
「それだけは…………自衛官として阻止せねばならんな」
「は……艦長!?」
梅枝一佐はズレたメットを被り直すと、真っ暗で艦橋から海が見えないのを、少し残念に思う。
「副長、ここは最低限操艦が出来る人員だけ残し、全艦の退避を。退避後はキミが指揮を取ってくれ」
「……どうされるおつもりですか、艦長?」
問うまでもなく、梅枝艦長の考えが分かった副長だったが、それでも聞かずにはいられなかった。
「……デカイ図体の船だ。囮くらいにはなるだろう」
確かに大きな船というだけはあり、正体不明の巨大物体にぶつけられても、他の船のように致命的なダメージを受けたりはしない。
艦首に大穴を開けられても、もうしばらくの航行は可能だった。
「艦長、自分も――――――――――!」
「すまんが、後を頼む……副長」
副長が何か言うのを先回りして抑え、梅枝一佐は艦長席へ沈み込む。
言いたい事全てを飲み込んで、敬礼した副長が去った後、艦橋には負傷して運び出された艦橋要員以外の全員が残っていた。
「……すまんな、皆」
今からこの『つしま』が行うのは、正体不明の相手に喰らい付き、少しでも時間を稼ぐ事だ。
故に、『つしま』も残る自衛官も、命を捨てるつもりでかからねばならない。
彼等は自衛官なのだ。この国の人々を守る、矛無き盾なのだ。
「……機関全速。方位1-8-3。残った魚雷と対潜ミサイルは全て撃って良い。敵を本艦に引きつけ、もう一度正面からぶつけてくれる」
『戦闘指揮所了解。魚雷、対潜ミサイル、Mk41垂直発射機準備』
ここに到っても一切感情を見せない艦長に、戦闘指揮所に残った砲雷長が応えていた。
『きの』の艦尾が喰い千切られ、後部から海中に沈んで行く。
『しもかぜ』が船底を擦られ横滑りし、ソナーの巨大な影は再び大物である『つしま』へ向かう。
ダメージを負い半分も速力が出ない『つしま』と、倍以上の大きさと速度でうねる様に突っ込んで来る巨大な影。
二度目の激突は、いかなこの船でも耐えられはしないだろうと。
誰もが悲壮な覚悟を決め、ありったけの火力を解放する護衛艦と何かにしがみ付く乗組員の海上自衛官達は、今まさにソナー上で巨大な影と接触しようとし、
その直前に、超音速で何かが海中へと突き刺さり、大爆発を起こしていた。
「うっ……ぬぅう!?」
ただでさえダメージの色濃い『つしま』の艦体と梅枝艦長の身体が、至近での爆発で軋みを上げる。
しかし、
「か、艦長!? 移動物体が逃げていきます! いえ、本艦から急速で離脱します!!?」
これまで何十発と魚雷を喰らって効いた様子の無かった敵が、ここに来て初めて逃げに回ってた。
更に、ここで哨戒ヘリからの報告が入る。
『梅枝艦長! 「つしま」へ! 後方6時、距離は約1キロ! 方位3-5-5に艦影! これは……!?』
『つしま』の外部カメラが、対潜ヘリが投光する方へと向いた。
そこにいたのは、特徴的な斜めに傾斜した平面で構成される船体上部と、2面ある六角形のフェイズドアレイレーダーを持つ、最新鋭ミサイル駆逐艦。
「イージス艦だと!? もう来たのか!?」
「今のは……あの船からの攻撃か!?」
「…………」
艦橋要員が驚きの声を上げる。艦長も同感だった。
イージス艦は物にもよるが、速力は30ノット――――――約55キロ――――――と言ったところ。
最寄りの横須賀からこの海域までは約350キロメートル。6時間半はかかる計算となる。
応援要請を出してから、まだ10分程度しか経っていない。
イージス艦が訓練航海に出ていたという話は聞かない。ならば外国の船かと、艦長は照会を指示するが。
これに、通信士が興奮した様子で報告を入れる。
「識別に応答無し! あのイージス艦は所属不明です!! 海自の船ではありません!! 東西米国艦にも該当なし!!」
全長165メートル。全幅20メートル。
高度な情報通信、迎撃システムである『イージス』を搭載。
各種ミサイルを発射可能な100に近い垂直発射システムを備え、対潜攻撃火器も充実し、たった今巡航ミサイルで水中の敵に一発喰らわせて見せた、最新鋭戦闘艦。
その戦闘指揮所では。
「さーてこっからよー……。ジャック、方位0-9-0へ全速力。お雪さん、ソナー監視、よろしくー」
『了解しましたわ、黒アリスさま』
『まっすぐでいいの、アマネちゃん?』
金髪ミニスカエプロンドレスの黒いアリスが、火器のトリガーグリップを握って、イージス・ディスプレイ・システムの画面を睨んでいた。




